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〔旅のテーマ〕<br />○”中国とは何か”ということを感じ取る。<br /><br />〔日程〕<br />1日目<br />07:10 東京国際空港(羽田)発(CA422)<br />09:55 北京首都国際空港着<br />■天安門広場<br />■人民大会堂<br />■故宮博物院(紫禁城)<br />■盧溝橋<br />■中国人民抗日戦争記念館<br />■北京華育賓館(キングパークビューホテル・宿泊先)<br /><br />2日目<br />■八達嶺長城(万里の長城)<br />17:20 北京首都国際空港発(CA183)<br />21:30 東京国際空港着<br /><br />※1人民元≒18円<br />※参考文献、資料、サイト<br />『地球の歩き方 北京2016-17』(ダイヤモンド社)、『長安から北京まで』(司馬遼太郎、中央公論社)、朝日新聞デジタル、産経ニュース、共同ニュース、日経トレンディネット、人民網日本語版、都市計画論文集(日本都市計画学会)、ウィキペディア、コトバンク、ロシア情報サイトおそロシ庵、国際統計専門サイトグローバルノートなど

【行けば分かるさ】北京ひとり旅

24いいね!

2017/01/17 - 2017/01/18

466位(同エリア5154件中)

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norisuke

norisukeさん

〔旅のテーマ〕
○”中国とは何か”ということを感じ取る。

〔日程〕
1日目
07:10 東京国際空港(羽田)発(CA422)
09:55 北京首都国際空港着
■天安門広場
■人民大会堂
■故宮博物院(紫禁城)
■盧溝橋
■中国人民抗日戦争記念館
■北京華育賓館(キングパークビューホテル・宿泊先)

2日目
■八達嶺長城(万里の長城)
17:20 北京首都国際空港発(CA183)
21:30 東京国際空港着

※1人民元≒18円
※参考文献、資料、サイト
『地球の歩き方 北京2016-17』(ダイヤモンド社)、『長安から北京まで』(司馬遼太郎、中央公論社)、朝日新聞デジタル、産経ニュース、共同ニュース、日経トレンディネット、人民網日本語版、都市計画論文集(日本都市計画学会)、ウィキペディア、コトバンク、ロシア情報サイトおそロシ庵、国際統計専門サイトグローバルノートなど

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
航空会社
中国国際航空
旅行の手配内容
個別手配
利用旅行会社
エクスペディア

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  • 6月(予定)の第一子誕生を控え、これから当分の間は海外旅行がお預けになるため、妻から特別の許可をもらって北京行きを決意したのが、旅行の約1週間前。それから、航空券やホテルを手配し、『地球の歩き方』を購入するなど、とても準備万全といえる状況ではなかったが、”あとはどうにかなる!”という思いで旅行当日を迎えた。※おかげさまで5月11日に無事男子が生まれました。<br /><br />自宅を4時過ぎに出発し、徒歩で横浜シティエアターミナル(YCAT)へ。5時発の京急リムジンバスに乗り、約45分で羽田空港国際線ターミナルに到着=写真=。”24時間空港”だけあって、ターミナルは早朝にもかかわらずにぎわったようす。日本人よりもアジア系観光客の姿が多く、インバンド効果を実感することができた。

    6月(予定)の第一子誕生を控え、これから当分の間は海外旅行がお預けになるため、妻から特別の許可をもらって北京行きを決意したのが、旅行の約1週間前。それから、航空券やホテルを手配し、『地球の歩き方』を購入するなど、とても準備万全といえる状況ではなかったが、”あとはどうにかなる!”という思いで旅行当日を迎えた。※おかげさまで5月11日に無事男子が生まれました。

    自宅を4時過ぎに出発し、徒歩で横浜シティエアターミナル(YCAT)へ。5時発の京急リムジンバスに乗り、約45分で羽田空港国際線ターミナルに到着=写真=。”24時間空港”だけあって、ターミナルは早朝にもかかわらずにぎわったようす。日本人よりもアジア系観光客の姿が多く、インバンド効果を実感することができた。

    羽田空港 第3旅客ターミナル 空港

  • ”あれ、こんなに大きかったっけ?”。2012年のソウル旅行(http://4travel.jp/travelogue/10728079)以来、久しぶりに羽田空港を利用した小生は、変貌し続ける国際線ターミナルの姿にやや驚かされた。14年に完了した国際線ターミナルの拡張工事によって、延べ床面積は15万9000平米から23万6000平米に、スポット数は10から18に拡大したという。

    ”あれ、こんなに大きかったっけ?”。2012年のソウル旅行(http://4travel.jp/travelogue/10728079)以来、久しぶりに羽田空港を利用した小生は、変貌し続ける国際線ターミナルの姿にやや驚かされた。14年に完了した国際線ターミナルの拡張工事によって、延べ床面積は15万9000平米から23万6000平米に、スポット数は10から18に拡大したという。

  • 一昨年の香港旅行(http://4travel.jp/travelogue/11085533)に続き、今回もANA特典航空券を利用したが、さすがにぎりぎりでの手配ということもあり、ANA便は全滅。予約できたのは、ANAとコードシェアをしている中国国際航空(CA、2万マイル使用)だった。中国人旅行客らでほぼ満席のCA422便(A320型機)=写真=は定刻、北京に向けて羽田空港を飛び立った。

    一昨年の香港旅行(http://4travel.jp/travelogue/11085533)に続き、今回もANA特典航空券を利用したが、さすがにぎりぎりでの手配ということもあり、ANA便は全滅。予約できたのは、ANAとコードシェアをしている中国国際航空(CA、2万マイル使用)だった。中国人旅行客らでほぼ満席のCA422便(A320型機)=写真=は定刻、北京に向けて羽田空港を飛び立った。

  • 中国語を早口にまくし立てる不愛想な女性客室乗務員など、日本人にとって”アウェイ感”が漂う中国国際航空機。出発から約1時間後に提供された機内食は”ビーフヌードル(牛肉あんかけ麺)”=写真=を選んだ。エコノミー座席に個人モニターはなく、機内エンターテインメントも充実していなかったため、持参したiPodで母校の校歌や古賀メロディなどを聴いているうちに、心細い機内で何かしらのアイデンティティが沸き上がり、目頭が熱くなってしまった(´Д⊂ヽ

    中国語を早口にまくし立てる不愛想な女性客室乗務員など、日本人にとって”アウェイ感”が漂う中国国際航空機。出発から約1時間後に提供された機内食は”ビーフヌードル(牛肉あんかけ麺)”=写真=を選んだ。エコノミー座席に個人モニターはなく、機内エンターテインメントも充実していなかったため、持参したiPodで母校の校歌や古賀メロディなどを聴いているうちに、心細い機内で何かしらのアイデンティティが沸き上がり、目頭が熱くなってしまった(´Д⊂ヽ

  • 最終の着陸態勢に入った中国国際航空機。北京は快晴の予報だったが、眼下に広がっていたのは、街全体が燻されているような、何ともいえない不気味な光景だった=写真=。”はたして無事に帰れるのだろうか”と、しばし暗澹たる思いに陥った。<br /><br />■北京で深刻な大気汚染続く 欠航多発、高速道路も閉鎖(共同通信)<br />http://www.47news.jp/news/2017/01/post_20170104185713.html

    最終の着陸態勢に入った中国国際航空機。北京は快晴の予報だったが、眼下に広がっていたのは、街全体が燻されているような、何ともいえない不気味な光景だった=写真=。”はたして無事に帰れるのだろうか”と、しばし暗澹たる思いに陥った。

    ■北京で深刻な大気汚染続く 欠航多発、高速道路も閉鎖(共同通信)
    http://www.47news.jp/news/2017/01/post_20170104185713.html

