2017/01/17 - 2017/01/24
32位(同エリア44件中)
明石DSさん
2017/1.22.14:57
ヴェスビオ山とポンペイ遺跡
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カゼルタ:サン・ジョヴァンニ・ロトンド:アルベロベッロ:マテーラ:ポンペイ遺跡を訪ねる
2017:平成29年1月17日(火)~1月24日(火)
5泊8日
はじめに
初の海外旅行は1989/平成元年39歳で台湾。今回36回目66歳2回目の海外旅行は“てるみくらぶ”ツアー≪関空発エミレーツ航空利用/関空より添乗員同行≫「南イタリア8日間」。
このツアーを申し込んだのは昨年(平成28年)9月8日、35回目の「福建土楼と厦門四日間周遊(2016.H28.10.22~10.25)」の旅前。昨年1月に行った中央ヨーロッパの旅“阪急トラピックス”同様今回も新聞広告を見て価格の安さに衝動申し込みである。
行き先は「ポンペイ遺跡」だけは知っている名称だったが他は知らない名前ばかり。一人で戦跡巡りをしていたのと違って観光目的の団体ツアーは気合は入らないが気楽だ。
関空から経由地ドバイ(約11時間)、そしてドバイからジャンボなエアバス機でローマ(6時間)へ。11時間+3時間(乗り継ぎ待ち)+6時間=計20時間の移動はさすがに疲れた。そして空港からバスで宿泊地カゼルタへ。
「カゼルタ」→「サン・ジョバンニ・ロトンド」→「モンテ・サンタンジェロ」→「アルベロベッロ」→「マテーラ」→「ナポリ」→「アマルフィ」→「ポンペイ」が今回5泊8日南イタリアの旅となった。
格安ツアー費用は¥98,000円+一人参加費¥40,000円+諸経費¥10,890円=¥148,890円也。ツアー同行者は19名。一人参加は私だけ、他は夫婦9組。添乗員はベテラン中年男性“Tさん”。私以外はすべて夫婦連れ。
今回は旅を通じ酒も飲めず明るい性格とは言えない私は一人参加の気兼ねを感じながらの旅となる。同行者の皆さんも扱いにくい“おっさん”が一人いて何かと迷惑を掛けたと思う。お許しあれ。まあそれでもそれなりに楽しみ「百聞は一見に如かず」を体験した。
これは旅行記にあらず。わが能書き也。
思いのままを書き連ねる。同じ事を百回でも千回でも。
目 次
(1) 1月17日(火)関空~ドバイ、ローマへ出発
(2) 1月18日(水)ローマ着、カゼルタ宿泊
(3) 1月19日(木)カゼルタからサン・ジョバンニ・ロトンド
(4) 1月20日(金)モンテ・サンタンジェロからアルベロベッロ
(5) 1月21日(土)マテーラからナポリへ
(6) 1月22日(日)アマルフィとポンペイ遺跡
(7) 1月23日(月)ローマから帰国の途
(8) 1月24日(火)帰国
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
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ムッソリーニ処刑の顛末
https://youtu.be/wOCecmSa-M0
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1日目:1月17日(火):曇り
出発・関空からドバイ、そしてローマへと向かう
2019.平成29年1月17日(火)
■「5泊8日の旅」:いざ出発!
格安ツアー“てるみくらぶ”を利用しての初めての旅。新聞広告を目にした瞬間衝撃を受けた安さ。“てるみくらぶ”に関してはネットの口コミでは様々な意見が寄せられている。一体どんなものなのか?そんなことも旅の興味のうちとして出発の日を迎える。
■イタリアって?旅前の私のイタリアに関しての知識は・・・。
大東亜戦争時の三国同盟を結んだ国であり最初に降伏した国。ムッソリーニのリンチの写真も記憶にあった。ネット検索したらすぐにムッソリーニの最後の様子が分かった。
逆さ吊でのリンチ殺害ではなく殺害されたあとに吊るされたようだ。戦後勝者が作った人物評価も安易にすべきではないと改めて思った。映像6分30秒後から当時のその場の様子が分かる。
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P・C・スミス嬢の日記
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■北京籠城55日の戦いでのイタリア兵
1900年義和団事件:北京籠城55日の戦いでは芝五郎中佐を中心に日本軍兵士及び日本人民間人が大活躍し世界から賞賛を浴びる。その時の日本人の態度がその後日英同盟に繋がった。しかし籠城戦でのイタリア兵は、たまたま居合わせ巻き込まれた米国のP・C・スミス嬢の日記の中に次のように記されている。
イタリア兵は臆病なのか?それとも戦意がなかったのか?
