神花山古墳
名所・史跡
3.28
神花山古墳 クチコミ・アクセス・周辺情報
柳井・上関 観光 満足度ランキング 19位
クチコミ・評判
1~4件(全4件中)
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古代女王像が古墳のシンボル
- 3.5
- 旅行時期:2025/03(約10ヶ月前)
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古墳にも戦争のつめ跡がありました…。
- 5.0
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
- 10
山口県熊毛郡平生町。ここには大戦末期に『人間魚雷回天』の訓練基地として『海軍平生基地』が構築されました。基地が狙われれるの... 続きを読むは戦いに於いては当たり前のことゆえ、マル秘扱いで進められていた『回天の基地』に関しては、より厳重な砲台が築かれたようです。回天資料館となっている『阿多田交流館』のすぐそばにある小山である神花(じんが)山。その頂上に高射砲陣地を構築するため工事を行っていたところ、石棺が出土し中にはほぼ全身の人骨が納められていました。当初壮年男子のものと思われていた人骨は、終戦時の混乱によって頭骨以外は既に失われていました。
昭和62(1987)年に再鑑定を行ったところ、20代後半の女性の頭骨であることが判明し、その珍しさから神花山古墳は山口県指定の史跡として現在に至っています。この古墳が作られたとされる時代である3~」7世紀にかけては複数の豪族が治める熊毛王国が存在していました。当時この辺りは本土とは古柳井水道という海峡を挟んで離れており、その水道は都と九州・朝鮮・大陸とを結ぶ重要経路だったこともあり、王国はヤマト王朝が脅威に感じるほど大変栄えていたされています。
その国力を背景に熊毛王国は約300年間大和王権の影響を受けつつも、侵略されることもなく存続しました。その背景にはその当時豪族間の争いが絶えず、勝ち負けの結果国力が衰退し滅亡に至る悪循環がありました。しかし熊毛王国では無駄な争いをそれぞれの王の間で仕掛けなかったことが長期繁栄の要因だとも言われており、各王は王位に就くと自らの墓を先に造り、その死後にその古墳に収まっていたのではと考えられています。その中でこの神花山古墳の被葬者系列としては3代目という説が唱えられており、付近一帯にある古墳には被葬者系列7代までのものであるとされています。
その復元されたお顔の高さ10mの像が神花山古墳に建てられています。もし戦争という時代がなければ、石棺に納められた人骨から等身大の復元像が作られていたかも知れません。しかしその古墳を貫くように掘られた『防空壕』等が古墳時代の面影を台無しにしています。
ありきたりの言い方ではあれど『戦争がなければ変わっていたに違いない』結果であるということは疑いようのない事実です。そんな景色を眺めながら、戦争によって変わってしまった古墳の姿を考えながらこの地を後にしました。 閉じる投稿日:2017/09/10
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埋葬者が女性という珍しい古墳
- 2.5
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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女性が埋葬されている珍しい古墳です。
国道188号線沿いに看板がありましたが、それ以降目立った案内も無かったので、素直に... 続きを読む神花山を目指したほうが楽だと思います。
埋葬された女性にちなんで、高さ10メートルの巨大な女性像があるので、近づけば分かるでしょう。
すぐ傍には人間魚雷「回天」の碑もあるためか、駐車場があります。
古墳は丘の上にありますが、数分で着く程度の小さなものなので問題はありません。道も綺麗に整備されています。
開口はしていないものの、墳丘の上には復元された埴輪等が設置されており、そこから海を見渡すことも出来るので、ついでに眺めを楽しんでくるのもアリだと思います。 閉じる投稿日:2015/03/27
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平生町の神花山古墳
- 4.0
- 旅行時期:2012/12(約13年前)
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1件目~4件目を表示(全4件中)
基本情報(地図・住所・アクセス)
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