2017/04/10 - 2017/04/14
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ケロケロマニアさん
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本旅行記は前旅行記からの続き、北海道東日本パスの4日目以降の旅程の様子を綴らせて頂きます。
今回の北海道東日本パスは基本は法要帰りの帰路使用、という位置付けですので、横浜から北海道・道北の自宅まで戻るだけで十分に元が取れましたので、後の旅程は基本的には2016年11月~2017年10月まで開催されている、コープさっぽろの”トドックスタンプラリー”のスタンプ集めを主目的に巡ることとしました。
旅の疲れが残る4日目・5日目は軽い日帰り旅程で近郊の市町(旭川市・中富良野町・上富良野町・愛別町・美瑛町)のスタンプを、そして、少しやる気の出た6日目には、自転車を利用しつつ道北二町村(音威子府村・美深町)のスタンプを収集しました。
そして最終日には札幌に移動し、北海道東日本パスの7日間の旅程が終了。季節外れの降雪で寒かった一日はサウナに篭ってPC作業、そして翌日には待望のロシアビザ取得のため、札幌のロシア総領事館へと出かけた所までの旅程が本旅行記の流れとなります。
尚、私事で恐縮ですが、本旅行記を以て200冊目の旅行記となりましたので、少し長いですが今回は200枚の写真と併せて、また5枚おきに、今後のロシア旅行に向けてのテンションを高めていくために、21年前に出かけたロシアの旅のことを振り返りながら、またロシアに関しての個人的な思い出等を記させて頂くことにしました。この項に関しては、本旅行記の流れとは全く関係がありませんので、ご興味ない方は、どんどんと読み飛ばして頂けましたら幸いです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
という訳で、北海道東日本パス4日目旅程の開始です。
青空に恵まれた和寒駅をのんびりと出発します。和寒駅 駅
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和寒駅にもこんなのが貼られるようになりました。
JR北海道内には応援しなければならない路線ばかりなので苦労が絶えません。
とても北海道新幹線などに付き合っている暇も財力もありません。 -
西武の残骸(?)が痛々しい旭川買物公園。
平和通買物公園 名所・史跡
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取り敢えずは、いつでも押せるから、と後回しにしていた旭川のトドックスタンプをここで押しておきましょう。
スタンプラリーの台紙を拡げていたら、ここのおばちゃんと話が弾んでしまい、汽車の時間があっという間に近づいてきました…(^▽^;)。まちなか交流館 名所・史跡
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今日は旅の疲れをいやす”のんびりデー”なので、行先も近場の富良野線です。
<ロシアの思い出1>
という訳で、この項を始めさせて頂きます。
ロシアの思い出、と申し上げましても、私がこれまで訪露したのはたったの1度、しかも1996年と21年前のことです。
海外旅行自体、2度の訪韓後の3度目、国としても2か国目の海外がロシアでしたが、あれ以降、沢山の国を巡って来ましたが、個人的にはあの時のロシアの旅以上に印象深い旅は出来なかったように思います。
盗難にあったり、没収されたりで、当時を物語る写真類が手元に一切残っていないのが残念ですが、まずはこの21年前の旅のことを、記憶だけを頼りに色々と綴らせて頂きたいと思います。旭川駅 駅
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富良野線の魅力と言えば、何といっても車窓からの景観ですよね。
特に雪解けの進む4月上旬、という時期は、真白な大雪・十勝連峰と地肌の土色、そして、天気に恵まれれば、青空とのコントラストが本当に美しく感じられます。 -
角度にも依りますが、沿線から見る山並みは徐々に形を変えながら、様々な表情を見せてくれます。
富良野線は言わずと知れた観光客にも人気の路線ですので、逆に夏場は車内の混雑が酷くて、ゆっくりと車窓に注目していられない、というストレスがありますので、私は個人的に富良野線観光のベストシーズンは4月上旬だと、勝手に思っています(^^;)。 -
かつて十勝連峰を縦走したことがありますが、私が一番好きな山はこの一番左手の、ぴょこっとピークの飛び出たオプタテシケ山ですね。
まず、名前が北海道の山らしくてロマンが感じられますよね。道も北海道の山としては整備されていて、初心者でも体力さえあれば簡単に登れますので、多くの方に登って頂きたい北海道の山の一つです。
因みに標高は2013m、ということで、2013年には登山者が増えたとか増えなかったとか…。 -
南進するにつれて、主役は盟主の十勝岳(2077m)へと移っていきます。
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日本アルプスを見慣れた方ですと、標高的には全然敵いませんが、やはり北海道の山の魅力はその拡がりですよね。
夏場だと山肌が斑模様になるし、真冬だと下界も真っ白で、山の純白のコントラストが感じられないので、やはりこの時期の景色がベストだと思う訳です。
<ロシアの思い出2>
21年前のロシア旅、この時はロシア国内に約1か月滞在しました。実は私は海外によく出かける割には、一回当たりの海外滞在期間は短い旅が殆どなので、今も尚、この時の訪露期間が、これまでの海外旅行における個人的な最長期間の旅となっています。
当時はまだ、全ての旅程が予め決められたバウチャーを発券してもらって、それに基づいてしか旅できない、というソ連時代の当たり前のロシア旅のスタイルがまだ維持されていましたが、それでもソ連が崩壊して数年が経過した時代であったため、アヴィクノヴェンナヤビザ(普通ビザ)を取得すれば、それなりに自由に動けるようになった、という、少し変革が見られた時代でもありました。
しかし、当時はこの普通ビザを取得するのが結構大変で、ロシアの関係省庁からのプリグラシェニエ(招聘状)が必要でした。当時はようやくEメールというシステムが普及してきた頃で、私の恩師である先生がロシアで海洋生物の研究のための訪露でお知り合いになられたカムチャッカ在住の方(漁業規制局長)に、まずは先生を通してEメールにて交渉し、その方がたまたま釧路にいらっしゃる機会があって、直接釧路まで会いに行って、招聘状をファックスしてもらう約束をして頂きました。
そして大学の研究室にファックスが届いて、この招聘状を携えて、”研究目的”の普通ビザ取得のため、札幌のロシア総領事館に向かいました。緊急性に応じてビザの価格が高騰する、というシステムは今も変わっていませんが、当時は一番安いビザでも無料のカテゴリーはなくて、5000円を払った記憶があります。
当時は札幌に住んでいたので、領事館までの旅費はかからなかった訳ですが、招聘状依頼のための釧路往復や、ビザそのものに5000円とか、やはりビザ所得に苦労した思い出が強くて、今回の発給にあたって、いとも簡単に観光ビザが取得できたのは本当に驚きでした。
近々、ビザが廃止されそうな雰囲気もあり、ますますロシアという国が日本人にとって身近になってきた印象がありますので、皆様も是非、ロシアを目指してみて下さい。 -
でもやはり2017年は雪解けが早い春のようですね。
こうした年に限って、春がなかなか暖かくならなかったりもするのですが…。
(現に、これを書いているのは4月21日のことですが、前日の和寒、またうっすらと積雪がありました。本当に4月下旬かよ…。) -
美しい山並みに見とれているうちに…。
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あっという間に本日の最初の目的地、中富良野に到着です。
中富良野駅 駅
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一言に富良野と申しましても、市町としては富良野市の他に、上富良野町、中富良野町、南富良野町もありますので、広義の富良野はとても広いエリアになりますね。
中富良野のマンホールはこちら。やはりラベンダーが描かれていますね。 -
今回は”トドック”目的なので、こちらに立ち寄ります。
ふれあいセンターなかまーるです。
<ロシアの思い出3>
21年前の具体的な旅程は、AOJ(青森)→KHV(ハバロフスク)→PKC(ペトロパヴロフスク=カムチャッツキー)の往路、PKC→KHV→KIJ(新潟)の復路でした。正確な航空運賃は忘れてしまいましたが、確かトータルで8万円位だったと思います。
当時はまだ航空券のネット予約等というシステムは普及していませんでしたので、札幌駅前付近にあった、ロシア旅行を扱う代理店に直接赴いて購入しましたが、まずロシアにおいて、こうした航空券のみを手配等ということは、代理店側としてもあまりなかったようで、ビザは大丈夫なのか、等と不審がられたことも思い出します。
研究目的で普通ビザ取得予定なので、と説得して無事発券してもらいましたが、そういえば当時はビザの取得の際に航空券提示が必要だったような気もするので、先に購入してからビザ取得に向かったように思います。
しかし、若気の至りとはいえ、当時はやはり怖いもの知らずで、いろんなことにどんどんチャレンジしていた自分がいたと思います。齢を重ねる毎にどんどんと臆病になってしまうのは世の常かと思いますが、やはり若いうちは色々な無茶が出来ますので、特にこういう旅行サイトをご覧になるような若い方は、旅行も好きなことでしょうから、どんどんと無謀なことにチャレンジして頂きたいと思います。(勿論、”平和ボケ”と解釈されるような無謀な行為は、控えて頂きたいと思いますが…。) -
迷うことなく、入口で簡単にゲットできました!
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すぐ隣には中富良野町役場もありました。
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富良野線沿線の景観、と言えば、やはり十勝連峰がメインかと思いますが、反対側の芦別岳・富良野西岳方面の景観も実は素晴らしかったりしますね。
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中富良野駅傍に、景色が良さそうな跨線橋(跨線歩道?)があったので、ちょっと登ってみましょう。
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ちょっとスモークがかったようなシェルターに覆われた跨線橋でしたので、景色は見辛い側面もありましたが…。
うん、素晴らしい。
汽車が来た頃に、コラボで撮るのも良さそうですね。
<ロシアの思い出4>
さて、この旅で私が行った無謀なことの一つ目は、ロシアに自転車を持って行った、ということです。
10~20代の頃は、資金面でも余裕がなかった(それは今も同じか…(-_-;))ので、旅の基本手段としてはやはり自転車を重宝していましたが、訪露にあたって、当時はガイドブックなどもロシアとしてはまだ発行されておらず、しかもソ連の旧バージョンを見たところで、ハバロフスクに関して、数ページが記されている程度で、殆ど参考にはなりませんでした。
まず、どんな交通機関があるかすら、解らなかった訳での訪露、ということもあって、なら、自転車があれば便利じゃね?みたいなノリで持っていくことにした訳です。
ただ、勿論、そんなたやすくは運べない、という危惧は想定されましたので、自分なりにどんなトラブルに巻き込まれるかをシュミレーションしながら、色々なロシア語を勉強しました。例えば”研究のために自転車が必要だから”(Mne nuzhno belosipede dlya issledovanii)とかいうフレーズを沢山暗唱しましたが、苦労したこともあって、今でも結構覚えているのが不思議です。
旅のモチベーションが高ければ高いほど、語学に対するモチベーションも高くなるし、習熟度合いも高くなると思いますので、是非皆様もどんな言語でも良いので、好きな旅先の言語を一生懸命学んでみて下さいね。 -
まあ、北海道東日本パスの旅4日目、中弛みの一日でもありました。しかも肌寒い一日で、まだ微妙にオフシーズンの中富良野においては特にやる気もなく、汽車の待ち合わせ時間は、駅のベンチにてまたラジコで野球を聴いて過ごします。
正直な所、トドックのスタンプを押すためだけに来た、って感じですね。
この旅の後半においては、そんな所ばかりですが…(^^;)。 -
という訳でこちらに乗り込み…。
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僅かの乗車の後、上富良野に到着。
旭川からだと、順番的にはこちらが先なのですが、汽車のタイムスケジュールの関係で先に中富良野に行って折り返してきた、という訳です。上富良野駅 駅
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上富良野のトドックスタンプはこちらにあります。
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ここでも迷うことなく、無事スタンプゲット!
