2017/01/17 - 2017/01/24
213位(同エリア408件中)
明石DSさん
アストリアホテルから徒歩1分にあるアルベロベッロ駅
小さな駅だが洒落ている
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2017:平成29年1月17日(火)~1月24日(火)
5泊8日
5日目:1月21日(土):曇り
マテーラからナポリへ
2019.平成29年1月21日(土)
■“アルベロベッロ”の朝
6時過ぎまだ暗いうちに散歩に出た。旅先での散歩はいつも楽しい。歩き回ってこそその街の雰囲気が感じられる。眼で肌で鼻で耳で五感を研ぎ澄ませて街を歩く。1月21日のイタリアの朝。寒くはない、雨もなく気分爽快。朝の自由時間、朝食までの短い散歩時間だからこそ気合も入る。
まずホテル傍にあるアルベロベッロ駅に行った。午前6時25分の駅は玄関がまだ閉じられていた。でもプラットホームのフェンスの門が開いていたのでホームに入る。 ホームにも駅舎内にも人の姿はナシ。
そこに三両編成の赤白ツートンカラー、さすがイタリアのカッコいい車両が入って来た。座席の背もたれも高く座り心地は良さそう。少しだが乗客も座っていた。
駅を出てひっそりとしたアルベロベッロの路地を歩く。トゥルリの家並みもちらほらある。道路ではゴミ収集車が仕事をしていた。
そして昨日の夜来たダミアーノ聖堂前に来た。教会の扉を開けようとしたが閉まっていた。6時40分薄明るくなった頃教会に一人の修道女が入って行った。もうすぐ教会の扉は開くのかも・・・。扉が開いたのか地元の老女が入って行ったので私も教会に入る。
教会の中央祭壇のある大きな礼拝堂は誰もいなかったが横の部屋で数人が座ってお祈りが行われていた。神に感謝の祈りを捧げ今日の一日が始まるのか。私も毎朝夕自宅の神棚に手を合わせ仏壇に線香をあげ般若心経を唱え一日が始まる。この教会にも大きな額に入ったピオ神父の写真が飾られていた。
午前7時にはすっかり明るくなり気分も爽快。歩く、歩く、道を渡ってリオーネ・モンデ地区に行く。早朝のトゥルリの街も童話の世界を歩くがごとし、トゥルリ屋根教会まで行った。狭い道に古い小さな車が停まっている。トゥルリに似合う車であり風景だ。燃費悪く故障も多そうだけど、便利快適とは無縁の良きこだわりを感じる。
南イタリアの散策途中駐車している日本車を見かける度にデジカメのシャッターを押したくなる。トヨタ・日産・ホンダ・マツダ等々数は多くないが堂々とある。現代・起亜車が目に入れば気分が悪い。何を隠そう「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のが私の性根だ。いや私だけではなく人類皆そうだと根拠ないけど思っている。
午前7時25分また“アルベロベッロ”駅に戻って来た。こんどは男女学生沢山がプラットホームで電車待ち。高校生若しくは大学生くらいだと思うけど、男は皆イケメン、女は皆モデル。悔しいけどカッコいい。私が彼らなら心中アジア人など蔑視する。体形が違いセンスが違う。外見の美醜で言えばどうみても正直負けている。
でも人間見かけではなく大事なのは中味。総合力で優劣が問われる。その優劣の基準の最たるものは自己犠牲の精神と行動の有無だと信じる。
しかしこればかりは計りようがなく危機迫った時身体が瞬時にどう動くかで決まる。脳ではなく身体が動くか動かないか?逃げるか助けるか?誰もその場に居合わせないと分からない。そしていつも同じ行動に出るとも限らない。あァ~無常。
若いアルベロベッロの女性で喫煙者が結構いるのに驚いた。友達と輪になって咥えタバコでしゃべっていた。7時45分にはホテルで朝食を食べ始め9時前にチェックアウトしバスは出発した。朝の散歩がアルベロベッロでの私の貴重な旅となった。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
駅の玄関は施錠で入れず
駅舎横のフェンスの門が開いていた
午前6時26分、プラットホームに人影なし
列車の本数も少ないのだろうなァ -
駅舎内もシンプル
-
列車が入って来たがこの駅での乗降はないようだ
座席の背もたれが高い -