  • 約20分遅れて、北京首都国際空港に到着。2014年のベトナム旅行(http://4travel.jp/travelogue/10849408)の帰路に乗り継ぎで利用して以来の同空港だったが、中国最大、アジア最大級、世界第二の規模というだけあり、”とにかく巨大”という印象は変わらず。降機してから、空港と北京市中心部を結ぶエアポートエクスプレス(機場快軌、片道25元)=写真=の乗り場まで実によく歩いた。

    約20分遅れて、北京首都国際空港に到着。2014年のベトナム旅行(http://4travel.jp/travelogue/10849408)の帰路に乗り継ぎで利用して以来の同空港だったが、中国最大、アジア最大級、世界第二の規模というだけあり、”とにかく巨大”という印象は変わらず。降機してから、空港と北京市中心部を結ぶエアポートエクスプレス(機場快軌、片道25元)=写真=の乗り場まで実によく歩いた。

    エアポートエクスプレス 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)

  • 渋滞する道路を横目に、快調にひた走るエアポートエクスプレスに乗車して約25分。東直門(Dongzhimen)駅で地下鉄2号線に乗り換え、建国門(Jianguomen)駅=写真=で同1号線に再び乗り換えた。<br /><br />2014年に高齢者が2億1千万人(高齢化率15.5%)に達した中国とはいえ、日本(同26%)と比べれば、地下鉄の車内を見渡すと圧倒的に若者の姿が多く、そのほとんどがスマホに夢中のようす。一時期、日本を訪れる中国人観光客のマナーの悪さが注目されたが、駅のホームでは、ボランティア(?)の人たちが、駆け込み乗車防止やゆずり合いなどのマナー向上を呼びかけるなど、中国人が”真の大国”の国民(人民)へ脱皮を図り模索する姿を垣間見たような気がした。

    渋滞する道路を横目に、快調にひた走るエアポートエクスプレスに乗車して約25分。東直門(Dongzhimen)駅で地下鉄2号線に乗り換え、建国門(Jianguomen)駅=写真=で同1号線に再び乗り換えた。

    2014年に高齢者が2億1千万人(高齢化率15.5%)に達した中国とはいえ、日本(同26%)と比べれば、地下鉄の車内を見渡すと圧倒的に若者の姿が多く、そのほとんどがスマホに夢中のようす。一時期、日本を訪れる中国人観光客のマナーの悪さが注目されたが、駅のホームでは、ボランティア(?)の人たちが、駆け込み乗車防止やゆずり合いなどのマナー向上を呼びかけるなど、中国人が”真の大国”の国民(人民)へ脱皮を図り模索する姿を垣間見たような気がした。

    建国門駅

  • 王府井(Wangfujing)駅で下車して地上へ。”おー寒い!”と思わず声に出てしまうほど、地上は顔面を突き刺すような寒さ。王府井は、デパートや飲食店などが並ぶ北京随一の繁華街といわれる場所だけに、多くの人でにぎわっていたが、南側に数分も歩くと、異国情緒あふれる落ち着いた雰囲気に=写真=。<br /><br />この辺りは東交民巷(Dongjiao Minxiang)と呼ばれ、清朝のころは、欧米や日本などの公使館街を形成し、1900(明治33)年に起きた義和団事件の舞台にもなった。現在は、最高人民法院(最高裁)や北京市人民政府(市役所)などが建ち並ぶ官庁街である一方、伝統的な町並みを保存するため、歴史文化保護区に指定され、開発規制などが行われているという。

    王府井(Wangfujing)駅で下車して地上へ。”おー寒い!”と思わず声に出てしまうほど、地上は顔面を突き刺すような寒さ。王府井は、デパートや飲食店などが並ぶ北京随一の繁華街といわれる場所だけに、多くの人でにぎわっていたが、南側に数分も歩くと、異国情緒あふれる落ち着いた雰囲気に=写真=。

    この辺りは東交民巷(Dongjiao Minxiang)と呼ばれ、清朝のころは、欧米や日本などの公使館街を形成し、1900(明治33)年に起きた義和団事件の舞台にもなった。現在は、最高人民法院(最高裁)や北京市人民政府(市役所)などが建ち並ぶ官庁街である一方、伝統的な町並みを保存するため、歴史文化保護区に指定され、開発規制などが行われているという。

  • 東交民巷と正義路が交わる場所に建つのが、かつて横浜正金銀行北京支店だった建物(現中国法院博物館)=写真=。赤レンガとドーム屋根が特徴で、横浜・馬車道に現存する旧同行本店などを手がけた妻木頼黄(よりなか)の設計により、1910(明治43)年に完成。東交民巷地区に残る近代建築のひとつとして、2001年に全国重点文物保護単位(日本の国宝や重文に相当)に指定された。<br /><br />2013年の上海旅行(http://4travel.jp/travelogue/10849401)の際、かつて横浜正金銀行(正金)だった建物を訪れたはずが、帰国後に違うビルであることが判明。そのため、海外に残る正金を”ゲット”したのは今回が初めてで、小生はやや興奮気味。ヨコハマの歴史を誇りに思うハマッ子のひとりとして、これからも折に触れて、”正金をたどる旅”を続けようと心に決めた。<br /><br />【横浜正金銀行】<br />1880(明治13)年に、半官半民の外国為替専門銀行として設立。日露戦争以後は満蒙で植民地銀行の役割も果たし、最盛期には世界三大為替銀行のひとつに数えられた。1946(昭和21)年に設立された東京銀行(現三菱東京UFJ銀)に引き継いで解散した。正金とは現金という意味。

    東交民巷と正義路が交わる場所に建つのが、かつて横浜正金銀行北京支店だった建物(現中国法院博物館)=写真=。赤レンガとドーム屋根が特徴で、横浜・馬車道に現存する旧同行本店などを手がけた妻木頼黄(よりなか)の設計により、1910(明治43)年に完成。東交民巷地区に残る近代建築のひとつとして、2001年に全国重点文物保護単位(日本の国宝や重文に相当)に指定された。

    2013年の上海旅行(http://4travel.jp/travelogue/10849401)の際、かつて横浜正金銀行(正金)だった建物を訪れたはずが、帰国後に違うビルであることが判明。そのため、海外に残る正金を”ゲット”したのは今回が初めてで、小生はやや興奮気味。ヨコハマの歴史を誇りに思うハマッ子のひとりとして、これからも折に触れて、”正金をたどる旅”を続けようと心に決めた。

    【横浜正金銀行】
    1880(明治13)年に、半官半民の外国為替専門銀行として設立。日露戦争以後は満蒙で植民地銀行の役割も果たし、最盛期には世界三大為替銀行のひとつに数えられた。1946(昭和21)年に設立された東京銀行(現三菱東京UFJ銀)に引き継いで解散した。正金とは現金という意味。

  • 王府井駅から寄り道をしながら歩くこと30分。テロを警戒して自由な出入りが制限された、天安門広場の南東側にある保安検査ゲートにたどり着いた=写真=。検査の列に並ぶその多くは、地元中国の人たちで、日本のマイナンバーカードのような身分証を係官に提示し、金属探知機とX線による検査を受けていた。小生も”我是日本人!”とアピールしてパスポートを提示。無事検査を通過し、いよいよ天安門広場へ。<br /><br />地下鉄などの鉄道利用時も、保安検査が必要な中国。北京の地下鉄では朝夕のラッシュ時に、検査待ちの大行列が問題になっているといい、多くの矛盾を抱えた中国国内で頻発するテロ事件が、市民生活に影を落としていることを実感した。<br />