<ロシアの思い出5>
という訳で、21年前の旅の具体的な様子に関して記し始めたいと思います。まず訪露にあたっては、出国空港が青森なので、北海道からはそこに行くまでも一苦労です。懐かし(というのは時期尚早か…、)の「はまなす」にて札幌から青森へ、というのは嘘で、当時はまだ、北海道東日本パスが発売されておりませんでしたので、青春18きっぷにて、快速「ミッドナイト」と「海峡」とを乗り継いでの青森入りでした。
そして青森に着いてから自転車を組み立てて空港に向かう訳ですが、青森の空港ってちょっと高台にあるんですよね…。暑い時期ということもあって、汗だくになりながら空港に到着し、自転車をパッキングして搭乗手続きです。
青森は流石に日本国内ですので、チェックインの際には特に苦労もなく、自転車も無料で預けることが出来て、そのまま出国。あら、案外楽勝じゃん、なんて余裕こいていましたが、この時は約1か月のロシア滞在のことに頭が一杯で、勉強してきたロシア語の反復練習などに延々と時間を割いていたので、青森としての風景の記憶が殆どありません…。 -
公民館内には図書館もあって、入口傍にはこんな五月人形も飾られていました。
ひな人形以上に、飾られている光景を見ることが少なくなった五月人形。
大切にしたい日本の風景の一つかもしれませんね…。 -
途中、踏切にて富良野行き列車に遭遇。
特に珍しい車両でもないですが、反射的にカメラを向けてしまうのは鉄道マニアのある種悲しい性の一つと言えるかもしれないですね…(・・;)。 -
そして、中富良野と同じように、観光に際しては一切やる気なく、”スタンプ往復”の後は駅に戻って、またPCをいじって過ごします。
-
そして折り返し列車で明るさの残るうちに旭川に到着。
旭川駅 駅
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その後もやる気なく、駅前のイオンのフードコートにて、PCいじって過ごし…。
<ロシアの思い出6>
こうして初めて搭乗した、今はなきSU(アエロフロート)の青森→ハバロフスク線。正直、この時はロシア滞在のことで頭が一杯で、機内の様子は殆ど覚えていません。ただ、断片的に記憶に残っているのが機内食のことで、ロシアの航空機内ではどんなロシアンテイストの機内食が出てくるのだろうかと期待していた所、意に反してそこに盛られていたのは殆どが韓国製のものでした。それだけ当時のロシアは経済的に混乱していて、自国製品を容易に製造できない状況にあったということでしょうね。
具体的なメニューに関しては記憶に残っていないのですが、唯一、キリル文字で記された小さなシャカラード(チョコレート)が添えられていて、これを初訪露の記念として、大切に持ち帰りました。食べるのが惜しくて、暫く部屋に飾っておいたことを思い出します。 -
最終の1本前の名寄行にて和寒を目指します。
今回のダイヤ改正で、最終列車も30分程出発が遅くなりましたが、1本前のも40分位出発が遅くなりました。 -
こうして和寒に到着し、北海道東日本パスの4日目は終了。
190円分しか乗らなかった2日目程ではないですが、この日のパスの使用旅程に関しても、筋金入りの鉄道マニアの方からすれば、完全に烙印を押されてしまう旅程でしょうね…(-_-;)。和寒駅 駅
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そして翌日。
朝まで具体的な旅程を考えておりませんでしたが、取り敢えず更に翌日には自転車を携えてどこかに行こう、と思っていたので、この日の朝はまず、冬ごもり中だった折り畳み自転車を初始動させて、和寒駅まで向かいます。 -
でもこの日はまだ、和寒駅に愛車を置き去りにして、8時30分発の旭川行に乗り込みます。
6時31分発にも、7時22分発にも乗車しなかった理由が一つあります。
それは何でしょう? -
謎解きの前に、取り敢えずこちらに乗車しましょうね。
<ロシアの思い出7>
こうして2時間程の飛行時間の後、無事ハバロフスクに到着。私にとっての初めての訪露はこの町となりました。往路では、乗継旅程で1泊するだけでしたが、とても暑い一日で、機内アナウンスではトリィツァチシェスチ(36℃)なんて言っていて吃驚したことを思い出します。
そして、入国、なのですが、ここで予想通り最初のトラブル…。無事自転車をピックアップして税関へと向かった訳ですが、早速”シトーエタ?(何これ?)”の洗礼。当時のロシアでは(今はどうか知りませんが…)、飛行機を自転車で輪行するという人はいなかったようで、まず”ベロシペッド”(自転車)といったところで、”プラヴダ”(ほんまかいな?)なんて言われ、中を開封させられます。その挙句に色々といちゃもんを付けられる訳ですが、私の語学力では何を言っているかよく解らず、しかし、これは持ち込めない、みたいなことを言っているのはよく解りました。実際、正確には何を言っているのかよく解らないので、知らぬ存ぜぬの体でいましたが、そう言えば、やはり当時のロシアはコテコテの”役人気質”ということは聞いていましたので、身の安全や実益も考えて、上述したビザ申請の際のカムチャッカのお偉いさんから頂いた招聘状のコピーを携えていました。
これは、この招聘状の威力を発揮する時か?と咄嗟に判断して、”この紋所が目に入らぬか~”(+水戸黄門BGM)と、提示してみたら、税関職員の顔色が変わり、一気に優しい表情に。”アトリッチナ~(ハラショーの更に上の表現)”等と言われて、何事もなかったかのように”関所”を通して頂くことが出来ました。
やはりロシアでは、”虎の威を借る狐”のスタンスが良さそうだな、と感じた、最初の入国でした。
さて、この日は市内で一泊しないといけない訳で、その宿に関しては航空券を手配した旅行代理店でバウチャーを購入していました。名前がサッポロというのが親近感あった、と言うだけで予約したホテルでしたが、うだるような暑さと重い自転車を携行している身には全く思考する力が残っておらず、確かタクシーで宿まで向かったかと思うのですが、その記憶が定かではありません。
というか、そのサッポロホテルでの宿泊中、館内の冷房設備とかも作動しておらず、窓を開けずにはいられない状態でしたが、開放していると隣から怪しげな男女の声(内容は御想像にお任せします…)とかが聞こえてきて、落ち着いて寝られなかったことだけが鮮烈な記憶として残っています…(^^;)。 -
旭川中心部の市街地に入る所で渡る牛朱別川の様子。
雪もすっかりと解けましたね。 -
さて、乗車した汽車は終点の旭川までは行かずに、一つ手前の旭川四条で下車します。
旭川四条駅 駅
-
さて、上述した8時半和寒発に乗車した理由とは…。
実は本日はまず石北本線に乗り継いで、愛別に行きたかったのですが、宗谷本線から石北本線への乗継は結構接続が悪い上、和寒からだと始発に乗車しても、石北本線の始発には間に合わないスケジュールなのです。次に愛別まで行ける汽車は、旭川9時18分発の上川行き、ですが、これに乗り継ぐためには勿論和寒をより早く出発する6時台、7時台に乗っても良かったのですが、早起きしても乗り継げる汽車は同じ、ということで、一番待ち時間が少なくて済む8時半発で和寒を出た、というう訳です。
しかし、8時半発に乗車してしまうと、旭川着は9時21分、ということで、旭川9時18分発の上川行きに乗り継ぐことはできません。しかも、本来の両路線の接続駅である新旭川は、和寒8時半発の快速なよろ号は通過してしまうので、ここで乗り換えが出来ないのです。
そうした事情があっての旭川四条での乗継、和寒8時半→旭川四条9時17分、旭川四条9時22分発上川行き、という、五分の乗継時間で乗り換えられるダイヤは現状のJR北海道においては奇跡とも言える程のスムーズな旅程とも言えそうです。 -
旭川四条駅前には、鉄道マニアには有名なお店がありますね( ´∀` )。
-
旭川の隣駅とは思えない程の昭和な風情、この駅の魅力ですよね!
<ロシアの思い出8>
サッポロホテルでの怪しげな一夜を過ごした後、国内線乗継のため、再び空港へと向かいます。ただ、当時はバス路線などがよく判らず(一応あったようですが…)、運行状況も地元の方も信頼していないようで、いわゆる”白タク”が一杯走っていて、これで小遣い稼ぎをしている人も多かったんですね。なので、ボンネットの所に”アエロポルト(空港)”と記された車を見つけて乗車して空港へと向かいます。自転車を携えている状況なので、自転車を組み立てて空港に向かえば良かったとも思うのですが、当時は地図とかがあまり売られていなくて、迷って飛行機に乗り遅れても大変なので、素直に白タクで空港に向かいました。
そして国内線のチェックイン、なのですが、ここでもトラブル発生。何と係員が自転車の航送料金を要求してくるではないですか…。事前に確認した重量の範囲内の筈なので、ベスプラットナ(無料)を繰り返し誇張して、こちらも根強く頑張りますが、なかなか首を縦に振ってくれません。
という訳で、再びあの”印籠”の登場です。前日の税関と同様に、”この紋所が…”なんて繰り返すと、やはりあっさりとOKに。”シスリーババープティー(良い旅を~)”なんて言われつつ、笑顔で送り出されました…(^^;)。 -
という訳で、双方の列車の遅延もなく、スムーズに上川行きへ乗り継ぐことが出来ました。
ただ、5分という短時間ですので、遅延リスクが大きい冬場にはお勧めできない乗継です。 -
サボはこちら。40系の800番台。ちょっとテンション上がりますね!
-
だって、国鉄仕様の扇風機が見られますもの…(^▽^;)。
-
経費節約のため、本日は水筒を持参。
デザートは前日残りのJLマイルヨーグルト。
8個パックで51マイル計算、ということは、一つで6マイルちょっとか…。
何のこっちゃ…。 -
車窓を見ていると、白鳥さん達が田んぼにたむろっています。
カエルちゃん、危ないっ!!!
寝ぼけて出てきたケロちゃん達が、食べられてしまわないか心配になります。
てか、白鳥さん、勝手に寝てるところを穿りだしてるのかな?
春はカエルちゃん達にとっても受難の季節です。
<ロシアの思い出9>
こうして何とか、ハバロフスクよりカムチャッカ半島にある唯一の大都市、ペトロパブロフスク=カムチャッキーへと向かう国内線へ無事搭乗。
国内線ではありながら、距離的には青森=ハバロフスクの国際線よりも長距離なので、確か3時間位かかったように記憶しています。
乗客はそれほど多くなく、ゆったりとした旅になるかと思いきや、そこはやはり当時のロシア、まず、担当者がやってきて、いかつい顔でレギストラツィア(滞在登録)の確認をしにやって来ます。
当時の私はこの辺のルールをよく理解しないままにいたので、カムチャッカに着いてからも、何やら人がやってきてしきりに登録をどうのこうの言ってくるのを、何かの怪しい商売の一種のように感じていましたが、それだけやはり、外国人に対する監視の目は厳しかった印象がありますね。
特にそもそも冷戦時代には、ウラジオストクと同じように、ペトロパブロフスク=カムチャッツキーも軍港があるという理由で、外国人には開放されていない都市でしたし、私が訪問した時期は開放されてからまだ数年が経過したばかり、という頃だったので、ソ連時代のシステムがまだまだ残っていたんでしょうね。まあ滞在登録に関しては、今でも長期滞在する場合は、その町のオヴィールという専門機関に行ってやらないと駄目みたいですが…。
それはそうと、この時の機内、係員の厳しい目つきでの尋問の後、今度はCAさんが隣に座って来ます。今度は何事か、と身構えていると、そのCAさん、歳とか名前とか色々と尋ねてきます。挙句の果てにはジェナトゥイー?(結婚してるの)なんて更に近づいて尋ねてくるものですから、若かりし日の私は、ちょっとドキドキしてしまいました。国内線のCAさんにとっても、外国人は目新しかったようで、純粋な興味で色々と尋ねられていたみたいですが、やっぱり男としては、別のこと、期待してしまいますよね…(^^;)。
そんなこともあって、この時の機内のこと、機内食やドリンクサービスがあったのか否か、とかも一切記憶にないです…。 -
青空をバックに飛行する白鳥さん達。
うーん、素敵。
でも、この飛行エネルギーをカエルちゃん達から吸収してるのかしら、なんて思うと、この空と同じようなブルーな気持ちにもなるカエルマニア一人…。
何のこっちゃ…。 -
それと同時に、高速鉄道の開業により青函を追われて、今は何故か札幌=旭川間を走行している特急列車のことを思い出してしまった…。
-
そして、愛別に到着。
愛別駅 駅
-
愛別駅舎の様子。
微妙に駅前に残る雪山に積雪量の多さを感じます。 -
愛別は、駅から市街地までが少し離れていますね。
でもお天気が良いので、こうした道を歩くのもとても気分が高揚して良いものです。
この町はやはりキノコが有名でしょうね。
ただ、緊迫している朝鮮半島情勢の現状においては、”キノコ立国”を目指している某国家を思い出さずにはいられません…。
<ロシアの思い出10>
そんなこんなで、色々なドキドキがあったフライトを終えて、無事ペトロパブロフスク=カムチャッツキーに到着。
招聘状の受け入れ先がカムチャッカのお偉いさん、かつ普通ビザの目的が研究となっているので、カムチャッカ滞在の約2週間は、当該地における別の日本人調査グループ(水産系)との共同生活となりました。そのお偉いさんが手配して下さった方に連れられて、無事、宿に到着しましたが、正直、自分は”極東ロシアに住む人々の日本人感”という卒論テーマの研究目的での訪露でしたので、基本的に彼等とは別行動。接点もあまりなかったですが、私が結構勝手に動き回っていることはあまりよく思われていなかったようで、この宿内での居心地は正直良くなかったです。 -
郵便局前にはふくろうさんの姿も。
-
兎さん、亀さんも発見!
でも我が愛しのあの動物は…。
無理だわな…。 -
と思っていたら、何といてくれたケロ~!!!
