2017/01/17 - 2017/01/24
204位(同エリア300件中)
明石DSさん
カゼルタ プラザホテルは大きくて全容も分からず
周囲に買い物するようなコンビニ商店もなにもない
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2017:平成29年1月17日(火)~1月24日(火)
5泊8日
3日目:1月19日(木):曇り
カゼルタから“サン・ジョバンニ・ロトンド”へ
2019.平成29年1月19日(木)
■カゼルタの朝
6時過ぎに起床、外はまだ暗い。テレビを付けたら昨日18日イタリア中部で発生した地震や大雪雪崩のニュースをやっていた。この辺りは昨日の地震はまったく関係なく雪もない。私がイタリア旅行に行っていることを知っている者は一応皆心配してくれてたようだった。
暗い中ホテルを出て周囲を歩く。外は人の気配もなくひっそりとしていた。朝食は7時から、バイキング形式でハム・ソーセージ・野菜・パン等々見慣れた食べ物が並んでいた。大きなホテルに宿泊客は私たち以外にいるのかいないのか?いても数名だったろう。
トマトやパン、ハム、ベーコンを取って食べる。誰かと一緒のテーブルで食べたと思うが誰かは記憶にない。そして食べ終わって一旦部屋に戻り、出発時間まで明るくなった外の散歩へと出かける。岐阜から来られたご夫婦と出会い一緒にカゼルタ宮殿方向に歩く。
私たち三人が歩いたのはヴィチナーレ・ポッツィッロ(Str. Vicinale Pozzillo)。線路に突き当たった。左手に沿って歩くとカゼルタ駅がある。その駅の正面にカゼルタ宮殿が建っている。二人は集合時間が気になりすぐに引き返した。私も向こうまで行こうと思ったが道が定かではなくやはり引き返す。
途中サッカーグランドが見えたので見に行く。イタリアと言えばサッカー、私も高校から社会人と30才過ぎまでサッカーをやっていたし息子たちにも小さい時からサッカーをやらせたサッカー家族。イタリアといえばミランの本田圭祐の今後の活躍に期待している。
こういった散歩道もサッカーグランドも帰国後“Google・Map”で確認出来るので面白い。部屋に戻ってチャックアウトを済ませバスは9時に出発。宮殿に向かう。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
我ら19名のツアー客以外客らしき人と遭遇せず
でも朝食バイキングはちゃんと用意されていた -
朝食はどこでもこのような感じ
我が日常はハチミツ入り野菜青汁一杯と豆乳ヨーグルト一個 -
岐阜から参加のご夫婦と一緒に朝の散歩に出る
傘松の街路樹は南イタリアのどこでも見かけた -
鉄道に突き当たる、左へ歩けばカゼルタ駅
https://www.google.co.jp/maps/@41.0618413,14.3426913,3a,75y,53.72h,89.75t/data=!3m6!1e1!3m4!1s0vHcSNzHwvIGXMv_JMzZ9Q!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
へぇ~日本でもイタリア鉄道の切符が簡単に買える
トレニタリア:Trenitalia
http://www.trenitalia.jp/ -
さすがイタリア 小さな町にもサッカーグランドがあった
“Google・Map”
https://www.google.co.jp/maps/@41.0591566,14.3390783,1059m/data=!3m1!1e3?hl=ja -
プラザホテル「Golden Tulip Plaza Caserta」に戻る
チェックアウトして観光に出発 -
信号待ちで停車中の車に近寄り交渉?するアフリカ系難民
難民・移民がイタリアに来ても仕事なく、こんな光景となる
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■カゼルタ宮殿
駐車場は地下。地上に上がると正面にカゼルタ宮殿が見えた。私は二回目の欧州で宮殿観光は去年のウィーンのシェーンブルン宮殿だけだが外観は同じに見える。ウィキペディア(Wikipedia)の説明によれば『18世紀後半に、ナポリ王国(ブルボン朝)の王によって建設された。18世紀にヨーロッパで建てられた中で最も巨大な宮殿といわれる。』とある。