    王府井駅から寄り道をしながら歩くこと30分。テロを警戒して自由な出入りが制限された、天安門広場の南東側にある保安検査ゲートにたどり着いた=写真=。検査の列に並ぶその多くは、地元中国の人たちで、日本のマイナンバーカードのような身分証を係官に提示し、金属探知機とX線による検査を受けていた。小生も”我是日本人!”とアピールしてパスポートを提示。無事検査を通過し、いよいよ天安門広場へ。

    地下鉄などの鉄道利用時も、保安検査が必要な中国。北京の地下鉄では朝夕のラッシュ時に、検査待ちの大行列が問題になっているといい、多くの矛盾を抱えた中国国内で頻発するテロ事件が、市民生活に影を落としていることを実感した。

  • 天安門広場キタ━━━(゚∀゚).━━━!!!<br />南北880メートル、東西500メートルにわたって花崗岩が敷き詰められた、世界最大の広場というだけあってとにかく広く、大気汚染の影響で、数百メートル先にある天安門がかすんで見えるほど=写真=。<br /><br />毛沢東による建国宣言や、多数の市民が犠牲になった天安門事件など、数々の歴史の舞台になった天安門広場。いたるところで武装警察(武警)隊員が監視の目を光らせ、やや張り詰めた空気だったが、中国全土からはるばるやって来たであろう地元中国の人たちは、大勢で記念撮影をしたり、おみやげ用の小さな中国国旗(五星紅旗)を振り回すなど大はしゃぎだった。

    天安門広場キタ━━━(゚∀゚).━━━!!!
    南北880メートル、東西500メートルにわたって花崗岩が敷き詰められた、世界最大の広場というだけあってとにかく広く、大気汚染の影響で、数百メートル先にある天安門がかすんで見えるほど=写真=。

    毛沢東による建国宣言や、多数の市民が犠牲になった天安門事件など、数々の歴史の舞台になった天安門広場。いたるところで武装警察(武警)隊員が監視の目を光らせ、やや張り詰めた空気だったが、中国全土からはるばるやって来たであろう地元中国の人たちは、大勢で記念撮影をしたり、おみやげ用の小さな中国国旗(五星紅旗)を振り回すなど大はしゃぎだった。

    天安門広場 広場・公園

  • 全国人民代表大会(全人代)や中国共産党大会が開かれ、外国使節などの賓客をもてなす場所でもある人民大会堂、毛沢東の遺体を安置、公開する毛主席紀念堂、中国の古代から近代にいたる文物資料の収蔵、展示する中国国家博物館などの巨大建造物が、横断禁止の大通りを挟んで、広場を取り囲むようにずらりと建ち並び、歩行者は地下道=写真=を歩いて、広場とそれぞれの建物を行き来できるようになっていた。

    全国人民代表大会(全人代)や中国共産党大会が開かれ、外国使節などの賓客をもてなす場所でもある人民大会堂、毛沢東の遺体を安置、公開する毛主席紀念堂、中国の古代から近代にいたる文物資料の収蔵、展示する中国国家博物館などの巨大建造物が、横断禁止の大通りを挟んで、広場を取り囲むようにずらりと建ち並び、歩行者は地下道=写真=を歩いて、広場とそれぞれの建物を行き来できるようになっていた。

  • 天安門広場の西側に面してそびえ立つ人民大会堂=写真=は、建国10周年の記念事業のひとつとして1959年に建設。3万人を動員し、わずか10カ月で完成したといい、延べ床面積が17万平方メートルを超える巨大な建物には、毎年3月に開かれる全人代や、5年に一度の中国共産党大会の会場となる大会議場「万人大礼堂」のほか、外国使節などの賓客をもてなす、「四川庁」や「上海庁」など、各省・都市の名を冠したレセプションホールなど、大小合わせ約300の部屋があるという。<br /><br />”特別の行事がない限り見学できるが、見学時間は毎日変動する”という観光客泣かせの人民大会堂だが、この日は無事、中に入ることができた。ただこれまで、米・ワシントンの連邦議会議事堂や、韓国・ソウルの国会議事堂、台湾・台北の総統府(旧総督府)庁舎など、”威信の象徴”とも言うべき建物の見学が無料だったのに対し、威信やメンツに過剰なまでに反応する(!?)中国の人民大会堂では、入館料(30元)を徴収されたということにやや戸惑いを覚えた。ワシントンでは、世界最高水準のスミソニアン博物館が、すべて無料で開放されていることなどを考えると、米中における”懐の深さ”の違い(=国力の差)は依然として大きいと思わざるをえなかった。

    天安門広場の西側に面してそびえ立つ人民大会堂=写真=は、建国10周年の記念事業のひとつとして1959年に建設。3万人を動員し、わずか10カ月で完成したといい、延べ床面積が17万平方メートルを超える巨大な建物には、毎年3月に開かれる全人代や、5年に一度の中国共産党大会の会場となる大会議場「万人大礼堂」のほか、外国使節などの賓客をもてなす、「四川庁」や「上海庁」など、各省・都市の名を冠したレセプションホールなど、大小合わせ約300の部屋があるという。

    ”特別の行事がない限り見学できるが、見学時間は毎日変動する”という観光客泣かせの人民大会堂だが、この日は無事、中に入ることができた。ただこれまで、米・ワシントンの連邦議会議事堂や、韓国・ソウルの国会議事堂、台湾・台北の総統府(旧総督府)庁舎など、”威信の象徴”とも言うべき建物の見学が無料だったのに対し、威信やメンツに過剰なまでに反応する(!?)中国の人民大会堂では、入館料(30元)を徴収されたということにやや戸惑いを覚えた。ワシントンでは、世界最高水準のスミソニアン博物館が、すべて無料で開放されていることなどを考えると、米中における”懐の深さ”の違い(=国力の差)は依然として大きいと思わざるをえなかった。

    人民大会堂 現代・近代建築

  • ”社会主義の発展と革命の達成を、摩天楼で表現し、労働者を鼓舞することを狙った”、”無駄に豪華!無駄にでかい!”というスターリン様式で建設された人民大会堂。ふんだんに使われた大理石や、いくつも吊り下げられたシャンデリア、いたるところに飾られた中国の風景を描いた巨大な絵画など、当時の粋を集めた館内は、まさに豪華絢爛といったようす。写真は玄関ホール。

    ”社会主義の発展と革命の達成を、摩天楼で表現し、労働者を鼓舞することを狙った”、”無駄に豪華!無駄にでかい!”というスターリン様式で建設された人民大会堂。ふんだんに使われた大理石や、いくつも吊り下げられたシャンデリア、いたるところに飾られた中国の風景を描いた巨大な絵画など、当時の粋を集めた館内は、まさに豪華絢爛といったようす。写真は玄関ホール。

  • 1万もの座席が整然と並ぶ「万人大礼堂」。この巨大な空間が年に一度、中国全土から集まった人たちでいっぱいになる光景がありありと浮かび、中国という国のスケールの大きさをあらためて実感した。

    1万もの座席が整然と並ぶ「万人大礼堂」。この巨大な空間が年に一度、中国全土から集まった人たちでいっぱいになる光景がありありと浮かび、中国という国のスケールの大きさをあらためて実感した。

  • レセプションホールのひとつ、「上海庁」で目を引くのが、発展著しい上海・浦東地区を描いた大絵画。

    レセプションホールのひとつ、「上海庁」で目を引くのが、発展著しい上海・浦東地区を描いた大絵画。

  • ”一つの中国(=台湾を国家として認めない)”を国是とする中国らしく、「台湾庁」と名付けられた部屋もあったが、扉は固く閉ざされ、中をうかがい知ることはできなかった。