ん?でも何か様子が変だケロロ? -
うんわぁ~、左側の子、お目目をけがしてるケロ~。
これじゃ、何にも見えないんだケロ~。
治してあげたいケロ~。
何のこっちゃ…。 -
愛別橋にて石狩川を渡ります。
<ロシアの思い出11>
こうして辿り着いたカムチャッカ。勿論研究目的、でしたので、ちゃんと”仕事”をしないと、国外追放になります。自前で作った日本に関する簡単な10項目位のアンケートを街角で行うことにしたのですが、ペトロパブロフスク=カムチャッツキーは、カムチャッカでは一番大きな町とは言っても、人口は20万弱の、それ程大都会という町ではありません。ということで、まず人が集まる所はどこかな、と、最初は市内の土地勘を付けるために、自転車でウロウロしていました。
ただ、当時のロシアでは、自転車という乗り物が珍しかったようで、行く先々で子供達が群がってきて、乗せてくれとせがまれます。実は私は、大学時代数年間乗り続けたこの自転車を、ロシアに寄付するつもりでやって来ていたので、研究の後はおいていこう、と思っていたのですが、三日目くらいで、子供達が自転車をまた貸ししているうちに行方不明になり、そのまま戻って来なくなってしまいました。
こうしたやり取りの中で、子供達の中にも、いわゆる”優等生”的な子も、”悪ガキ”もいて、この辺りは万国共通なのだなと思いました。でも、お蔭さまで市街地はそれ程大きな町でもないんで、それなりの土地勘は身に付けることができましたし、何より、多くの子供達と交流できたことが何よりの財産となりました。 -
河畔の雪もかなり解けてきていますね。春を感じさせてくれる風景です。
-
愛別のマンホール。
勿論、キノコが描かれていますよ! -
愛別のトドックスタンプは、こちらの施設(蔵ら)内にあります。
-
愛別はもうすぐ町長選があるんですね。
田舎町では無投票、という可能性もかなり高いかと思いますが…。 -
そして蔵らにて、トドックスタンプを無事ゲット。
因みに、現在の北海道179市町村をアイウエオ順に並べた場合、一番最初に来るのが愛別町(因みに最後が和寒町)ですね。
最初と最後、という意味で、妙な愛着を感じました。愛別だけに…。
何のこっちゃ…。
<ロシアの思い出12>
という訳で、市街地近くにあった市場付近が、結構人の集まる所であることが分かったので、ここでアンケート調査を開始。アンケートとは言っても、とにかく歩いている人に片っ端から声を掛けて、年齢・性別・日本は好きか、みたいな10個位の質問に答えてもらい、とにかく沢山のデータを集めて、後は統計処理、みたいな流れですので、やること自体は大して難しいことではありません。
でもこのアンケート調査の中で、とにかく沢山の人に出会うことが出来ました。21年前のことですが、こうした出会いというものは記憶に残っているものです。以下ではカムチャッカで出会った記憶に残る人々について暫く記させて頂きたいと思います。 -
折り返しの汽車の発車時刻まではあまり時間がありません。宗谷本線以上に石北本線の普通列車の本数は少ないので、この汽車を逃してしまうと、かなりのロスが生じます。
ということで取り急ぎ蔵らを出発。
愛別橋のバス停は、実はこの辺では道東方面へのゲートウェイとしても覚えておくと便利ですね。 -
ほら、こんなに色々な道東の町までバスで行くことが出来ますよ。
-
ただ、路線バスのバス停とは微妙に場所がズレていますので、乗りまちガエルにはご注意下さい。
-
愛別は比較的大きな駅ではありますが、ちゃんとこのような駅ノートがありました。
-
なので、勿論一筆書かせて頂きますよ!
<ロシアの思い出13>
一番記憶に残っているのが、9歳の少年、カーチャのことです。
私が最初に自転車を貸してあげた子がこの子だったのですが、まだ小さい子でしたのでサドルを一番低くまで下げて、凄く嬉しそうな笑顔で乗ってくれたことを思い出します。ちょっと恥ずかしがり屋さんでしたが、その辺を軽く一周しただけで次の子に貸していい?って聞いてくるのです。この年の子って、自分が一番って年頃だと思うのですが、他の子に気配りできる優しい子でした。
この子は少し育ちが良いようで、当時、市街地に唯一、オランダ資本の「ホルカム」というスーパーがあって、その子の友達も連れてみんなでお買い物に行ったんですが、他の子は何も買えないんですよね。お金がなくて…。カーチャもそれ程裕福な訳ではなかったようでしたが、少しだけお金を持っていて、日本だと70~80円で買うことが出来る200mlの小さなジュースのパックを購入して、それを友達5人位でシェアして飲み回すんです。その姿を見て、涙が溢れてきました。なんて美しい光景なんだろうって、ドルとか円とか、強い貨幣を持参して、何も思わずにこのスーパーで買い物していた自分を非常に罪深く感じたのです。
このカーチャ、でも自分が他の子に自転車を貸してしまったことで、自転車が行方不明になってしまい、私に対して、凄く申し訳なさそうな顔で謝るんですよね。なんかそれが、逆に申し訳なくて…。
今の日本に、こんな子っているのかな?
なんて、甘やかされ放題の今の日本の子供達を見る度に、カーチャのことを思い出すのです…。 -
運賃表はこんな感じ。
愛別から旭川と逆方向は、上川までしか表示されていませんね。
2016年春に一気に三つも駅がなくなってしまった、旧白滝村のことを思い出さずにはいられませんでした…。 -
昔はここで駅員さんが切符に鋏を入れていたことでしょうね…。
-
男子トイレの三基ある小用トイレのうち、二基が使用不能となっていました。
冬場の凍結が関係しているのかな? -
跨線橋から折り返し汽車を眺めます。
石北本線上の駅って、どこも裏大雪・東大雪山系の山々をバックに、奥行きのあるアングルで汽車を撮影できるのが良いですね。 -
それではこちらに乗車して、一旦旭川に戻りましょう。
<ロシアの思い出14>
カムチャッカで出会った、記憶に残る方の大人代表は、ヴァ―チコフさん。当時で50歳位の初老の男性です。
この方と知り合ったのは、市場での例のアンケート調査中でしたが、調査ということに凄く興味を持たれた方で、話してみると、元々はウクライナで数学関連の学者をやっていたそうです。見せたいものがあるからとお家に招かれて、数学の難しい公式とかが一杯書かれたノートとか、過去の栄光を物語る賞状やメダルのようなものとかを見せてもらいましたが、どうやら何かの事情で、こちらの方に左遷(やはりロシア、というかソ連時代の極東エリアは、モスクワとはかなり離れた場所であり、悪い意味で、こちらに”流された”人と、良い意味で、”僻地手当”に惹かれてやって来た人、という、二つの流れがあったようです)されたそうで、学者をやっていた時代のことを懐かしそうに話していた姿を思い出します。
彼には自宅で自分で作ったというルイベみたいなのを御馳走になったり(因みに北海道ではお馴染みのルイベですが、これは一説によればロシア語のルィーバ(魚)に由来しているそうです)、ウォッカで乾杯しながら楽しい一夜を過ごしたことを思い出します。
因みに、彼とは後日談があって、同じ市場のアンケートで再会したとき、今度は日本語の教師をやってくれないか、と頼まれて、何やらヴォルコフとかいう怖そうな名前の人(ヴォルク=ロシア語で”狼”)に会いに行くことになり、結局何やら胡散臭い交渉の上、話が破談してしまったようで、日本語教師となることはありませんでしたが、あの時そのまま首尾よく教師になっていたら、私は今頃、ロシアで暮らしていたのかもしれません…。
話が破談になったことに気まずくなってしまったのか、その後、ヴァ―チコフさんとお会いすることはなく、私はカムチャッカを離れてしまったので、関係が自然消滅してしまったことは今でも凄く残念に思っています。 -
サボはこちら。
先程乗車した汽車が、そのまま上川から折り返して来たようですね。 -
なので勿論、JNR扇風機(^▽^;)。
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因みに、先程トドックのスタンプを押させてもらった蔵らにて、こんなものを頂きました。
ダムカードっていうんですね。これを集めているコレクターもいらしているようですが、私はダムカードの存在自体、初めて知りました(^^;)。 -
お昼前に旭川に到着。
ここでちょっと買わなければならないものがあったので、フィール旭川に向かいます。旭川駅 駅
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とある本を購入して…。
丁度お昼時だったので、ランチ頂いていこうかなとも思いましたが、ちょっと時間がありません…。
<ロシアの思い出15>
さて、これまで、カムチャッカで出会った印象に残る子供と大人のことを一人ずつ記させて頂きましたが、正直言って、私が訪問した時期は、非常にロシアが混乱した時代だったため、悪い意味で記憶に残っている人の方が多かったりもする訳です。
悪い方の子供の代表として、あまり言いたくはないのですが、ガーリャという子のことを思い出します。彼は12~13歳位だったかな?それなりに世の中の辛酸を知りつつある、という感じで、”斜に構えた”感じの暗い雰囲気の子でした。
彼には、丁度先に紹介したカーチャと同い歳の弟がいて(名前は聞きませんでしたが…)、この兄弟が子供達の間でも”ブラックリスト”に載っているらしく、何やら他の子達から疎外されていた感じで、逆に私はそれを可哀想に思って、1米ドル札を渡して、これで何か買って、なんて言ってしまったのですが、それを見ていたカーチャが、小声で”アスタロージナ、オン プラホイ チェラベク(気を付けて、あいつは悪い奴だから)”なんて耳打ちしてくるんですね。
しかし、私にはどちらかと言えば、自分がそうだったように、”斜に構えた”側の子の気持ちが解ってしまうので、その二人の狭間でどう対処して良いのか、困ってしまいました。
滞在中、”漁民の日”というお祭りの一日があって、ガーリャ兄弟からは、一緒にお祭りに行こう、と誘われるのですが、今度はそれを見ていたカーチャが(私が彼らに1ドル札を渡しているのを見ていたので)、行っちゃダメ、お金が欲しいだけだから、なんて言うんです。
正直、お金の苦労はそれ程していないカーチャと、貧乏で苦労したと思われるガーリャ兄弟、身なりからも判る感じだったので、私はこれ以上、どちらの味方をしてもいけない、と思い、”大人の言い訳”をして、どちらの側からも離れてしまいましたが、その時のガーリャ兄弟の寂しげな目、そしてカーチャの何かを悟ったかのような達観した目、それぞれを今でも忘れることはできません。
子供の感性の鋭さは、万国共通なんだなってつくづく思います。500円のランチセットがお勧めです by ケロケロマニアさんブックマークカフェ グルメ・レストラン
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そういや、10の付く日、でしたので、買物公園沿いにあるつ○ハにて、ちょっとした食材のお買い物。
この日は全品5%引きですが、入口のスロット回したら、更に10%引きの券が当たった!(但し、10%引き適用は一番高い購入商品一つのみです。) -
午後からの一つのノルマ。
それは美瑛町のトドックスタンプです。
単純往復でスタンプだけゲットしに行きましょう。
折り返し列車の乗継時間、8分しかないけど、大丈夫かな? -
車窓を眺めていたら、HD機をたまたまゲット!
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美瑛町のトドックスタンプはここにありますが…。
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がーん、何と休館日ではないか…。
<ロシアの思い出16>
女の子にも色々いましたが、やはり悪い意味で思い出すのが、絵に描いたような”ヤンキー姉ちゃん”の二人組(名前は知らない)でしょうか。今はどうか知りませんが、日本の子供達の将来なりたい職業ランキングの男の子1位がスポーツ選手、女の子1位がお菓子屋さん、みたいなことをほざいている頃、ロシアの子供達のそれは、男の子1位がマフィア、女の子1位が売春婦、だった時代ですからね。
この”ヤンキー姉ちゃん”達、ガムをくちゃくちゃさせながら、ロシアなんてもう古い、これからはアメリカよ!なんて言っているし、アンケートにもまともには答えてくれないし…。おめー、うぜーよ、みたいな態度。
そういえば、知ってる日本語をこの姉ちゃん達に尋ねたら、”やくざ”とか”ばくち”とかいってたなぁ~(^^;)。どこで覚えたんかいな…。 -
と思ったら、たまたまスタッフの方が館内で展示の改装作業みたいなのをされていて、スタンプを押させてもらうことが出来ました。ラッキー!
