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 鎌倉市小袋谷2にある水堰橋(すいせきば し)は源頼朝の軍勢が水堰で隊列を整えたことから、「勢ぞろい橋」と呼ばれていた。それが転訛して「せいしく橋(せゐ志くばし)」となったといわれている。<br /> 水堰橋は、コンビニ前の小袋谷川に架かる橋で小袋谷と台を結んでいる。また、水堰橋では鎌倉道が橋の手前(北鎌倉側)で戸塚道が分かれ、橋を渡ったコンビニ側で藤沢道と江ノ島道に分かれる分岐点で、交通の要衝であった。その地に石造道標(享保12年(1727年)銘)が建っている。<br /> この石造道標は横浜市指定有形民俗資料になっている。そのためか、フェンスで囲まれ、近くで見ることができない。しかし、上部に仏像が彫られ、下部に楷書で「道」と刻まれ、その上にも道の名前が刻まれているのだが判読できない。どうやら、この仏像は観音像で、「右とつか」、「左藤さわ」と刻まれているのだという。 そう言われると「とつか」が浮かんで見える。<br />(表紙写真は水堰橋の石造道標)

水堰橋の石造道標(鎌倉市小袋谷2)

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2016/12/21 - 2016/12/21

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉市小袋谷2にある水堰橋(すいせきば し)は源頼朝の軍勢が水堰で隊列を整えたことから、「勢ぞろい橋」と呼ばれていた。それが転訛して「せいしく橋(せゐ志くばし)」となったといわれている。
 水堰橋は、コンビニ前の小袋谷川に架かる橋で小袋谷と台を結んでいる。また、水堰橋では鎌倉道が橋の手前(北鎌倉側)で戸塚道が分かれ、橋を渡ったコンビニ側で藤沢道と江ノ島道に分かれる分岐点で、交通の要衝であった。その地に石造道標(享保12年(1727年)銘)が建っている。
 この石造道標は横浜市指定有形民俗資料になっている。そのためか、フェンスで囲まれ、近くで見ることができない。しかし、上部に仏像が彫られ、下部に楷書で「道」と刻まれ、その上にも道の名前が刻まれているのだが判読できない。どうやら、この仏像は観音像で、「右とつか」、「左藤さわ」と刻まれているのだという。 そう言われると「とつか」が浮かんで見える。
(表紙写真は水堰橋の石造道標)

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  • 「せゐ志く橋」。

    「せゐ志く橋」。

  • 「横浜市指定有形民俗資料」。

    「横浜市指定有形民俗資料」。

  • 水堰橋の石造道標。

    水堰橋の石造道標。

  • 享保12年(1727年)銘。

    享保12年(1727年)銘。

  • 「右とつか 左藤さわ 道」。

    「右とつか 左藤さわ 道」。

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