    ”一つの中国(=台湾を国家として認めない)”を国是とする中国らしく、「台湾庁」と名付けられた部屋もあったが、扉は固く閉ざされ、中をうかがい知ることはできなかった。

  • ”天命を受けて安定した国を治める”という思いが込められた天安門=写真=は、故宮(紫禁城)の正門。現在の建物は清朝時代(1651年)のもので、当時は重要な法律や命令などがこの門から発せられたという。1949(昭和24)年10月1日、毛沢東はこの場所で中国の建国を高らかに宣言。正面には毛沢東の肖像画(10年に一度塗り替えられる)と、”中華人民共和国万歳””世界人民大団結万歳”というスローガンが掲げられている。<br /><br />天安門前のいたるところで、”自撮り棒”を使って思い思いのポーズをとる、地元中国の人たちは一様に無邪気な笑顔。厳粛な空気は微塵もなく、誤解を恐れずに言えば、東京ディズニーランドのシンボルであるシンデレラ城の前に立っているかのような雰囲気だった。国章に描かれる中国の”聖地”でさえ、テーマパークに変えてしまう中国人の強烈なパワーをまざまざと見せつけられた思いがした。

    ”天命を受けて安定した国を治める”という思いが込められた天安門=写真=は、故宮(紫禁城)の正門。現在の建物は清朝時代(1651年)のもので、当時は重要な法律や命令などがこの門から発せられたという。1949(昭和24)年10月1日、毛沢東はこの場所で中国の建国を高らかに宣言。正面には毛沢東の肖像画(10年に一度塗り替えられる)と、”中華人民共和国万歳””世界人民大団結万歳”というスローガンが掲げられている。

    天安門前のいたるところで、”自撮り棒”を使って思い思いのポーズをとる、地元中国の人たちは一様に無邪気な笑顔。厳粛な空気は微塵もなく、誤解を恐れずに言えば、東京ディズニーランドのシンボルであるシンデレラ城の前に立っているかのような雰囲気だった。国章に描かれる中国の”聖地”でさえ、テーマパークに変えてしまう中国人の強烈なパワーをまざまざと見せつけられた思いがした。

    天安門 建造物

  • 天安門をくぐり抜けてすぐの場所にあった”快餐庁”(ファーストフード店)で食べた、牛バラ煮込みかけご飯(38元)=写真=は、”こんな味だろう”という予想を見事に裏切る味付けで、とても”うまい”といえる代物でなかった。インターネットなどによると、訪日した中国人にとって日本の中華料理は、”甘くて口に合わない”という。確かに、日本人がよく口にする”甘み”というものが、牛バラ煮込みかけご飯にはほとんど無く、日本で慣れ親しんだ”中華料理”と、北京っ子が食べる”中国料理”は、似て非なるものであるということを思い知った。<br /><br />■日本の中華料理は中国人の口には合わない?(教えて!goo)<br />https://oshiete.goo.ne.jp/qa/748850.html

    天安門をくぐり抜けてすぐの場所にあった”快餐庁”(ファーストフード店)で食べた、牛バラ煮込みかけご飯(38元)=写真=は、”こんな味だろう”という予想を見事に裏切る味付けで、とても”うまい”といえる代物でなかった。インターネットなどによると、訪日した中国人にとって日本の中華料理は、”甘くて口に合わない”という。確かに、日本人がよく口にする”甘み”というものが、牛バラ煮込みかけご飯にはほとんど無く、日本で慣れ親しんだ”中華料理”と、北京っ子が食べる”中国料理”は、似て非なるものであるということを思い知った。

    ■日本の中華料理は中国人の口には合わない?(教えて!goo)
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/748850.html

  • 快餐庁では、八角の風味のきいた甘い味付けの”中国版ソーセージ(香腸、8元)”=写真=も食べてみた。インターネットなどによると、”ソーセージなのに甘い”という点で、日本人観光客の間では賛否両論あるようだが、台湾ソーセージ好きの小生は、このあと街頭で何度か買い求めるほど気に入ってしまった。

    快餐庁では、八角の風味のきいた甘い味付けの”中国版ソーセージ(香腸、8元)”=写真=も食べてみた。インターネットなどによると、”ソーセージなのに甘い”という点で、日本人観光客の間では賛否両論あるようだが、台湾ソーセージ好きの小生は、このあと街頭で何度か買い求めるほど気に入ってしまった。

  • いよいよ、”宇宙(=中華思想)の中心”、故宮へ。入場料は40元。<br /><br />【故宮】<br />中国・北京にある明・清朝の宮城、紫禁城のこと。中華民国成立以後は故宮と呼ばれている。1407年に永楽帝が国都を北京に移すと同時に建設を始めた。東西約760メートル、南北約960メートルの広大な地域で、高い城壁に囲まれた中に、正殿である太和殿をはじめ多くの建物が整然と配置されている。<br /><br />【故宮博物院(北京)】<br />北京の紫禁城内にある博物館。1914年に紫禁城などに所蔵されていた宝物類を展示する古物陳列所が設立され、25年に故宮博物院として開館した。第二次世界大戦中に一部を遺失し、戦後十数万点の物品は台湾へ持出されて台北の故宮博物院に展示されている。

    いよいよ、”宇宙(=中華思想)の中心”、故宮へ。入場料は40元。

    【故宮】
    中国・北京にある明・清朝の宮城、紫禁城のこと。中華民国成立以後は故宮と呼ばれている。1407年に永楽帝が国都を北京に移すと同時に建設を始めた。東西約760メートル、南北約960メートルの広大な地域で、高い城壁に囲まれた中に、正殿である太和殿をはじめ多くの建物が整然と配置されている。

    【故宮博物院(北京)】
    北京の紫禁城内にある博物館。1914年に紫禁城などに所蔵されていた宝物類を展示する古物陳列所が設立され、25年に故宮博物院として開館した。第二次世界大戦中に一部を遺失し、戦後十数万点の物品は台湾へ持出されて台北の故宮博物院に展示されている。

    故宮博物院 城・宮殿

  • ”中国の歴史をもっと勉強しておけばよかった!”。これまで中国の歴史にほとんど興味がなかった小生は、忸怩たる思いを抱きながら、広大な故宮をやや急ぎ足で歩いた。写真は、皇帝の即位や婚礼などの重要な儀式の舞台になった太和殿。

    ”中国の歴史をもっと勉強しておけばよかった!”。これまで中国の歴史にほとんど興味がなかった小生は、忸怩たる思いを抱きながら、広大な故宮をやや急ぎ足で歩いた。写真は、皇帝の即位や婚礼などの重要な儀式の舞台になった太和殿。

  • 滞在時間の目安が2-6時間とされている故宮には結局、南北を急ぎ足で突っ切っただけのかたちになってしまい、わずか1時間ほどの滞在だった。その後、地下鉄5号線の東四(Dongsi)駅まで歩き(約20分)、宋家荘(Songjiazhuang)駅で同10号線に乗り換え、西局(Xiju)駅で下車。駅前で客待ちしていたタクシーの運転手=写真=に、”ルーコウチアオ!”と行き先を告げ、次なる目的地を目指した。

    滞在時間の目安が2-6時間とされている故宮には結局、南北を急ぎ足で突っ切っただけのかたちになってしまい、わずか1時間ほどの滞在だった。その後、地下鉄5号線の東四(Dongsi)駅まで歩き(約20分)、宋家荘(Songjiazhuang)駅で同10号線に乗り換え、西局(Xiju)駅で下車。駅前で客待ちしていたタクシーの運転手=写真=に、”ルーコウチアオ!”と行き先を告げ、次なる目的地を目指した。

