2017/01/17 - 2017/01/24
280位(同エリア556件中)
明石DSさん
「Hotel Parco delle Rose パルタ・デル・ローズ」
215号室の鍵、デカくて重い鍵
こんな重量感のある鍵は我が人生初
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2017:平成29年1月17日(火)~1月24日(火)
5泊8日
4日目:1月20日(金):曇り時々雨
“モンテ・サンタンジェロ”と“アルベロベッロ”へ
2019.平成29年1月20日(金)
■“サン・ジョバンニ・ロトンド”の朝
“サン・ジョバンニ・ロトンド”のパルクホテル215号室で6時過ぎに起床。早速周辺の散策をと思って外へ出たら雨が降っていた。残念ながら部屋に戻りテレビを付けたらトランプ新大統領の就任式典の様子が報じられていた。
私はアメリカンファーストを掲げて当選したトランプ大統領に日本人ながら大いに期待している。日本もそうだが世界のメディアからバッシングを受けながら米国民多数の支持を受け大統領になった。まるで支持者より反対派が多いかのような世界の報道だが米国民の賢明さが勝利した。
グローバル化は地球市民への道であり究極の弱肉強食である暗黒の世界へ導く。グローバル企業が利益を独占するだけで国はどこも多民族共生国家になり混乱を高めるだけだ。それぞれの国が固有の民族と固有の文化を持ち特色を維持してこそ世界の未来は輝く。交流には異存はないが混ぜこぜは想像するだけで憂鬱しかない。自然界の動物世界では有り得ない。
朝食時間が来たので一階レストランへ行った。朝食バイキングはどことも同じで食べやすい。パンとハムや野菜、そしてコーヒーやジュース。すぐに部屋に戻ってチェックアウトの準備。8時には出発だ。
昨日の夕方この“サン・ジョバンニ・ロトンド”に着いてガイドの説明を聞きながら教会内を回っただけ。観光は教会だけで街の様子も何も分からないままの出発は寂しい限り。折角こんな遠い地まで訪ねて来たのにせめて半日くらいは町を歩きたい。ピオ神父が作った大きな病院内部にも入ってみたかった。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
215号室前の通路はこんなんだった
-
2107年1月20日は第45代トランプ米国大統領の就任式
米国大統領がアメリカンファーストを言うのは当然だ
行き過ぎたグローバル化は世界を不幸にする -
ピオ神父の聖地“サン・ジョバンニ・ロトンド”での朝食
-
朝食はどことも同じような内容だ
私のどこともとは・・・・
ウラジオストク・中央ヨーロッパ・そしてここ -
1F洒落た雰囲気のレストラン
当然のようにピオ神父の肖像画は掲げている -
“サン・ジョバンニ・ロトンド”の朝、外気温6℃
“モンテ・サンタンジェロ”へ向かう
行った先の地名を覚えたのは帰国後なり
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■“モンテ・サンタンジェロ”へ出発
定刻8時前にバスは出発。向かうところは“モンテ・サンタンジェロ”距離は26kmバスで30数分。高台の街から降りて行った。このところイタリア北中部は大雪で大変なようだった。テレビを付ければこの18日にイタリア中部を襲った地震と大雪と雪崩の被害のニュースばかり。
この南部は標高の高い所は雪があるがそれ以外は雪もなく気温も明石と変わらない。でも“モンテ・サンタンジェロ”は標高850mくらい(『ウィキペディアでは796m』で近づけば道の両側に雪が残り周囲の山々も雪景色になった。そして出発後35分くらいで街の西端にあるモンテ・サンタンジェロ城の近くにバスは到着した。
洞窟教会を見に来たのだが、モンテ・サンタンジェロの洞窟教会はツアー行程表には『南イタリアの「モンサンミッシェル」』と書かれている。モンサンミッシェルはフランスの修道院でテレビなどでも見て記憶にあった。そしてこっちの洞窟教会こそが「元祖」という。
一体何?と分からなかったが「モンテサンタンジェロ」はイタリア語。「モンサンミッシェル」はフランス語。共に意味は「聖天使の山」聖天使とは大天使聖ミカエルのことを指す。イタリア、フランスとも場所は違うが同じ名前だ。そしてこっちが何故元祖なのか?