人っ子一人いない早朝の“アルベロベッロ”
みんなまだ寝ているのか? -
アルベロベッロ市内のアチコチに
トゥルリの家並みはそこそこある -
朝のサンティ・メディチ・コズマ・エ・ダミアーノ教会
旅先の朝の散歩は気持ちがいい
誰もいない早朝の街中を歩くのは最高だ! -
教会の扉を開けようしたが鍵が掛かっていた
その後、修道女の格好をした人が入って行き
この人も入って行った -
扉が開いたので私も勝手に教会内に入る
右側の部屋でお祈りをしていた
『アルベロベッロの守護聖人コズマとダミアーノが奉られた教会
コズマとダミアーノは兄弟で、ともに医師だったという』
http://www.mytravelunpacked.com/alberobellosightslist -
やっと朝が来た。教会を背に写す
この前の道路が「クッリ広場」との名前あり
どう見ても広場に見えないけど・・・。 -
ピッコラ地区からモンティ地区にやって来た
街路樹の電飾がまだ灯されている -
相変わらずどことも人影少なくひっそりと
もう起きて朝食中?それとも未だ寝てる? -
イタリア産三輪車「Ape(アーペ)50」
http://www.walk.co.jp/ape50/qa.html
日本でも購入可能のようだけど -
また駅に戻って来た
駅舎のデザインも色合いも何かカッコいい -
土曜日の朝、7時26分 アルベロベッロ駅
プラットホームに沢山の男女学生?たちがいた
美女にイケメン揃い、女子喫煙者もチラホラ フ~ン -
朝食を食べる
今回の旅行では同行者たちと席を同じくしても
あまり話が弾んだ記憶なし -
アストリアホテル201号室のキー
-
201号室、窓外の風景
-
昨年購入のベンツの新車バスがお迎えに来た
さあ“アルベロベッロ”ともお別れだ -
南イタリアの田園地帯をバスは走る
農村風景に心和むのは生き物の本能
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■アルベロベッロからマテーラへ
プーリア州“アルベロベッロ”からバジリカータ州“マテーラ”に向かってバスは走る。オリーブ畑・穀倉地帯の風景を見ながら1時間半も掛からずマテーラの街に入りトラモンターノ城近くで停車。その近くの店の有料トイレ(0.5ユーロ)を利用し一同歩いて町中に向かう。
石畳の道を歩き最初に目にしたのが1672年(江戸幕府4代将軍:家綱)に完成した神学校パラッツォ・ランフランキ(Palazzo Lanfranchi)。2003年以来バジリカータ州国立中世・近代美術館となっている建物。その建物正面左側に、なァ、なァ、なんと日本人彫刻家の作品「水滴」が鎮座していた。
作者は吾妻兼治郎(あづま けんじろう)「1926年3月12日 - 2016年10月14日もしくは10月15日90才ミラノ没」ということだから死亡日がはっきりしていないのは一人で亡くなったのかも。まったくその名前さえ聞いたことはない。
この時のガイドは若い女性日本人ガイド“Yさん”。この彫刻が日本人の作品と聞いて驚いた。世界遺産マテーラ国立美術館前に存在感十分の彫刻が日本人作であることに感激する。彫刻作品の見る目はないが元神風特別攻撃隊出身の日本人作だから気に入った。シンプルであることも気に入った。
その美術館の横の展望場所から「サッシ Sassi住居群」マテーラの全容が見える。この景色は旅前に何度となく写真で見て「へぇ~こんな昔のままの景観が今もそのまま残っているのかなァ~」と思っていたが。それがまさに自分の眼前に期待通りの景色が広がり感動の瞬間となった。
写真も実際の景色も映画のスクリーンを見るがごとく時代をスリップし、私の目の前に中世の景観が広がっていた。8~13世紀にかけてイスラム勢力から逃れた修道僧が渓谷に住み着き洞窟住居を構える。その遥か前旧石器時代の出土品も発見され古くから人々の住むところだったようだ。
1663年バジリカータ州の州都となって発展したがその後州都も移され衰退した。20世紀初頭に人口が急増し住環境が悪化1950/昭和25年この地域の住民は強制移住となり無人の廃墟となる。しかし1993/平成5年世界文化遺産に指定されマテーラは復活となる。今も徐々に洞窟住居が再利用されてる。