シェーンブルンもカゼルタも18世紀後半に完成し外観も内部もよく似ていた。地元女性ガイド“Nさん”の案内で宮殿内を見回ったがおぼろげに記憶に残ったのはこの「宮殿の建設を始めたナポリ王カルロ七世は完成前にスペイン王位としてスペインに行き、三男のフェルディナンド四世の時に完成した」という話。
「ナポリ王がスペインの王位・・・か、ふ~ん」と。欧州の歴史・国々の変遷は複雑怪奇、名前もよく似たカタカナばかりなので時系列も含めてまったく整理できない。1200室のうち2階の36室が一般公開されており、ぞろぞろとツアー一行かって煌びやかであっただろう各部屋を見て回った。
“Nさん”の説明をイヤホーンで聞いていたが右から左に忘れた。窓から見えた庭園の向こうに浮かぶヴェスビオ山の光景は瞼に残っている。 -
通り正面に宮殿が見える
18世紀 江戸中期に建立された大きな宮殿
当時の欧州の王侯貴族たちの日常生活は如何に? -
昨年行ったウィーンのシェーンブルン宮殿に似たり
-
石造りの宮殿は重厚感がある
日本で石造り建築がないのは
『加工に適した石は少なく良木が周囲に沢山あった』
欧州はその逆、地震の少なさその他の理由等々も -
階段上正面の像はライオンにまたがったカルロス七世
『かつてのヨーロッパが悪臭に満ち溢れていた6つの理由。』
上記ブログ
http://karapaia.com/archives/52189909.html
上記ブログ内容がどこまで真実か否か?分からないが・・・
江戸末期日本に来た外国人たちは日本の「清潔さ」に驚いている -
ヘラクレス像
ヘーラクレース (古希: Ηρακλής, Hēraklēs)
ヘラクレスはギリシャ神話の英雄なるぞ -
階段上の天井画
-
階段左右にあるライオン像
神社にある狛犬の如く“守護獣像”
人種民族問わず人間の発想は似たり -
「アレッサンドロの広間(Salone di Alessandro)」
宮殿建設はカルロ七世によって始まったが
完成前にスペイン王位に就くためここを去る
宮殿完成は三男フェルディナンド4世の時
現在の北朝鮮の如く、当時は世襲が当たり前 -
浴槽に蛇口が二つってことは温水・冷水が出たの?
-
天井の高さは権力と富の象徴だったのか?
着飾った男女の舞踏会は想像できるけど -
当時の人たちもこのヴェスビオ山の景色を楽しんだはず
今も昔も変わらぬ風景こそタイムスリップの醍醐味だ -
世界最大のプレゼーピオ(Presepio)らしい
プレゼーピオという言葉も初めて耳にした
キリスト誕生を人形を使って再現したもの
イタリアではこれも一般的なもの -
この馬車で庭園を巡れば良かった
迷ったが乗る勇気なく傘を借りて歩く
一生に一度のチャンスだったのにハハハ
一瞬の迷い躊躇が後悔を生む
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■カゼルタ宮殿庭園
そして庭園に出た。3キロに及ぶ庭園なので遠くに見える噴水まで歩いて往復は無理とのこと。電動カートで庭園を巡るのか?観光馬車か?歩いてか?の選択があったが迷わず歩いて行けるところまで行くとした。
その時雨が降っており傘はバスに置いてきた。添乗員“Tさん”が傘を「貸しますよ」と言ってくれたので貸してもらう。やはり旅は歩きに限る。高台の庭園の先端に向かって傘をさして歩く。中間地点に小さな噴水が・・・。集合時間も気になるし、歩く者私他数名この付近で折り返す。電動カートで先端まで行く者多し。
「広いなァ~大きいなァ~」とキョロキョロしながら雨の中庭園を歩いてカゼルタ宮殿観光は終了した。ちなみに日本の誇る名城「姫路城」は関ヶ原の合戦(1600)一ヶ月後に姫路に入った池田輝政が9年の歳月を掛けて築城し、その後増築を含め全容が完成したのは1618年。1780年カゼルタ宮殿完成の160年前のことだ。日本の建築技術は凄い。
1780年は江戸幕府10代将軍徳川家治。家治は将棋が趣味で棋譜も残り現在のレベルでもアマチュア高段者の実力があると評されている。江戸時代は日本の歴史の中でも素晴らしい時代だったと私は高く評価している。政治は武士(軍人)が行うべきものだ。 -