『モンテ・サンタンジェロ「大天使の洞窟」(grotta dell’Arcangelo)は、大天使聖ミカエルが宿ったとされる洞穴である。伝承によれば、490年、492年、493年に大天使ミカエルが現れた。その「大天使の洞窟」の上に建造物を建てて聖域とした。その後200数年の時を経て708年フランスのモンサンミッシェルに礼拝堂が作られた』
名前は同じ「聖天使の山」。だけどなるほど元祖はこっちだ。「大天使」は天使の階級の一つ、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教によっても違いがあるようだが学ぶ気もなし。私にとって「天使=エンゼル(優しい女性)」で天使のように優しい女性も現世にまれにいる。
人口13,000人ほどの高台の小さな街。バスから降りうっすら雪化粧の石畳の道を転ばないように歩いた。目の前に古城モンテ・サンタンジェロ城がある。なかなかの雰囲気だ。ヨーロッパの街はどこにっても映画のロケ地に使えそうな街並みである。新しい建物も当然あるが色も含め統一感があって違和感がない。
モンテ・サンタンジェロ城の前にしばし佇み写真を撮る。この古城で最も古い建造物は18mの高さがある「巨人の塔」厚さ3.7mの壁を持つ。この城に関するもっとも古い記録は979年。それは日本の平安時代(794?1185年)中期の頃か、ふ~ん。
時刻は金曜日の9時前、勾配のある石畳の道路の両側に住宅が並び、ところどころの家で煙突から煙が出ているが外を歩く人は少ない。ここもイタリア人の若い女性ガイドが英語で説明し“Tさん”が通訳しての観光だった。 -
ホテル「Parco delle Rose」から「モンテ・サンタンジェロ城」へ
“Google・Map”検索ルート時間と同じ33分くらいで到着 -
“モンテ・サンタンジェロ”近くの車窓からの風景
曇り空だが美しい景色が広がっていた -
ガルガーノ山に登って行く。山腹に街がある
不便なはずの高い所に街を作るのは
敵の攻撃から街を守るための必然なのか? -
Monte Sant ' Angelo Castle
モンテ・サンタンジェロ城
10世紀から支配者が変わるたび改修し
監獄として使われたことも、今も幽霊の出る噂あり -
高台の静かな朝、佇む古城
何とも言えぬ雰囲気がある
ここは聖地“モンテ・サンタンジェロ”
モンテ・サンタンジェロ
http://4travel.jp/travelogue/10604855 -
古城の隣には白い壁の住宅が並ぶ
金曜日の午前9時前だが外には人の気配なく -
古城のすぐ傍に洞窟教会はある、徒歩一分で鐘楼が見えた
一応我が家は真言宗 私は仏教徒のはしくれ
四国お遍路さんも今だ成し遂げず身であるのに
まるでカトリック信者であるがごとく教会に向かう
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■モンテ・サンタンジェロ洞窟教会
洞窟教会に向かって滑らないように気を付けながら石畳みの道を歩く。
「フランスのモンサンミッシェル」→「イタリアのサン・ミケーレ聖所記念堂」→「プーリア州のブリンディジ港から船で聖地エルサレム」というのが巡礼者の一般的なコースのようだ。日本での西国三十三ヶ所巡り、四国八十八ヶ所巡りのお遍路さんのようなものだろう。私も老いたらお遍路さんになるのかも・・・。
いつもは多くの巡礼者で賑わう?“モンテ・サンタンジェロ”も今朝はまだ人も少なく土産店も開いていなくて寂しい通り。お城から歩き出してすぐ正面に13世紀建立の教会の八角形の鐘楼が見える。英語から日本語の通訳での説明は時間が掛かる。どこでもそうだったが地元ガイドは義務のように説明が長く立ち止まっていることが多い。それで時間が潰れる。
説明は簡単で自由に見学できる時間が長い方がよほど楽しめる。そして旅行者が質問があれば気軽に聞け、その都度邪魔臭がらず愛想よく簡潔に答えてくれるガイドさんこそ私の理想のガイドさんだ。5世紀に大天使ミカエルが三度舞い降りて来た洞窟に入って行った。
洞窟教会に入る前にガイドさんから「内部は本来写真撮影禁止ですが、撮りたい人は撮っても良いです。但し管理員の前での撮影とフラッシュはダメです」という注意があったハハハ。教会の入口から洞窟の階段を下に降りてゆく。教会の壁にはいたるところ巡礼者なのか観光客なのか?が壁石に刻みこんだ無数の落書きがある。
そして洞窟教会礼拝堂(12世紀建立)に入る。数人がお祈りに来たのか椅子に座っていた。岩に囲まれた中に祭壇があり薄暗い洞窟教会の厳粛な雰囲気はある。カトリック信者にとっての重要な巡礼の地でありパワースポットのようだが信者でない私には観光地巡りと言う他ない。
