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『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたものです。

2016梅雨、奈良の世界遺産巡り(6/9):6月5日(6):唐招提寺(4):御影堂、右近の橘、左近の梅、講堂、金堂、南大門

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2016/06/05 - 2016/06/05

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旅人のくまさん

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『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたものです。

交通手段
私鉄

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  • 『右近の橘』とその背後の『御影堂』の建物光景です。『右近の橘』は、平安京の内裏にある紫宸殿正面の階段から見て右にあった橘の樹が始まりとされます。『御影堂』に向かっては、左手になります。

    イチオシ

    『右近の橘』とその背後の『御影堂』の建物光景です。『右近の橘』は、平安京の内裏にある紫宸殿正面の階段から見て右にあった橘の樹が始まりとされます。『御影堂』に向かっては、左手になります。

  • 『左近の梅』の光景です。紫宸殿正面の階段から見て左にあった梅の樹が始まりとされます。ただし、今日では京都御所では『左近の桜』になっています。桓武天皇が794年、京都を都とした時は『梅』でしたが、梅が枯れた後、仁明天皇(810〜850年)が桜を植えたと伝わります。

    イチオシ

    『左近の梅』の光景です。紫宸殿正面の階段から見て左にあった梅の樹が始まりとされます。ただし、今日では京都御所では『左近の桜』になっています。桓武天皇が794年、京都を都とした時は『梅』でしたが、梅が枯れた後、仁明天皇(810〜850年)が桜を植えたと伝わります。

  • 正面から眺めた、『右近の橘』と『左近の梅』に飾られた『御影堂』の建物光景です。万葉集までは梅を詠んだ歌が最も多く、桜が主流になるのは10世紀に編まれた古今和歌集以後とされます。『花』といえば『梅』を意味した時代から、『桜』に代わったことは、中学校時代の教科書当たりで習った記憶があります。

    正面から眺めた、『右近の橘』と『左近の梅』に飾られた『御影堂』の建物光景です。万葉集までは梅を詠んだ歌が最も多く、桜が主流になるのは10世紀に編まれた古今和歌集以後とされます。『花』といえば『梅』を意味した時代から、『桜』に代わったことは、中学校時代の教科書当たりで習った記憶があります。

  • 現地で購入した冊子(天平の甍・唐招提寺)から紹介する鑑真和上の坐像と厨子絵の瑞光です。その背後は、松の間の揚州薫風の絵です。

    現地で購入した冊子(天平の甍・唐招提寺)から紹介する鑑真和上の坐像と厨子絵の瑞光です。その背後は、松の間の揚州薫風の絵です。

  • 同じく、現地で購入した冊子(天平の甍・唐招提寺)から紹介する鑑真和上坐像の横顔です。

    同じく、現地で購入した冊子(天平の甍・唐招提寺)から紹介する鑑真和上坐像の横顔です。

  • 『左近の梅』とその周りの建物光景です。京都に完全な姿で現存する、唯一の公家屋敷とされる、『冷泉家住宅』では、今も『右近の橘』と『左近の梅』が残されているようです。

    『左近の梅』とその周りの建物光景です。京都に完全な姿で現存する、唯一の公家屋敷とされる、『冷泉家住宅』では、今も『右近の橘』と『左近の梅』が残されているようです。

  • 『御影堂』の建物の一部です。御影堂の東から南に伸びた建物です。伽藍配置などで調べてみましたが、特別の呼び名は見つかりませんでした・

    『御影堂』の建物の一部です。御影堂の東から南に伸びた建物です。伽藍配置などで調べてみましたが、特別の呼び名は見つかりませんでした・

  • 銅葺屋根のズームアップ光景です。その上に乗っている飾瓦は、いくつかの瓦の焼物を、漆喰などで繋ぎ合わせる細工がしてあるようでした。

    銅葺屋根のズームアップ光景です。その上に乗っている飾瓦は、いくつかの瓦の焼物を、漆喰などで繋ぎ合わせる細工がしてあるようでした。

  • 右斜め前から眺めた御影堂の光景です。まだ、前庭の『右近の橘』と『左近の梅』が見えていました。

    右斜め前から眺めた御影堂の光景です。まだ、前庭の『右近の橘』と『左近の梅』が見えていました。

  • 御影堂の東北角方面の光景です。見学を終えての帰り道で撮影した、反対側方面の光景です。

    御影堂の東北角方面の光景です。見学を終えての帰り道で撮影した、反対側方面の光景です。

  • 正面奥の建物が、『御影堂』の玄関、その玄関に連なる南北方向の建物光景です。

    正面奥の建物が、『御影堂』の玄関、その玄関に連なる南北方向の建物光景です。

  • 正面奥の建物が、『御影堂』の玄関です。銅葺、白壁に柱が見える、格式高い造りのです。その手前は、衝立のような建造物です。

    正面奥の建物が、『御影堂』の玄関です。銅葺、白壁に柱が見える、格式高い造りのです。その手前は、衝立のような建造物です。

  • 箒の掃き目が綺麗で、石畳の文様がお洒落な参道の光景です。その脇にツツジの花が彩を添えていました。

    箒の掃き目が綺麗で、石畳の文様がお洒落な参道の光景です。その脇にツツジの花が彩を添えていました。

  • 『鑑真大和上御影堂』のタイトルがあった説明看板です。鑑真和上の国宝の尊像を安置するため、昭和37年(1962年)に旧興福寺の一乗院門跡建物を移築したことなどが紹介されていました。1200遠忌の事業だったようです。国の重要文化財の建物です。