同行者は大半がバスで庭園周遊を選ぶ
私は歩きを選択した。例え端まで行けずとも
小雨の中でも風に当たって歩く爽快さ
この風景は昔と変わらぬはず、200年前を思う -
時間の関係でここまでが限界
“Google・Map”
https://www.google.co.jp/maps/@41.0819203,14.3275944,3a,75y,350.3h,85.59t/data=!3m6!1e1!3m4!1sCPoixaFyu8dTw9SLPB7JLg!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja"
この先正面に山の中腹から流れ落ちる高さ80mの人工滝がある -
庭園から見るカゼルタ宮殿
昔と変わらぬ風景なり
二百年後はこの景色如何に -
昼食レストランへ散歩がてら行く
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■カゼルタでの昼食
2時間の宮殿及び庭園の散策を終えバスに戻らずそのまま歩いて昼食レストランAntico Ristorante Pizzeria Bar(La Nuova Perla)に徒歩5分で到着。
https://www.google.co.jp/maps/@41.0728558,14.3296488,3a,37.3y,28.73h,83.44t,0.07r/data=!3m6!1e1!3m4!1snYecg-_wYbKQUY2n0YjFHA!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fmaps%2Fphotothumb%2Ffd%2Fv1%3Fbpb%3DChAKDnNlYXJjaC5UQUNUSUxFEkAKEgnd5Huqs1U6ExG4djs7dUQ50BIKDQ86exgVroeKCBoSCSHynQ-zVToTEVbxa99Bc0nrKgoNDzp7GBWuh4oIGgQIVhBW%26gl%3DJP!7i13312!8i6656!6m1!1e1?hl=ja
「La Nuova Perla 」でイタリア初めての昼食。やはりパスタが出てくる。パスタと言っても良く分からない。
小さい頃こんな筒状の物は小学校の給食にもあったが「マカロニ」と言っていた。パスタというのはウィキペディアによれば『パスタ(イタリア語: pasta)は、日本語の「麺類」とほぼ同義の概念をもつイタリア語で、スパゲッティ、ペンネ、ラザニアなどを含む。』とありパスタはこれ以降もイタリアの食事にすべて出てきた。
味は小学校の給食で食べたマカロニと同じで私には50年以上前の当時の記憶が今も残っており美味しい物ではない。形はいろいろ違っても腹が減ってる時以外は食べたい代物ではない。日本で食べるスパゲッティは美味しいと思うけど・・・。1時間の昼食タイムを終えてバスに戻る。 -
Nuova Perla
時間は11時半ごろ
昼前だからかすいていた -
ここで地元ガイドの“Nさん”とお別れ
旅の道中、一期一会の繰り返し -
コーラを頼み
-
小学校の給食でマカロニと言っていた
60年近く前になるのか・・・
当時も今も触感も味も変わらず -
肉が出た
満足なり -
カゼルタ宮殿地下駐車場から出て3分
カゼルタの市内を走るバスから写す
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■カゼルタから“サン・ジョバンニ・ロトンド”へ
12時48分カゼルタ宮殿地下駐車場から次の目的地:“サン・ジョバンニ・ロトンド”へ向かう。15分程走ると右手にヴェスヴィオ山が見えてきた。頂上付近は冠雪している。今回の旅は前もって知っていたのはナポリ・ヴェスヴィオ山・ポンペイ遺跡だけで他は初めて聞く名前ばかり。
そのうちバスは峠に差し掛かり標高が上がって行くにつれて周囲は雪景色が多くなりそのうち吹雪いて来た。そして出発後1時間半でサービスエリア「Sarni Mirabella Sud」でトイレ休憩。 -
カゼルタから15分ほど走ったら
右手にヴェスビオ山が見えて来た -
アペニン山脈横断するのか?
