2016/06/30 - 2016/06/30
810位(同エリア1789件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1491冊
- クチコミ1141件
- Q&A回答73件
- 2,697,733アクセス
- フォロワー152人
14年振りに訪れたホイアンは夕方の4時過ぎに「ヴィンフン・ヘリテージ」にチェックインした後は午睡をとりました。2時間ほどして2階のテラスに出てみてビックリしました。物凄い人出でした。昔は日中歩いていた人が夕方には減って、夕涼みがてらに表を歩いた記憶が打ち砕かれました。以前来たときも訳の分からない絵を売る店が多く、来るのが5年遅かったねなんて話をしたものでした。その当時はいわゆるお土産物屋さんが多かったのですが、店の奥にはガラスケースが幾つか置かれ、ホイアンの沖合で漁師の網に掛かった中国の古い陶器が並んでいました。ネットオークションが一般的になった現在と比べても非常に安い値段で売っていました。(当時は骨董品の海外持ち出しが厳しく制限されていました。)そんな店はほぼ壊滅状態でした。まともな骨董店も2軒くらいしか残っていませんでした。1軒どうしても行きたい骨董店があって、そこのおじいさんに会いたかったのですが、店は見つかりませんでした。当時撮った写真を持ってきていたのですが、大きな骨董店のご主人に話をして写真を見せるとおじいさんは2年前に亡くなっていたことが分かりました。店ももう無く家族は日本橋の傍に住んでいるという事で写真を委ねました。悪いことばかりでは無く、おしゃれな店やカフェ、レストランも増えたのは良い事だと思います。ただ人が多く風情は無くなってしまったように感じました。変わらないのは古い家屋のフン・フーンの家やタンキー家などはヴィンフン・ヘリテージの建物と同じ200年以上前の時間が流れていました。一番の収穫はフーン・フーンの家のお土産コーナーで14年前の弟が買った作家の絵を見つけたことでしょうか。当時10ドルだった絵は18ドルと値段が上がっていました。ベトナムで漉かれた紙に描かれた少数民族の人物が描かれています。3枚買って多少安くしてもらいましたが、結果ここでしか見ることが無かったので観光の途中に買っておいて良かったです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 船 レンタカー 自転車 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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フエからダナン経由でホイアンに到着し、ヴィンフン1の部屋で一休み、日も暮れてお腹も空いてきたので街に出ます。取りあえず初日の晩なのでホテル近くのレストランを目指します。フロントのティン君は「カーゴかタムタム辺りが良いよ。」と教えてくれます。
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トゥボン川沿いが賑やかなので行ってみました。ゴザを敷いて地元の人が多く集まっています。民謡を歌いながら遊ぶ「バイチョイ」でした。「バイ」というのはゲームで、「チョイ」というのは畑小屋という意味があります。バイチョイというのはそれぞれの小屋にいる人々が互いにゲームをやるという意味で、名前の違うコマが30個と10種類の木札が使われます。1つの札にコマの名前が3つずつ書かれていて、参加者は木札を1つ選び、親になった人が舞台の上に吊つるされた竹札を順番に見てゆきます。
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親は竹札に書かれたコマの名前に関連する民謡を歌います。参加者はそれを聴いて自分の木札にコマの名前があれば声をあげて金のコマをもらいます。木札に書かれたコマの名前が3つとも出揃った人が勝ちとなります。
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初日の晩御飯は「タム・タムカフェ」に入ることにしました。食事をしたいと伝えると2階へ案内してくれました。
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久し振りのホイアンで表の喧騒を味わいたかったのでテラス席にしてもらいました。まずは冷たいビールをもらいます。ラルーのラベルを見るとフダ文化圏からラルー文化圏に移ったのだと実感します。妻はピニャコラーダを注文しました。
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フエとは違った時間が過ぎていきます。タムタムカフェはホイアンが観光化される走りに出来た老舗レストランです。古い町屋なのでチャンフー通りとグエン・タイ・ホック通りの両方に出入り口があります。
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チャンフー通り側は伝統的な中国風で、グエン・タイ・ホック通りの造りはフレンチコロニアルスタイルの洋風建築です。こちらは川に近い方の洋風の内装にシノワズリーな装飾品です。
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ベトナムとフランスの混然とした調和を感じます。
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フエの1週間はベトナム料理とフエの伝統料理ばかり食べていたのでホイアンでは洋食からスタートします。
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1階のメニューにピザの文字を見つけてしまうと思考が停止してしまいました。
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妻はパスタにしようか迷っていました。パスタはたまにとんでもない失敗をする場合があります。ホイアンに似たマラッカで失敗した記憶が蘇えったのでしょうか。
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でもこの店は大丈夫だったと思います。長年欧米人のお客に支持されている老舗ですから。ピザもハンバーガーも美味しかったです。
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ビールのおかわりをして行き交う人を眺めます。通り過ぎていく人、観光客相手におもちゃを売る人…。
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お店の2階は貸切状態でお客は我々以外いませんでした。
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1階の奥側の中国風の建物側はこんな感じで、ビリヤード台も置いてあります。今は無い大阪道頓堀の極楽商店街みたいな雰囲気です。
