2016/06/29 - 2016/06/29
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kojikojiさん
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午前9時にフエを出発してダナンに着いたのは午後2時になっていました。途中で脱線はするは各所で時間を掛け過ぎたかもしれません。でもマイペースは崩せません。ダナンについて最初のミッションは「フェヴァ・チョコレート」に立ち寄ることです。フエとホイアンでお土産を考えるとここダナンでお洒落なチョコが良さそうに思えました。ベトナム産のカカオ100%というのもポイント高いです。ドライバーのフィイ君はこの店を知らないようで興味津々でした。大人買いしたついでに彼の奥さんにお土産を1つ買いました。続いてすぐ近くの「チャム彫刻博物館」の見学に移ります。ここはホイアンからミーソン遺跡のツアーに行く予定なので事前に予習と考えていました。フエではほとんど日本人の観光客に出合いませんでしたが、ここの博物館とチョコレート屋さんでは多く見掛けました。ベトナム中部は人気あるようです。「五行山(マーブルマウンテン)」まで来るとホイアンはもうすぐです。楽しかったフィイ君との1日も終わってしまいます。そんなことを考えながら五行山の観光をしましたが、14年前にも来ているにもかかわらずほとんど記憶がありません。その当時はエレベーターは無くて歩いて登ったのだと思います。上に登っても記憶のある鉄の梯子を場所すら分かりません。一番大きな洞窟に入ってもどこか違う所だったのでしょうか。周辺の大理石店などは何となく記憶にあるような気もします。フエからの前半寄り道したりで時間が押していたのと、雨が降ってきたので早めに五行山を後にしました。後はホイアンまで一直線です。ホイアンの前半は以前も滞在した「ヴィンフン1・ヘリテージ」という旧市街に位置するホテルでした。ここまでは車で行けないのでどうしようかと思っていたのですが、フィイ君は事前にホテルに電話してくれていて、近くの系列の「ヴィンフン2」から荷物を運んでもらうよう手配してくれていました。本当に何から何までよく気の付く青年でした。時間も超過してしまったのとお礼も込めて多めにチップを渡して彼ともお別れです。今回の旅は人との別れが寂しく思える旅でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 船 レンタカー 自転車 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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海雲峠(ハイヴァン・パス)を一気に下ると天気は良くなり、ダナンの街に入りました。街中に入ると急に渋滞に巻き込まれます。のろのろ走りながらダナン行政センターの前を通過します。34階建ての斬新なデザインのビルは灯台と船と帆布をモチーフにしたそうです。ロンドンのシティにあってもおかしく無いようなデザインです。
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ダナンでは有名な「アプサラレストラン」の近くに「フェヴァ・チョコレート」があります。今回の旅行のお土産はここにしようと考えていたのでまとめ買いしました。空港にも売っているとの情報もありましたが見掛ませんでした。周囲の雰囲気とかけ離れた店構えです。最初に試食させてもらって、お勘定をしていると社員旅行らしい日本人の団体さんが来たので入れ違いに店を出ます。日本人には有名だけど、ベトナム人のフィイ君は知らなかったし、翌週のツアーで一緒だった韓国人の女の子たちも知りませんでした。
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フエにもあったVTV8のビルです。次の目的地はこのビルの前にあります。
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「チャム彫刻博物館」です。この博物館はミーソン遺跡をはじめとした7世紀から15世紀頃までにベトナム各地で造られたチャンパ王国の彫刻を展示しています。今回はホイアンからミーソン遺跡へ行くので、その予習という意味もあります。
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建物自体も1915年にフランス人建築家によって建設されたものです。チャンパの彫刻の素晴らしいものはパリのギメ美術館に収められているようですが、ベトナムではここが一番と言われているそうです。
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ドヴァラパーラ(門衛神)
7世紀から8世紀
砂岩に彫られたドヴァラパーラは寺院を悪魔から守る門衛神です。 上げた手が稲妻を振り回し、この神は通常好戦的な態度と脅すような顔で表されます。そして腰に前に押出してし迫ります。蛇を伴った姿で現されることが多いです。 -
ヤクシャ(夜叉)
5世紀
ヤクシャは腿に手を置いてあぐらをかいて座っています。 頭の両側の柔らかい雲のような花の意匠は初期のインドとクメールの彫刻を思わせます。ヒンズー神話においてのヤクシャは鬼神である反面、人間に恩恵をもたらす存在と考えられています。森林に棲む神霊であり樹木に関係するため、聖樹と共に絵図化されることもあります。 -
祭壇
12世紀から13世紀
馬車の彫刻が施された祭壇です。 -
獅子
12世紀から13世紀 -
シヴァ神(またはドヴァラパーラ)
7世紀から8世紀
フランス人考古学者アンリ・パルマンティーアはシヴァの彫刻と特定しましたが、ボワスリエはダヴァラパーラであると結論づけています。 -
ヴィシヌ神
11世紀から12世紀
ナーガに守られるように座るのはヴィシュヌ神です。手に持つのは知恵の象徴の「棍棒」と存在の根源を表す「ほら貝」、創造と破壊の力を表す円盤を持ち 生命の木を表す蓮華を持っています。創世神話によると宇宙が出来る前にヴィシュヌは竜王アナンタの上に横になっており、ヴィシュヌのへそから蓮の花が伸びて行き、そこに創造神ブラフマーが生まれ、ブラフマーの額から破壊神シヴァが生まれたとされています。 -
リンガとヨニの祭壇
7世紀から8世紀