標高が上がってくると風景は一変する -
峠に差し掛かったら吹雪
それでもバスは快調に走っていた -
峠を越えると吹雪は止んだが周囲は冬景色
-
カゼルタから“サン・ジョバンニ・ロトンド”へ
Sarni Mirabella Sudでトイレ休憩
https://www.google.co.jp/maps/place/Sarni+Mirabella+Sud/@41.1579506,14.9788091,8.98z/data=!4m21!1m15!4m14!1m6!1m2!1s0x133a55b22aed1333:0xc79c020a24847245!2zUm95YWwgUGFsYWNlIG9mIENhc2VydGEsIFZpYWxlIERvdWhldCwgMi9hLCA4MTEwMCBDYXNlcnRhIENFLCDjgqTjgr_jg6rjgqI!2m2!1d14.3270683!2d41.0732181!1m5!1m1!1s0x0:0xcbc3c8c2f4188717!2m2!1d15.7153014!2d41.7045141!3e0!3m4!1s0x0:0x262302319a148052!8m2!3d41.0599764!4d15.0138078?hl=ja -
サービスエリア「Sarni Mirabella Sud」
-
卸問屋ではあるまいに・・・と
同じ品物が山積みされている
サービスエリアの買い物事情は如何に? -
サン・ジョバンニ・ロトンド”に近づく
のどかな風景が広がっていた
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■“サン・ジョバンニ・ロトンド”
サービスエリアを出て峠を下れば雪景色も吹雪もなくなった。カンパニア州から「ブーツのかかと」に位置するプーリア州に入りピオ神父ゆかりの地“サン・ジョバンニ・ロトンド”に近づいた。見上げた山の中腹高台に街並みがあり麓にはオリーブ畑が広がっている。バスは曲がりくねった坂道を上に上にと登っていく。
何故?交通の便が悪い山の中腹に街並みを作り、平地の麓は畑ばかりなのか?ちょっと不思議な眺めだった。高台に暮らす人たちはどんな仕事で生計を立ているのだろう?
あとから“Tさん”にガイドの方に聞いてもらったら「この街はピオ神父のゆかりの地として巡礼者の為のホテルも多く巡礼者相手の仕事が多い」とのことだった。
なるほどサン・ジョバンニ・ロトンドにはホテルが多い。バスはカゼルタから3時間ちょっとで今日のホテル「Hotel Parco delle Rose パルタ・デル・ローズ」に到着した。
https://www.booking.com/hotel/it/parco-delle-rose.ja.html -
平地に“サン・ジョバンニ・ロトンド”の街はなく
前方の山の中腹に街が開けている・・・なぜ? -
平地にはオリーブ畑が広がり
山を上って行けば街並みがある
街の守りを考えてのことなのか? -
左手奥、あれがピオ神父が建立した病院だ!
写真で見ていた病院が見えた
不便な場所に立てたような気がするけど
それなりの理由があるのだろう -
午後4時前「Hotel Parco delle Rose パルタ・デル・ローズ」に到着
-
ホテルのロビー、横にはプールもある
この街には巡礼者の為に多くのホテルがある -
巡礼教会には大型観光バスが行けないようで
地元のこの小型バスに乗り換えて出発する
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■ピオ神父巡礼教会
トランクをバスから降ろしホテルでトイレ休憩後小型バスに乗り換えてピオ神父巡礼教会を見に行く。ピオ神父のことは旅行前まで何も知らなかった。行くことが決まってからネットで知った。特にYou-Tubeで映画「1/22「ピオ司祭」Part 1- "Padre Pio" 日本語/英語訳」を「22/22」まで見てピオ神父が如何なる人物なのか良く分かった。 https://youtu.be/Ln6G5zPfgiA