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トゥボン川の川辺に出てナイト・マーケットに行ってみます。
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昔はこの橋を渡って対岸の島に行くなんて発想はありませんでした。これには驚きです。
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店もたくさんありますし、夕方から店開きする屋台の数にも驚きです。
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ランタンの電灯も昔に比べて明るくなったような気がします。
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これには妻も大喜びです。ランタンをオーダーする気満々でしたから。
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こんな大きなのは持って帰れませんから。
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日本橋のライトアップはグリーンでした。中国の庭園をライトアップするのに使う色です。綺麗だけど何でグリーン・・・。シンプルな明りの方が良いと思います。
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翌朝はゆっくり朝食を食べて、ホテルのすぐ近くのチケット売り場に向かいます。昔はトタンの物置みたいなところで売っていたことを考えると立派になったものです。ホイアンのチケットは入場券が5枚ついていますが、それよりも旧市街のエリアに入るためのチケットのような気がします。朝はチケットの有無を確かめられるケースが多いです。
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チェンライで買ったパンツにシンガポールのインド人街で買ったシャツ、フエのノンを被ったあなたは誰?
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まずは日本橋を見ましょう。朝一番なので観光客はほとんどいません。
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弁柄の壁の前に犬が祀られています。いつも新しい花が供えられています。
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日本橋1人占めです。
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啓定二年の年号が読み取れます。啓定帝(かいでん帝)の時代ですので1917年の碑です。よく見ると「均勝桟」とありますから、チャンフー通りにあるクアンタン家は橋の修復に5元出しているようです。タムタムカフェの「錦威號」は2元で「福建会館」10元、「広東会館」10元、「潮州会館」4元、「瓊府(海南)会館」8元など現在も残る建物を読み解くことが出来ます。中国人は「幇(パン)」と呼ばれる同郷の人々の互助組織を作る習慣があり、会館の名前の後に幣長の文字があります。
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「重修来遠橋記」とありますのでこちらも日本橋の修復の記念碑のようです。日本國人の文字が読み取れます。
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橋の名前は1719年に広南国王の阮福秦が論語の「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」から名付けたとされるそうです。申年に建築が始まり戌年に終わったことから、橋の両端には申と戌の木像があるのは14年前の旅の時に勉強しました。
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橋の中央部には祠堂があります。日本人が建てたこの橋の上で日本人町と中国人町のトラブルは話し合いがもたれ解決されたそうです。そして橋が架けられた50年後に中国人がこの祠堂を設けます。
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正面扉の上には「二つの目」があります。道教の考えでは家も生き物で目があるといい、悪運を退ける八卦や陰陽を表す太極図などが描かれています。
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祭壇には北帝鎮武の像が置かれてあります。
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北帝鎮武(トラン ヴォ バック デー)は洪水を鎮める神様です。昔はもっとカラフルだった記憶がありますが線香の煤で色が変わっています。
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フエの旅からホイアンの旅への変わり目なのでお線香をあげてお参りしておきましょう。
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祭壇の左側の床近くに洪水の後が残っています。2002年に来た後も洪水で2回床上浸水しているようです。
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遠い所からよくいらっしゃいました。これでサイゴンからサパまでベトナムの主だったところは旅しましたね。
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日本人町側の猿の像にはお金がたくさん供えられています。犬も猿も赤い布が掛けられて日本のお地蔵さまみたいです。
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橋を通り抜けて「憑興家(フンフーンの家)」に向かおうとすると賑やかな雰囲気がします。
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ホイアンの伝統的なお葬式でした。拍子木や銅鑼を持った祭司とカラフルなノンラーを被った黄色い衣装の一団がいます。
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中国では人が死んで埋葬する前に室内に安置しておくと、夜になって突然動きだすというキョンシーという遺体の話がありますが、キョンシーは真っすぐ前にしか進めません。中国の庭園や邸宅の橋が曲がっているのはこの霊が入ってこれないようにしています。そんな考え方と通ずるものがあるのだろうかと思いました。
