2013/11/03 - 2013/11/03
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itaruさん
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イースター島3日目は日曜日。現地ツアーを催行する「Aku Aku Turismo」は日曜日はお休み。レンタル自転車を借りて島を走り尽くす。体力勝負で観光します
10月29日 JAL3002便 大阪(伊丹)8時15分→東京(成田) 9時35分
JAL 6便 東京(成田)11時10分→ニューヨーク(JFK) 10時55分
JAL7626便 JFK 20時→サンチアゴ 翌7時10分
30日 (LAN航空便) サンチアゴ観光 サンチアゴ泊
31日 サンチアゴ観光 サンチアゴ泊
11月1日 LAN 847便 サンチアゴ 9時15分→イースター島 12時55分
オロンゴ儀式村など観光 イースター島泊
2日 現地ツアー(ラノララクなど) イースター島泊
3日 ★ レンタル自転車で観光 イースター島泊
4日 午前中バンガロア村散策
LAN842便 イースター島 14時10分→サンチアゴ 20時55分
サンチアゴ泊
5日 午前中 ワイナリー観光
JAL7621便 サンチアゴ 22時25分→(リマ)→ロサンゼルス 7時25分
(LAN航空便)
6日 JAL7015便 ロサンゼルス 11時30分→東京(成田) 16時20分
(アメリカン航空便)
JAL3007便 東京(成田)18時30分→大阪(伊丹)19時55分
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自転車 徒歩
- 航空会社
- アメリカン航空 JAL ラタム チリ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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手軽なツアーでまわるのも楽だけど、自転車でマイペースで世界遺産の島を巡るのもいいかな。日本にいるときも、ママチャリで片道20キロくらいまではOK。軽い気持ちで自転車を借りて走り出しました。料金は意外と高かったという印象はあるのだけれど、いくらだったかは覚えてない。8000ペソくらいだったかな
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本格的に走り出す前に博物館に立ち寄ります。途中、前日のツアーで一緒だった人たちと顔を合わせた笑顔であいさつ。1日1~2便程度の飛行機しかないのだから、観光客だって限られるから、何度も会うことになるわなあ(笑)。で、やってきた博物館。ちょっと場所が分かりづらいです。まず目にしたのが女性のモアイ。初日に寄ったアブ・ピナフの女性モアイと違って、これは女性だと分かります。このモアイの胴体部分は最初トール・ヘイエンダールに発見(1956年)され、ノルウェーで展示されていたけれど、1988年に頭部が発見されるとイースター島に返還されたそうです
セバスティアン エングレルト神父人類学博物館 (イースター島博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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コハウ・ロンゴ・ロンゴというイースター島の古代の文字を記した木版。隙間なく書かれた象形文字は宣教師の記録によるとイースター島の各家庭にあったそうです。残念ながら、スペインの植民地ではよくあったことですが、キリスト教以外の邪教の文字として忌避され、残っているものはごくわずか(世界中で28個といわれています)。この文字の価値に気付いた時にはすでに意味を理解する人はいなくなり、現在でも解読されていないそうです
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ごく一部だけ解明されたこの文字はユニークな読み方をするそうです。まず右から左に読み、端まで読み進むと板を上下逆さまにして2行目を右から左に読む。板を回しながら読む(面倒くさいことをよく考えたとか思ったりして)という不思議なものなんだそうです。
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これはアフ・ナウ・ナウで発見されたモアイの目。1978年、この目が発見されるまではモアイに本当に目があったのか、分からなかったそうです
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目が発見されなかった理由、それは目にマナ=霊力が宿るため、モアイ倒し戦争の時に率先して破壊されたと考えられているのだとか。このモアイの目の白目の部分は白サンゴ、赤い部分は凝灰岩でつくられているそうです
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モアイ・カバ・カバ。トゥ・コ・イフという首長が散歩中に出会ったアクアク(精霊)の姿を表している木像です
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細く、浮き出た肋骨が印象的。う~ん、精霊というイメージには程遠いんですが
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別館に展示されていた彫像。タンガタ・マヌ(鳥人間)を現代風にアレンジしたのかな、と思ったけどどうなのかな
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博物館見学を終えて、西海岸のオフロードを自転車で走ります。で、このオフロードがかなりの悪路。岩むき出して、4WDでも厳しいんじゃない、ってところもあるくらい。実際に一回では乗り越えられない4WDもいたし(苦笑)。借りたのはオフロードのマウンテンバイクだったけど、さすがに無理って感じで自転車から降りて手押しで進むようなところも。そんな私の苦労とは関係なく、馬たちはのんびりと草を食んでいますが
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オフロードの難儀な道と同じく西海岸の海岸線ってなかなか荒々しく。こんな風景が続きます
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アナ・カケンガ。島にたくさんある洞窟の一つです
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洞窟を抜けると……。こんなところで足を踏み外したら……
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モアイだけじゃない、イースター島の一面を見た気がします
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Ana Te Pora。ガイドブックに説明はなし。ここに来る観光客はさすがに少ないです
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波が岩壁打ち付けられます
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絶景です。全盛期にはこの断崖沿いにもモアイが立っていたを思うと感慨深い
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15分ほど進むと、目の前に太平洋が広がる断崖の上に広がるアフ・テ・ペウへ
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石を並べたハレ・バカ(ボートハウス)。ハレが住居、バカがカヌーを意味していて、島内のアフの近くに数多くあるもの。アフ・テ・ペウには島内最大となる80メートルのものがあります
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イースター島の伝説にはホト・マトゥアという王が2艘のカヌーで島に上陸したといいうものがあります。王はカヌーを住居にしたという説もあり、ハレ・バンカがつくられるようになったと言われています。
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かなり荒廃が進んでいます。いたるところに転がっている石の数々。アフから転がり落ちたんでしょうか。
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アフから転がり落ちているモアイたち
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アフはかなり大きく、往時は大部族が住んでいたと思われています