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外国人女性も、「柴中佐は小柄な素靖らしい人です。彼が東交民巷で現在の地位を占めるようになったのは、一に彼の智力と実行力によるものです。なぜならば、第一回朝の会議では、各国公使も守備隊指揮官も別に柴中佐の見解を求めようとはしませんでしたし、柴中佐も特に発言しようとはしなかったと思います。
でも、今ではすべてが変わりました。柴中佐は粛親王府での絶え間ない激戦で怪腕を奮い、偉大な将校であることを実証したからです。だから今では、すべての国の指揮官が、柴中佐の見解と支援を求めるようになったのです。
日本兵は、いつまでも長時間バリケードの後に勇敢にかまえています。その様子は、柴中佐の下でやはり粛親王府の守備にあたっているイタリア兵とは大違いです。北京に来ているイタリア兵はイタリア本国の中でも最低の兵隊たちなのだと私はイタリアの名誉のためにも思いたいくらいです(P・C・スミス嬢)
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ミランの本田圭佑
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■イタリアサッカーとミランの本田圭佑
イタリアサッカーはカテナチオ『イタリア語で「掛けがね」や「閂(かんぬき)」という意味』と呼ばれる鉄壁の守備を誇る強豪であり“W杯”4回優勝の実績がある。イタリアと言えばセリエAがまず最初に私の頭に浮かぶ。
今、本田はミランで苦しい立場に置かれているが彼には一人のサッカー選手というより人間としての興味がある。すでにスイスサッカー2部リーグに属するSVホルンのオーナーであり日本国内でも多くのサッカークラブを運営している。その実行力は凄いの一言でありこれからの本田圭佑の生き様に期待したい。
本田の思想信条・歴史認識は如何に?その辺が分からないので今後の期待が失望に変わるかもだが・・・。私はどんな人間であっても愛国心希薄なグローバリストを評価しない。
世界との交流は大いに推進すべしだが、まず祖国日本あっての世界であり日本国・日本人として誇りと名誉伝統を尊んでこそ他人種民族国家の垣根を越えてお互いを認め合い尊重し合えると信じる。 -
世界史対象年表
■世界の中で日本一国だけが変わらぬ独立国家であり続けて来た
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■イタリアとは?
イタリアが今のようなイタリアになったのは1861年(江戸後期)であり、それまではそれぞれの都市国家が存在していた。今も旧国家での都市間の対立もあり南イタリアと北イタリアの対立もあるようだ。昔南イタリアは農業中心だが北に比べて裕福であったのが北部イタリアの工業化によって南は取り残され貧しい地域となった。
今回の地元観光ガイドの女性も大いに北イタリアに対しては文句のある口ぶりだった。ともかく世界各国の歴史は魑魅魍魎であり現在に至るもその経緯は良く分からない。権力者もその都度代わり国名も変わる。
■世界の国々と日本
「世界史対象年表」の図を見れば一目瞭然で世界200を越える国があるが歴史的に独立国として変わらぬ国であり続けているのは日本だけだ。それは島国だからの幸運ではない。島国は世界中に沢山ある。
日本はどんな時代にも独立を保ち続け万世一系男系継承による天皇陛下を戴く皇室の存在を守って来た。それは先人達の英知と命懸けの努力の賜物だ。戦後日本は米国の属国に成り果てている。しかし何としても皇室は守り抜かねば日本が日本でなくなる。天皇陛下の存在なくば日本ではない。
天皇陛下は「ビンの蓋」であり骨幹である。天皇の存在あればこそ独裁者の台頭は有り得ず共産主義が権力を得ることはない。そして皇室と1億2千万の国民は血縁で繋がる一つの家族としての国家の形が出来ている。故に日本人は頑なに宗教に頼らずとも神道を含めあらゆる宗教を忌避せず、道徳心高く大らかな性格を有する。
今般今上天皇陛下が高齢によっての譲位を求めた。これには正直がっかりした。天皇陛下は国民の象徴であり特別な存在だ。自由なく苗字なく権利もない。ひたすら国家国民の安寧を祈り崇高なる儀式を務め続ける。過酷だが天皇として生まれた以上死ぬまで頑張ってもらいたい。その姿に胸打たれ国民の資質も保たれる。