事前知識もほとんどなくモンテ・サンタンジェロ洞窟教会に来て見て「へぇ~ここがそうか。こんな感じなのか、落書きに歴史を感じるなァ」と30分程の内部見学を終えて地上に戻る。土産物屋に入ることも街の散策もなく来た道を戻ってトイレタイム。
だが城の傍にある有料トイレが修理中なのか閉鎖中。近くの喫茶店のような店でトイレを借りることになった。その為に時間が掛かりその場で小休止となる。そのおかげでバスにすぐに乗らず下界を見ようと道の端まで歩いて行った。
私には点と点を繋ぐだけのツアー観光は何とも空しい。この“モンテ・サンタンジェロ”も小さな街のようだが町中をウロウロ歩く事も出来ず。何が何だかさっぱりわからない。高台から下界の景色を見て初めて「あ~こんな所にこの街はあるのか・・・」である。 -
鐘楼の左手側に教会入口がある
朝靄の中に浮かび立つこの風景
巡礼者ならば感慨ひとしおだろう
“Google・Map”
https://www.google.co.jp/maps/@41.7076545,15.954434,3a,75y,51.67h,104.73t/data=!3m6!1e1!3m4!1sZGX-U0CI-Rt9c2xZk1-ZPA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja -
教会入り口前にいるのは我がツアー一行のみ
5世紀に三度大天使ミカエルが降臨とのこと
その後大天使の降臨はなぜないのだろう? -
教会入り口を背に写真を写す
人の姿も巡礼者の姿もない -
洞窟内部の構造は如何に?
-
86段の階段を下りれば洞窟教会入口がある
-
壁と言う壁に巡礼者の落書きあり
落書きも歴史的価値を持つ -
大天使ミカエル(伊語ミケーレ)聖所記念堂入口
-
まさしく洞窟教会であった
地元イタリア人女性ガイドからの注意
「内部は本来写真撮影禁止ですが、撮りたい人は撮っても良いです。
但し管理員の前での撮影とフラッシュはダメです」
管理員に見つからないように写した -
ここにもキリストの降誕(こうたん)のプレゼピオがあった
-
30分足らずで洞窟教会の観光も終え
バスに戻る一行、点と点を結ぶ旅の虚しさ
数時間なければこの街の雰囲気も分からない -
広い駐車場にベンツのバス一台が待つ
ここは“モンテ・サンタンジェロ”
https://www.google.co.jp/maps/@41.7072581,15.9509825,306m/data=!3m1!1e3?hl=ja -
左手にアドリア海
山腹に開けた住宅群 -
公衆トイレが施錠で使えず
駐車場傍にあったこの喫茶店のトイレを借りる -
マンフレドニア湾(アドリア海)を眼下に望み
バスはガルガーノ山を下る
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■“モンテ・サンタンジェロ”から“アルベロベッロ”へ
アドリア海のマンフレドリア湾を一望し、平野も広がる。すぐ間近には岩がごつごつした丘も見える。真下には瀟洒な住宅も建っていた。ここはイタリアのどの辺りなのか?今自分が立っているのは街のどの辺りなのか?自分が今いる場所が分からず観光しても面白くない。トイレが使えず少しの時間があって良かった。
折角の“モンテ・サンタンジェロ”も到着後1時間半「午前10時4分」駆け足観光でバスは次の“アルベロベッロ”に向かって坂を下った。斜面の勾配に沿って白い住宅が立ち並ぶ風景は日本にはない異国情緒に溢れ美しい。アドリア海の対岸には見えないけれど旧ユーゴスラビアとアルバニアという国がある。
ユーゴスラビアも1991年からの紛争によって今は日本が国家として承認しているのは七か国「スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、コソボ、モンテネグロ、マケドニア」。ソ連邦の解体もそうだが多民族共生は常に争いの種を有し長くは続かない。EUも必ずや近い将来消滅する。
そしてアルバニアって?名前は知っているがその場所も中味もまったく未知の国。ふ~ん、この海の向こうにあるのか・・・。機会あれば旧ユーゴやアルバニアにも行ってみたい。
山を下り平地を走る。“モンテ・サンタンジェロ”から“アルベロベッロ”まで205km。出発後1時間50分くらいで高速道路A14号線(Autostrada A14)の「Sarniサービスエリア」で休憩
高速道路のサービスエリアの店内にはどことも商品が卸問屋のように山積みされている感じだった。商品だけではなくバイキング食堂コーナーもあった。一杯のエスプレッソコーヒーを飲む。
まずレジで注文しお金(1?)を払いレシートを受け取る。そのレシートが食券となり喫茶コーナーのカウンターで渡せばコーヒーを入れてくれる。ごく小さなカップに量も少なく。