ピオ神父は「1887年5月25日生-1968年9月23日:81才没」。私が18歳の時に亡くなっている。キリストが磔の刑に処せられた時の傷「聖痕」が50年間ピオ神父の身体に生じていたというのは信じられないが、様々な病で苦しむ人を救ったという何らかの超能力はあったのかも知れない。
私が超能力を否定しない理由は、2002/平成14年に中国黄山で、ある気功師に出会った。その気功師が私と正対し、気功のポーズと独特の呼吸法で身構え集中したあと私のお腹に彼の右のひとさし指を近づけた。指は触れないのに磁気か静電気か分からないが私の身体は後ろにすっ飛んだ。
「すっ飛んだ」というのは大げさかもだが私の感じはそうだった。実際に体験したので超能力なる物も否定しない。人類は現在においてもこの宇宙の様々な現象の1%も科学的に解明していないというのは事実だろう。ならば何があっても不思議ではない。
「ピオ神父巡礼教会」の観光は地元女性ガイド“Gさん”が英語で説明しそれを“Tさん”が通訳してくれる。こういう形の観光が多かったがやはりこれは時間が掛かる。興味がないということもあるけどほとんど頭に残っていない。この街はピオ神父が作った街という雰囲気だけは十二分に感じた。
1940/昭和15年ピオ神父は病院建設を思い立ち寄付を呼び掛け1956/昭和31年に完成した。教会の目の前に今ではイタリアでも有数な総合病院となった『カーサ・ソッリエヴォ・デッラ・ソッフェレンツァ「苦しみを楽にする家」』という名の病院が威風堂々と建っている。交通の便の悪い片田舎の高台に良くぞこれだけの病院が出来たものだ。
この聖地“サン・ジョバンニ・ロトンド”もそうだがツアーの目的地に洞窟教会もありこのツアー同行者にはカトリック信者が多いのかも?と、思っていたが一人も信者はいなかった。新旧教会に入り説明を聞きながら見学したがやはり私にとって教会はどこも同じ。感慨はない。
私には仏教もキリスト教もイスラム教も皆同じであり教えに共感することはあっても教祖を崇めたり入信する気はまったく起きない。しかし家では神棚・仏壇を置き毎朝夕、神棚に手を合わせ仏壇の前で般若心経を二度暗唱する。そしてご先祖様に感謝し困った時は頼みごとをする。私の宗教は「八百万の神」と「ご先祖様」 -
巡礼の地:サン・ジョバンニ・ロトンド市内の様子
-
ホテルからバスに乗り教会前広場に5分程で到着
-
年代不詳:古教会
-
1950年のピオ神父巡礼教会
今年67歳になる私の生まれた年の教会の写真
バスや人の姿があり巡礼者で賑わっていた様子が伺える -
右側新教会1959年竣工 “Google”写真
ピオ神父巡礼教会
http://www.cybersuds.co.jp/ge/pilg/2016mayItalyKikou/Nishimura2.pdf -
1956年に完成:ピオ神父が建立した病院
カーサ・ソッリエヴォ・デッラ・ソッフェレンツァ
「苦しみを楽にする家」という名前をつけられた -
十字架の道行って何?
十字架の道行
http://www.pauline.or.jp/prayingtime/michiyuki04.php
時間があればこの階段を上りたかった
上に登れば素晴らしい展望が開けるから -
教会を背に街方向を写す
-
ピオ神父・・・か、名前もまったく知らなかった
私の宗教は「八百万の神」と「ご先祖様」
宗教組織に興味なし -
告解室 カトリックの洗礼を受けた信者のみ司祭に告白出来る
この告解室でピオ神父は信者からの告白を受けていた
映画「ピオ司祭」を旅立ち前に見た
https://youtu.be/Ln6G5zPfgiA -
1959年竣工の新教会
ミサって?