祭壇は丸いトップのある円筒形の柱(リンガ)と四角い台(ヨニ)から構成されます。リンガはシヴァ神の礼拝のためのシンボルで、シヴァリンガとも呼ばれます。シヴァ神の創造と破壊の象徴で、それは最も神聖であると思われていました。ヨニは女性器の象徴で、リンガは男性器の象徴であり性交した状態を示します。性交しているシヴァを女性器の内側から見ている形になっているわけです。シヴァ神が女性と性交をして現われたのがこの世界で、それが現在住んでいる世界という意味になります。 -
チャーキュウ出土リンガ祭壇
7世紀から8世紀
この祭壇はチャム芸術の傑作のひとつだそうです。基本はリンガとヨニの組み合わせですが2段に分かれた接合面は蓮の花のようです。下段の方形の四隅には獅子の像を配し、帯状装飾は諸説あるようですが、ラーマターナ叙事詩のラーマ王子とシータ姫の結婚式の場面のようです。 -
同じくチャーキュウの出土です。非常に正確な直線で構成された意匠の前に肉感的なアプサラたちが舞っています。
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基壇の2つの側面にはビーナ(インドの楽器)の演奏する姿と体をくねらせる踊り子が表わされています。 一見して踊り子は宝石だけを身に着けているようですが、衣類は透明なスカートのようです。 首飾りや腰のベルトのビーズなどが成功に表わされています。そして表情はとても温和です。
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アプサラはインド神話における水の精で、その名は「水の中で動くもの、雲の海に生きるもの」の意味があります。天女とも称されて乳海攪拌の時に生まれた存在と言われ、ガンダルヴァを配偶者とします。カンボジアで観たアプサラダンスやバリ島で観たレゴンダンスを彷彿させます。 全部の彫刻はチャム芸術の傑作とされます。
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ラクシュミーはヒンズー教の女神で美と豊穣と幸運を司ります。乳海攪拌の際に誕生し、ヒンズーの最高神ヴィシュヌの妻とされ、数多くあるヴィシュヌの化身と共にラクシュミーも対応する姿と別名を持っています。仏教に取り込まれると吉祥天と呼ばれます。
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リグ・ヴェーダではシヴァはルドラの別名として現われ、暴風雨神ルドラを前身としますが、暴風雨は破壊的な風水害ももたらします。同時に土地に水をもたらして植物を育てるという2面性もあります。このような災いと恩恵を共にもたらす性格は後のシヴァにも受け継がれています。
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ヒンズー教の三神一体(トリムールティ)論では、3つの重要な神の1人として扱われ、世界の寿命が尽きた時に世界を破壊して、次の世界創造に備える役目とされます。ダンシング・シヴァ(ナタラージャ)は「舞踊の王」という意味で、シヴァは舞踏の神様と言われます。 シヴァのダンスが終わるとこの世が終わるとも言われ、この時に手に持った太鼓のリズムで世界を創造し、もう一方の手に持った火でこの世を破壊するといわれています。
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ミーソン遺跡出土のシヴァ神です。シヴァの姿が人間的に描かれる時には、皮膚の色は青黒い色で、三日月の髪飾りをした髪の毛は長く頭の上に巻いてあり、裸に短い腰巻だけを纏った苦行者の姿で表わされます。
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残念ながら腕は折れてしまっていますが、片手に先が3つに分かれた「トリシューラ」と呼ばれる鉾を持っていたと思われます。
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ちゃんと勉強してくださいね。でも館内は冷房が効いていないので暑いです。
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細かい場面までは分かりませんが非常に精緻なレリーフです。
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ずっと見ていても飽きません。
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今まで見てきた東南アジアの遺跡の中でもチャム彫刻のレベルの高さを感じさせます。
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ドゥルガーはヒンズー教のデーヴァ神族の女神で、その名は「近づき難い者」を意味します。外見は優美で美しいけれど実際は恐るべき戦いの女神です。10本ある腕にそれぞれ神授の武器を持っています。デーヴァ神の要請によってアスラ族と戦かいます。シヴァ神の神妃とされパールヴァティーと同一視されることもあります。
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ミーソン遺跡出土の傑作の1つで横臥するヴィシュヌ神を描いた浮き彫りです。上部で座禅を組んでいるのは同じくヒンズーの神ブラフマーです。これはブラフマーがヴィシュヌのヘソに生えた蓮から生まれたという神話に基づいていることが分かります。ヴィシュヌが憤怒したときに額からシヴァ神が生まれたとも言われ、ブラフマーもシヴァもヴィシュヌから生まれたとされるそうです。
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左右に彫られた鳥の脚をした像は何を表わすのでしょうか。ギリシャ神話のハルピュイアにまで通ずるものがあるのでしょうか。そんなことを眺めながら考えました。
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ガネーシャはヒンズー教の神の1つで、その名はサンスクリットで「群衆(ガナ)の主(イーシャ)」を意味します。
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太鼓腹の人間の身体に 片方の牙の折れた象の頭をもった神で、障害を取り去り財産をもたらすと言われ、事業開始と商業の神と学問の神とされます。
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基壇の上に仏陀像が置かれています。
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この組み合わせと配置が正しいものなのかちょっと疑問も感じました。