25分の休憩で出発。外気温は9℃。また1時間15分ほど走って大都会とは程遠い小さな田舎町“アルベロベッロ”の今日の宿泊ホテル:「アストリア Astoria Hotel」到着は午後1時30分。 -
住むに便利な平地に畑が広がり
不便な山腹に人が暮らす街がある
戦いの歴史ゆえとしか思えず -
“モンテ・サンタンジェロ”~“アルベロベッロ”へ
午前10時~午後1時半 到着
休憩含んで3時間半ほど掛かった -
傘松の街路樹があるイタリアの風景
畑地の中を道はどこまでも真っ直ぐに延びる -
-
ここのサービスエリアも卸問屋の如く大量の品物が
-
喫茶カウンターでエスプレッソコーヒーを飲む
まずレジで先にお金を払いレシートが食券となる -
コーヒーを飲み小休止
ここは南イタリアのとあるサービスエリア -
総菜コーナーに数多くの食べ物が並ぶ
ここで食べるのかなァ~・・ -
国が変われば高速道路上のサービスエリアの感じも変わる
日本のSAはどことももっと利用者が多いと思うけど
ここではどことも利用者が少なく感じた。時間帯なのか? -
“アルベロベッロ”の街にバスは近づいた
-
今日の宿泊ホテル前に到着
左手方向歩いて1分でアルベロベッロ駅がある -
アストリア アルベロベッロ(Astoria Hotel)を背に写す
Astoria Hotel
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2+%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AA+%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%AD/@40.7865832,17.2409043,19.3z/data=!4m5!3m4!1s0x1347b264abcdaa6f:0xdec45d1171885f51!8m2!3d40.7864133!4d17.2409358?hl=ja
写真正面真っ直ぐ歩けばポポロ広場へ
右手方向に歩いて左に行けばダミアーノ聖堂へ -
アルベロベッロ”の観光はまず昼食から
ホテルを出てレストランに向かってぞろぞろ歩く
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■“アルベロベッロ”で昼食、そしてトゥルリ観光
路地の角にある小さなホテル。バスからトランクを降ろし部屋に入らず昼食を食べにレストランへ。ガルバルディ通りをボチボチ歩きポポロ広場に出て階段を下りてインディペンデンツア通りを左に曲がったところのレストラン「Terminal」に入った。そこに見るからにバイタリティー溢れる日本人中年女性ガイドの“Kさん”登場。
40分くらいの昼食タイムを終え早速トゥルリ観光。レストランを出れば雨が降っていた。傘をさしての観光だがやはり日本人の日本語案内が分かり易い。私は今回の旅行を機に“アルベロベッロ”を知ったが、帰国後「アルベロベッロに行った」と言うと私の周囲にはこの名前は知っている人が多かった。「南イタリア・アルベロベッロ 檀れい」 などテレビ番組でも紹介されている。
アルベロベッロ、トゥルリの歴史はウィキペディアによれば
『14世紀半(室町時代)この地は「無人の土地」と記録されている。16世紀半ば(織田信長、今川義元を倒す)モンティ地区に40軒のトゥルッリがあった。17世紀前半(江戸初期)、この地に製粉所、パン屋、宿屋を建てさせ、町の拡大がはじまった。』とある。
合掌造りで世界遺産に登録されている白川村とアルベロベッロ市は共に伝統家屋を守っていることで姉妹友好提携を結んでいる。伝統家屋と言えば日本も江戸時代までは家屋は木と紙と土で造られた木造建築ばかりで色もそうだがその景観は素晴らしかっただろう。残念ながら日本は明治以降なんでもありの雑多な風景になってしまった。
トゥルリもこの“アルベロベッロ”だけの伝統家屋のようだが不思議な景観であり、こんな人形の館のような住居で暮らすこの街の人たちの犯罪発生率は一般的な街と比較してどうなのか?景観は女性的であり童話の絵本世界が現実世界に再現されたようだった。一体住まいが人間形成にどんな影響を与えるのか興味あるけど・・・。
道を隔てて「東がアイア・ピッコラ地区」「西がリオーネ・モンディ地区」白い壁、黒い三角屋根のトゥルリ。東側から見て回る。歩く人も少なく観光客も私たち以外はあまり見かけなかった。西側には土産店も沢山あるようだが客引きもなく一行はキョロキョロしながらもひっそり歩く。
“Kさん”の説明に聞き耳を立て頷いていたはずが帰国後内容はほとんど思い出すこと叶わず。“Kさん”が「年に一度日本に買い出しに帰国する」という話しだけが記憶にある。異国の地で頑張っている逞しき日本人女性“Kさん”の幸せを祈る。
