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神花山古墳 施設情報・クチコミに戻る

古墳にも戦争のつめ跡がありました…。

  • 5.0
  • 旅行時期:2017/08(約7年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

柳井・上関 クチコミ:2件

山口県熊毛郡平生町。ここには大戦末期に『人間魚雷回天』の訓練基地として『海軍平生基地』が構築されました。基地が狙われれるのは戦いに於いては当たり前のことゆえ、マル秘扱いで進められていた『回天の基地』に関しては、より厳重な砲台が築かれたようです。回天資料館となっている『阿多田交流館』のすぐそばにある小山である神花(じんが)山。その頂上に高射砲陣地を構築するため工事を行っていたところ、石棺が出土し中にはほぼ全身の人骨が納められていました。当初壮年男子のものと思われていた人骨は、終戦時の混乱によって頭骨以外は既に失われていました。

昭和62(1987)年に再鑑定を行ったところ、20代後半の女性の頭骨であることが判明し、その珍しさから神花山古墳は山口県指定の史跡として現在に至っています。この古墳が作られたとされる時代である3~」7世紀にかけては複数の豪族が治める熊毛王国が存在していました。当時この辺りは本土とは古柳井水道という海峡を挟んで離れており、その水道は都と九州・朝鮮・大陸とを結ぶ重要経路だったこともあり、王国はヤマト王朝が脅威に感じるほど大変栄えていたされています。

その国力を背景に熊毛王国は約300年間大和王権の影響を受けつつも、侵略されることもなく存続しました。その背景にはその当時豪族間の争いが絶えず、勝ち負けの結果国力が衰退し滅亡に至る悪循環がありました。しかし熊毛王国では無駄な争いをそれぞれの王の間で仕掛けなかったことが長期繁栄の要因だとも言われており、各王は王位に就くと自らの墓を先に造り、その死後にその古墳に収まっていたのではと考えられています。その中でこの神花山古墳の被葬者系列としては3代目という説が唱えられており、付近一帯にある古墳には被葬者系列7代までのものであるとされています。

その復元されたお顔の高さ10mの像が神花山古墳に建てられています。もし戦争という時代がなければ、石棺に納められた人骨から等身大の復元像が作られていたかも知れません。しかしその古墳を貫くように掘られた『防空壕』等が古墳時代の面影を台無しにしています。

ありきたりの言い方ではあれど『戦争がなければ変わっていたに違いない』結果であるということは疑いようのない事実です。そんな景色を眺めながら、戦争によって変わってしまった古墳の姿を考えながらこの地を後にしました。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
阿多田交流館からすぐ。
人混みの少なさ:
5.0
訪れる方もおられません。
バリアフリー:
3.0
道は舗装はされていますが急です。
見ごたえ:
5.0
防空壕が痛々しく見えました。

クチコミ投稿日:2017/09/10

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