展望場所から、左手高台にサッシ景観の象徴ともいえる鐘楼が聳えるマテーラ大聖堂(Matera Cathedral)。13世紀(鎌倉時代)の石造りの教会「ドゥオモ(大聖堂)」を頂点に洞窟住居群が斜面一杯に広がっていた。目の前(サッソ・カヴェオーソ地区)には岩山:エローネ山上に岩をくり貫いて作られた「サンタ・マリア・デ・イドリス教会(Santa Maria de Idris)」がある。
川を挟んで対岸の崖には天然洞窟を利用した岩窟住居跡が無数に見える。このマテーラで「映画ベン・ハー」のロケが行われた。日本での公開は2017/平成29年、今年と“Yさん”が教えてくれたので楽しみにしていたが『ウィキペディア』によれば公開は見送られDVD発売とのこと残念。
小学生の時チャールストン・ヘストン主演の「ベン・ハー(1959年制作)」を見たのを覚えている。映画、メル・ギブソン監督の「The Passion of the Christ(パッション)」もマテーラがロケ地になっているとのこと。なるほど古代・中世の映画のロケ地に相応しい景観だ。 -
アルベロベッロからマテーラへ
イタリア半島のこんなとこを走っていた -
南イタリアは農業が主産業
北イタリアは工業が主産業
南貧乏・北金持ち経済格差あり
南北イタリアに対立あり -
トヨタの看板見つけ写真を撮る
写真の電光掲示板 8:01
デジカメ時間表示 10:01
なんじゃこれ -
マテーラに接近 ロータリーの交差点
こっちではこれが当たり前の風景だが
私にとっては珍しい、どっちが良いの -
マテーラに接近 ロータリーの交差点
こっちではこれが当たり前の風景だが
私にとっては珍しい、どっちが良いの -
トラモンターノ城 16世紀初め建立
(Castello Tramontano)
この周辺路上でバスは停車 -
この喫茶店が有料トイレを兼ねていた
-
トイレは男女一つづつなので順番待ち
-
さあ行くぞ!マテーラ観光に
ぞろぞろと歩く -
マテーラ新市街といえど中世の雰囲気あり
添乗員“Tさん”の後に続いて歩く -
正面:バジリカータ州国立中世・近代美術館
その建物左側手前に彫刻「水滴」が鎮座 -
彫刻「水滴」
日本人彫刻家:吾妻兼治郎(あづま けんじろう)作
「1926年3月12日 - 2016年10月14日もしくは10月15日90才ミラノ没」 -
バジリカータ州国立中世・近代美術館左横に展望台がある
-
展望台からの眺望はこの通り、小さなデジカメの一葉
旅立ち前写真で見ていた光景が目の前に広がった
あっ!と、息を呑む -
中央岩山:エローネ山上に岩をくり貫いて作られた
サンタ・マリア・デ・イドリス教会(Santa Maria de Idris)
http://www.dagashi.org/citta/matera.html -
なんといってもこの景色が今回の旅随一なり
飽きるまでマテーラに滞在したかった
せめて丸一日、いや二日間くらいは
この地を歩き回りたかった -
マテーラ大聖堂(Matera Cathedral)
13世紀(鎌倉時代)の石造りの教会「ドゥオモ(大聖堂)」 -
住居の上に住居が重なる
洞窟住居の複雑怪奇な構造は不思議
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■マテーラ洞窟住居散策
デジカメ時間ではたった5分だが十分眺望を楽しみシャッターを沢山切って“Yさん”を先頭にマテーラの石畳の道を下る。どこをどう歩いたのか定かではないが写した写真を見れば『岩をくり貫いて作られた「サンタ・マリア・デ・イドリス教会(Santa Maria de Idris)」』のすぐ傍を通り教会を背に“Yさん”とのツーショット写真を撮っている。
ブルーノ・ブオッジ通りまで降り、そこから雄大なグラヴィーナ渓谷とグラヴィーナ川 が望める安全柵に囲まれ多少デコボコした岩の空き地に行く。そこから眺めれば眼下谷底にグラヴィーナ川が流れ右手に洞窟住居跡の穴が点々とある渓谷の壁、左手はサッシ住居が立ち並ぶマテーラの景観があった。