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近所の方や親族の方も写真を撮っているし、日本の葬儀のような暗い雰囲気ではなかったので写真を撮らせていただきました。
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離れたところから手を合わせてお参りさせていただきました。14年前にホイアンの町の骨董店のご主人と知り合いになりました。数日かけてその方のお店で値段交渉していたのですが、3回目に行くとそれまで汚れていた陶器がアルコールで拭かれてきれいになっていました。「何できれいになっているのですか?」と尋ねると「あんたが戻って来て買うのは分かっていたからね。」と言われました。そのおじいさんとは早朝の散歩で毎日出会いました。いつも店の前でパンツ一丁で座っていました。
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そんな写真も撮らせてもらっていたので、今回プリントして持ってきていました。店が見つからず近くの骨董品店のご主人に尋ねたら「彼は友人でよくこの店にも来ていたよ。でも2年前に亡くなったよ。店はもうないけど家族は日本橋の近くに住んでるよ。」と教えてくれました。その方に写真を委ねましたが、日本橋の近くのお葬式に手を合わせられたのは何かの縁だったかもしれません。
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この写真をもとにヴィンフン・ヘリテージから市場に向けてチャンフー通りを歩きましたが店は見つかりませんでした。
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毎朝店の前に座って煙草をぷかぷか。一見普通のお土産屋ですが、奥に骨董品がズラッ並んでいました。そんな怪しい店は全くと言ってよいほどなくなっていました。ある意味健康なほどに。フエのドラゴンボートの女の子といい、ホイアンのおじいさんといい消息がすぐに分かってしまうベトナムに魅力を感じます。そして14年ヴィンフンホテルのフロントで働いているティン君にも会えました。
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「二つの目」の下を通って「憑興家(フンフーンの家)」に入ります。
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この家の先祖は中国や日本と貿易をしていた商人で、つばめの巣や香草などを扱っていたそうです。フエやホイアンの揚げ春巻きの網状の皮はツバメの巣を模していますね。
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2階の前家側の床の一部が格子戸になっていました。これは通常時にもここから荷物を上に上げられたし、人の出入りも見ることが出来たのでしょう。マラッカのプラナカンの邸宅に近いものを感じました。またホイアンは洪水も多いので家財を2階に上げることも出来たと思います。見落としましたが、この上には滑車か何かが残っていたのかもしれません。
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伝統家屋だからといって国からの援助はほとんどないそうです。入場チケットから分配される収入も1人2000VND(10円)程度で、もてなしのお茶や電気水道代などで全て無くなってしまうそうです。
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この家の最初の家主は顔が広くてお金持ちの商人であり、繁栄の意味でこの家を馮興と名付けたそうです。桂皮や胡椒、塩やシルク、陶器やガラスなどの商品を販売した商店で、壁はベトナム、柱や扉は中国、屋根は日本と三国を折衷させた建築様式が残っています。
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2階の前家には天后聖母、媽祖(マズー)が祀られています。媽祖は航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神です。尊号としては則天武后と同じ天后が付せられ、もっとも地位の高い神ともされます。台湾や福建省や潮州で特に強い信仰を集め、澳門にも大きな媽祖閣があります。
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2階からホイアン甍を眺めます。ホイアンの町家の屋根は「陰陽瓦」と呼ばれる瓦が葺かれています。湾曲した瓦を凹面と凸面の列を交互に並べ、列の境目は石灰で密着させます。凹面に配置した瓦の列は、雨水を流す役目を持っています。この瓦を造る家も数軒しか残っていません。
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オイ・ゾイ・オイ!(Oi gioi oi!)妻は早くに気づいていたようですが、14年前に弟が買った作家さんの絵が置かれてありました。当時スエードのサンダルがオーダーして5ドルでした。弟も欲しがって翌日注文に行き、採寸まで終わったところで壁に掛かったこの人の絵を見つけました。弟は気が変わってサンダル注文をやめてその絵を買いました。靴屋は若い兄妹が営んでいて、お兄さんの友人が作家と聞きました。当時10ドルくらいだったと思います。
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現在は18ドルでした。「3枚買うから負けてくれ。」と言っても幾らもまからないようです。多分その当時も現在も委託販売なのでしょう。「オイ・ゾイ・オイ!」(なんてこった。)を連発してもダメでした。ただ、この言葉はベトナムで買い物をするときは役に立つ言葉で、たいていは日本人がベトナム語を使うという事で値引きに応じてもらえます。
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ホイアンには1週間いたのでいろいろな店を廻りましたが、結局ここでしか見ることはありませんでした。重たい塩ビの水道管2本に丸めて入れてもらい持って帰りました。1枚は弟にお土産であげましたが喜んでいました。
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戻りがてらに日本橋の脇で記念写真を撮りました。
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弁柄の壁にノン・ラーが映えます。2週間かぶり続けて日本まで持って帰ってきました。