  • タクシーに乗って約15分(25元)。とうとう、盧溝橋にたどり着いた=写真=。<br /><br />日中が全面戦争に突入する発端となった盧溝橋事件(1937年、中国では七七事変)の現場であり、戦争に勝利した中国にとっては、”愛国主義教育模範基地”のひとつになっている盧溝橋(正確には盧溝橋からすぐの場所にある、「中国人民抗日戦争記念館」が指定)。そのような場所だけに当初は緊張気味の小生だったが、真冬の夕方ということもあって人通りは少なくのどかな時間が流れており、やや拍子抜けしてしまった。<br /><br />この時小生は、戦争映画『レマゲン鉄橋』や『遠すぎた橋』のように、盧溝橋をめぐる日中両軍の攻防が盧溝橋事件だと思い込み、”向こうから日本軍が攻めてきたんだろうな”などと橋上で感慨にふけっていたが、帰国後にそれはまったくの思い違いであったことが判明。諸説あるようだが、正しくは”盧溝橋周辺”で繰り広げられた日中両軍の衝突を指して、盧溝橋事件というとのこと。<br /><br />【盧溝橋事件】<br />1937(昭和12)年7月7日夜、北京郊外の盧溝橋近くで演習していた日本軍に何者かが発砲したとして、翌朝から日本軍が北京周辺の中国軍への攻撃を開始。事件後、戦線は中国各地に拡大し、日中は全面戦争に突入した。

    タクシーに乗って約15分(25元)。とうとう、盧溝橋にたどり着いた=写真=。

    日中が全面戦争に突入する発端となった盧溝橋事件(1937年、中国では七七事変)の現場であり、戦争に勝利した中国にとっては、”愛国主義教育模範基地”のひとつになっている盧溝橋(正確には盧溝橋からすぐの場所にある、「中国人民抗日戦争記念館」が指定)。そのような場所だけに当初は緊張気味の小生だったが、真冬の夕方ということもあって人通りは少なくのどかな時間が流れており、やや拍子抜けしてしまった。

    この時小生は、戦争映画『レマゲン鉄橋』や『遠すぎた橋』のように、盧溝橋をめぐる日中両軍の攻防が盧溝橋事件だと思い込み、”向こうから日本軍が攻めてきたんだろうな”などと橋上で感慨にふけっていたが、帰国後にそれはまったくの思い違いであったことが判明。諸説あるようだが、正しくは”盧溝橋周辺”で繰り広げられた日中両軍の衝突を指して、盧溝橋事件というとのこと。

    【盧溝橋事件】
    1937(昭和12)年7月7日夜、北京郊外の盧溝橋近くで演習していた日本軍に何者かが発砲したとして、翌朝から日本軍が北京周辺の中国軍への攻撃を開始。事件後、戦線は中国各地に拡大し、日中は全面戦争に突入した。

    盧溝橋 建造物

  • 永定河(旧盧溝)にかかる盧溝橋は、金代の1193年に完成した全長260メートルの石橋で、11のアーチで構成されており、欄干にはそれぞれ異なる姿、表情の獅子=写真=が約500体並んでいる。元代にこの地を訪れたマルコ・ポーロは『東方見聞録』の中で、”世界中どこを探しても匹敵するものがないほどの見事さ”と称賛し、Marco Polo Bridge(マルコポーロ橋)との別名も。

    永定河(旧盧溝)にかかる盧溝橋は、金代の1193年に完成した全長260メートルの石橋で、11のアーチで構成されており、欄干にはそれぞれ異なる姿、表情の獅子=写真=が約500体並んでいる。元代にこの地を訪れたマルコ・ポーロは『東方見聞録』の中で、”世界中どこを探しても匹敵するものがないほどの見事さ”と称賛し、Marco Polo Bridge(マルコポーロ橋)との別名も。

  • 永定河=写真=は、上流域での砂漠化やダム建設などによる流量低下で、年間のほとんどが涸れ川になっているといい、”川というより池だな”という感想も、帰国後に納得。

    永定河=写真=は、上流域での砂漠化やダム建設などによる流量低下で、年間のほとんどが涸れ川になっているといい、”川というより池だな”という感想も、帰国後に納得。

  • かつて北京と華中・南などを結ぶ交通の要衝だった盧溝橋の橋頭堡として、1640年(明代)、永定河の東岸につくられた宛平県城。

    かつて北京と華中・南などを結ぶ交通の要衝だった盧溝橋の橋頭堡として、1640年(明代)、永定河の東岸につくられた宛平県城。

    宛平城 城・宮殿

  • ”城門をくぐるとそこは街だった”。周囲約1キロにわたる城壁の内側には、近年、歴史的な街並みに復元されたという城郭都市が広がっていた。<br /><br />【城郭都市】<br />市街地の周囲が石またはれんがの城壁で取り囲まれた都市。ヨーロッパ、アジアの旧都などがこれにあたり、治安の不安定な地域では、一般集落でも城壁を構えるものがあった。日本の古代の地方都市には低い土塁を巡らしたものがみられ、大陸からの影響と考えられるが、中世、近世には領主の城館だけが城郭をもち、城下町の住民が城外に居住するのが、大陸の城郭都市と違う特色といえる。

    ”城門をくぐるとそこは街だった”。周囲約1キロにわたる城壁の内側には、近年、歴史的な街並みに復元されたという城郭都市が広がっていた。

    【城郭都市】
    市街地の周囲が石またはれんがの城壁で取り囲まれた都市。ヨーロッパ、アジアの旧都などがこれにあたり、治安の不安定な地域では、一般集落でも城壁を構えるものがあった。日本の古代の地方都市には低い土塁を巡らしたものがみられ、大陸からの影響と考えられるが、中世、近世には領主の城館だけが城郭をもち、城下町の住民が城外に居住するのが、大陸の城郭都市と違う特色といえる。

  • その城郭都市のほぼ中央にあったのが、中国人民抗日戦争記念館=写真=。日中戦争の侵略と抵抗の歴史などを総合的に伝える博物館として、1987年に開館。江沢民政権下の97年には、愛国主義教育模範基地に指定されるなど、中国における”愛国教育の殿堂”というべき存在で、これまでに国内外から約1700万人が訪れたという。<br /><br />残念ながら、最終入場時間(16時)に間に合わず見学できなかった。閉ざされたゲート越しに眺めた白亜の建物の前では、遠足の子どもたちが無邪気に遊ぶなどとても穏やかな時間が流れていた。日本人が思わず目を背けたくなるような館内の展示内容と、その安穏とした雰囲気との落差に、日本人として得も言われぬ気持ちになった。

    その城郭都市のほぼ中央にあったのが、中国人民抗日戦争記念館=写真=。日中戦争の侵略と抵抗の歴史などを総合的に伝える博物館として、1987年に開館。江沢民政権下の97年には、愛国主義教育模範基地に指定されるなど、中国における”愛国教育の殿堂”というべき存在で、これまでに国内外から約1700万人が訪れたという。

    残念ながら、最終入場時間(16時)に間に合わず見学できなかった。閉ざされたゲート越しに眺めた白亜の建物の前では、遠足の子どもたちが無邪気に遊ぶなどとても穏やかな時間が流れていた。日本人が思わず目を背けたくなるような館内の展示内容と、その安穏とした雰囲気との落差に、日本人として得も言われぬ気持ちになった。

    中国人民抗日戦争記念館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 大通りから一歩路地に入れば、そこは”昔ながらの中国”。