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そんな中でこの像には魅せられました。
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顔の表情に円空の彫った仏像のような印象を受けたからかもしれません。
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顔などの表情から同じ時代のものということが分かります。
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細かい案内が無いので詳しいことが分からないのが残念です。
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その当時の生活が想像できそうです。
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9世紀から10世紀の基壇の一部の三面八臂のレリーフです。
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一対の門神像はドヴァラパーラ(門衛神)です。
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日本でいうと金剛力士像ですね。阿吽の形相ではありませんが。
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これらは寺院を悪魔から守る門衛神です。 上げた手が稲妻を振り回しこの神は通常好戦的な態度と脅すような顔で表されます。蛇を伴った姿で現されることが多いです。
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仏教では四天王像に踏まれる邪鬼ですが、水牛に噛まれた人の姿がありました。
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この基壇は素晴らしいものでした。
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特に最下段に表わされた数多くの人物に惹かれます。
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博物館のホームページを見てもこの基壇について詳しくは書かれていません。
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文盲の人に教えが分かるように描かれた物語の一部なんでしょうが、意味が分からないのが残念です。
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9世紀に鋳造された青銅のタラ像です。
タラは女性の姿で表わされます。彼女は人々の苦しみを軽減することに没頭しています。像は地方住民によって1978年に偶然に見つけられました。それはチャム芸術の独創的な表現でありながら、インドと中国の影響とチャム伝統を融和させています。 -
幅広い肩は豊かな胸と不相応に長い腕のバランスに惹かれます。 巻きスカートは2つの重なりあっています。そしてヘアスタイルは更に注意深いです。青銅像はドン・ドゥオン寺院の主祭壇であったと思われています。 この地域で見つかる他の仏教遺物と共に9世紀から10世紀のチャンパ仏教の素晴らしさを表わしています。
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側面から見た頭部の髪の結い方や装飾品など興味深いです。残念ながらここに置かれているのはレプリカです。またタラ像といえば大英博物館に所蔵されているスリランカの像が有名です。ロンドンのオリジナルとコロンボのコピーの両方を見ましたがこれも素晴らしいです。
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完全な姿が残された神の姿。
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破壊されてしまったものも多いです。
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7リンガは10世紀から11世紀 砂岩 ミーソン遺跡の出土です。
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石碑に彫られたチャム文字は全く読めません。右から読むのか左から読むのかさえ分かりません。
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一時団体さんが来てぞろぞろ通り過ぎていきますが、あっという間に次の場所へ行ってしまうので基本的にはこんな感じで空いていました。
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ブラフマーは三神一体論(トリムルティ)では三最高神の1人で、世界の創造と次の破壊の後の再創造を担当しています。 ヒンズー教の教典にのっとって苦行を行った者にはブラフマーが恩恵を与えるといわれます。4つのヴェーダを象徴する4つの顔と4本の腕を持ち、水鳥ハンサに乗った赤い肌の老人の姿で表されます。手にはそれぞれ「数珠」と「聖典ヴェーダ」、「小壷」と「笏(しゃく)」を持ちます。
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砂岩で造られたラクシュミー立像です。左腕が欠損しているもののその他は光背と思われる物も含め綺麗に残っています。ラクシュミーはヴィシュヌの配偶者とされます。チャム芸術では2本または4本の腕を持った姿で表わされ、金色の女性として描写されて1人で表わされることが多いそうです。
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サラスヴァティーは芸術や学問などの知を司るヒンズー教の女神です。日本では七福神の弁才天として親しまれており、仏教伝来時に中国から伝えられています。4本の腕を持ち、2本の腕には数珠とヴェーダ、もう1組の腕にヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持ち、白鳥またはクジャクの上あるいは蓮華の上に座る姿として描かれます。白鳥やクジャクはサラスヴァティーの乗り物です。破損されてよく分かりませんが、左右に鳥が彫られていたのでしょうか。