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ホイアンの町のいたる所に井戸があります。
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この井戸の左の店に絵葉書が大量に売られていました。フエもホイアンも1枚5,000VNDが相場のようでした。この店は5枚買うと1枚サービスしてくれます。毎日絵葉書を書くのと、スケッチブックにスクラップするのでこの店は貴重でした。
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妻は日傘を差していなければ景色に溶け込みそうです。今思い出しても暑い日々でした。
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グエンタイホック通りの一見何の変哲もないような入り口ですが、中に入ると部屋中に彫られた見事な装飾を見ることができる「進記家(タンキーの家)」です。奥まで一直線に続く廊下を確認できます。
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うなぎの寝床のように奥へ奥へと細長く続く独特の造りで、ホイアン市街には同様の建物が数多く残されています。ユニークな形状もさることながら、精巧な彫刻が施された格子や亀甲形の天井など優美な装飾が残っています。陰陽瓦の形もよく分かります。
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母の育った京都の家は400年ほど前に建てられた古い家で、子供の頃は怖くて泊まりに行くのが嫌でした。長い台所の薄暗い中、明り取りの窓に置かれた煤けた大黒像の姿は目に焼き付いています。その時感じた薄暗さや夏の暑さが蘇ってきます。
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切妻屋根の大虹梁と虹梁(こうりょう)の装飾が美しいです。3段になっているのは上から「天」「地」「人」を表わすそうです。いたる所に陰陽五行思想がちりばめられています。
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トゥボン川の氾濫を考えての事なのでしょうか、先に見学した「憑興家(フンフーンの家)」でもそうでしたが、家の中の祭壇は高い所に祀られています。
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巻物状の扁額には吉祥模様と「進寳」の文字が見えます。この形の扁額はベトナムでよく見掛けます。
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前家と中庭の間に設けられた曲面の屋根は中国の影響だそうです。
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どこを見てもピカピカに磨き上げられています。手入れ大変だと思います。母が結婚して東京に出てきたとき、「家が小さくて嬉しかった。」とよく言っていました。実家は部屋が30近くあり、掃除や見学の説明やら大変だったそうです。その見学の説明で父と知り合ったのですが。
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中庭の壁面には祭壇のようなタイル装飾がありますが、これは天を祀ったものです。昔は祖先の命日などで一族が集まったとこの家のご主人が放されているのをテレビで観たことがあります。
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そのまま進むとトゥボン川に面した出入り口があります。昔は通りが無くここから直接川船に乗れたそうです。というか商家としてはこちらが正面入り口だったのかもしれません。
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観光の途中にショッピングを挟まないとホイアンに来た甲斐がありませんね。
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正面右側には「綾羅縐紗」「紡綢緞絨緞」と絹織物などを指す文字が読めます。左側には「書籍図画」「丸散丹膏」とありますが、現在は骨董品を見せている博物館のようなところです。
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清末の光緒年間に福建から移住した一族がここで4代に渡って絹と漢方薬の商売がここで続いていたわけです。シェル石油の代理店でもあったのでしょうか。この看板は14年前にも見たのでよく覚えています。
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永興客桟(ヴィンフン)も同じですが、1999年に世界遺産に登録されて以来この辺りの建物の値段は高騰して、この辺りの古い小さな家を売ると郊外に大きな家が5件くらい買えるそうです。
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ホイアン民族博物館に着きました。2005年にオープンしたベトナムに初めて出来た民俗博物館だそうです。前回来たのは2002年なので、その当時は無かった博物館です。ではその当時何だったのだろうかという疑問が生じます。
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今では使われることも見ることもない丸太を刳り貫いたような舟です。
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蓑のことをアオ・トイ(Ao Toi)と呼ぶようです。アオは上着の意味があります。ほとんど日本と同じような造りですね。50年ほど前に横手へ梵天祭りを見に行った際に、父親が面白がって私に着物を着せて藁沓を履かせ、蓑と傘を着せました。それで街を歩きかまくらに立ち寄るのですから写真の被写体にはもってこいで、さんざん写真を撮られました。嫌だった記憶が蘇ります。
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非常に大きな町家の建物をそのまま活用した民族博物館です。展示物以上にこの建物が貴重に思えます。
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ゲー・ナン(Ghe Nan)というバンブー・ボート。ちなみに丸いバンブーボートはトゥエントゥンといいます。数日後に乗りに行くので興味が湧きます。14年前にニャチャンの海岸で聞いた話では丸いバンブーボートは当時1艘200ドルという値段でした。造るのに1カ月かかるそうで、実際に買って帰ったオーストラリア人がいたとか。竹で編んだ船底の防水は牛の糞などで隙間を埋めます。