    大通りから一歩路地に入れば、そこは”昔ながらの中国”。

  • 低学年と思しき女の子が大通りで配っていた、特売チラシの食品スーパー「京客隆(Jingkelong) 盧溝橋店」は、城郭都市を通り抜けてすぐの場所にあった。頭上にはためく色とりどりの装飾や、露店で売られるさまざまな商品、両手いっぱいの買い物袋を持った地元の人々など、店舗前の広場では、”店の中に入って本当に大丈夫かな”と、思わず躊躇してしまうようなパワフルな光景が広がっていた=写真=。<br /><br />京客隆は香港証券取引所に上場する北京拠点の中堅スーパーで、コンビニなども展開。店舗数は北京で二番目の規模を誇るという。

    低学年と思しき女の子が大通りで配っていた、特売チラシの食品スーパー「京客隆(Jingkelong) 盧溝橋店」は、城郭都市を通り抜けてすぐの場所にあった。頭上にはためく色とりどりの装飾や、露店で売られるさまざまな商品、両手いっぱいの買い物袋を持った地元の人々など、店舗前の広場では、”店の中に入って本当に大丈夫かな”と、思わず躊躇してしまうようなパワフルな光景が広がっていた=写真=。

    京客隆は香港証券取引所に上場する北京拠点の中堅スーパーで、コンビニなども展開。店舗数は北京で二番目の規模を誇るという。

  • 意を決して足を踏み入れると、店内はいたって普通の食品スーパー。生鮮食品や菓子、日用品などをざっと見て、”地元のイオンの方が安いかも”という感想。

    意を決して足を踏み入れると、店内はいたって普通の食品スーパー。生鮮食品や菓子、日用品などをざっと見て、”地元のイオンの方が安いかも”という感想。

  • 北京を含む華北や東北地方(旧満州)では主食として食べられるという饅頭(マントウ)。店内では、横浜の中華街でも見たことのないさまざまな饅頭や包子(パオズ、具や餡が入った饅頭)が売られていた=写真=。妻へのおみやげとして、麻花(マーホア)などの中国菓子を購入し、同店をあとにした。

    北京を含む華北や東北地方(旧満州)では主食として食べられるという饅頭(マントウ)。店内では、横浜の中華街でも見たことのないさまざまな饅頭や包子(パオズ、具や餡が入った饅頭)が売られていた=写真=。妻へのおみやげとして、麻花(マーホア)などの中国菓子を購入し、同店をあとにした。

  • 同店から歩くこと約30分、途中で何度もくじけそうになりながら、やっとたどり着いた大瓦窯(Dawayao)駅で地下鉄14号線に乗車し、七里荘(Qilizhuang)駅で同9号線、白石橋南(Baishiqiao South)駅で同6号線に乗り換え、南鑼鼓巷(Nanluoguxiang)駅で下車。同駅から20分ほど歩き、今晩の宿泊先である「華育賓館(キングパークビューホテル)」に無事チェックインすることができた。エクスペディアで予約したダブルベッドルーム(1泊5千円)=写真=は、手入れが行き届き実に快適だった。

    同店から歩くこと約30分、途中で何度もくじけそうになりながら、やっとたどり着いた大瓦窯(Dawayao)駅で地下鉄14号線に乗車し、七里荘(Qilizhuang)駅で同9号線、白石橋南(Baishiqiao South)駅で同6号線に乗り換え、南鑼鼓巷(Nanluoguxiang)駅で下車。同駅から20分ほど歩き、今晩の宿泊先である「華育賓館(キングパークビューホテル)」に無事チェックインすることができた。エクスペディアで予約したダブルベッドルーム(1泊5千円)=写真=は、手入れが行き届き実に快適だった。

    キング パークビュー ホテル ホテル

  • ホテルは、故宮の北隣にある景山公園にほど近い、飲食店や商店などが軒を連ねる、沙灘后街(Shatanhou Jie)という通りに面した場所あり、周辺は地元の人々が行き交う庶民的な光景が広がっていた=写真=。

    ホテルは、故宮の北隣にある景山公園にほど近い、飲食店や商店などが軒を連ねる、沙灘后街(Shatanhou Jie)という通りに面した場所あり、周辺は地元の人々が行き交う庶民的な光景が広がっていた=写真=。

  • 夕食はホテルからすぐの「撒拉家特色拉面」という、地元の人たちでにぎわった食堂に入ってみた。<br /><br />【撒拉(サラール)族】<br />青海省南東部の黄河畔地域を中心に居住する少数民族。イスラム教を信仰しており、人口約10万5千人(2000年)。言語はウイグル語やウズベク語に近く、祖先は元代にサマルカンド地方から移住したという伝承をもつ。サラールは”剣を振るう者”の意があるといい、元や明代に軍事力として利用された。

    夕食はホテルからすぐの「撒拉家特色拉面」という、地元の人たちでにぎわった食堂に入ってみた。

    【撒拉(サラール)族】
    青海省南東部の黄河畔地域を中心に居住する少数民族。イスラム教を信仰しており、人口約10万5千人(2000年)。言語はウイグル語やウズベク語に近く、祖先は元代にサマルカンド地方から移住したという伝承をもつ。サラールは”剣を振るう者”の意があるといい、元や明代に軍事力として利用された。

  • まったく言葉が通じず、店内に貼られていた写真の中から数品を指先注文。まず最初に出てきた牛肉麺=写真=は、中国において一般的な料理だというが、出汁があまり利いておらずとても薄味で、麺もひやむぎのような食感。昼の牛バラ煮込みかけご飯と同じく、あまりうまいといえる代物でなかった。

    まったく言葉が通じず、店内に貼られていた写真の中から数品を指先注文。まず最初に出てきた牛肉麺=写真=は、中国において一般的な料理だというが、出汁があまり利いておらずとても薄味で、麺もひやむぎのような食感。昼の牛バラ煮込みかけご飯と同じく、あまりうまいといえる代物でなかった。

  • 昼食に続き、またしても期待が裏切られ大いに困惑する中、次に出てきた牛肉炒飯=写真=も微妙な味付けで、もはや小生は意気消沈( ゚Д゚)

    昼食に続き、またしても期待が裏切られ大いに困惑する中、次に出てきた牛肉炒飯=写真=も微妙な味付けで、もはや小生は意気消沈( ゚Д゚)

  • 食べ慣れない香辛料がふんだんにまぶされた羊肉串(羊の串焼き)=写真=も、残念ながら小生の口には合わなかった。日本で慣れ親しんだ”中華料理”と、北京っ子が食べる”中国料理”は、似て非なるものであるということあらためてを思い知った。帰国したら行きつけの中華料理店で、レバニラ定食を食べようと心に決めて(^_^;)、同店をあとにした。

    食べ慣れない香辛料がふんだんにまぶされた羊肉串(羊の串焼き)=写真=も、残念ながら小生の口には合わなかった。日本で慣れ親しんだ”中華料理”と、北京っ子が食べる”中国料理”は、似て非なるものであるということあらためてを思い知った。帰国したら行きつけの中華料理店で、レバニラ定食を食べようと心に決めて(^_^;)、同店をあとにした。

  • 20時時ごろ、ホテルに帰還。シャワーを浴びた後に見た、TVドラマに登場の旧日本軍将校=写真=は、”バカヤロー”とすぐ怒鳴るようなステレオタイプではなく、誠実で思慮深く、侵略者としての葛藤も抱えているような人物に描かれていた。制作側の意図が何なのか疑問に思ったが、3時起きの小生に、もはやそれを考えるだけの体力は残っていなかった(´0`)zzz

    20時時ごろ、ホテルに帰還。シャワーを浴びた後に見た、TVドラマに登場の旧日本軍将校=写真=は、”バカヤロー”とすぐ怒鳴るようなステレオタイプではなく、誠実で思慮深く、侵略者としての葛藤も抱えているような人物に描かれていた。制作側の意図が何なのか疑問に思ったが、3時起きの小生に、もはやそれを考えるだけの体力は残っていなかった(´0`)zzz