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そして約8分の美瑛滞在を急いで終えて、折り返しの汽車へと戻ります。
美瑛駅 駅
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富良野線では、旭川=美瑛間で部分運行している列車がありますが、それに関してはこんな名前が付けられていますね。旭川=富良野の”ラベンダー”と共に、あまり定着していない名前ですが…。
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まあ、美瑛は近いからいつでも来れるし…。
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でも、せっかくなので、下車印をもらっておきましょうね。
この時期は富良野線上の途中駅で有人駅はここしかありませんし…。
<ロシアの思い出17>
アンケート調査はずっと市場でやっていたので、そのうち、顔見知りになるお店の人とかが何人かいましたね。お疲れ~、みたいなノリで当時は珍しかったキリル文字の付されたコーラ(製造元はサンクトペテルブルクになってた)を差し入れしてくれたお兄ちゃんとか、タンクからクワス(ロシアではお馴染みのライ麦を発酵させて作った微アルコール飲料。夏はタンクで売っている光景をよく見かける)を注いでくれたおじさんとか…。
でも、日本人観のアンケート調査、という性質上、あまり仲良くなってしまうと、日本人=自分、みたいなバイアスがかかってしまって、データの客観性が保てなくなりますので、出来るだけそっけない対応をする必要があったのも事実であり、イマイチ距離をおいてしか交流出来なかったのは、今でも少し残念に思っています。 -
因みに、先程買った本、というのはこちら。
特に近日中に中国に行く、という訳ではないのですが…。 -
この本を携えて行かなければならない所があります。
という訳で、こちらの音威子府行きに乗車します。旭川駅 駅
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このサボもシブくて良いですね。
40系では新しい方なので、JNR扇風機は見られません(;^ω^)。 -
向かった先は士別の図書館です。
実はここで借りていた本のうちの一冊(それが上記の中国のガイドブック)を、悪天候の日に濡らしてしまって、弁償する羽目になってしまった訳です。
前回借りたロシアとシベリアのガイドブックを返すついでに、前々回に”次に弁償の代品を持ってきます”手続きをした本を持っていく、というのが、本日の午後旅のメインとなります。
皆さんも、公共の書籍は大切に扱いましょうね…。 -
北海道のローカル鉄道旅の肴としては、ロシアのガイドブックはとてもマッチするように思いますね。
<ロシアの思い出18>
そんなこんなで、約2週間で300人程のデータを収集してアンケート調査を終了。まあ、卒論のレベルですので、そりゃ、発表会の際には、いかつい顔をした教授陣にけちょんけちょんになじられました(何故、極東ロシアに住む人々の日本人感研究のデータ収集先が、カムチャッカなのか、とか、質問の項目はどうやって決めたのかとか)が、私個人の本音としては、単に”ロシアに行きたかった”というのが本音なので、悪く言えば、そんな研究なんてどうでも良かった訳です。
ただ、やはりこれに関しては若かりし頃の自分の”若気の至り”の無茶な行動も沢山あった訳で、関係省庁の方々や、恩師の先生等には色々と多大な迷惑をかけたことかと思います。それらに関して、この場を借りてお詫び申し上げたいと思います。 -
ここでは、ちょっと予告的に、この地図を掲示しておきましょうね。
北海道って、緯度的にはウラジオストクやナホトカ辺りとほぼ同じですね。
きっと色々と似た風景もあることでしょうね…。
ハバロフスクはサハリン南部と同じ位か、フムフム…。 -
ここでは我が住む町和寒は通過…。
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剣淵駅前の巨大な雪山。
こんな風景にも春を感じますね。剣淵駅 駅
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そして、リストラ候補に挙げられた宗谷本線上の駅の一つ、北剣淵駅へ。
今回のダイヤ改正では生き延びることができましたが…。北剣淵駅 駅
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ここの待合室もシブくて素敵。
(これでも改修された姿なんですけどね…。)
<ロシアの思い出19>
さて、カムチャッカの思い出について、ここまでは人との出会いのことだけを記させて頂きましたが、やはりカムチャッカの最大の魅力と言えば、恵まれた自然環境だと思います。
私は残念ながら、上述のような調査研究目的での普通ビザ取得で現地に入っておりましたので、当地の自然を満喫するような活動には一切携わることが出来ませんでしたが、ペトロパブロフスク=カムチャッツキーと言う町は、すぐ近くに3000m級の高い山が聳えています。
(確かアヴァチンスカヤ山とかいう名前。因みにカムチャッカの最高峰は活火山のクリュチェフスカヤ山で、こちらは4700m以上ありますが、ペトロパブロフスク=カムチャッツキーからは見えない。)
生憎、私が到着してからは1週間位ずっと霧の天候が続いていて、全くその山容を拝むことが出来なかったのですが、漸く晴れた時に目の前に見えたこの山の大きさに圧倒されたことを思い出します。
高緯度なので、かなり寒いと思われがちですが、少なくともペトロパブロフスク=カムチャッツキーに関しては、夏は北海道とほぼ同じような気候で、晴れれば、気温も30度近くまで上がる感じでした。霧の時は20度以下でしたので、丁度、道東の釧路や根室のような気候を連想されると良いかなと思います。因みに意外と冬も緯度の割には高温のようで、海洋性気候のため、内陸部のハバロフスクなどよりはずっと暖かいようです。
本当は持って行った自転車で、半島の中央部を貫いているという道路を走ってみたかったのですが、上述のようにまず数日で自転車は行方不明になりましたし、そもそもこの道路は野生の熊の巣窟となっているそうで、そんなことしていたら、きっと今この世にはいなかったのだろうなと、ある意味ペトロパブロフスク=カムチャッツキーの子供達は命の恩人だと思っています。 -
すっかりと春の装いの天塩川の支流、剣淵川を渡って…。
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士別駅に到着です。
士別駅 駅
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士別のマンホールはこちら。
頭部が真っ黒の、サフォーク羊さんが描かれていますよ。 -
士別の図書館は、士別駅から徒歩2分の近距離にあってとても便利です。
蔵書としても、和寒よりも充実しているので、わざわざこちらまで借りに来ることも多い訳です。 -
しかもここには、PCが5台も設置されています。
勿論、図書館内のPCですので、一部サイトには制限が掛けられていますが…。
(WEBメールとかも使用不可)
でも、4トラさんにはアクセスできますよ(^▽^;)。
<ロシアの思い出20>
熊に襲われるような無謀な行動はしませんでしたが、実はカムチャッカでアンケート調査中に、一つ死を覚悟するような出来事がありました。
ロシアは元々は言わずと知れたソ連、つまり社会主義の情報統制国家であった訳で、幾らロシアに生まれ変わったとはいえ、私が訪問した1996年という時代は、まだまだソ連的な雰囲気が残っている時代でもありました。そんな中、街中でアンケート調査などやっていたらそれは怪しまれる訳で、ある日、突然に両脇から目出帽を被った二人組の大男に掴まれて、尋問所のような所へと連れて行かれました。
目隠しされて連れて行かれたので、その正確な場所はよく解らないのですが、その尋問所では、女性の係官にその目的を尋ねられたりしました。
勿論、パスポートも提示した上で、あくまでも自身の卒論用の研究目的、そして、例の”印籠”を提示して、カムチャッカのお偉いさんのお墨付きで活動してます、アピールをしたら、あっさりと笑顔になって、解放してくれました。この流れは、ハバロフスクの税関や空港カウンターと全く同じ流れですね。でも、あまりこうしたアンケート調査には快く思われていなかったようで、今後は控えるように言われたので、本当はもう少し別の場所で、とも思っていたのですが、それは諦めて最後の3日ほどは大人しく過ごしました。それまでに集めたデータだけで数的には十分でしたし、今後下手に揉めて、これらのデータを没収されてしまうことを一番避けたかったので…。
当然、解放される際も、同じ男達に目隠しされた状態で、元居た場所に戻されましたので、結局自分はどこにいたのか、今でもよく解りません。これがロシア、いや、ソ連なのだな、と、つくづく思い知らされたエピソードです。 -
そして、折り返しの汽車で、和寒に戻ります。
54系がやってきました。 -
ごく、オーソドックスなサボです。
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さて、新しい本を持っていきましたので、そのおカエルしに、こちらの”元図書館本”だった本を頂くことが出来ました。
まあ、雨雪に打たれてびしょびしょにしてしまっただけなので、少々ふやけていますが、十分につカエル状態です。
2016-17年の新しいバージョンなので、資料価値としても問題なさそう。
ダメにした本が新しいので良かったかも…(^^;)。 -
いつかは行かないと、と思っている、中国南部の都市。
きっとこの”水濡らし”事件は、ここに行きなさい、という神様の啓示だったのだと思っております。
カエルりも例の剣淵駅前の雪山を見ながら…。 -
張り付いてしまっている各頁を丁寧に剥ぎながら、約20分の乗車時間を過ごします。
<ロシアの思い出21>
上述のような”事件”のために、やはり怖くなってしまって、これ以降のカムチャッカ滞在ではあまり無理が出来ず、まあ、データもそれなりに集まったので、最後の2~3日はのんびりと過ごしたように思います。
カムチャッカを離れるにあたって、当時の市内の交通機関について、自転車を失った後は、当然市内をウロウロする際には、何らかの乗り物を利用する必要があったのですが、基本的にバスルートなどはなくて(たまにバスの車両を見かけましたが、運行ルートや時刻表が全く不明…)、ベースにしていた宿泊先と市街地との移動においては、手書きで表示された”ツェントル(中心)”とかの白タクに乗って移動していました。
少し高台にあった宿泊地の最寄り、少し歩いた道路沿いで、地元の方が大体並んでいる個所があって、ここがそうなのだとそのうち理解した場所にて、手を挙げて乗るだけですが、タクシーとは言っても、これが実質バスのような感じでしたので、運賃もそれ程高くなく、結構多くの地元住民がこの白タク運行で生計を立てていた(?)こともあって、運行本数も多くて便利でした。逆に市街地から宿泊先に戻る際は、少し高台にあった、宿に戻るには、”ホリゾント(水平線)”と書かれたのに乗れば良い、ということも理解しました。
1乗車で確か5000ルーブル(当時はまだデノミ前ですので、現在のルーブル相場とは全く異なります。当時の日本円換算で250円位)でしたが、滞在中にも少しずつインフレが進行しているような感じで、最後に乗った時は6000ルーブル取られたこともあったように記憶しています。
まだその後はハバロフスクにて2週間程滞在する予定だったので、無駄遣いも出来ず、最後の方はこの白タク代もケチって、歩いて戻っていたような気もします(1時間ちょっとかかったように記憶しています。) -
そして和寒に到着し、北海道東日本パスの5日目が終了…。
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と思いきや、実はこの日はまだ続きがあります。
パスの有効期限も残り少なくなってきましたので、翌日は少し自転車で走りたいと思ったのですが、平日の朝一の汽車は、学生さんの利用で車内が混雑しますので、あの状態の中で自転車を運ぶのは迷惑なので、わざわざ翌日の自転車行程のために、走り始めの地点まで予め自転車を本日中に運んでおくことにしました。
自転車をデポするためだけに現地往復。パスがあればこそできる技です。和寒駅 駅
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そして輪行袋にパッキング。
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実はこの輪行袋、今回色々別項でも記されて頂いておりますが、ロシアにも行ったことがある、私にとっての長年の相棒でもあります。
当時はこの袋に収納して、自転車をカムチャッカまで運びましたので、破れた箇所を補修ついでに、こんな刺繍までしていました。ドルジバ=友好という意味です。そういえば冷戦時代は、ソ連と東側諸国とを結ぶパイプラインが、ドルジバパイプラインと呼ばれていましたね。 -
日本語の刺繍もあります(^^;)
<ロシアの思い出22>
こうして約二週間のカムチャッカ滞在を終えて、再びハバロフスクへ戻ります。帰路も空港までオヴィールの関係者らしき方に送ってもらい、往路とは違って自転車もないし、色々と盗難にもあった(?)ので、割と身軽な格好でしたので、荷物の運搬のストレスは一切ありませんでした。
ただ、この復路の国内線機内で驚いたのは、指定された座席に向かうと、既に人が座っていて、番号を見せて私がここ、と言ったのですが…。
笑顔でそこが空いてるよ、と指さされ、そのままその席に座ることに…。この辺りは凄くロシア的だなあと思いました。席さえあればどこでも良い、的なのんびりとした雰囲気が、逆に懐かしくも感じます。
色々と疲れ果てて、復路の機内では熟睡してしまって、機内食等の記憶は一切ありません。そして無事ハバロフスクに到着。こちらも先生と面識がある方に空港までお迎えに来て頂き、この方のお宅にてホームステイさせて頂くことになりました。 -
そして、カエルさんの刺繍も…(^^;)。
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さて、行先はどこでしょうか…。
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取り敢えず、北の方を目指しましょうね。
名寄以北への和寒からの運賃表はこんな感じです。(勿論、主要駅しか載ってませんけどね…。) -
和寒での乗車時には、思ったよりお客さんがいましたので、入口傍のロングシートで暫く手で抑えながら過ごしましたが、士別で多くのお客さんが下車し、クロスシートにも余裕で空席が生まれましたので、このような状態で贅沢に自転車さんを置かせて頂きます。