私たちが立っているその展望場所は墓地跡だった。別の場所に埋葬し展望場所としているようだが大小大きさの違う人型がはっきりわかる。小さな墓跡も多くあり昔は日本も同じだが子供の死亡率は高かった。私の曾祖父母は共に江戸時代末に生まれ明治に七人の子供を生んだが二人が幼くして亡くなった。そんな墓跡に土足で立っていた。
そこから次に行ったのはサッシの生活を再現した洞窟住居博物館「CASA GROTTA(洞窟住居) DEL CASALNUOVO(カーサ グロッタ デル カサルヌオーヴォ)」
https://www.google.co.jp/maps/place/Casa+Grotta+Del+Casalnuovo/@40.6621091,16.6100581,632m/data=!3m2!1e3!4b1!4m5!3m4!1s0x13477edb98bda96b:0x37f800705d0bec83!8m2!3d40.6621091!4d16.6122521?hl=ja
住居博物館の内部は広く部屋も多い。階段を降りて行くと左右にヤギやロバの模型が置いてあり家畜との同居の様子が分かる。一番奥に倉庫のような広い部屋があった。電気のない洞窟内でこれだけ奥に広い住居内部の「明るさ」は?一体どんなものなのか・・・。ベッドが高いのは湿気があるからという説明だった。
トイレもなく腰掛オマルで用を足す。家畜の糞もそうだが加えて湿気が多いとなれば衛生状態は想像できる。これでは確かに身体に良くない。洞窟なので「夏涼しく冬暖かく」と思うけどここは快適ではないようだ。日本人観光客も多いのか洞窟内では日本語での解説が流されていた。そういえば今のところ中国韓国人観光客に出会っていない。
再びブルーノ・ブオッジ通りに出て「洞窟土産物店」に入った。外から見れば石造りの小さな店にしか見えないが中に入ると天井も高く広くて品揃えも豊富で綺麗な店だった。私は何も買わないけど。 -
このマテーラ洞窟住居群は1950~1960年代
「貧困の象徴」「国の恥」とされ強制移住となった
上下横と境目の分からない住居群
構造はリオのファヴェーラに似てる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A9
下水排水を考えれば清潔を保つのは至難なり -
岩をくり貫いて作られたサンタ・マリア・デ・イドリス教会
(Santa Maria de Idris) -
三輪車 Ape(アーペ)を時々見かけた
日本では三輪車はほとんど見なくなったけど -
ごつごつ空き地の展望台かと思っていたら
墓地跡だった
https://www.google.co.jp/maps/@40.6632076,16.6124108,3a,75y,29.07h,71.14t/data=!3m6!1e1!3m4!1sQNwchWoxZ0Fn_Vor_1jEaA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja -
墓地跡展望台からの眺め
グラヴィーナ渓谷とグラヴィーナ川
右手:洞窟住居跡の穴が点々とある渓谷
左手:サッシ住居が立ち並ぶマテーラ -
旧石器時代から人が暮らした痕跡があるマテーラ
20世紀初頭から人口急増:劣悪環境により無人化となる
1993年世界文化遺産指定後現在は5分の1ほどが再利用 -
墓地の痕跡 大小様々な長さがあるが
小さきも多い、幼児死亡率が高かった -
洞窟住居博物館
「CASA GROTTA(洞窟住居) DEL CASALNUOVO」
(カーサ グロッタ デル カサルヌオーヴォ)
https://www.google.co.jp/maps/place/Casa+Grotta+Del+Casalnuovo/@40.6621091,16.6100581,632m/data=!3m2!1e3!4b1!4m5!3m4!1s0x13477edb98bda96b:0x37f800705d0bec83!8m2!3d40.6621091!4d16.6122521?hl=ja -
洞窟内は換気悪く湿気多く家畜と同居しトイレもなく
衛生状態は劣悪で乳幼児死亡率は高かったそうだ
洞窟内は冬暖かく夏涼しいのではなかったのか? -
家畜と一緒で洞窟内生活の匂いはいかに?