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風雨にさらされているモアイの頭部。このまま朽ちていくのでしょうか
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アフの石に埋もれたモアイ。崩壊した遺跡感が半端ない。もの悲しげな眼で見られているよう
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ここにもハレ・バカが
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海岸線を離れて内陸に方向をかえて15分。たどり着いたのがアナ・テ・パフ。ガイドブックによると、イースター島には200の洞窟があり、ここは全長4キロ近くという最大規模のもの。島民の避難先や住居としても使われたようで、石のベッドや竈の跡などが残っています。懐中電灯がなければ奥に進むことはできないけれど、所々、洞窟の上部が崩れて日がさすところもあるのである程度は中に入っていくことも可能です。ということで、入り口付近だけ
アナ テ パフ 洞穴・鍾乳洞
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小高い丘に向けてペダルをこぎ続けます。多少は道の状態が良くはなったけれど未舗装なうえ、上り坂。日が照りつけるような天候でないけれど、汗が噴き出てきて体力をどんどん消耗していきます。20分ほどで何とかアフ・アキビ到着です
アフ アキビ 建造物
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7体のモアイが並ぶアフ・アキビ。1960年、アメリカ人のウィリアム・マロイとチリ人のゴンザレス・フィゲロアという2人の考古学者によって立てられました。考古学者によって初めて立てられたモアイたちです
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この7体のモアイ、宮崎県のサン・メッセ日南に立てられたモアイのオリジナルです。アフ・トンガリキの復元に日本が協力したことのお礼として、世界で唯一コピーを許されているのだとか
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正面から見ると、ふくよかな印象を受けるモアイは横からみるとかなりスマート。有名な観光地のはずだけど、日曜だったからか時間帯のせいか、私のほかにはグループ1組だけ。ゆっくり観光して、警備の人に記念写真を撮ってもらった(笑)
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一般的なモアイは部族の守り神であり、力の象徴ということもあって海を背に村を見下ろすように立っています。唯一違うのがアフ・アキビのモアイ。小高い丘の上から海を眺めています。夕陽を眺めるモアイ、朝陽を背に受けるモアイなんてのも絵になりそうです
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アフ・アキビを離れ、30分ほどペダルをさらに踏み続けます。昼食のことを考えずに食料を持たずに走っていたので体力が~。道の状態は良くなってきたんだけど。何とかプナ・パウへ
プナ パウ 自然・景勝地
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後期のモアイに欠かせないプカオ(髷)の産出地です
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ここは島で唯一赤茶の石が採れます
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切り出したプカオが転がっています
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プナ・パウから眺めるハンガロア村
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前日に続き、午前中は雲が多く、昼過ぎから晴れ間が広がっていく感じです
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遊歩道沿いに転がるプカオたち
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高貴なものの象徴である赤い石を使ったプカオ。1個で10トンもの重量があります
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ここから15体のモアイが並ぶアフ・トンガリキまでは直線距離で12キロ。人力だけでよく運んだなと
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ある程度主要なポイントは抑えたけれど、前日に見逃したところもあるので南海岸へ向かいます。登りに苦しんできたけど、ここから南海岸は下りが基本。道も舗装されているし、一気にいきます
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30分ほどでアフ・ハンガ・テーに着きました。馬がのんびりお食事中(笑)
アフ ハンガ テー 建造物
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アフ・ハンガ・テーのそばにたつモアイ。アフがありません。1998年に島民よってててられたそうです
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8体のモアイがうつ伏せに倒れたアフ・ハンガ・テー
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顔が見えないようにうつ伏せに倒されたモアイたち。転がっているプカオが物悲しい
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アフの前にサークル状に石を並べたパイーナがみえます。モアイに目を入れる儀式などの使われたと考えられているそうです
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海すれすれの場所に倒れているモアイたち。波の激しい日など浸食されたりないのでしょうか。
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波打ち際に転がっているプカオ。今後、どうやって次の世代に貴重な世界遺産を残していくか。大きな課題のような気がします
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このプカオはどのモアイの頭部の載っていたのでしょうか
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さらに15分走るとアフ・ハンガ・テテンガです
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砕けたモアイが……
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打ち寄せる波が自然の厳しさを物語るようです
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アフ・テ・ピト・クラに並んで最大級のモスクがたっていたそうです
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さて道路の向かいに巨大なモアイが倒れています
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ラノララクから海岸まで一本の道が通っています。アラ・オ・テ・モアイ(モアイの道)と呼ばれる道沿いにはモアイが点々と倒れています。これを見るとモアイが一人で歩いて海岸まで行ったという説が生まれるのも良くわかります
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海岸まであと少しだったけど、気力が続かず倒れてしまいました。って感じかな
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時間は午後5時半、昼食抜きで私の気力も尽きそう。レンタル自転車の返却時間もあるし、そろそろ戻りましょう
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ハンガロア村まで舗装した道というのはありがたい。でも、アップダウンはかなりあるのできつかった
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夕食はシーフードスープ。美味しくいただきました
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