午後3時40分、一時間くらい“Kさん”の案内でトゥルリ地区を歩き回りリオーネ・モンディ地区モンテ・ベルディカ通りトゥルリ屋根のサンタントニオ教会前で“Kさん”と別れ、その場で自由時間(約1時間)となる。とりあえず私は教会内を見学後一人で適当に歩く。
リオーネ・モンディ地区を下りたり上ったり外れに出たり・・・と、歩く人少なく静かだった。ツアー仲間と遭遇することもなく店に入ることもなくキョロキョロしながら黙々と歩き回ったが、その間教会横の有料トイレ(0.5ユーロ)に二度入った。トイレがあって助かった。トイレはお兄さんが管理し、道沿いに駐車した車の中から集金に出て来て私が出てくるまで待っていた。
イタリア語は「ボンジョールノ」「グラッチェ」「ボーノ」だけで現地の人と交流出来ず。土産物屋の“オバチャン”に声を掛けられることもなくただ黙々と歩き集合時間が来た。もう皆集まっており私は最後から二番目だった。 -
ポポロ広場 アルベロベッロの中心とのこと
市庁舎、交番、教会などがある
小さな街の小さな広場 -
-
遅ればせながらの昼食となった
Ristorante Terminal
https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g580227-d3494548-Reviews-Ristorante_Terminal-Alberobello_Province_of_Bari_Puglia.html -
“アルベロベッロ”に相応しい?料理
味は忘れた -
やはりコーラを頼む
メーンディッシュ
量は日本人仕様? -
デザートのアイスクリーム
-
デザートのアイスクリーム
食い物に興味なく、ゆえに印象なく -
小雨降る中、説明を聞きながら歩く
外観だけではなく内部を見たかったが叶わず
こんな家に髭もじゃマッチョの男は似合わず -
Casa Lippolis
1797年ナポリ王はこの村を封建農奴制から解放した
その時の協定締結場所との説明があったけど・・・
日本では杉田玄白 伊能忠敬たちが活躍のころの話 -
ポポロ広場に建つ「MUNICIPIO:市庁舎」
小さな村役場 一階に警察もあるけど
人口 10,870・・・へぇ~これで足るのか -
ポポロ広場から北方向通り真正面に
コズマ・エ・ダミアーノ聖堂がある
(Basilica Santuario dei Santi Cosma e Damiano) -
中心にポポロ広場
上にダミアーノ聖堂が描かれている
右斜め端にアルベロベッロ駅が
地図通り小さな町・すべて徒歩圏内 -
正面 サンタルチア教会(Parrocchia di Santa Lucia)
日本の小さな街にも寺社仏閣多数
“アルベロベッロ”にも教会多数 -
アイア・ピッコラ地区(?約400のトゥルッリ)から
モンティ地区(約1000のトゥルッリが残る)を見る? -
モンティ地区の散策
観光客も地元の人も少なく
いたって静かな散歩だった -
“Google・Map”
https://www.google.co.jp/maps/@40.7822685,17.2376197,3a,75y,346.01h,94.01t/data=!3m6!1e1!3m4!1s-8Ctv6KyJxFHT6oeeft-Lg!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
正面に双子の鐘楼 ダミアーノ聖堂
“Google・Map”で確認出来るけど
不思議なり、いつリンク切れとなるのか? -
人少なく土産物店も静寂
観光地は賑やかでなければ何か変 -
サンタントニオ教会?に向かって
モンテ・ペルティカ通りを歩く -
ボンジョールノ!トゥルリの“オバサン”
笑顔良し -
サンタントニオ教会
Chiesa Sant'Antonio di Padova
アルベロベッロ唯一のトゥルッリでできた教会 -
教会内には二人の写真が掲げられていた
ピオ神父(右)と
1997年ピオ神父を尊者であると宣言した教皇ヨハネ・パウロ2世(左) -
教会左横にある有料トイレ
写真のお兄さんが管理していた
ここにトイレがあって良かった助かった
間をおかず二回利用する
何で?腹の具合が・・・。
綺麗 -
サンタントニオ教会?から西方向に歩けば
トゥルリがなくなる -
モンティ地区を歩き回る
ここからも正面に双子の鐘楼が見える -
アルベロベッロ”自由時間も迫り集合場所に急ぐ
時は午後4時33分 夕暮れが迫って来た -
添乗員用の部屋が間違って私の部屋になっていた
“Tさん”が恐縮して部屋の交代を言ってきた
邪魔臭いし、これで十分なのでこのまま居座る