入ってみて想像以上の住居の広さ奥行に驚いた -
倉庫もあり
天井も高い -
この洞窟で暮らしていた家族写真・・・か
笑顔の家族、貧困とは比較であり幸不幸とは別物だ -
洞窟博物館の前から写した風景
-
お土産露店に並べられた数々のグッズ
マテーラとの何らかの関連があるのだろう
手作り 素朴 マテーラ・・・っていう感じ -
お土産ショップの入り口
これが中に入って驚く
外見はちっちゃな駄菓子屋の如く
中に入れば品揃え豊富な洞窟商店 -
えっ!なかはこんな広いの?こんなに綺麗の?
洞窟は外から見るのと中にはいってのギャップがある -
商品も棚の配置や飾り付けも洗練され女性店員も美人
洞窟って入ってみないと分からない面白さがある -
Google・Map”のストリートビューで自分が歩いた場所を確認してしまう
https://www.google.co.jp/maps/@40.6629407,16.6116275,3a,75y,359.3h,96.91t/data=!3m6!1e1!3m4!1syR9ssMoN1t8m_EdNvP4gWQ!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
ブルーノ・ブオッジ通り -
彫刻「水滴」まで戻って来た
前方四人が並んでいるのが展望台
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■新市街を散策し洞窟レストランへ
店を出て11時半ごろ水滴の彫刻のある場所まで戻って来た。新市街(ピアーノ地区)観光しながら昼食の洞窟レストランに向かう。まず1747年(徳川家重:江戸幕府第9代将軍)に完成した骸骨の彫り物だらけの「煉獄教会:プルガトリオ教会(Chiesa del Purgatorio in Matera)」前で写真を撮る。
そしてサンフランチェスカ広場で聖フランチェスコ教会(Chiesa di San Francesco D'Assisi)。その隣のセディーレ広場(Piazza Sedile)には市役所として建立され今は音楽学校(Conservatorio Statale di Musica E.R. Duni)になっている目を引く建物があった。門には知恵・勇気・節制・正義が擬人化された四体の彫像が置かれている。外から写真を撮るだけでどこも内部に入ることはなく・・・。
石畳の道を周囲をキョロキョロしながら歩き洞窟レストラン「Ristorante Pizzeria Il Terrazzino」に到着。
https://www.google.co.jp/maps/place/Il+Terrazzino/@40.6661498,16.6069043,17z/data=!4m21!1m15!4m14!1m6!1m2!1s0x0:0x8295e697b8ef0b3c!2sIl+Terrazzino!2m2!1d16.6070581!2d40.6662746!1m6!1m2!1s0x13477ede418d9a71:0x8295e697b8ef0b3c!2zSWwgVGVycmF6emlubywgVmljbyBTLiBHaXVzZXBwZSwgNywgNzUxMDAgTWF0ZXJhIE1ULCDjgqTjgr_jg6rjgqI!2m2!1d16.6070581!2d40.6662746!3m4!1s0x0:0x8295e697b8ef0b3c!8m2!3d40.6662744!4d16.607058?hl=ja
洞窟レストランと言ってもマテーラには沢山ある。「サッシウェーブ sassiweb」に紹介されている。
サッシ洞窟住居跡をレストランにしているので外観を見ても内部構造は分からず。ここも土産店同様入ってビックリ。何に驚くのか?広い、深い?天井も高い。ワイン貯蔵庫、倉庫のような広い部屋に展示品も置いている。レストランであもりちょっとした博物館にもなっている。奥が深いとはこのことかハハハ。
料理はメーンが鶏もも肉焼き料理で美味かった。食事を終えてマテーラ観光は終了となりドメーニコ・リドラ通りを歩いてバスの待つ場所に戻る。ツアーだから仕方がないが、この地では少なくとも二泊三日は滞在したい。
マテーラは魅力はあふれる場所であり町全体が古代なのか中世なのかにタイムスリップした風景に囲まれ、ここで21世紀の現実生活があるとは思えず。たった3時間足らずの滞在だったがテーマパークに入場した気分。出来る限りこのままの状態を維持して未来に引き継いで欲しいと願う。足が棒になるまでこのマテーラを歩きたかった。 -
バジリカータ州国立中世・近代美術館を背に歩く
煉獄教会:プルガトリオ教会が前方にある -
骸骨だらけの煉獄教会
布教に脅しは付き物であり
救いを求める心理も付き物
「ノストラダムスの大予言」が懐かしい -
サンフランチェスカ広場の聖フランチェスコ教会
教会だらけ、日本は寺社仏閣だらけ
人間は種族民族問わず内心似たり寄ったり -
市役所として建立、今は音楽学校
(Conservatorio Statale di Musica E.R. Duni)
建物が立派だとそこに入る者も背筋が伸びる -
マテーラの父と息子
世界は今後どうなるのか?