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手前はシジミを川底から救う道具ですね。材料は金属になっていますが、現在も同じような道具でシジミ採りを見ることが出来ます。すくったシジミは隣の笊に入れる訳です。
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古い祭壇も設えてあります。
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妻はベトナムにだけではなく、博物館の展示物と一体化してしまいました。
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道教の神様の像です。ベトナムの民間に定着した中国の陰陽五行思想の奥深さを感じます。女性の姿なので媽祖でしょうか。
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バー・タオ(Ba Trao)はクジラを崇拝する祝祭日にホイアンの漁師が歌い続く歌と踊りです。午前中に見たホイアンの葬儀の人たちの姿が重なります。
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「ユニコーンダンス」と説明文に書かれてありますが、どう見てもライオンダンスです。中秋節には祖先を礼拝してお月様にお供え物をします。大人はお酒を飲みながら月見をし、子供たちはランタンを持ち獅子踊りを見て歌を謡います。唐帝王がある旧暦の八月十五日の夜に廷臣と一緒に月見を楽しんでいた時、月へ一度遊びに行きたいと願います。するとジュウ・ファップ・テンという名前のある法師が帝王を月に連れて行きます。月の神に歓迎され、「ゲ・チュウン・ブイ」という天女の舞を見ます。
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この博物館には生活を再現したマネキンが置かれています。扇風機の前に佇む妻の姿はすでに展示物にしか見えません。
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一番手前に炭を置き、釜で湯を沸かし、蚕の繭を湯がき、糸を上の桟を伝わせ糸車で巻き取る…。養蚕に関る国ではどこも同じようなものがありますね。いち早く機械を導入して製糸で近代化を遂げた日本との違いを感じます。
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午前中の観光は終わりにして一度ホテルへ戻ることにします。
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どこを切り取っても絵になるホイアンの町です。
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昔と変わらない景色がたくさん残っています。
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炎天下のお昼時のホイアンの旧市街を歩いているのは酔狂な観光客だけです。
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その暑さを耐えてでも歩きたくなる魅力があります。また昼と夜と同じ通りを歩いても雰囲気が違います。
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妻はランタンをどこでオーダーするか思案中です。
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太極図を彫った立派な家の目の上に巻物の形をした扁額です。吉祥を表わす双竜争玉の姿と貨幣を咥えた蝙蝠と亀に乗った鳳凰の姿は「福禄寿」を表しています。
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ホテルの脇を通ってハイ・バーチュウ通りを北に向かいます。
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目的地は15分ほど歩いた「シン・ツーリスト」です。昔はシン・カフェという名前でしたが、後追いで同じ名前を語った会社が出てきたため名前を変えたそうです。昔もここにあったのかは記憶がありません。
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今回のホイアン滞在ではチャム島ツアーとココナッツ・ビレッジ&クッキングクラス、そしてミーソン遺跡ツアーの3つを予約していました。事前に日本で入金も済ませてあります。
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ただ前日までにネット予約のバウチャーを持って事務所に出向く必要があります。注意事項として身分証明書と予約した時のクレジットカードも持ってくるように書かれてありましたがパスポートだけ提示を求められました。泊まっているホテルも伝えないと迎えに来てくれません。
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シン・ツーリストの先に「ホワイト・ローズ」の店があります。14年前にもホワイト・ローズの店に行った記憶がありますが、もっと裏道の店だったと思います。多分場所が変わっていると思います。
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ボン・ホン・チャン(Bong Hong Trang)は白い薔薇という意味です。ここでお昼を食べるのも予定の1つでした。まずは冷たいビールを注文しました。ラルーもサイゴンも1本20,000VNDです。すぐにホワイト・ローズが出てきました。
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ホワイト・ローズはホイアンでしか食べることが出来ません。似た料理はフエにもありましたが、ホイアンにあるバーレー井戸の井戸水を使って作られているため、他の場所では作れないとされています。味も違ってしまうそうです。
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続いて揚げワンタンがやってきました。
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パリパリの揚げワンタンにエビやたまねぎやパイナップルなどの具材が餡とよく絡み、パイナップルの甘みとパクチーがまた絶妙にマッチし凄く美味しいです。量の多さに絶句していますが、ちゃんと半分食べていましたよ。