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そして名寄に到着。ここで30分の停車時間がありますので、少し外に出てみましょう。
<ロシアの思い出23>
本当は、ハバロフスクの町中でも、上述したカムチャッカと同じようなアンケート調査を実施したかったのですが、上記の通り、カムチャッカでの恐怖体験がトラウマとなってしまい、正直、ハバロフスクでは引きこもり状態となってしまいました。ホームステイ先のクリコフさん家には、色々とご心配をおかけしてしまい、今でも申し訳なさで一杯なのですが…。
クリコフさんからすると、私が調査目的でハバロフスク入り、という名目で、身元引受人になって下さった経緯がありましたので、うまく意思表示ができない自分に対して、かなりイライラされていたようにも思います。更に申しますと、この時、恐らく私の先生は、クリコフさんに対して、私を受け入れるための何かしらの金銭的援助をされていたように思いますので、結局、まともな調査が出来なかった当時の自分に対しては、今でも腹立たしさだけが記憶に残っています。名寄駅 駅
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サボはこんな感じ。
乗って来た汽車は、現行ダイヤでは一日二本しかない音威子府行きの遅い方です。 -
名寄駅前の温度&お天気電光掲示板。
ありゃ、翌日の予報が雨になってる…(~_~;)。
明日のチャリ旅、大丈夫かな…。 -
そういえば、ここでの停車時間帯に、前しかドアが開かなかったので、あれっ、名寄はまだ駅員いる時間帯じゃないの?(この時点で19時過ぎ)と、不思議に思っていたら、4月から名寄駅の”営業時間”が変更になったんですね。この17時5分以降は駅員不在になったようです。
士別も16時50分までの”有人駅”ですが、道北が誇る(?)二つの大都市においても、少しずつ経費削減が浸透しているようですね。 -
名寄駅構内の掲示にて、こんなのも発見。
石北本線上で北見まで、こんな快速が運行されるようになったんですね。
曜日限定ですが、場合によっては使い勝手がありそう。
でも、北見到着が23時5分って…。その夜はどうすりゃいいのかな…。
(勿論、地元の方向けのダイヤなので仕方ないですけどね…。) -
ということで、まだ時間はありますが、早めに汽車内へと戻りましょう。
<ロシアの思い出24>
まともな調査は出来なかったハバロフスク滞在でしたが、私の滞在期間中にクリコフさんが少数民族の村に行かれることがあり、その村まで一緒に連れて行って頂いたことがありました。確かグバシュギという、ウデヘ族(だったかな)の村でしたが、ハバロフスクからは往復で6時間かかる、かなり内陸奥深くにある村でした。
グバシュギで、地元の方と少しお話したのですが、今でも衝撃的な記憶として残っているのが、赤ちゃんが虎に襲われた、という話です。沿海州はレッドデータブックの絶滅危惧種にも指定されている、アムールトラの生息地としても知られていて、クリコフさんがその保護活動関連の仕事をされていた関係で、こちらの村の方々とも親交があるようでしたが、やはり、地元の方にとっては、虎は恐怖以外の何物でもない存在ですからね…。悲痛な顔色で話す地元の方と、その話に沈痛な面持ちで頷くクリコフさんの表情が、今でも忘れられません。 -
さて、先程の一時和寒帰宅の際、近くのスーパーにてこれだけの半額食材をゲットしておりました。
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殆ど貸し切り状態の汽車内にて、豪勢(?)な400円弱の1人晩餐です。
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本日見事に私物となった、”フニャフニャ中国ガイドブック”を見ながら…。
中越国境の鉄道旅も憧れますねぇ~。 -
途中、美深駅にて列車交換の待ち合わせ時間が数分ありました。
グリーンに輝く駅舎の時計塔。
多くの方にとっては、あまり馴染みがない光景だと思いますが、この駅舎は是非夜にご覧頂きたいと思います。美深駅 駅
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比較的大きな駅である美深駅、ですが、ちゃんと駅ノートが設置されていました。
限られた停車時間ですが、一筆残していきましょう。
<ロシアの思い出25>
クリコフさんの所には、ヴァレーラという息子さんがいらして、彼からは、趣味と言う切手収集のコレクションを色々と見せて頂きました。しかし、その収集内容を見て、まず驚かされたのは、やはり、”東側”諸国の切手ばかりだった、ということで、東欧の国々や、キューバ、ベトナム、北朝鮮、中国等の切手は沢山ありましたが、日本は勿論、米国や西欧といった国々の切手は一切見られませんでした。ただ、彼が”これは貴重”と見せてもらった、西ドイツの切手、実は日本人にとっては、こちらの方が馴染みなのですが、DDRの文字が入っていないでしょ(東ドイツの切手にはこの文字が入っていました)、と、誇らしげに見せてもらったことを思い出します。
あの時、自分が日本の切手を持参して行ったら、さぞかし喜ばれただろうなあ、と、”人に与える喜び”という観点を一切持ち合わせていなかった当時の自分に対しては、後悔することばかりです…。 -
慌てて書いたのがこれ。自分でも何書いたか覚えてないわ~(-_-;)。
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業務委託とは思われますが、一応、窓口が営業している時間帯がある、という点では、やはり宗谷本線の特に北部沿線では大きな駅の一つといえるでしょうね。
-
しかし、勿論、この辺りでの汽車内の様子はこんな感じです。
時間が遅いこともある程度は関係しているでしょうが、昼間でも正直大差はないと思われます。 -
そんな車内で、先程来から記させて頂いております”フニャフニャ中国ガイドブック”の最終頁に、このスタンプを発見。
そうか、これがあるから私物として認定してもらえるんですね。
ある意味、普通の図書よりも貴重かも!
と、弁償のために1800円余りを無駄にしてしまった自分を慰めつつ、残りの鉄道旅を楽しんでいきます。 -
こうして、音威子府の一つ手前の駅のこちらにて下車します。
明らかにアイヌ語起源的な語感の駅名ですね。
<ロシアの思い出26>
その後は、クリコフさんには、一応、街中で調査、ということを告げ、クリコフさんの出勤に合わせて町中まで運んで頂いて、クリコフさんの退社時に拾って頂いてお家に戻る、という数日間を過ごしましたが、正直、この時の自分は茫然自失の状態て、ロシア語の単語帳を携えて、アムール川の辺りに一人佇んで、漠然とそれに目を落としている、みたいな、時を過ごしていました。
お家に戻ると、クリコフさんの奥さんが凄く手の込んだお料理を振る舞って下さるので、それが正直重荷にも感じていて、何か気の利いたことを言いたいとずっと思っていたのですが、結局それも出来ずに「オーチェニ フクースナ(とても美味しい)」を繰り返すばかりの日々…。
勿論、この言葉は世辞からではなく、本当に美味しかったのですが、就寝時に自分いあてがわれた部屋に入ってからは、自分の無力さ、表現力の乏しさに、悔しさから枕を濡らしていた日々でもありました…。 -
バイバ~イ、と乗って来た汽車を見送りますが、ここではそうのんびりとしてもいられません。
何せ、12分後に再びやって来る反対方向の最終汽車に乗り込まないと、四月上旬と言う寒い北海道で、凍える夜を過ごさなくてはならなくなります。 -
急いで自転車を組み立てて…。
咲来駅 駅
-
あと5分程ありましたので、どうせまた明日来るから、とは思いましたが、急いで駅ノートを手に取ります。
-
この”駅ノートパック”には、こんなけのノートが収納されていました。
珍しいのは一番右側のノート。なんと、予備用(次のノート用)が用意されていました。
駅ノートの管理状況一つとっても、駅毎に色々あって面白いですね! -
という訳で、懲りもせず汚い字で急いで一筆。
ノートを片付ける時間も必要なのでとにかく急ぎます。
<ロシアの思い出27>
こうして、ほぼ無為徒食で過ごしてしまった約2週間のハバロフスク滞在も終わって、いよいよ帰国となりました。最後はクリコフさんに空港まで送って頂き、約2時間のフライトで新潟に到着。こうして、約1か月にわたる、研究調査、という目的のロシア旅は終了となりました。
正直な所、前半のカムチャッカではかなり活発に動いていて、ノリでその辺の酔っ払い達と意気投合して、ウォッカ片手に乾杯を繰り返して撃沈、なんてこともあって、一緒の宿泊先に滞在していた別グループの日本人研究者達からは、白い眼で見られておりました…(-_-;)。
また、カムチャッカでは偶然に日本から来た、という、カムチャッカの全体を調査するみたいなグループの人と出会って、色々と話をしたこともあったのですが、正直、価値観のあまりの違いに私は折りが合わず、適当な社交辞令で終わらせた、みたいなこともありました。
これはロシアに限ったことではないと思うのですが、団体で動く日本人って、本当に現地の人とあまり交流してませんよね。せいぜいレストランやホテルの従業員との交流程度で、色々と豪語している姿を見ると、寂しく思うことも多いです。
せっかく異国の地に居る訳ですがら、もっとどんどんと現地の方と交流して欲しいですね。日本人は言葉の問題を難しく考えすぎだと思います。勿論、喋れるに越したことはありませんが、喋れる人でも感性が通じていない場合もありますし、喋れない人でも気持ちは通じている、という場合も多いのです。
両方備えることが理想ですが、やはり私は海外旅行で重要なことは、言葉<感性だと思っています。この旅を通じて、私は前半ではそれが実践できていたと思うのですが、恐怖体験を経て、旅の後半ではそれが全くできなくなってしまった自分が居た訳です。 -
そして、こちらのこの日の最終汽車に無事乗車。
-
勿論、車内は貸し切り状態です…(-_-;)。
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カエルりもまた、名寄で15分程の停車時間がありますので、外に出てみましょう。
サボは入ってませんでした…。名寄駅 駅
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名寄駅の待合室。
ここからも色々なものが消えていきました。
数年前までは、自販機がある辺りに、駅そば兼駅弁屋さんの区画もあったんですけどね…。
そして最近消えたのがこの左側。 -
そう、某大手ネット系ニュースでも報道されていましたが、日本最北のキオスク店舗ですね。
<ロシアの思い出28>
思えば、私にとっての2か国目、3回目の海外旅行があのロシア旅でしたが、この旅を通じて、私はもっと世界を見ないといけない、と思うようになりました。
正直、当時の自分は世間に対して”斜に構えた”見方をしている人間でしたので、逆にソ連崩壊後の色々と混沌とした状況にあったロシアに対して、シンパシーを抱いていた部分もあった訳です。
しかし、このロシアの旅を通じて、自分が結局は”いかに西側に毒された”価値観を無意識の中で保有してきたのか、そして、そもそも自分が”西側”と思っている国々のこともどれだけ理解しているのか、と、自問自答するようになった訳です。
それ以降、暫くは沢山の国を見て回りたい、という欲求の方が強くなりましたが、ロシアの旅において、今でも後悔していることの一つとして、その日々の日記をきちんとつけていなかったことや、お会計の記録などを全く残していなかった、ということがありました。
ロシアからの帰国後半年が経過した1997年3月、大学院にも受かったこともあり、少し解放的な気持ちになっていました。私は新しい自分に生まれ変わろうと、この春に初めて台湾を訪れ、現地で自転車を購入して約10日間の台湾サイクリング旅をしましたが、この旅から、きちんと小ノートに旅に関する会計報告をきちんと残す習慣を持つようになりました。この習慣は今でも続いていて、2017年4月現在のノート番号はNO24となっています。
若い頃の自分は、いちいちお金のことを気にして旅するなんて、何か面白くない、なんて思っていましたが、やはり今回、あの時のロシア旅を振り返るにあたって、メモした記録に基づいて記憶を蘇らせる、なんてことが一切できない訳で、全てが曖昧な記憶の中で、このような記述を続けなければなりませんでした。
人の記憶なんて、頼りないものです。やはり面倒臭くても、旅に関する記録はまめに取りながらその軌跡を残されておくことを、この場を借りて皆様にもお勧め致したいと思います。因みに、私の旅ノートに関しては、スタンプ帳も兼ねていますので、特に日本国内ではスタンプ設置個所が多いので、これらを集めるだけでも結構楽しいものですよ( ´∀` )。 -
最後にこちらを購入して、北海道東日本パス5日目の打ち上げとしましょう。
-
宗谷本線でも南側は結構本数が多くて、”都会”ですが…。
-
流石に終電(正確には”電”ではないので、終汽?)の車内は空いています。
-
私はスマホを持っていないので、ラジコはPCでしか聴けません。
そこで最後は上述のコーヒーを肴に、携帯ラジオで野球を聴きながら…。 -
和寒に到着。
これで漸く、なんだかんだでバタバタ動いた北海道東日本パスの5日目は終了となりました。
<ロシアの思い出29>
さて、ここまでは、私が1996年7月半ば~8月半ばにかけて出かけたロシア旅の具体的な内容について記させて頂きましたが、残りも少なくなってきましたので、ここからはロシア語のことを記させて頂きたいと思います。
そもそも私がロシア、というかソ連に漠然とした興味を抱くようになったのは、1986年4月のチェルノブイリ事故の時でした。物心ついた頃から、時々ソ連関連で新聞の一面を飾っていたニュースが残っているのですが、最初がブレジネフ、次いでアンドロポフ、そしてチェルネンコ、といった書記長の死去のニュースが続く中で、この事故の際には、当初は特に大したことない(というか、当時のソ連の情報統制化では全てが闇の中だった)といった報道でした。
しかし、確かスウェーデンかどこかの西側諸国で、急に高い放射線量値が計測されたことで、西側各国のメディアが騒ぎ出して大事に発展していった、といった流れだったと思うのですが、その時のソ連の”闇”というものが、多感な10代前半の当時の自分には、逆にとても偉大なもののように感じられたのです。不謹慎な言い方かもしれませんが…・。
その後、大学受験の際、私の志望校では、願書の出願時に入学後の第二外国語を選ぶ項があったのですが、理系では3つ(独語・仏語・露語)、文系では4つ(加えて中国語)から選択できるようになっていました。
