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奈良の世界遺産巡り、唐招提寺の紹介です。中国・唐出身の僧・鑑真和上(688〜763年)が晩年を過ごしたお寺として有名です。日本における律宗の開祖です。

2016梅雨、奈良の世界遺産(4/9):唐招提寺(2):鼓楼、礼堂・馬道、芭蕉句碑、白秋歌碑

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2016/06/05 - 2016/06/05

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旅人のくまさん

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奈良の世界遺産巡り、唐招提寺の紹介です。中国・唐出身の僧・鑑真和上(688〜763年)が晩年を過ごしたお寺として有名です。日本における律宗の開祖です。

交通手段
私鉄

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  • 国宝の建物の鼓楼です。本来は『経楼』と呼ばれていましたが、鎌倉時代の仁治元年(1240年)に再建されたのち 『鼓楼』と呼ばれるようになりました。 鑑真が中国(唐)から請来した仏舎利を安置しているため、『舎利殿』とも呼ばれています。

    イチオシ

    国宝の建物の鼓楼です。本来は『経楼』と呼ばれていましたが、鎌倉時代の仁治元年(1240年)に再建されたのち 『鼓楼』と呼ばれるようになりました。 鑑真が中国(唐)から請来した仏舎利を安置しているため、『舎利殿』とも呼ばれています。

  • 国宝の建物、鼓楼の柱のズームアップ光景です。入母屋造り本瓦葺の建築物です。長年月、風雨に晒されたような外観でした。

    国宝の建物、鼓楼の柱のズームアップ光景です。入母屋造り本瓦葺の建築物です。長年月、風雨に晒されたような外観でした。

  • 国宝の建物、鼓楼の1階部分の木製の欄干のズームアップ光景です。金属製の擬宝珠は被せられていませんでした。ネギの花に似ていることから『葱台(そうだい)』の呼び方もあります。

    国宝の建物、鼓楼の1階部分の木製の欄干のズームアップ光景です。金属製の擬宝珠は被せられていませんでした。ネギの花に似ていることから『葱台(そうだい)』の呼び方もあります。

  • 国宝の建物、鼓楼の中間部分のズームアップ光景です。鼓楼では、うちわまきの行事、『梵網会(ぼんもうえ)』が行われます。

    国宝の建物、鼓楼の中間部分のズームアップ光景です。鼓楼では、うちわまきの行事、『梵網会(ぼんもうえ)』が行われます。

  • 一度紹介した、『礼堂(らいどう)』の建物光景です。履物のまま通り抜け出来る、『馬道(めどう)』と呼ばれる通路です。

    一度紹介した、『礼堂(らいどう)』の建物光景です。履物のまま通り抜け出来る、『馬道(めどう)』と呼ばれる通路です。

  • 『講堂』や『鼓楼』などの見学を終え、北側の御影堂方面に移動途中の光景です。右側の建物が、『礼堂』です。

    『講堂』や『鼓楼』などの見学を終え、北側の御影堂方面に移動途中の光景です。右側の建物が、『礼堂』です。

  • 芭蕉句碑の光景です。いわき刻まれている樹は、芭蕉が貞享5年(1666年)4月、唐招提寺に詣で、鑑真和上像を拝した時の句です・<br /> 『若葉して御目の雫拭(ぬぐ)わばや』<br />松尾芭蕉の門人河合乙州(おとくに)が、芭蕉の没後の1709年編集した『笈の小文』に収録されています。江戸から尾張の鳴海を経て弟子の杜国を訪ね、伊賀・伊勢・吉野・奈良・大坂・須磨・明石を巡った旅の紀行文です。<br />

    芭蕉句碑の光景です。いわき刻まれている樹は、芭蕉が貞享5年(1666年)4月、唐招提寺に詣で、鑑真和上像を拝した時の句です・
     『若葉して御目の雫拭(ぬぐ)わばや』
    松尾芭蕉の門人河合乙州(おとくに)が、芭蕉の没後の1709年編集した『笈の小文』に収録されています。江戸から尾張の鳴海を経て弟子の杜国を訪ね、伊賀・伊勢・吉野・奈良・大坂・須磨・明石を巡った旅の紀行文です。

  • 芭蕉句碑とその周りの光景です。句碑の説明用の立札もありました。

    芭蕉句碑とその周りの光景です。句碑の説明用の立札もありました。

  • 前庭のような場所に芭蕉句碑があった建物の光景です。立入りが禁止されていた建物です。旧開山堂の『本願殿』でした。芭蕉が唐招提寺を訪れた時、鑑真和上の像が置かれていた建物です。

    前庭のような場所に芭蕉句碑があった建物の光景です。立入りが禁止されていた建物です。旧開山堂の『本願殿』でした。芭蕉が唐招提寺を訪れた時、鑑真和上の像が置かれていた建物です。