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欧米人の観光客を連れてきたガイドが促してホワイトローズ造りが始まりました。
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一緒に写真を撮らせてもらいます。
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米粉の生地に食用油を指先に付けて袋状の形に整えていきます。
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そして中に餡を詰めて花弁のように仕上げます。
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手際の良さには驚かされますが1日に数百ではきかない数を作るのでしょう。ビール2本とホワイト・ローズと揚げワンタンで210,000VNDでした。約1,000円という安さです。
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旧市街へ戻る途中にシン・ツーリストのオープンツアーバスを見掛けました。昔は韓国製の中古バスでしたが、現在はTHACOというベトナムの会社製でした。しかも中国で見掛けるようなフルリクライニングの寝台式のバスです。時代は変わったものです。
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ベトナムのおばさんたちの着ているのは「アオババ(Ao Ba Ba)」というものです。パジャマのように見えるのですが、寝るときは着替えるそうです。妻の姿もだんだんそちらのほうに変化してきました。
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あと少しでホテルに着くところで「ホイアン・ロースティー」でコーヒーブレイクにしました。冷房の効いた2階席に座ります。あぁ天国です。このカフェはホイアンの旧市街に3軒ありました。
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妻はベトナムコーヒーを試したかったようです。
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私はバナナ&マンゴスムージーですが冷たくておいしいです。両方で105,000VND。
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ホテルに戻ってきました。ロビーで昼寝していたワンコはお腹を冷やして体温調整しているのでしょう。
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きっと大理石が冷たくて気持ちいいのでしょう。人間は部屋に戻ってシャワーを浴びて体温調整します。
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午後4時にヴェンフンヘリテージの姉妹ホテルの「ヴィンフン・リバーサイド」に行くためにまた表に出ます。
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船の周りに人の姿はありません。
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この火炎樹の辺りにマイケル・ケインの「愛の落日:原題おとなしいアメリカ人」に出てくるレストランがあったのだと思うと感無量です。パイル役のブレンダン・フレイザーが渡る橋もまだ手摺りもランタンもありません。フォング役のドー・ハーイ・イエンはきれいでした。個人的には「夏至」とか「コウノトリの歌」という映画も良いです。
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昔は何もないような印象でホイアン島に渡った記憶はありませんが、現在はナイト・マーケットは毎晩立つしおしゃれな店も多くあります。
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旅行会社もこんなにおしゃれです。
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島に渡って10分くらいで「ヴィンフン・リバーサイド」に着きました。「ヴィンフン・ヘリテージ」からは歩くしか方法がありません。
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フロント脇の道を進んで川岸に出ます。
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目的はこれです。夕方の4時から5時の1時間は川沿いの庭園でホイアンの伝統料理の屋台が出ます。これが宿泊者には無料で振舞われます。それは姉妹ホテルでも同じです。
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まずは川沿いのテーブルに席を取ります。川面を渡る風が気持ち良いです。
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本当は5時からのサンセット・リバークルーズにも乗りたかったのですが、この日は満員だというので翌日に予約を入れました。
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たくさんの観光船が行き交います。
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天秤棒で商売していた昔の雰囲気が嬉しいです。これはカオラウのお店で小さいお椀で出してくれるのでいろいろなものが食べられます。
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こちらは揚げ春巻きとバインセオの実演です。
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揚げ春巻きの皮が網目状なのがおいしい秘訣だと思います。サクサクでいくつも食べられます。数日後のクッキングツアーで作りました。皮は市場で1パック30円くらいで売っていますがスーパーで買った方が良いです。買って帰ったらちょっと乾燥していました。
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バインセオも注文してから作ってくれます。これもクッキングツアーで作りました。