  • 翌朝は6時起床。昨日に比べると北京の空はだいぶ澄んでいたが、肌を突き刺すような寒さは相変わらず。7時オープンの朝食会場に通じる屋上テラスからは、故宮の玄武門(北門)=写真左の楼門=や、景山公園=同中央の丘=などを一望することができた。弾丸旅行のため、滞在2日目にして最終日の今日は、いよいよ万里の長城を訪れる。

    翌朝は6時起床。昨日に比べると北京の空はだいぶ澄んでいたが、肌を突き刺すような寒さは相変わらず。7時オープンの朝食会場に通じる屋上テラスからは、故宮の玄武門(北門)=写真左の楼門=や、景山公園=同中央の丘=などを一望することができた。弾丸旅行のため、滞在2日目にして最終日の今日は、いよいよ万里の長城を訪れる。

  • その前にまずは腹ごしらえということで、天井から色とりどりの輪飾りがぶら下がった、子ども向け英会話教室のような朝食会場へ。別料金(38元)の朝食は、”洋・中”バイキングスタイルで、小生お気に入りの香腸や饅頭のほか、なぜかお菓子のように甘いサラダなど=写真=を、朝からモリモリいただいた。

    その前にまずは腹ごしらえということで、天井から色とりどりの輪飾りがぶら下がった、子ども向け英会話教室のような朝食会場へ。別料金(38元)の朝食は、”洋・中”バイキングスタイルで、小生お気に入りの香腸や饅頭のほか、なぜかお菓子のように甘いサラダなど=写真=を、朝からモリモリいただいた。

  • チェックアウト後、ホテルの全景=写真=を撮影していたら、先ほどのフロントマンが駆け寄って来て、”料金を多く取り過ぎてしまったから戻って来てくれ”とのこと。日本であれば平謝りのはずだが、そこは”謝らない国”の中国で、二度目の精算も淡々とした雰囲気だった。”ただ単に日本人が謝り過ぎなのかもしれない”ということを、北京の三流ホテルで思ってみたり、みなかったり。

    チェックアウト後、ホテルの全景=写真=を撮影していたら、先ほどのフロントマンが駆け寄って来て、”料金を多く取り過ぎてしまったから戻って来てくれ”とのこと。日本であれば平謝りのはずだが、そこは”謝らない国”の中国で、二度目の精算も淡々とした雰囲気だった。”ただ単に日本人が謝り過ぎなのかもしれない”ということを、北京の三流ホテルで思ってみたり、みなかったり。

  • ホテルの前には、かつてこのエリアにあった北京大学の数学研究棟(原北京大学数学系楼)として使われていたという古い建物=写真=が残っていた。現在もこのエリアには、国家文物局(文化財保護と博物館の管理運営を行う政府機関)や博物館、出版社などが建ち並び、歴史のある文教地区らしい落ち着いたたたずまいを所々で感じることができた。

    ホテルの前には、かつてこのエリアにあった北京大学の数学研究棟(原北京大学数学系楼)として使われていたという古い建物=写真=が残っていた。現在もこのエリアには、国家文物局(文化財保護と博物館の管理運営を行う政府機関)や博物館、出版社などが建ち並び、歴史のある文教地区らしい落ち着いたたたずまいを所々で感じることができた。

  • 街中は通勤ラッシュの真っ只中。殺気立った自動車や、背後からほぼ無音で近付いてくる電動スクーターやトロリーバス=写真=などに注意を払いながら、昨夜も利用した最寄りの南鑼鼓巷駅まで30分ほどかけて歩いた。<br />

    街中は通勤ラッシュの真っ只中。殺気立った自動車や、背後からほぼ無音で近付いてくる電動スクーターやトロリーバス=写真=などに注意を払いながら、昨夜も利用した最寄りの南鑼鼓巷駅まで30分ほどかけて歩いた。

  • 南鑼鼓巷駅から地下鉄8号線に乗り、鼓楼大街(Gulou Dajie)駅で同2号線に乗り換え、積水潭(Jishuitan)駅で下車。同駅から歩いて5分ほどの場所に建つ、かつて北京にあった九城門の一つである、徳勝門箭楼(現北京市古代銭幣展覧館)=写真奥の建物=前のバス乗り場から、北京近郊の長城の中で観光地として最も整備が進んでいるという、八達嶺長城行きのノンストップ路線バス(877路直達、12元)=写真手前のバス=に乗り込んだ。休日などには乗車待ちの大行列ができるというが、厳寒期の平日ということもあり、待ち時間なしに乗車することができた。

    南鑼鼓巷駅から地下鉄8号線に乗り、鼓楼大街(Gulou Dajie)駅で同2号線に乗り換え、積水潭(Jishuitan)駅で下車。同駅から歩いて5分ほどの場所に建つ、かつて北京にあった九城門の一つである、徳勝門箭楼(現北京市古代銭幣展覧館)=写真奥の建物=前のバス乗り場から、北京近郊の長城の中で観光地として最も整備が進んでいるという、八達嶺長城行きのノンストップ路線バス(877路直達、12元)=写真手前のバス=に乗り込んだ。休日などには乗車待ちの大行列ができるというが、厳寒期の平日ということもあり、待ち時間なしに乗車することができた。

    徳勝門箭楼 (北京市古代銭幣展覧館) 史跡・遺跡

  • すぐに乗車できたといっても、バスは、”満員になり次第出発”という弾丸ツーリスト泣かせの運行で、その上、日本の路線バスとほぼ同じ大きさの車体にもかかわらず、座席配置はまさかの3×3というありさま=写真=。バス乗り場前で立ち売りしていた茹でトウモロコシをほお張る中年男性の横で、腕時計をにらみながら押し黙ること約30分、満員になった877路直達号は八達嶺長城に向けてやっと走り出した。<br /><br />北京市内を順調にひた走るバスの車窓から気付いたのが、すれ違う乗用車がベンツやBMW、ポルシェなどの高級車ばかりだということ。世界第2位の経済大国になったとはいえ、1人当たりのGDPは8千ドル程度(2016年)に過ぎず、一方で貧富の格差が拡大する中国国民にとって、乗用車は依然として”高嶺の花”であるということが何となく理解できた。2009年以降、米国を抜いて自動車販売台数が首位になった中国だが、人口千人あたりの保有台数は91台(2014年)にとどまり、日本の602台(同)や、米国の799台(同)には、まだまだ遠く及ばない状況だという。

    すぐに乗車できたといっても、バスは、”満員になり次第出発”という弾丸ツーリスト泣かせの運行で、その上、日本の路線バスとほぼ同じ大きさの車体にもかかわらず、座席配置はまさかの3×3というありさま=写真=。バス乗り場前で立ち売りしていた茹でトウモロコシをほお張る中年男性の横で、腕時計をにらみながら押し黙ること約30分、満員になった877路直達号は八達嶺長城に向けてやっと走り出した。

    北京市内を順調にひた走るバスの車窓から気付いたのが、すれ違う乗用車がベンツやBMW、ポルシェなどの高級車ばかりだということ。世界第2位の経済大国になったとはいえ、1人当たりのGDPは8千ドル程度(2016年)に過ぎず、一方で貧富の格差が拡大する中国国民にとって、乗用車は依然として”高嶺の花”であるということが何となく理解できた。2009年以降、米国を抜いて自動車販売台数が首位になった中国だが、人口千人あたりの保有台数は91台(2014年)にとどまり、日本の602台(同)や、米国の799台(同)には、まだまだ遠く及ばない状況だという。