あの子は我が孫と同じ時代を生きる -
右手木製看板 この洞窟レストランもそうだった
表から見れば「何これ?」って感じだけど・・・ -
階段を降り入って行けば、驚くしかない
正面にマテーラ大聖堂(Matera Cathedral)が見える
「貧困の象徴」「国の恥」も世界文化遺産登録で
国の宝になりにけり -
トマトもボーノ(buono)
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洞窟内部は広い、続々と観光客のご来店
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メーンの「鶏のもも肉焼き料理」もボーノ
-
洞窟レストランと思いきや
上下横と一体どこまで広がっているのか?
隣や下との境界はどうなのか?不思議なり -
広い展示スペースもある
-
洞窟レストラン「Ristorante Pizzeria Il Terrazzino」
なかは広~い
https://www.google.co.jp/maps/place/Il+Terrazzino/@40.6661498,16.6069043,17z/data=!4m21!1m15!4m14!1m6!1m2!1s0x0:0x8295e697b8ef0b3c!2sIl+Terrazzino!2m2!1d16.6070581!2d40.6662746!1m6!1m2!1s0x13477ede418d9a71:0x8295e697b8ef0b3c!2zSWwgVGVycmF6emlubywgVmljbyBTLiBHaXVzZXBwZSwgNywgNzUxMDAgTWF0ZXJhIE1ULCDjgqTjgr_jg6rjgqI!2m2!1d16.6070581!2d40.6662746!3m4!1s0x0:0x8295e697b8ef0b3c!8m2!3d40.6662744!4d16.607058?hl=ja -
10時過ぎにマテーラに到着
3時間足らずで去るにはあまりに惜しい
だが再訪したくも・・・未だ行かざる地を選ぶ -
トラモンターノ城傍に停まるバス
ナポリに向かう -
バスはポテンツァ (potenza)経由でナポリへ
“Google・Map”
https://www.google.co.jp/maps/dir/Castello+Tramontano,+Via+del+Castello,+75100+Matera+MT,+%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/''/@40.7196802,14.1148269,7.61z/data=!4m13!4m12!1m5!1m1!1s0x13477f1b2dd5fadb:0x40989f57c47a263!2m2!1d16.6059453!2d40.6639501!1m5!1m1!1s0x0:0x5ec335e9ceccb164!2m2!1d14.155297!2d40.827799?hl=ja
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■マテーラからナポリへ
午後1時過ぎトラモンターノ城前に待っていたバスに乗車。一路今夜の宿泊地ナポリ郊外・アメリカンホテルに向かう。“Google・Map”のルート検索によればバスが走った道は「SS7→国道E847号線→アウトストラーダA3号」
途中左側遠くに冠雪した山並みが続いていた。マテーラ出発からちょうど2時間の午後3時過ぎAUTO GRILLサービスエリアでトイレ休憩。
30分足らず休憩しバスは出発。ナポリ湾を垣間見てヴェスビオ山を右手に見ながら午後4時50分ナポリの街外れアメリカンホテルに着いた。ネット検索でホテルの場所も周辺のことも分かっていたつもりだがネット情報通りの辺鄙さで折角のナポリ二泊も即意気消沈。ナポリ連泊というだけにガックリ度は十倍増しとなる。
アメリカンホテルは立地場所にがっかりだが、416号室はバスタブもあり部屋に文句はない。唯一ホテル近くにあるスーパー(SUPERMERCAT VILLAGE)に買い出しに行きジュースと水を買う。そのあとホテルで夕食。
夕食を終えて部屋に戻ったのは午後7時半ごろだけど一歩も外に出る気もなく最後の観光となる明日に備えた。 -
トラモンターノ城
サラバ!マテーラ -
マテーラ出発後すぐの南イタリアの車窓風景