実は私、現役の時は、独語を選択していた(当時の私はジャーマンメタルに心酔していた(Helloweenとか)ため、ドイツが一番好きだった)のですが、見事落ちてから、翌年は悪運を振り払う(?)ためにも、露語に選択を変えた訳です。
今思えば、あの偉大な”闇”に対しての憧憬からの露語選択だったのかもしれません。和寒駅 駅
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そして翌朝。
案の定、学生さん達が多数並ぶ始発の稚内行きに乗って、北海道東日本パス6日目旅程の開始です。 -
雪解けが比較的早い2017年の春でしたが、やはり4月11日という時期は、まだまだ場所によってはこんな風景が広がっています。
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名寄を過ぎると、車内はガラガラになります。
そして本日のサイクリングの最終目的地であるこちらの駅に到着。
無事、予定通りの汽車に乗車できるかな…。紋穂内駅 駅
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途中、豊清水で列車交換の停車があります。
豊清水駅 駅
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宗谷本線の全線を貫くサボ。
ある意味貴重ですね。
<ロシアの思い出30>
私にとって、そもそもは大学の第二外国語としての出会いから始まったロシア語でしたが、実際に勉強してみると、最初はとにかく難しく感じる言語でした。
まず、英語にはない、”格変化”というのが鬼門で、ロシア語では名刺や形容詞が6つの格(主格・生格・与格・対格・造格・前置格と呼ばれます)に変化し、しかもそれぞれがまた単数と複数で違っていたりします。
また、名詞のジェンダーなどもややこしくて、特に軟音記号で終わる名詞は、女性名詞であることも男性名詞であることもあるので、それぞれの名詞がどちらに該当するか覚えて行かなくてはなりません。男女だけでなく、中性名詞もあります。
その他、動詞の変化も主語によって語尾が6通りに変化しますし、シャ動詞やオバチ動詞といった特殊な変化をする動詞群などもあってこれらがまた面倒臭い…。
しかし、何といっても、ロシア語の場合は文字が違う(キリル文字)ですので、これを覚えることから始めなければなりません。勉強し始めた頃は、正直、こんな難しい言語、出来る訳がない、と、第二外国語として露語を選択してしまったことを後悔していました。 -
特急「スーパー宗谷」、じゃなかった、「サロベツ」2号がやって来ました。
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このお顔がサロベツ、と言われても、イマイチ、ピンときませんね…。
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この日は4月11日、ということで、18きっぷは使えない日付ですが、北海道東日本パスは使えます。
きっと皆さん、同じ切符を所持されていることでしょうね…(;^ω^)。 -
その後は先頭にかぶりつき、接近標識を見ながら…。
まずは天塩川温泉。 -
またそのうち、風呂入りに行かないとなぁ~。
<ロシアの思い出31>
そんなこんなで、最初は四苦八苦していたロシア語学習でしたが、本格的に勉強するようになったきっかけは、教養から学部へと移行する時期のことでした。
本当は理系で入学していたのですが、とある教養時代の生物学実習で、”カエルの解剖”(そんなこと、私に出来る訳がありません!)が必修科目に含まれていたため、当然当日は、解剖には参加せず、サークルの先輩から貰ったレポートを丸写しで提出(どうせ、教授なんて内容見てないだろうと思って…)。そしたら、後になって呼び出されて、このままでは単位はやれん、といわれ、(ちゃんとレポート見てるんかいっ、とツッコミながら)私は、「自分は倫理的な事情で解剖には参加できなかったので」と、半べそかきながら謝ったら、仕方がないから、と、始末書のようなものを書かされて、何とか「可」で単位のみ取得させて貰いました。
しかし、こんなことが学部に入れば、何度もあるのかと思うと気が重くなり、結局、”運良く”文学部に移行できたことを契機に、文学部らしいことをしよう、と思った訳です。
ただ、文学部とは言っても、理系から移行できる枠の文学部は、やはりちょっと理系的なことをやっている文学部で、たまたまそこにいらした先生が、後の私にとっての恩師になる先生で、この先生が、丁度、ロシアの海洋動物の研究調査でロシアにいらしていた時でした。
大学の中では凄く嫌われている先生でしたが、私はこの先生と凄くウマが合って、渡されたロシア語の海洋生物に関する本を、先生に気に入られたい一心で、学部の勉強をそっちのけで、一日中、翻訳して過ごすような日々がしばらく続きました。
勿論、最初はすんなりとはいかずに、半頁を訳すのにも1日がかりだったりもしたのですが、だんだんと法則が解ってきて、そのスピードは上がっていきました。ロシア語は、確かに格変化が多くて、日本語を正確なロシア語に訳すのは難しいと思いますが、逆に、ロシア語を日本語に訳すのに関しては、”正しいロシア語”を、自分にとっての母国語に戻すだけの作業なので、単語の意味さえ分かれば、意外と簡単に出来るんだなと思うようになりました。
この本の翻訳以降、自分もロシア語に対してかなり自信を持つようになり、やはりロシアに行ってみたい、という思いが強くなった訳です。天塩川温泉駅 駅
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咲来の接近標識を確認。
ちゃんと前日にデポした自転車はあるかな~。
(予め、翌日のことをかんガエルて、車窓から見えるように自転車をデポしていきました。) -
そして駅の待合室が見えてきました。
おおっ、無事我が愛車を発見!
一晩、寒風に曝した状態で置き去りにしてゴメンね! -
そして、乗って来た54系をバックに我が愛車と記念撮影。
咲来駅 駅
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バイバ~イ。
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先を急ぐ本日の行程ではありますが、一応もう一度、待合室内に立ち寄っていきましょう。
<ロシアの思い出32>
そもそも私の時代は、いわゆる”就職氷河期”等と言われた頃で、就職の際にロシア語力があった所で、何の得にもならないと言われたものです。
周りの人間を見ていても、同じ語学を勉強するなら、すぐに英語がどうのとか、TOEICやTOEFLがどうのとかいう輩ばかりで、正直、そもそも普通の就職に興味がなかった自分にとっては、”ウゼー”と一蹴していて、自分は「日本に近い所にある国は韓国(&北朝鮮)とロシアだべや」みたいなノリで、この二つの言語ばかり独学で勉強していたので、正直、就職活動(してないけど…(^^;))には全く役立ちませんでした。
こうして20代の頃に一生懸命学習したロシア語でしたが、その後の旅の過程においては、全くロシアという国に対しては遠い存在となってしまい、旅のスタイルも米国や東南アジア、韓国などばかりにハマってしまっていたので、すっかりと忘れてしまっていると思っていました。
ただ、やはり”昔取った杵柄”というのは本当にあるものなんですね。先日札幌のロシア領事館でもらってきたパンフレットを軽く読んでみましたが、単語の意味さえ分かれば、大体は読めます。この点に関しては自分にとっての財産だと思います。
誤解して頂きたくないのは、別に自慢している訳ではなく、ただ、他の人達が英語ばかりやってるときに、違うことをやっていた、というだけのことです。
やはり、頭の柔軟な若いうちに吸収したものは、歳取ってからもそれなりに残っているものですので、特に若い方にはロシア語を勉強して欲しいと思っています。
なのでここからは、残り少なくはなりましたが、特に未来の日露関係を支えて下さる若い方々に、少しでもロシア語を勉強して下さる方が多くなりますよう、私が自身の体験を通じて思う、ロシア語の勉強法や、使えるロシア語などを記させて頂きたいと思います。 -
二日続けての駅ノート記載。
同じ駅でやることって、駅寝でもしない限りはあまりなさそうですね…(^^;)。
二日目はちょっとロシアテイストも入れてみました。(最後の括弧書き、ロシア語の筆記体で”リャグーシカ”と書いております。この単語は絶対にまず覚えて欲しいケロ~。) -
同じ時期でも、音威子府界隈は残雪が和寒よりもずっと多いように感じますね。
駅を出発して自転車を漕ぎ始めたすぐに、咲来に住むおばあちゃんと出会い、少しお話しました。
お耳が遠いようでしたので、あまり長話も何かと思いましたが、とにかく自分が向かおうとしている道路は、恐らくまだ今年になってから車が通らないので、雪で閉鎖中だよ、って言われました。 -
おばあちゃんには悪いと思いながら、こんなけ道路の雪捌けてるんだし、大丈夫でしょ、みたいに少し疑いながら、「まあ自転車だから、雪で通れんかったら担いで通ります」みたいに言って、予定通りこの道沿いに走ります。
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しかし、やはり”亀の甲より年の劫”です。おばあちゃんが仰ったことに偽りはなく、道路が踏切を渡る箇所は、まだこのような冬ごもり状態でした…。
おばあちゃん、疑ったりしてゴメンナサイ…。 -
近くの掲示で確認する限り、この10日後位に踏切の”営業再開”のようでしたが、この時点では”営業前”ということで、ここの線路を自転車担いで渡る、というのは、正確には某○本伊代氏、○見優氏と同じような行為に該当してしまうのかもしれません。
勿論、列車の通行が全くない状況を確認した上で横断させて頂きましたが、関係諸氏の方々、どうかお許し下さい…。
てか、線路一つの侵入でシビアに事をかんガエルなくてはならない日本という国は、本当に大変ですね。
<ロシアの思い出33>
まず、ロシア語学習の際に第一に考えて頂きたいことは、”最初の段階で、格変化とか、ジェンダーとか、細かいことは気にするな”ということです。
大体、現在の日本の語学の教授方法にまず疑問を感じるのは、どうしても文法から入ってしまう側面がある、ということですが、正直、例えばロシアを旅することを主眼にロシア語を勉強したい、とお考えの方には、文法は全くどうでも良かったりします。
ロシア語(きっと他の言語でも同じ)学習における一番はやはり”単語力”だと思います。とにかく特にご興味がある分野の単語を色々とロシア語で覚えて行かれることがまず第一のステップかと思います。
勿論、その前段階として、ロシア語で使用されるキリル文字、そしてその配列は覚えないといけません。これが解らないと辞書が引けませんので…。
でも今は電子辞書が主流の時代だから、そんなの関係なかったりして…。でも語学学習の初期段階においては、昔ながらの紙の辞書を使って、苦労して習得した方が絶対に習熟度合いは高まる、というのが私個人の持論ではあります。 -
そして無事、国道40号線に合流。
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本当は本日の最終目的地とは反対方向になりますが、やはり今回の旅の最大の目的は”トドックスタンプ収集”にありますので、一旦、音威子府の市街地を目指しましょう。
音威子府のトドックスタンプは、この道の駅にあります。 -
この時期でもまだこんな状態の川の様子。
やっぱり音威子府の春の訪れは遅いようですね…。 -
そして駅に到着。
音威子府駅 駅
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そう、最近の普通の鈍行列車旅では、なかなか頂くことが出来るタイミングに恵まれない、ここのお蕎麦を食べて行かないと…。
開店の15分くらい前に順調に到着してしまいました。
<ロシアの思い出34>
ロシアに行かれる機会がある方は、”ロシア語の先生は子供”と思われると良いです。
大人と違って、子供は必要最小限の言葉しか使いませんし、子供に耳で教えてもらう言葉って、必ず記憶に残ります。
私の実体験で申し上げますと、アドヴァンチクというのがありますが、これはタンポポのことですね。子供に教えてもらいました。カムチャッカの子供達が、私の所に綿毛で包まれた沢山の”アドヴァンチク”を携えて、ドゥイ(吹いて)、なんて言ってくる訳です。
子供の言動って、予期せぬことも多いですが、その点で思い出すのが、日本の割り箸を見せた時に、日本語で何ていうの、と聞かれたので、ハシ、と教えてあげた時のことです。
その後、一緒に麺類を食べる機会があって、その子がハサミ、ハサミ、っていってくるんですよね。鋏なんて日本語の単語知ってるんだな、と思っていたら、実はこれは難しく言えば、ハシをロシア語風に複数造格に格変化させて、自前で言葉を創作して話していた訳です。
ロシア語には箸を意味するパーラチキという別の単語がありますが、箸を使って、(by chopstick)と表現するには、パーラチカミ、となる訳で、子供にとっては長くて言い辛いかもしれません。それなら、日本語のハシを複数造格にして表現した方が、簡単なのかもしれないですね。子供の創造力の豊かさに感動した一コマでした。
因みに、子供の発想ですので、そういうことかいっ、ってツッコミたくなる場面もありました。とある子供に、日本の企業名が付されたボールペンを渡したのですが、”トル―、トル―”っていうので、最初、どういう意味かなって、疑問に思いました。ペンは”ルーチカ”だし、書くは”ピサーチ”だし…。
しかし、それは難しく考えすぎで、実はただ、このボールペンに刻まれていたトピー工業のTOPYのアルファベット表記を、ロシア語読みしていただけでした…。(英語のPはロシア語ではエル(英語発音でr)、英語のYはロシア語ではウ―(英語発音でu)となります。
こうした面白い思い出も、子供との交流では絶対に生まれると思いますので、是非、現地では沢山の子供からロシア語を教えてもらって下さい。 -
音威子府駅、といえば、やはり天北線資料室は必見ですね。
あまり展示内容は変わらない気もしますが…(^^;)。
逆にホッとする光景かもしれませんね…。 -
流石、宗谷本線の北部エリアを代表する駅だけあって、駅ノートの充実ぶりにも驚かされますね。
でもここまで来ると、逆に駅ノートマニア的にはコメントの残したくなくなるのが不思議…。 -
そういえば、90年代のサイクリング旅では、この駅構内で、この畳の上に普通に寝て過ごしたものですが、今では宿泊禁止なんて掲示も…。
世知辛い世の中になったものです。
でも、宗谷本線応援の気持ちは勿論私も持っておりますので、こちらのポスターは有り難く頂いていくこととしましょう。 -
そして、先に駅のすぐ傍にある道の駅に行って、音威子府のトドックスタンプをゲット!