普通の高齢者とは違う異次元の存在だ。残念だが内心を吐露した以上もはや仕方がない。しかし一代限りであることを願う。次の天皇陛下には最後まで頑張ってもらいたい。勝手だが国民の一人として心からそう願う。
だが今の皇太子も情けない。何故雅子様との結婚を望んだのか?自らの立場は男系継承を次代に繋ぐことが最大の責務だということが分かっているはずなのに、なぜ若い女性を妻としなかったのか?それが現皇太子への最大の不満である。
亡き寛仁親王殿下は「天皇陛下はその存在にこそ価値がある」と言われた。その通りであり賢帝愚帝は問わず。その存在にこそ無上の価値がある。戦後、国がヘタレ、皇室もヘタレた。鶏が先か?卵が先か?と同じで答えはないが、国がへ垂れれば国民もへ垂れる。
日本は皇室も国民も皆一心同体なり。誰かが踏ん張らないと日本に明るい未来は来ない。救世主・英雄の出現を待つ!今、似非保守政治家:安倍晋三によってますます日本はグローバル化が進み危機を迎えている。 -
天正遣欧使節団
1586年に印刷された、天正遣欧使節の肖像画。タイトルは「日本島からのニュース」
右上・伊東、右下・千々石、左上・中浦、左下・原。中央・メスキータ神父
(Wikipediaより)
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■イタリアと日本との関係
イタリアと日本の歴史的関係に「天正遣欧使節団」がある。1582年まだ江戸時代になる前の織田信長の時代であり、九州の武士の子弟四名の少年がキリスト教を学ぶためにローマ教皇に会いに行った。彼ら四名と随員が長崎港を発ったのが2月、その年6月に本能寺の変で信長は葬られた。
四人の少年使節は出発から8年後の1590年7月帰国。世は豊臣秀吉の天下であった。次第に日本はキリスタン弾圧の世になり一人は日本で病死。一人は棄教。一人はマカオで死亡。一人は弾圧の中、地下に潜り布教を続けていたが捕縛され穴吊るしの刑に処せられても棄教せず65歳にして没。この中浦ジュリアンは2008/平成20年ローマ教皇によって福者に列される。
当時キリスト教弾圧追放は日本にとって最良の選択だった。宗教はその後の植民地化に繋がり宗教の名の下に隷属に繋がる。政教分離は甚だ難しく宗教が力を持てば国を越える。すなわちそれこそがグローバル化であり地球市民化だ。念仏や教えでは平和は保てず国も国民も家族も自分自身も守れない。
平和の念仏は空疎であり理想は存在しえないからこそ理想となる。動物世界の現実は過去現在未来も力でありそれしかない。力=軍事力だ。軍事力を持ち人として真摯に高い道徳を保つことが国の平和の唯一の原点だ。宗教が力を持てば醜い争いとなる。 -
支倉 常長(はせくら つねなが)
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■慶長遣欧使節団
1590年天正遣欧使節団帰国から23年後の1613年江戸時代、慶長遣欧使節団が日本を出発2年後の1615年ローマで副使:支倉 常長(はせくら つねなが)はパウルス5世教皇に謁見。HP『慶長遣欧使節の足跡をトレースする』に詳しい。http://www.bell.jp/pancho/k_diary-10/2014_03_01.htm
イタリアではないが慶長使節団がメキシコを経てイスパニア(スペイン)に到着。南部コリア・デル・リオに滞在し、その時住み着いた日本人の子孫が、今も暮らしている。『彼らは「JAPON(ハポン:日本)」という名字を持ち、その人口は数百人に上るという。』:「400年前からスペインで暮らす日本人子孫の集落」 -
「米欧回覧実記」七十七巻(コマ番号230)
那不児ヲ一覧シタル後ニ死ナント謂フ トナリ
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■岩倉使節団
その後、1871年明治4年岩倉使節団が米欧に向けて出発し、イタリアのヴェネチアで慶長使節団の資料を発見している。その時彼らは慶長使節団のことを知らず天正遣欧使節とのことと勘違いしていたようだが・・・。岩倉使節団はポンペイ遺跡にも入っている。