南イタリアは農業が主産業なのが良く分かる -
バス左手方向に冠雪の山並みが連なる
-
マテーラ出発2時間後トイレ休憩
-
マテーラからナポリ 出発後2時間
AUTO GRILLサービスエリア
https://www.google.co.jp/maps/place/Area+di+Servizio+Salerno+Est+(Autogrill+Spa)/@41.0546244,13.7686558,8.4z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x6ccb6f3d06b2072!8m2!3d40.6930406!4d14.8349487?hl=ja -
南イタリアのサービスエリアの雰囲気にもだいぶ慣れた
やはり国が変わるとサービスエリアも違う -
写真では分かりにくいが小便器の位置が高い
欧州ではどこともそうだ
足の長さか・・・くそっ
子供はどうする -
ヴェスビオ山が車窓から見える
ナポリは近い -
ナポリ市街を通り抜け・・・どこまで行くのか?
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ホテルはすごそこ
店らしきは何もなく -
アメリカン・ホテル
https://www.google.co.jp/maps/@40.8277226,14.1553053,17.01z?hl=ja -
ホテル到着午後4時52分
この時はまだこのホテル周囲のことが分からず
少しは期待の気持ちを持っていた・・・が -
二連泊の部屋 連泊は気が楽だ
点から点への移動は疲れる
観光は明日で終わり -
バスタブがあれば正直ほっとする
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416号室前の廊下
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ホテルから歩いて行ける範囲で唯一のスーパーマーケット
かろうじてでもここがあって助かった -
ホテルでの夕食:まずパスタ
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こんなん食べた・・・のか
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食後のデザート
写真がなければ全部記憶の彼方
最近ブログ・ツイッターなどで写真の公開も普通になり
食べ物の写真撮りもあまりおかしな目で見られないけど
一昔前は撮る人稀で撮りにくかった
南イタリア No 3 アルベロベッロ マテーラ
https://youtu.be/HnQx-NrpwQ0
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この旅行記へのコメント (2)
-
- こまちゃんさん 2017/04/27 16:09:43
- どこかで見た記憶が・・・!?
- アルベロベッロ・・・、マテーラ・・・。
・
・
・
ああ!
以前、関西ローカルの番組で「ロケみつ」ってのが有って(月亭八光がMC)、稲垣早希(サキちゃん)って漫才師の女性が、旅のブログを書きながら、そのカウント数とサイコロの出目で資金を稼ぎながら走破する(「1」は資金没収!)・・・ってブログ旅行コーナーが有り、最初は日本国内だったのに、無茶振りで「ヨーロッパ・ブログ旅!」って企画を押し付けたのが有りました。
その時見たのでした!
→http://blog.livedoor.jp/nikko_nikko/archives/cat_50029439.html?p=7
アルベロベッロの駅が閉まってて、やさしいおばちゃんが一生懸命教えて呉れるも、かく言うサキちゃんは英語も何も出来ず、折角の好意を受けられずに困っていたら、色んな人に助けて貰いながらバスに乗り換えることが出来たのでした!
旅行記と関係ない話で失礼しました!(大汗
こま
- 明石DSさん からの返信 2017/04/27 21:55:04
- RE: どこかで見た記憶が・・・!?
- 私も旅立ち前は知らない名前のところばかりでした・・・。
“てるみくらぶ”の格安料金に衝動申し込みで行きました。
その後の顛末と無縁で、何ら問題なくラッキーでした。
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