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素朴な親しみやすい姿の神像です。
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修道士像の数珠を持った手の感じに萌えます。かすかな微笑みが造られた時代の豊かさを感じさせます。
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ダナンから300キロ南のビンディン省にはチャンパ王国も最も重要な遺跡が集中して遺されています。11世紀から15世紀から連続的に建設されるヒンズー寺院遺物が展示してあります。
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ガルーダの石像です。この部屋には動物をモチーフにした石像が多く展示してあります。非常に細かい瓔珞紋のような模様が素晴らしいです。
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ガネーシャはインドの起源の神話の動物ですが、チャンパの文化において象の姿は神の知性と王の力を意味すると思われたようです。チャンパにおいて像はライオンから守る意味を込めて寺院の前に置かれたそうです。
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この象は非常にデザインされていると思いました。
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それでいて写実的でもあります。象には何度も乗ったので質感とかひだの感じはよく分かるつもりです。首の装飾がドラえもんの鈴に見えます。
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シヴァは片手に先が3つに分かれた「トリシューラ」と呼ばれる鉾を持っています。両目の間には第3の目が開いており、彼が怒る時には激しい炎が出て来て全てを焼き尽くすと言われます。1組の腕が頭上で印を結んでいます。
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ドラゴン
これはチャム彫刻の中の一種のマカラでもあります。 後部の足がエンタブレチュア(柱の上の梁部分を表わす建築用語)を支持するために上がっています。 -
ドラゴン
頭は体に比例して巨大で口の中には玉が入っています。これは中国の影響と思われます。 -
基壇の上に座るシヴァ像です。基壇の四方の角は獅子が支え、蓮華紋と唐草紋都中央に表わされた連続した乳房の意匠です。
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この日にチェックアウトした「ピルグリミッジ・リゾート」の中庭にも同じデザインの彫刻が置かれてありました。
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インドの神話によるとマカラはバルナ(海の神)の乗り物として表わされる海の怪物です。戦いの姿勢として前足を上げています。一対の彫刻として寺院の入り口に置かれました。
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博物館の見学を終えてドラゴン像を最後に見て、ドラゴン・ブリッジを尻尾の方から渡ります。
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昔琵琶湖のほとりにあった観覧車はダナンで第2の人生を歩んでいます。
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頭が見えてきました。夜見ると綺麗なんでしょうね。今回はダナンに宿泊しないので見る機会はありません。
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次回この橋を頭側から渡るのは日本へ帰るときです。
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ミーケービーチでしばし休憩しました。フィイ君が写真撮ってあげると言い出します。肩を抱いてなんて注文されます。
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フエのピルグリミッジのセキュリティーのおじさんもそうでしたが、ベトナムの人はポーズを取らせるのが好きです。これも中国の影響かもしれません。
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ホイアンではチャム島でシュノーケリングする予定です。ベトナムの海で泳ぐのは久しぶりです。
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海はランコーのほうがきれいだったように思えました。でも大都市のビーチと考えれば十分綺麗です。
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バスの荷物置き場でみんな昼寝しています。風が通って気持ち良いようです。
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五行山(マーブルマウンテン)に到着しました。ダナンから1本道を15分くらいだったと思います。ここからホイアンまでも20分くらいです。
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午後4時にはホイアンに着きたいので時間を考えながら観光します。昔来たときはエレベーターなど無かったので、このまま真っすぐ進んで歩いて登ったのだと思います。全く記憶がありません。
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五行山への入場料が15,000VNDで、エレベーターも片道15,000VNDでした。
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あっという間にかなりの高さに登ってしまいます。すぐ先に南シナ海が見えます。こんな景色でさえ以前来た際の記憶には残っていません。