「米欧回覧実記」七十七巻(コマ番号230)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/761505/198?tocOpened=1
「以国人ノ諺ニ、那不児ヲ一覧シタル後ニ死ナント謂フ トナリ、以テ其名勝ノ地タルヲ知ヘシ」とありポンペイ遺跡訪問の感想も詳しく書かれている。
http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/11-bungei/wforum.cgi?no=6862&reno=no&oya=6862&mode=msgview
「ポンペイと視察団 投稿者:唐辛子紋次郎」 にも説明あり。それによればポンペイ遺跡を訪ねた日本の著名人では「有栖川宮、大山元帥、山県有朋、夏目漱石」等々がいるようだ。
今回の旅でイタリアでの日本人物語を探したが上記くらいであり、他には見当たらず。旅先で知っていた名前はローマ・ナポリ・ポンペイ遺跡くらいで他は初めて聞いた名前ばかりの地に向かうことになった。 -
聖ピオ・ダ・ピエトレルチーナ
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■ピオ神父
ピオ神父のことも今回の旅を機に知ることになった。旅立ち前にYou-Tubeでピオ司祭の映画を見た。
1/22「ピオ司祭」Part 1- "Padre Pio" 日本語/英語訳(全22巻)
https://youtu.be/Ln6G5zPfgiA
面白かった。そして現地でガイドから聞いた話や写真もこの映画と瓜二つ。内容の真偽・是非はともかく見る価値あり。 -
国道2号線を走ってポートアイランドに向かう
夜出発の旅行も朝から旅モードになっている
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■イタリアへ出発
イタリアへ出発と言っても関空待ち合わせが夜の9時5分。トランクはこの旅行前に買った。小さいのと大きいのが二つで中型のがなかったから。荷物は昨日までに詰めていた。今朝から旅気分で時の経つのを待つ。そして搭乗時刻の48時間前から可能なエミレーツ航空のオンラインチェックインの再確認。
「やっぱり今のより他の座席が良いかも・・・」と当日見直した。関空からドバイまでの11時間。そして変更可能な席で「この方が良いかも・・・」という席があったので変更した。それが結果的に大正解だった。
マイカーを運転して家を出たのは4時間前の午後5時。最近は車でポートアイランドに行き「ポートトアイランド⇔関空」の船便:“ベイ・シャトル”を利用することが多くなった。何日でも駐車場無料もそうだがトランクを転がして電車とバスを乗り継ぎ移動が嫌と言うのが一番の理由。駐車場は今回も満車状態で一番奥の空き地に停める。
待合室に入ったらトランク二つを横に置いて二人の男女が座っていた。その二人の前の席に座って振り向いたら“てるみくらぶ”のステッカーが見えたので「“てるみくらぶ”で南イタリアに行くのですか?」と声を掛けた。
女性が「そうです」というので「私もです」と言うと「宜しくお願いします」と双方挨拶。でも横の男性は一言も発せず素知らぬ風だったので私もそれ以上話し掛けることはせず。何やら最初の出足から少し気が重くなる。
午後7時定刻発で関空へ、30分後に到着しバスで関空第一ターミナルへ行く。まだ集合時間には間があるのでまず日本円3万円をユーロに両替。240ユーロと日本円での半端のお釣りをもらって両替完了。1ユーロ:123円ほどなり。 -
“ベイ・シャトル”へと乗船開始
同行者二人と出会うも気まずい出会いとなって幸先悪し -
1時間一本しかない船でのアクセス
ポートアイランドから30分で関空到着 イタリアへ -
関空3F「そじ坊」にて
出発前時間があればいつもここで
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■関空にて