Wifiも使えるようになりました by ケロケロマニアさん道の駅 おといねっぷ 道の駅
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そうこうしているうちに、お蕎麦屋さんが開店しました。
本日の一番乗りです(^▽^;)。
この真っ黒のお蕎麦食べるの、本当に久し振り。
味も勿論、最高に美味しいです。
ただ、サイクリング中にはもう少しボリュームが欲しかったりはします。
この量なら2~3杯は軽く行けそうです。
<ロシアの思い出35>
日本国内でのロシア語学習において、注意したいことは、くれぐれも”面倒臭そうな学者肌の人からは学ぶな”ということです。
今は時代が変わってきているのかもしれませんが、そもそも一昔前ですと、特に就職に何の役にも立たないロシア語を学ぶような人は、どこか日本の現代社会に馴染んでいないような、”クセがある”人が多かったように思います。
こうした人の多くはとても内向的で、語学を教える際にもつい難解な文法から説明する人が多くて、それだけでロシア語アレルギーになって、勉強を止めてしまった、という人も沢山見てきました。
時代は変わって、今では上坂すみれさんのような、ロシア推しの声優さん等も活躍されていますし、楽しくロシア語を学ばせてくれるような方に教えを乞うようにして下さい。いつまでも頑張って欲しい駅そばです by ケロケロマニアさん常盤軒 グルメ・レストラン
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昨日の名寄駅前の雨予報が気になっていましたが、私が自転車に乗っている時間帯は何とか天気が持ちそうで一安心。
雨の前、ということもあって、気温も高くて、寧ろ暑さも感じる位の、春先としては絶好のサイクリング日和となりました。 -
でも、音威子府→美深って、平坦と思って走ると、案外、途中上りの箇所が続いて、40代のおっさんには少し体力的に大変…。
お蕎麦だけでは、やはりあまりエネルギーにもなりませんしね…。
サイクリストとしては失格と言える、時速8キロ程度でフーフー言いながら進みます。 -
まだ雪原が拡がる付近の景観。
道路だけ見ていると、ふと別世界に迷い込んだかのような錯覚にも陥ります。 -
往路で列車交換を眺めた豊清水駅の分岐まで漸くやってきました。
ヒ―、まだ2キロもあるのか…。 -
お昼前に何とか豊清水駅に到着です。
<ロシアの思い出36>
最後に、実際のロシア旅で使えると思われる、便利な口語表現の幾つかを。
まずは挨拶に関して、
「こんにちは」は、一般的には「ズドラストヴィーチェ」を使うかと思いますが、私はもっと砕けた感じで使いやすい、「プリヴェット」(よっ、とか、やあ、みたいな感じ)をお勧めしたいと思います。何か、距離が縮まる感じがして好きな言葉です。
「さようなら」も一般的には「ダスビダーニャ」を使うかと思いますが、より砕けた感じで使えるのが「パカー」(じゃあね、みたいな感じ)という言葉です。こちらも、特に子供相手には使いやすい言葉ですが、年配の方にいうのは少し控えた方が良いかもしれません(馬鹿にしているように誤解されることもあるので…。)
「ありがとう」は勿論、「スパシーバ」ですが、感謝の度合いを強めて言いたい時には「ブラガダリュー ヴァス」(直訳すると”貴方に感謝します”)なんて言うと、ちょっと品がある感じがしてお勧めです。豊清水駅 駅
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勿論あります、駅ノート。
音威子府唯一のコンビニ「セイコーマート」で購入した100円おにぎり二つと水筒に入れてきたお茶を頂きながら、取り急ぎ記していきましょう。 -
結構、一杯書いてしまった…。
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さて、ここまで来ると、もう一つの目的地である、美深の道の駅でトドックスタンプをゲットして、その後紋穂内駅まで走る、ことが目標となります。
あまり時間的な余裕がありませんが、果たして間に合うのか…。 -
途中、天塩川を渡ります。
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そして乗車予定の汽車が出発する約30分前に何とか道の駅に到着…。
<ロシアの思い出37>
旅の途上では、まず自分が何をしたいかの意思表示が必要かと思いますので、それに使える表現を。
ヤ ハチュウ~:これは”I want to~”ですね。動詞をそのまま原形で繋げば良いので、動詞の語尾変化を気にせずに使えるのも良いですね。ヤハチュウパイエハチ~、(~へ行きたい)、とか、ヤハチュウイエスチ~(~を食べたい)とか、使いそうな動詞を幾つか覚えておかれると良いかと思います。
グジェ~:これは”Where~"ですね。レストランとかで、グジェ トゥワレト?(トイレ何処?)なんて使うと良いです。
シトーエタ?:これは”What's this?”ですね。子供相手にこれを連発すれば、どんどんと語彙が増えて行くことでしょう。
モジナ?:これは、”May(Can) I~?”ですね。博物館等で、モジナスニマチ?(写真撮っても良いですか)なんて使います。
スコーリカ ストーイト?:これは"How much~?”ですね。ただ、ロシア語は数字が結構面倒臭いので、慣れるまで特に半端な金額の場合は、聴きとるのが難しいかもしれません。尚、ちょっとお洒落な表現として、”カカヤ ツェナー”(直訳すると、”どんなお値段?”)なんてのも、特にご婦人にはお勧めです。道の駅 びふか 道の駅
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無事、美深町のトドックスタンプゲット。
さあ、先を急ぎましょう! -
道の駅や温泉がある辺りは、ちょっとした河跡湖みたいになっていますが、そこもこんな感じで、まだ微妙に凍結していて、幻想的な雰囲気。
まあ、景色に見とれている時間的な余裕はありませんが…。 -
そして、国道から紋穂内駅の分岐点に到着。
残り約20分、果たして間に合うか…。 -
こちらの橋で再び天塩川を渡って…。
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汽車出発の15分前に何とか紋穂内駅に到着。
<ロシアの思い出38>
あと、人とのやり取りの中では、相槌や掛け声的な表現も覚えておくと良いですね。
プラヴダ?:これは共産党の機関紙名にもなっていますが、名詞としては”真実(truth)を意味しますが、”本当?”ってことですね。英語でいう、”really?”同じです。
カニェーシナ:これは”Of course”。勿論、ですね。
ナベールナエ:これは”Maybe"。多分、ですね。
あと、ロシア人が多用する言葉として印象に残っているのが、”ダバイ”。
これは、”Let's”的な意味合いですが、”さあ、行こう”みたいなときに、動詞は省略しても”ダバイ”だけで成り立つので、とても便利な言葉です。
”パジャーリスタ”も使える言葉ですね。一般的には”please”と同じように使う言葉ですが、私がカムチャッカでよく耳にしたのは、”どういたしまして”的な使い方です。”どういたしまして”には、ニーザシト、とか、ネストーイト、という別の表現もありますが、汎用性を考えると、こちらの言葉を覚えておかれる方が便利です。
上述の、許可を求める”モジナ~”で尋ねた場合も、パジャーリスタ、と言われたら大丈夫、ということですので、自分がいう機会も、相手に言われる機会も多い言葉かなと思います。紋穂内駅 駅
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このワニ皮みたいな模様の貨車改造駅舎。
ある意味、骨董価値がある(?)駅だけに、今後もそのままの状態で存続して欲しいものです。
取り急ぎ、自転車をパッキング。
残り時間は約5分です。 -
ここでも急いで、ちょっとずつロシアンテイストを交えながら…(^▽^;)。
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かなり際どかったですが、無事、こちらの汽車に乗り込むことが出来ました。
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こうして、この日はハードで慌ただしいサイクリングのために疲れ果ててしまい、最初はこのまま自転車を比布まで運んで、翌日以降の札幌行きに備えようかなとも思ったのですが、翌日以降は大寒波も訪れるという予想(実際に札幌でも積雪があった位)でもあったので、今回は札幌への自転車持参を諦めて、素直に和寒で降りて、自転車は置いていくこととしました。
4月上旬の北海道は日替わりで冬やら春やら夏やらがやって来るので、本当に大変です。
と言う訳で、北海道東日本パスの6日目旅程はこれにて終了。
最後に和寒のコンビニにて、今回のこれまでの道内旅でゲットした整理券の数々と、ロシアビザの受付整理券、ロシアビザ受領引換証を並べてコピーして、記念に保管することとしました。 -
そして北海道東日本パスの7日目、最終日です。
しかし、前日の疲労がたたって、早朝に出発する気力もなく、最終日は和寒→札幌までの使用で終わってしまうことになりました。
ただ、それだけではちょっと味気ないので、岩見沢の手前、峰延駅にて途中下車。
<ロシアの思い出39>
それ以外にも、便利なロシア語表現は色々あるかと思いますが、もう終わりが近づいてきましたので、一区切りと言う意味で、私が印象に残っているロシア語の幾つかを思い出すがままに、箇条書きで紹介させて頂きたいと思います…。
パニャラ~:これは女性が”わかった”という意味で使う言葉ですが、この言葉を発するときの女の子の顔は、特に可愛く見えたりします。
パズドラヴリャユ~:これはちょっと長いですが、お祝いに使う言葉ですね。
パズドラヴリャユ ヴァス ズ ドニョム ラジデニア、で、お誕生日おめでとうございます、になりますが、長たらしいので、ズ~のみで、表現することも多いです。
因みに新年の挨拶も、ス ノーヴィム ゴーダムといいますが、これも冒頭のパズドラブリャユ~、が省略されたのが一般化している例です。
外国語を学んでいると、逆に下手に長ったらしい単語を覚えてしまったりするものですが、その顕著な例として、私が記憶しているのは、”パリクマーヘルスカヤ”と”ダスタプリメチャーテリナスチ”です。前者は”床屋さん”、後者は”名所・旧跡”という意味です。
ザ~:これは乾杯の時に使える言葉で、一番多いのは、ザ ズダロヴィ(健康のために)とか、ザ シャスチエ(幸福のために)とかですが、何でも使えるので、場が盛り上がってきたら、自身の思い入れがある単語をプラスして使うと良いですね。(私は、酔いが回って来た勢いで、ザ リャグーシカなどといったら、バカ受けして更に飲まされた…(^^;)。)峰延駅 駅
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ここから30分程歩いて三笠の道の駅に向かって、三笠のトドックスタンプを、と思ったのですが、約20分の差でスタンプが設置されていた箇所はクローズしていて、結局今回は無駄足になってしまいました。
まあ、その代わり、こちらの美しい夕焼けを堪能できたので良しとしましょう。国道沿いから眺める夕陽が素晴らしかったです by ケロケロマニアさん道の駅 三笠 道の駅
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そしてその夜は札幌のネットカフェにて一泊。
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季節外れの大寒波に襲われた翌日は、更に”札幌カプセル四天王”の一つにて、24時間パック(2000円)を利用して、風呂に入ったり、リクライニングシートに寝そべったり、そこでPCをいじったりしながら、不毛な一日を過ごします。
下手なネットカフェよりお得な”24時間パック” by ケロケロマニアさんSPA HOTEL ソーレすすきの 宿・ホテル
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そしていよいよ4月14日。
ロシアビザの受領日となりました。
外に出ると、流石に道路上の雪は解けていましたが、こんなちょっとした雪景色も…。4月半ばの札幌とは思えない風景です。 -
幸い、14日は前日の”春の嵐”も収まって、暖かい一日でしたので、一日サウナに篭って体力的にも回復したこともあって、この日は歩いて札幌ロシア総領事館まで向かうことにしました。
そして14時を見計らって総領事館に入り、無事6月渡航用のロシアビザを受領することが出来ました。
こうして、ロシアビザ受領までの北海道東日本パスの後半旅程をメインとした本旅行記はこれにて終了となります。非常に長くなってしまいましたが、最後までご閲覧下さり、どうも有難うございました。あと少しだけ続編がありますので、またお時間がございましたら、お付き合い頂けましたら嬉しく思います。
<ロシアの思い出40>
と言う訳で、色々と長々と記させて頂きましたこちらの項もこれにて終了となります。1996年の夏に滞在した約1か月のロシア旅。記憶だけを頼りに色々と記させて頂きましたが、やはり自分自身にとっても、当時の興奮を思い出すことで、今後のロシア旅のモチベーションを高める良い機会となりました。読み辛い箇所も多数あったかと思いますが、最後までご閲覧下さった方、本当に有難うございました。
緊迫する朝鮮半島情勢の中、ロシアという国を巡る環境も今後どうなっていくのか不透明ですが、少なくとも、”庶民”というレベルでのロシア人は、皆さん素敵な方ばかりで、下手な日本人を相手にするよりもずっと気持ち良く交流出来ます。日本から見れば隣国の一つでもありますので、多くの方がこの国への興味を抱いて下さることを願いつつ、本旅行記の〆とさせて頂きたいと思います。
末筆ながら、これを記しているのは2017年4月26日のことです。現地時間の午前1時23分、日本時間の午前6時23分、あのチェルノブイリ事故から31年目の春を迎えます。正確にはチェルノブイリは現ウクライナ領、そしてその被害者は現ベラルーシ領内に多かったりしますが、この事故がソ連崩壊の一因ともなったこと、そしてあれから30年以上が経過しても、まだ被害は進行中であること、そして同じような惨劇は日本でも続いていく可能性があることなどを鑑みつつ、静かに祈りを捧げさせて頂きます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- オーヤシクタンさん 2017/04/30 00:31:46
- 〔祝〕旅行記200冊達成‥おめでとうございます。
- ケロケロマニア様、こんばんは。
オーヤシクタンでございます。
旅行記200冊達成!