    『鑑真大和上御影堂』のタイトルがあった説明看板です。鑑真和上の国宝の尊像を安置するため、昭和37年(1962年)に旧興福寺の一乗院門跡建物を移築したことなどが紹介されていました。1200遠忌の事業だったようです。国の重要文化財の建物です。

  • 満開だった赤いツツジの花のズームアップ光景です。花が小型の久留米ツツジ当たりのようです。

    満開だった赤いツツジの花のズームアップ光景です。花が小型の久留米ツツジ当たりのようです。

  • 建物が賑やかに建った境内の光景です。左の大きな建物が『金堂』、中央奥の五色旗がある建物が『講堂』、その手前の細長い建物が『鼓楼』、一番右端が『礼堂』です。

    建物が賑やかに建った境内の光景です。左の大きな建物が『金堂』、中央奥の五色旗がある建物が『講堂』、その手前の細長い建物が『鼓楼』、一番右端が『礼堂』です。

  • 『礼堂』の建物の南面の光景です。東西に長い『東室』の南側部分です。この建物の中間に、土足のまま通り抜けができる『馬道(めどう)』がありました。左側に見ているのは『鼓楼』です。

    『礼堂』の建物の南面の光景です。東西に長い『東室』の南側部分です。この建物の中間に、土足のまま通り抜けができる『馬道(めどう)』がありました。左側に見ているのは『鼓楼』です。

  • 二棟並んだ、国宝の校倉造りの建物です。左側が北側に位置する『宝蔵』、右側が南側に位置する『経蔵』の建物です。

    二棟並んだ、国宝の校倉造りの建物です。左側が北側に位置する『宝蔵』、右側が南側に位置する『経蔵』の建物です。

  • 『経蔵』の建物光景です。奈良時代の校倉造倉庫で、唐招提寺創建以前ここにあった新田部親王邸の倉を改造したものとされます。国宝の建物です。

    イチオシ

    『経蔵』の建物光景です。奈良時代の校倉造倉庫で、唐招提寺創建以前ここにあった新田部親王邸の倉を改造したものとされます。国宝の建物です。

  • 少し離れた場所からの撮影となりましたが、『宝蔵』の建物光景です。『宝蔵』は、唐招提寺が創建された以降に建築されたと考えられています。

    少し離れた場所からの撮影となりましたが、『宝蔵』の建物光景です。『宝蔵』は、唐招提寺が創建された以降に建築されたと考えられています。

  • 庭木というより、自然木がそのまま残されているように見えた、唐招提寺の境内の樹木の光景です。高木は赤松や杉のようです。

    庭木というより、自然木がそのまま残されているように見えた、唐招提寺の境内の樹木の光景です。高木は赤松や杉のようです。

  • 東南方面から眺めた、平成の大修理を終えた『金堂』の建物光景です。取替えられた天平時代の国宝のシビは、神宝蔵で見学することが出来ました。

    東南方面から眺めた、平成の大修理を終えた『金堂』の建物光景です。取替えられた天平時代の国宝のシビは、神宝蔵で見学することが出来ました。

  • 振り返って眺めた『金堂』の建物光景です。国宝の建物です。ご本尊の廬舎那仏坐像を始めとする仏像群は圧巻でした。

    振り返って眺めた『金堂』の建物光景です。国宝の建物です。ご本尊の廬舎那仏坐像を始めとする仏像群は圧巻でした。

  • 出入口の南大門が近付いて来ました。小休止と、近所で買い物を済ませた後、奥の院の西方院に向かう予定です。

    出入口の南大門が近付いて来ました。小休止と、近所で買い物を済ませた後、奥の院の西方院に向かう予定です。

  • 南大門の前のお店の光景です。ビニールの軒先を通り越して、上に伸びる松の木の姿がありました。

    南大門の前のお店の光景です。ビニールの軒先を通り越して、上に伸びる松の木の姿がありました。

  • 南大門の前近くから、南に伸びる小路の光景です。小路の端には、かなり深い溝が作られていました。生活用水の排水のためではなく、雨水対策のようでした。

    南大門の前近くから、南に伸びる小路の光景です。小路の端には、かなり深い溝が作られていました。生活用水の排水のためではなく、雨水対策のようでした。

  • 『しせき・唐招提寺旧境内』の文字が刻まれた石碑の光景です。側面の文字から、昭和45年(1970年)に唐招提寺が建立したもののようでした。

    『しせき・唐招提寺旧境内』の文字が刻まれた石碑の光景です。側面の文字から、昭和45年(1970年)に唐招提寺が建立したもののようでした。

  • 『史跡唐招提寺』のタイトルがあった説明看板ですが、随分と読み難くなっていました。末尾の方に、昭和42年(1967年)12月に境内全域が史跡に指定されたことが紹介されていました。

    『史跡唐招提寺』のタイトルがあった説明看板ですが、随分と読み難くなっていました。末尾の方に、昭和42年(1967年)12月に境内全域が史跡に指定されたことが紹介されていました。

  • 南大門付近で再集合になり、その待ち時間での撮影です。境内案内図に、『寺務所』と記されていた建物です。南大門の東側になります。

    南大門付近で再集合になり、その待ち時間での撮影です。境内案内図に、『寺務所』と記されていた建物です。南大門の東側になります。

  • 南大門の外から眺めた境内の光景です。修学旅行の生徒さん達が入場してきたようです。境内が急に賑やかになってきました。その前に見学を終えましたので、一安心です。

    南大門の外から眺めた境内の光景です。修学旅行の生徒さん達が入場してきたようです。境内が急に賑やかになってきました。その前に見学を終えましたので、一安心です。

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