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■午後5時前ホテルに戻る。
バスに乗ってホテルに戻り初めて自分の部屋に入ったら添乗員の“Tさん”から部屋に電話があり「部屋を見に行きたい」と言う。
部屋のドアを開けた瞬間“Tさん”が「狭いですねやっぱり部屋を間違えています。私の部屋と替わりますから」・・・なるほど私も入った瞬間狭い部屋だと思ったけど一人だから不足なく。添乗員の部屋が間違って私に割り当てられたようだったが、もう荷物もばらしているし一泊だけなので「邪魔臭いしここで良いですから」と断った。
夕食は午後7時からでまだ時間があり201号室で小休止の後、買い物と散歩に出かけた。大通りに出たら正面にサンティ・メディチ・コズマ・エ・ダミアーノ聖堂が聳えていた。異国の旅先を歩く自分が現実なのか?夢なのか?時々分からなくなる。
https://www.google.co.jp/maps/@40.7858814,17.2362997,3a,75y,327.76h,95.42t/data=!3m7!1e1!3m5!1sFjJeopNOx24gWaxCbS_6ag!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DFjJeopNOx24gWaxCbS_6ag%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dsearch.TACTILE.gps%26thumb%3D2%26w%3D392%26h%3D106%26yaw%3D198.53181%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656?hl=ja
大通りと言ってもそんなに広い道ではない。そんな道に駐車車両がぎっしりと並ぶ。縦列駐車の腕前は見事なり、「車のバンパーは押したり押されたり傷つけても付けられても互いに文句はナシ」というのは本当なのか?今時の車のバンパーは頑丈なバンパーの機能は期待できず車体そのものなのに・・・。凸凹のバンパー見かけず。
散歩から戻る途中ホテル近くのスーパーに入って歯磨き(2.62ユーロ)と水を買い6時過ぎに自室201号室に戻る。夕食は写真なく何を食べたのか忘れた。そして明日に備える。明日はマテーラ、そしてナポリに戻る。 -
バスタブなし
-
ここにもビデはあったが使用せず
男も使えるようだけど使っているのかなァ?
「日本人にはナゾな、イタリアのビデの使い方」
http://acquacitta.cocolog-nifty.com/italia/2012/03/post-5b4b.html -
右側201号室前の廊下はこうだった
-
スーパーに買い物ついでに散歩した
コズマ・エ・ダミアーノ聖堂 -
ダミアーノ聖堂を背にポポロ広場方向を写す
午後5時40分、メーンストリートに人の気配がない -
三菱コルトここにあり 日本車を見れば嬉しい
さすがに縦列駐車はすごい
出入りの技を目の当たりにしたかったが
残念ながら旅行中一度も見れず -
販売は日本語なり
日本人観光客も多いのか -
ホテルに戻ろうとしたら
同じホテルから日本人ツアー一行が出て来た
今から夜のトゥルリ観光のようだった ご苦労様 -
アストリア アルベロベッロ(Astoria Hotel)
小さなホテルだが文句はない
南イタリア No 2 モンテ・サンタンジェロ アルベロベッロ
https://youtu.be/FUXuQEfBa_8
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この旅行記へのコメント (2)
-
- こまちゃんさん 2017/04/27 15:53:45
- このビデ。
- この形のビデ、こまが中国に行き始めたばかりの頃は、星の多いホテルには大抵付いてました。
最初は中国というか海外ド素人だったので、会社から準備されていたポートマンとかガーデンホテルに泊まっていたので、毎回目にして「これ何やろ?どうやって使うんやろ?」と。
当時はネット環境なんて無かったので、結局判らないまま、使う事なく過ごしていました。
とは言っても、判ったのはつい最近なので、ず〜っと不思議でした。
こま
- 明石DSさん からの返信 2017/04/27 21:51:33
- RE: このビデ。
- そうですか大陸では星の多いホテルとは無縁だったのでビデとの遭遇はなかったです
イタリアでは普通にあったのですが使い方も分からないし
やっぱり日本のウオシュレットが最高です
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