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エレベーターを降りるとサーロイ塔(Xa Loi Tower)がありました。火焔樹と一緒に撮ると絵になります。
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六角形をした七重の塔です。
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更に三層の塔を過ぎると。
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リンウン寺(Linh Ung Pagoda)の境内が見下ろせます。
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堂中からリズミカルな読経の声が流れてきます。
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霊應門をくぐるの先には南シナ海が望めます。歩いて登ってくるとここへたどり着くようです。
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お寺の裏のタンチョン洞窟(Tang Chon Cave)に入ってみます。
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まるで迷路のようです。
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窟内には社や仏像があり、奥には涅槃仏も隠れています。
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昔、トルコのカッパドキアで知り合った日本語ガイドのおじさんと話していて、「洞窟ホテル」と言ったら「洞窟は自然に出来た穴で、カッパドキアの家は岩をくり貫いて造られたのだから正式には洞穴ホテルでしょう。」と訂正されたのを思い出しました。それも日本語で。
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祠の脇にさらに上へ行く階段が見えます。
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雨が降ってきたので妻はこの先はパスして1人で先に進みます。
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タムタイ寺(Tam Thai Pagoda)へ続く道です。
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ホアギエム洞窟(Hoa Nghiem Cave)に向かいます。
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トゥイーソンで一番の見どころはホアギエム洞窟です。玄空關と書かれた古い門をくぐると、1つ目のホアギエム洞窟が見えてきます。
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小さい祠を右手に見ながら左に進みます。
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フィエンコ洞窟(Huyen Khong Cave)への階段が続きます。
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巨大な地下空間が広がります。
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階段の左右の像がちょっと不気味です。諸星大二郎の世界観がリアルに広がっています。
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地下空間の祠はかなり大きいです。。
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ここにお参りする人が一番多かったです。
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ベトナム戦争時の空爆によって開いた天井の穴から光が差し込みます。
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そろそろ戻らないと妻に怒られそうです。元来た道を上がることにします。
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そう思いながらタムタイ寺(Tam Thai Pagoda)にも寄りました。
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古い門が雰囲気を醸します。
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帰り道のヴァントン洞窟(Van Thong Cave)。
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洞窟内に入ると仏像が安置されており、天井の穴からは神秘的な光が差し込んでいました。仏像の奥に急な階段があり、さらに奥へ行くことができます。
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グエン王朝の明命帝(ミンマン帝)が陰陽五行思想によって名付けた五行山は、ホアソン(火山)・トゥイーソン(水山)・モックソン(木山)・キムソン(金山)・トーソン(土山)という5つの山から構成されています。トゥイーソン(Thuy Son)は5つの山の中でも一番大きな山で、観光の中心にもなっています。
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さあホイアンに向けて出発です。
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旧市街の「ヴィンフン・ヘリテージ」までは車で行けないので、「ヴィンフン2」でフィイ君とお別れです。飛び飛びの1週間でしたが運転ありがとう。ホテルのシクロで荷物を運んでもらえるように電話もしてくれていました。安全運転でフエに戻るよう伝えます。なんかお父さんとお母さんになった気分です。彼と別れてホイアンの1週間が始まります。
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