次に3階のレストラン街で軽めの夕食。旅立ち前のルーティンの如く信州そば処「そじ坊」に入る。温ソバの「とろろ丼定食¥1,050円」を食べる。そして集合場所のGカウンターへ。“てるみくらぶ”の案内札を手にした一人の男性が目に入った。添乗員“Tさん”との初対面。高身長スマート洗練された感じの中年男性。
挨拶をし段取りを聞く。「オンラインチェックインはまだですね?」と問われ「しました」というと「エッ?そうですか」と一瞬驚いていた。今のところオンラインチェックインをする“オジン”は少数派なのだろう。
オンラインチェックインはしていたが同じようにカウンターに並び、もう一度カウンターの美人女性に「横に誰もいない席があれば・・・」とか「通路側で空いている席は?」とか注文したら親切にも嫌な顔をせず探してくれた。
そして真ん中席だったのが同じ列の通路側に変更できた。そしてその時点では横の座席は空席。ラッキーと喜ぶ。 -
エミレーツ航空 オンラインチェックを済ませていたけど
カウンターで座席チェックをしてくれてラッキーな席を確保 -
一人旅搭乗口での時間待ち
気楽でもあり寂しくもあり
何がどうでも次も一人で旅に出る
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■エミレーツ航空EK317便(ボーイング 777-300)でドバイへ
エミレーツ航空EK317便(ボーイング 777-300) 21H(座席) 搭乗口はNo28。手荷物検査・出国手続きをし搭乗口に到達は午後9時20分。搭乗開始は午後10時50分、離陸は午後11時15分。まだ搭乗開始まで1時間半の時間があった。周囲に“てるみくらぶ”のステッカーを付けたトランクを見かけたような気もするが記憶定かでなく。
添乗員の“Tさん”との対面だけで他の同行者とは接触の無いまま飛行機に乗り込む。この飛行機はJALとの共同運航(コードシェア)便で日本人CAが乗っているので心強い。座席数が500程ある大型機で通路が二本中央4席、左右に3席。私の座席はビジネス席すぐ後の一画の最後部、後ろはトイレ。
この席なら気遣いなくリクライニングを倒せると思って予約したが背中のトイレ壁との空間なく角度的に倒れなかった。21Hの席に座ったあと続々と乗り込んでくる人たちを見ながら私の列に座るのは誰なのか?みんなが乗り終わるのを固唾を飲んで見守っていたが・・・。誰も来ない。早くこのまま飛び立てと祈る!
そして祈りが通じたのか誰も来ず。三座席を一人で占有できることになる。これも日頃の行いが良いからだろうと一人ほくそ笑む。万歳!かくして関空→ドバイまで11時間の空の旅は横になって寝れる状態で離陸となった。早く飛び立て、誰も来るな・・・よと。
乗客が乗り終わると機内食のメニューが配られた。こんなことは初めてのような気がする。エミレーツは人気があると聞いていたが「機内食も違うのか?」と。そしてEK317便はドバイに向けて定刻午後11:35分の数分前に離陸した。これから長い空の旅・・・同じ機内での明日に続く。 -
イタリアへの旅の初日といっても
もうすぐ機内で初日は終わる
飛行の安全を祈るのみ -
EK317便はJALと共同運航便
プレミアムエコノミー座席はJALにあったが
エミレーツの座席表にはなかった、プレミアムって? -
搭乗時刻も迫り人も増えて来た
同じ飛行機に乗ることになった人たち
それぞれに事情あり、皆今幸福なのか? -
搭乗開始は午後10時53分
初のドバイ、そしてイタリアへ -
3・4・3の座席配置 右3に座る
誰も来ない、まだ来ない まだ誰も
早く!早くこのまま飛び立てと祈る -
誰も来ないまま飛び立った
エコノミー席が一転ビジネス席になった
日頃の行いを振り返り首を傾げたが
黙って幸運に感謝するのみ! -
今まで数多く飛行機に乗ったけど・・・
機内食メニューをもらったのは記憶にない -
メニュー書きはホテルのコース料理かと思うけど
運ばれてきたのはいつもの機内食、贅沢は言えぬ -
こんなメニュー配布は初の人には期待値を上げるだけ
二度目以降の人は悪いジョークのように感じるだけ
やめたほうが良いと思うけど、資源を大切に! -
関空上空に飛び上がり旅の初日は終了
二日目も機内で続く
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