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北部タイのカノムクロックみたいなプレートですが、バインコットというたこ焼き風の料理です。料理よりもこの七輪に思い出があります。昔ニャチャンでリバークルーズに行った際にこの七輪を造っている窯元に行ったことがあります。当時1個300円くらいだったと思います。買って帰りたかったのですが重たくて諦めた覚えがあります。その時は他にお客がいなくガイドさんと2人きりのツアーでした。
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ニャチャン郊外のバオダイ帝の別荘ホテルに迎えに来てくれたのはすごい美人の女の子で、その子と船頭さんの3人で楽しい1日を過ごしたことが思い出されました。
ニャチャンの旅 https://4travel.jp/travelogue/10338289 -
ココナッツの実を利用したベトナム茶のウォーマーが面白いです。
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子供はランタン造りを楽しめるようです。
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ホテルのガーデンにはバーコーナーがありカクテルなど注文できます。カクテルがどれも99,000VND。500円くらいなので気兼ねなく注文できます。
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フローズン・マルゲリータで乾杯です。
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贅沢な時間が過ぎていきます。
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良い気分でヴィンフンに戻ります。
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ホテルに戻ってシャワーを浴びてフットマッサージ体験もしました。これも宿泊者の特典で無料です。
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2時間くらい午睡を取って涼しくなってから晩御飯に出掛けます。
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川沿いを少し歩いてみます。
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マジック・アワーも終わろうとしています。昔より建物が明るくなった分美しさは増しています。その分観光客は増えましたが。
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5つの華人会館のどれにも入りませんでした。以前入ったことがあるのとペナン島やマラッカでいくつも見ましたから。保生大帝と天后聖母が祀られた「明郷」たちの会館の祭壇です。「明郷」とは1644年の明の滅亡前後にベトナムに移住した中国系移民の子孫だそうです。ここの家の目はカラフルな五行の色と太極図です。
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關公廟(かんこうびょう)の家の目は虎の顔です。
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まだまだランタンのオーダーに迷っています。
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お洒落なブティツクも古い家屋なので取り外し式の鎧戸が残っています。
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ベトナムのおばさんが来ている服のことを「アオババ(Ao Ba Ba)」といいますが、アオは服の意味で、バは婆と3の意味です。ちなみのこのビールは333でバーバーバーです。
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この日の晩御飯は夕方にヴィンフン・リバーサイドでたくさん食べてしまったので、コム・ガーにしました。チキンライスです。シンガポールからマラッカ、ペナン島と廻った旅で散々食べたものですが、ベトナムのチキンライスもバカウマです。これもホイアンの名物料理です。
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「Khong Gian Xanhh」というヴィンフン・ヘリテージから10秒で行ける店です。
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コム・ガーにはターメリック風味の鶏レバーの入ったスープが付きます。これもおいしいです。
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欧米人にも人気の店ですが、地元の人やベトナム人の観光客も多く、夕方から閉店までずっと満席状態です。でも注文は簡単で写真付きのメニューもあるし料理の種類は少ないです。ビールや飲み物は自分で勝手に奥の冷蔵庫から持ってきて自主申告で大丈夫です。
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おすすめはこのトウモロコシのチェーです。ホイアンのトウモロコシはモチモチで信じられないくらいの甘さです。北海道の朝収穫されたものより甘いです。それが1杯10,000VND。50円です。
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このおいしさが忘れられず翌日の晩も行くことになりました。
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店のお兄さんは「うちはカオラウとブンが名物だからまた食べに来てね。」と言います。その通り翌日はカオラウとブンを食べました。
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ビール3本とコム・ガーとチェーで140,000VND。700円の晩御飯でした。フエではいろいろなレストランを廻ったけれど、ホイアンでは行き当たりばったりでご飯を食べていました。あまりに店が多すぎたのと人の多さに少々疲れていました。
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日本橋のライトアップを最後に見てホテルに戻ります。まだ10時前だというのに我が家にとっては珍しいことでした。翌日からはツアーに参加するので体を休めます。
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旅行記グループ 2016 フエ・ダナン・ホイアンの旅(2)
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