カトリック教会で最も重要な典礼儀式
正教会・プロテスタントでは「ミサ」ではなく「礼拝」
そうなのか・・・。ミサ
寺院もそうだが教会内も確かに荘厳な雰囲気はある -
ピオ神父(1887年5月25日 - 1968年9月23日)
享年81歳 私が18歳まで存命だったのか
このツアーに参加しなければ一生知らない人だったかも -
ピオ神父の部屋
1968年9月23日午前2時30分ごろ
この小部屋で息を引き取る 享年81才 -
もうすっかり暗くなっていた。確かに斬新なデザイン
教会内に遺体が安置され、世界中から巡礼者が集う
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■2004/平成16年完成の聖パードレ・ピオ教会(Chiesa di Padre Pio)
関西空港を設計した建築家レンツォ・ピアノの設計で建てた斬新なデザインの教会内部も見学した。イタリアでも大規模教会の一つで「内部6000平方メートル7000人収容」とのこと。そしてそこから回廊を巡って地下聖堂に行ったらあっと驚くピオ神父の保存処理をされた遺体が眠っていた。
1968年に亡くなった40年後に遺体が掘り出され公開されているとのこと。顔は実物そっくりのシリコンマスクになっている。確かにピオ神父が生前多くの人を救った行為は敬服するが50年に及ぶ「聖痕」だけはどうしても信じられない。
レーニン・スターリン・毛沢東・金日成・金正日なども防腐処理され遺体保存がされているようだがこれぞ仕置きではないのか。ピオ神父の遺体公開はどうなのか?
地下聖堂から地上に出ればすっかり日も暮れ“サン・ジョバンニ・ロトンド”は夜になっていた。 -
この教会には賛否意見があっただろう
私は形も伝統を継承したい人間だから -
ピオ神父の遺骸が展示されている地下聖堂へと向かう
この時は遺骸の公開がどんなものか?何も分からず歩いていた -
中央に人が集まっているのを目にし
まさか?もしや?あんなところに展示なのか・・・と
例えば日本の大阿闍梨の遺骸公開など絶対御免被る -
ピオ神父の遺骸:顔は実物そっくりのシリコン・マスク
聖ピオ・ダ・ピエトレルチーナの遺体
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%AA%E7%A5%9E%E7%88%B6#.E8.81.96.E3.83.94.E3.82.AA.E3.83.BB.E3.83.80.E3.83.BB.E3.83.94.E3.82.A8.E3.83.88.E3.83.AC.E3.83.AB.E3.83.81.E3.83.BC.E3.83.8A.E3.81.AE.E9.81.BA.E4.BD.93 -
これでは輪廻転生いつになるか?
死なば土になり、また灰となりて
元素として宇宙空間を漂い
また物として生まれ変わる
この様なら転生は遅れる -
駆け足のピオ神父巡礼教会観光は終えた
キリスト教『ウィキペディア(Wikipedia)』参照
イエス・キリストが、神の国の福音を説き
罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる
正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・プロテスタント
「父と子と聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。
世界における信者数は20億人を超え、すべての宗教の中で最も多い
①キリスト教 22億5400万人 33.4%
②イスラム教 15億0000万人 22.2%
③ヒンズー教 9億1360万人 13.5%
④仏 教 3億8400万人 5.7% -
一人ならこれで十分だけど・・・
超格安ツアー文句はない
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■バルク・デル・ローズホテルに戻る
バスに乗ってホテルに戻り初めて自分の部屋に入る。こじんまりした部屋で一人だから文句はないが二人ならちょっと窮屈だろう。
ホテルの夕食はパスタではなく焼き飯のようなご飯が出た。パスタより美味かった。誰と同じテーブルで食べたのか?どんな話に盛り上がったのか?今回のツアー同行者とは誰とも気さくに打ち解けることはないままだった。残念ながら同行者との楽しい思い出話はない。
旅の成否は旅先での人との関りが大きく左右する。現地の人との交流やツアー仲間との対人関係等々人と人との関係の良し悪しで旅の成否は決まる。それは一人旅でもツアーでも同じであり、いやこれは旅だけでなく人生でも同じだ。人と人との関係とは、私と妻、親と子、孫、兄弟、他人すべてを含む。
人と人との関係が「上手くいかない」「面白くない」というのは無論自分にも相応の原因がある。自分では調整能力はまあまあ長けているつもりだが、まだまだ人間未熟ゆえ我が永遠のテーマなり。三日目は終了した。 -
バスタブなし、湯は出た
-
右側:ビデ、左側:便器
ビデは男も使うものだというけど
使い方も分からず使ったことなし -
ピラフのような飯が出た
うまかった -
こんな肉を食べました
南イタリア No 1 カゼルタ サン・ジョバンニ・ロトンド
https://youtu.be/0DkiT4p9fd4
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