おめでとうございます。
私は少し前に200冊投稿となりましたが、ケロケロマニア様の旅行記はひとつひとつの内容が濃いので、私の200冊と比較したらおそらく300冊くらいの内容だと思います。
又、クチコミの投稿が7267記事と言うのはすごいです。
私は旅行記だけでクチコミになかなか手が回らず、最近は旅行記の執筆も遅れがちになっている有様です。
東日本北海道フリーパスは私も以前、横浜→青森→札幌→釧路→根室→帯広→苫小牧〜八戸→陸奥赤石(五能線)→赤坂田(花輪線)→気仙沼→横浜 と言う行程で使いました。
7日間連続有効なので、どうしても遠くに行く事ばかり考えてしまうのですが、地元でこの旅行記のような使い方もいいですね。
スタンプラリーは私も好きです。
スタンプではないのですが、伊豆急行の各駅を歩いてバッヂがもらえる伊豆急全線ウォークと言うのに参加しました。
さて、ちょっと話しが変わりますが、ケロケロマニア様が札幌のソーレすすきのにいた4月13日‥実は私、短時間でしたが、札幌にいました。
昼頃、雪が降りつけて、駅前は真っ白でした。
札幌発の北斗14号函館行きに乗る予定だったのですが、函館本線で倒木があり、北斗14号は運休になってしまい、後発の北斗16号に振り替えてもらい、新函館北斗発の最終東京行き新幹線になんとか間に合い、23時過ぎに東京に着きました。
振り替えた北斗16号の窓側席がとれず、あの寒さの中、自由席窓側を確保する為に、札幌駅のホームで1時間待ったのはさすがに寒かったですね。
ロシアに行かれるんですね。
和寒からだったら、稚内からフェリーが一番近いはずと思うのですが、サハリン航路、短命に終わってしまいました。
シベリア鉄道で大陸横断でしょうか?
東京は桜が終わってしまいました。
北海道はこれからなんでしょうね。
オーヤシクタン。
- ケロケロマニアさん からの返信 2017/04/30 10:13:56
- RE: 〔祝〕旅行記200冊達成‥おめでとうございます。
- オーヤシクタンさん、こんにちは。
いつもお世話になっております。
お祝いメッセージを有難うございます。
内容が濃いかどうかはともかくとして、やはり旅行記は自己表現の場、だと思っておりますので、出来るだけ自分の個性をお伝えしながら、楽しい内容を、とは心掛けております。でも、オーヤシクタンさんの200冊も相当なものです。てか、会員期間を鑑みると、オーヤシクタンさんの方が余程多くのしっかりとした旅行記を作成されていると思いますよ。非常に尊敬しております。
紀行文的な冒頭とか、各旅行記をリストアップされた旅行記とか、他の方が楽しめるストーリー性は、私もいつも参考にさせて頂いております。あと、私との決定的な違いは、一部、コアなファンがいらっしゃる(?)という、可愛いお目目付きの自撮りシーンでしょうか(^▽^;)。自撮りのためにカメラ設定されている所などを想像しつつ、いつも笑わせて頂いております。どうも有難うございます。
”自己表現”の旅行記とは対照的に、クチコミはもう少し客観性を帯びた素性の媒体だと思っておりますので、こちらはより多くの方に、自身の体験を通じて感じた側面を出来るだけ伝えながら、同じ場所を旅される方の情報源として活用して頂ければ、と思っておりますが、やはり、旅行記と違って、簡単に作成できてしまいますので、自然に数は多くなってしまいますね。
そういえば、オーヤシクタンさんは、神奈川の方でしたね。今回は特に意識せず、格安バスでのJR東日本エリア入りでしたが、さりげなく横浜から旅が始まっている辺りは、何か、オーヤシクタンさんの見えない力(?)に導かれたのかも?どうせなら、旅行記ネタとして鶴見で発券すれば良かったかしら…(;^ω^)。
関東在住の方にとっては、北海道東日本パスの1週間という有効期限は、往復するのには丁度良いのかもしれませんね。私にとっては、実家の名古屋からまず塩尻以北か熱海以東まで、何らかの安い手段で移動して、そこからパスで2〜3日かけて和寒へ、残りは自宅を起点に道内を、という、今回のようなパターンが最近は多いかなと思います。和寒からは基本的に鉄道運賃が高い(旭川までも片道740円もする…)ので、案外、この後半の生活圏に根差した”定期券”的な使い方が、お買い物や図書館に出かけたりするのに便利なんですよね…。
スタンプラリー、どこまで達成できるかわかりませんが、道内179市町村全てを巡る良い機会かなと思って参加しています。鬼門は奥尻や利尻礼文等の離島ですね。利尻に関しては、島内に二町あるのも地味に厄介ですね…(-_-;)。オーヤシクタンさんの旅行記にイズノスケ(でしたっけ?)さんが登場した伊豆急のウォークイベント、開催期間は別として、私も、別の視点(?)から、いつかは部分的にでも参加してみたいと思っております。
おおっ、北海道にもいらしたのですか!てっきりこの間の御連絡から、今春は南方の調査に励んでいらっしゃることかと思いきや!!!流石の行動力ですね!しかもあの”寒の戻り”の絶妙の時期にいらしていたとは…。4月上旬と言う時期は、内地の方にとっては桜とか、完全に春のイメージだと思いますが、実は道民にとってはまだ”冬”なんですよね。この時期に天気が荒れて交通機関に影響が出る、ってことは案外多いように思います。何はともあれ、寒空の下、1時間も札幌駅のホームでお待ちになられた、とのことで、一北海道民として、四月にこんな思いをさせてしまったことをお詫び申し上げます。
個人的な今年の旅の最大のステージはロシアだと思っています。本当は最初の訪露から20周年、チェルノブイリ原発事故から30周年だった昨年に行きたかったのですが、諸事情により今年に行くことにしました。ただ、今のところは緊迫する朝鮮半島情勢がどうなるのかが懸案事項ではあります…。
因みに、サハリン航路ですが、主にサハリン側からの打診で、昨年より別運営で復活しています。ただ、ハートランドの時代と比較すると船があまりにも小さくて驚きですが…。売店とかも一切ないようですし、でも料金が片道18000円と安くなったのは有り難いです。(でももっと長時間を快適に過ごせる関釜フェリーが、最安4000円台位?で乗船できることを考えると、やはりまだまだ高いですね。しかも限定期間の運航しかありませんし…。対馬海峡のように、ラペルズ海峡がもう少し身近な存在となって需要が増え、料金が下がることに期待したいと思います。
因みに最近、本年度の運航スケジュールも発表されましたので、詳細は
https://hs-line.com/index.html
をご覧になってみて下さい。船旅マニアのオーヤシクタンさんの取材を楽しみにしております(^▽^;)。私の今回のロシア旅に関しては、順調でしたら、6月下旬頃から順次UPさせて頂きたいと思っておりますので、どうぞ御期待下さい。
全国的な桜の遅れと比較すると、北海道の桜の開花状況は案外順調なようで、またジンギスカンで騒ぐ、北海道らしい花見がこのGW中も随所で展開されるのかなと思います。私はあまり好きではないのですが…。(人生の儚さを感じながら、一人ひっそりと眺めるのが好きなので…。)和寒の桜が満開になるのは5月10日位になりそうです。
すっかりと長くなってしまいましたが、活発に動かれているオーヤシクタンさんですので、体調などにはくれぐれもご自愛の上、これからも楽しい旅行記を沢山御発表下さいね。
それでは、また!
byケロケロマニア
> ケロケロマニア様、こんばんは。
> オーヤシクタンでございます。
>
> 旅行記200冊達成!
> おめでとうございます。
> 私は少し前に200冊投稿となりましたが、ケロケロマニア様の旅行記はひとつひとつの内容が濃いので、私の200冊と比較したらおそらく300冊くらいの内容だと思います。
> 又、クチコミの投稿が7267記事と言うのはすごいです。
> 私は旅行記だけでクチコミになかなか手が回らず、最近は旅行記の執筆も遅れがちになっている有様です。
>
> 東日本北海道フリーパスは私も以前、横浜→青森→札幌→釧路→根室→帯広→苫小牧〜八戸→陸奥赤石(五能線)→赤坂田(花輪線)→気仙沼→横浜 と言う行程で使いました。
> 7日間連続有効なので、どうしても遠くに行く事ばかり考えてしまうのですが、地元でこの旅行記のような使い方もいいですね。
> スタンプラリーは私も好きです。
> スタンプではないのですが、伊豆急行の各駅を歩いてバッヂがもらえる伊豆急全線ウォークと言うのに参加しました。
>
> さて、ちょっと話しが変わりますが、ケロケロマニア様が札幌のソーレすすきのにいた4月13日‥実は私、短時間でしたが、札幌にいました。
> 昼頃、雪が降りつけて、駅前は真っ白でした。
> 札幌発の北斗14号函館行きに乗る予定だったのですが、函館本線で倒木があり、北斗14号は運休になってしまい、後発の北斗16号に振り替えてもらい、新函館北斗発の最終東京行き新幹線になんとか間に合い、23時過ぎに東京に着きました。
> 振り替えた北斗16号の窓側席がとれず、あの寒さの中、自由席窓側を確保する為に、札幌駅のホームで1時間待ったのはさすがに寒かったですね。
>
> ロシアに行かれるんですね。
> 和寒からだったら、稚内からフェリーが一番近いはずと思うのですが、サハリン航路、短命に終わってしまいました。
> シベリア鉄道で大陸横断でしょうか?
> 東京は桜が終わってしまいました。
> 北海道はこれからなんでしょうね。
>
> オーヤシクタン。
>
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