  • 877路直達号は路線バスだというのに、なぜかガイド(男性)が乗車。言葉が分からず内容は理解できなかったが、出発から到着までの約1時間半、乗客との問答や歌などを交えた楽しい案内が続き、車内はバスツアーのような雰囲気だった。<br /><br />到着後、歩いて長城を目指す観光客にとってまったく必要のない、”スライドカー”と呼ばれる、麓と長城を結ぶトロッコのような乗り物(乗車券100元+入場券40元)へ、そのガイドが乗客を誘導するということを事前に把握していたため、難なく回避してしばらく歩くと、ついに長城の威容が眼前に現れた=写真=。

    877路直達号は路線バスだというのに、なぜかガイド(男性)が乗車。言葉が分からず内容は理解できなかったが、出発から到着までの約1時間半、乗客との問答や歌などを交えた楽しい案内が続き、車内はバスツアーのような雰囲気だった。

    到着後、歩いて長城を目指す観光客にとってまったく必要のない、”スライドカー”と呼ばれる、麓と長城を結ぶトロッコのような乗り物(乗車券100元+入場券40元)へ、そのガイドが乗客を誘導するということを事前に把握していたため、難なく回避してしばらく歩くと、ついに長城の威容が眼前に現れた=写真=。

    八達嶺/万里の長城 城・宮殿

  • 万里の長城キタ━━━(゚∀゚).━━━!!!<br />城壁が稜線に沿ってどこまでも続く壮大な風景を目の前にして、呆然と立ち尽くす暇もなく、押し寄せる地元中国の人たちの多さの方に、圧倒させられてしまった。ベストシーズンの休日ともなると、10万人近くの観光客が殺到し、足の踏み場もなくなるほどの混雑になるという( ゚Д゚)<br /><br />【万里の長城】<br />中国北部を東西に走る城壁。紀元前から、北方からの異民族侵入を防ぐために築かれ、秦の始皇帝が大増築した。現存する部分の多くは、明の時代に新たに築かれた。1987年に世界文化遺産に登録。中国国家文物局は2012年、東は黒竜江省から西は新疆ウイグル自治区まで15の省、自治区、直轄市にまたがり、全長は約2万1千キロに上るとの調査結果を発表した。

    万里の長城キタ━━━(゚∀゚).━━━!!!
    城壁が稜線に沿ってどこまでも続く壮大な風景を目の前にして、呆然と立ち尽くす暇もなく、押し寄せる地元中国の人たちの多さの方に、圧倒させられてしまった。ベストシーズンの休日ともなると、10万人近くの観光客が殺到し、足の踏み場もなくなるほどの混雑になるという( ゚Д゚)

    【万里の長城】
    中国北部を東西に走る城壁。紀元前から、北方からの異民族侵入を防ぐために築かれ、秦の始皇帝が大増築した。現存する部分の多くは、明の時代に新たに築かれた。1987年に世界文化遺産に登録。中国国家文物局は2012年、東は黒竜江省から西は新疆ウイグル自治区まで15の省、自治区、直轄市にまたがり、全長は約2万1千キロに上るとの調査結果を発表した。

    八達嶺/万里の長城 城・宮殿

  • 長城は南北に延び、そのうち勾配が比較的に緩やかなだという北側(女坂)へ=写真=。

    長城は南北に延び、そのうち勾配が比較的に緩やかなだという北側(女坂)へ=写真=。

  • ”比較的に緩やか”といっても、スキーのジャンプ台を思わせる急こう配も=写真=。

    ”比較的に緩やか”といっても、スキーのジャンプ台を思わせる急こう配も=写真=。

  • 戦闘時の拠点になったという「敵台」と呼ばれる楼閣が、城壁と城壁のつなぎ目のように数百メートルごとに置かれ、登り始めて四つ目の楼閣「北四楼」(標高858メートル)の眼下に広がる大パノラマ=写真=には思わず息を呑んだ。次の瞬間、なぜか、中国残留孤児を題材としたNHKドラマ『大地の子』(山崎豊子原作)の最終盤、主人公の陸一心(上川隆也)が”私はこの大地の子です”と、帰国を促す実父(仲代達矢)に答えた場面が頭に浮かび、”これがその大地なんだ!”と胸がいっぱいになってしまった。

    戦闘時の拠点になったという「敵台」と呼ばれる楼閣が、城壁と城壁のつなぎ目のように数百メートルごとに置かれ、登り始めて四つ目の楼閣「北四楼」(標高858メートル)の眼下に広がる大パノラマ=写真=には思わず息を呑んだ。次の瞬間、なぜか、中国残留孤児を題材としたNHKドラマ『大地の子』(山崎豊子原作)の最終盤、主人公の陸一心(上川隆也)が”私はこの大地の子です”と、帰国を促す実父(仲代達矢)に答えた場面が頭に浮かび、”これがその大地なんだ!”と胸がいっぱいになってしまった。

  • 八達嶺長城は千メートル近い標高にあるため、バスを降りた直後はかなり寒かったが、登り始めて30-40分も経つと体はポカポカ。北四楼から先も長城はどこまでも続くような景色=写真=だったが、小生はもう十分満喫できたということで来たルートを戻った。

    八達嶺長城は千メートル近い標高にあるため、バスを降りた直後はかなり寒かったが、登り始めて30-40分も経つと体はポカポカ。北四楼から先も長城はどこまでも続くような景色=写真=だったが、小生はもう十分満喫できたということで来たルートを戻った。

  • 八達嶺長城を11時半ごろに発ち、地下鉄やエアポートエクスプレスなどを乗り継いで、北京首都国際空港には14時ごろ到着=写真=。

    八達嶺長城を11時半ごろに発ち、地下鉄やエアポートエクスプレスなどを乗り継いで、北京首都国際空港には14時ごろ到着=写真=。

    北京首都国際空港 (PEK) 空港

  • 羽田に向かうCA183便(A320型機)で提供された機内食は=写真=、2014年に利用した時とまったく同じメニューだった( ゚Д゚)(http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/32/05/80/src_32058063.jpg?1425117339) ほぼ定刻、羽田空港に到着し、家路を急いだ。<br /><br />【旅の感想】<br />ネットの言論空間では「ネトウヨ」が猛威を振るい、書店では平積みの嫌中、嫌韓がずらりと並ぶ光景が当たり前になった昨今。そんな中での中国行きは、2日間の弾丸旅行とはいえ、ハッと気づいたり、ウーンと考えさせられたり、とても実りの多い旅だった。プロレスファンではないが、アントニオ猪木が好んで使う、ある哲学者の言葉を、同級生で旅仲間でもある、”国内専門”の旅人M氏(http://4travel.jp/traveler/no-337/)に贈って結びとしたい。<br /><br />「この道をゆけばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けば分かるさ」<br /><br />ありがとうございました。

    羽田に向かうCA183便(A320型機)で提供された機内食は=写真=、2014年に利用した時とまったく同じメニューだった( ゚Д゚)(http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/32/05/80/src_32058063.jpg?1425117339) ほぼ定刻、羽田空港に到着し、家路を急いだ。

    【旅の感想】
    ネットの言論空間では「ネトウヨ」が猛威を振るい、書店では平積みの嫌中、嫌韓がずらりと並ぶ光景が当たり前になった昨今。そんな中での中国行きは、2日間の弾丸旅行とはいえ、ハッと気づいたり、ウーンと考えさせられたり、とても実りの多い旅だった。プロレスファンではないが、アントニオ猪木が好んで使う、ある哲学者の言葉を、同級生で旅仲間でもある、”国内専門”の旅人M氏(http://4travel.jp/traveler/no-337/)に贈って結びとしたい。

    「この道をゆけばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けば分かるさ」

    ありがとうございました。

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