  • 『本願殿』の西を通って、少し回り道をしながら『新宝蔵』に向かう途中の光景です。緑受胎の先に築地塀らしいものが見終えていました。

    『本願殿』の西を通って、少し回り道をしながら『新宝蔵』に向かう途中の光景です。緑受胎の先に築地塀らしいものが見終えていました。

  • とりあえず写真を撮っておいて、後で境内配置などを調べてみましたが、よく分からなかった建物です。

    とりあえず写真を撮っておいて、後で境内配置などを調べてみましたが、よく分からなかった建物です。

  • 築地塀に囲われた建物です。見当を付けてみたのは、『地蔵堂』でしたが、確認ができませんでした。

    築地塀に囲われた建物です。見当を付けてみたのは、『地蔵堂』でしたが、確認ができませんでした。

  • 同じく、『地蔵堂』と見当を付けた建物の光景です。南方向に講堂や金堂らしい甍が見えていました。

    同じく、『地蔵堂』と見当を付けた建物の光景です。南方向に講堂や金堂らしい甍が見えていました。

  • 格式の高い造りの築地塀越しに見えていた、大屋根の光景です。当初は見学できないとお聞きしていましたが、あとで見学できた。『御影堂』の大屋根です。

    格式の高い造りの築地塀越しに見えていた、大屋根の光景です。当初は見学できないとお聞きしていましたが、あとで見学できた。『御影堂』の大屋根です。

  • 金属プレートに記されていた、北原白秋(1885〜1942年)の歌碑です。福岡県柳川市で生まれた、日本の詩人で童謡作家です。童謡作家としては、山田耕作とのコンビで数々のヒット曲を生み出しました。

    金属プレートに記されていた、北原白秋(1885〜1942年)の歌碑です。福岡県柳川市で生まれた、日本の詩人で童謡作家です。童謡作家としては、山田耕作とのコンビで数々のヒット曲を生み出しました。

  • 北原白秋の歌碑とその周りの光景です。白秋の生家は造り酒屋で、福岡県指定史跡です。白秋生誕当時の母屋と穀倉が現存し、文学館施設として使用されています。

    北原白秋の歌碑とその周りの光景です。白秋の生家は造り酒屋で、福岡県指定史跡です。白秋生誕当時の母屋と穀倉が現存し、文学館施設として使用されています。

  • 白秋歌碑の説明立看板です。『水楢の柔き嫩葉(わかば)は み眼にして 花よりもなほや 白う匂はむ』の和歌です。白秋は52歳の時(1937年))に眼底出血を罹いました。徐々に視力を失った頃に詠まれた歌のようです。

    白秋歌碑の説明立看板です。『水楢の柔き嫩葉(わかば)は み眼にして 花よりもなほや 白う匂はむ』の和歌です。白秋は52歳の時(1937年))に眼底出血を罹いました。徐々に視力を失った頃に詠まれた歌のようです。

  • 格式高い造りの築地塀の前にあった案内表示板です。『中興堂』の見学案内と、接待茶席の『三暁庵』の道案内でした。

    格式高い造りの築地塀の前にあった案内表示板です。『中興堂』の見学案内と、接待茶席の『三暁庵』の道案内でした。

  • 師寺境内の北の方に位置する参道光景です。右手に築地塀が続いていました。御影堂の南側の塀のようでした。

    師寺境内の北の方に位置する参道光景です。右手に築地塀が続いていました。御影堂の南側の塀のようでした。

  • 校倉造りの建物です。唐招提寺には、2棟の校倉造りの経蔵と宝蔵があり、2棟とも国宝に指定されています。こちらは経蔵より北に位置する宝蔵のようです。

    校倉造りの建物です。唐招提寺には、2棟の校倉造りの経蔵と宝蔵があり、2棟とも国宝に指定されています。こちらは経蔵より北に位置する宝蔵のようです。

  • 新宝蔵と宝蔵・経蔵の中間にある『滄海池』の光景です。放生池のようです。

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    新宝蔵と宝蔵・経蔵の中間にある『滄海池』の光景です。放生池のようです。

  • 同じく、『滄海池』の光景です。池の名前は、その水の色に因むように見えました。

    同じく、『滄海池』の光景です。池の名前は、その水の色に因むように見えました。

  • 国宝の『宝蔵』と『滄海池』の横を通って向かったのは、『新宝蔵』です。この建物の中で、『鑑真和上像』の特別拝観のためでした。国宝の『鑑真和上像』以外にも、この『展観目録』のタイトルがあった掲示板などの貴重な仏像、シビ等を拝観できました。

    国宝の『宝蔵』と『滄海池』の横を通って向かったのは、『新宝蔵』です。この建物の中で、『鑑真和上像』の特別拝観のためでした。国宝の『鑑真和上像』以外にも、この『展観目録』のタイトルがあった掲示板などの貴重な仏像、シビ等を拝観できました。

  • 『梵天』か『帝釈天』の木彫の頭部のようです。名前を特定出来ませんでしたが、奈良時代(8世紀)の作品のようです。金堂には、奈良時代(8世紀)の梵天と帝釈天の立像が安置されていますが、どちらも国宝です。

    『梵天』か『帝釈天』の木彫の頭部のようです。名前を特定出来ませんでしたが、奈良時代(8世紀)の作品のようです。金堂には、奈良時代(8世紀)の梵天と帝釈天の立像が安置されていますが、どちらも国宝です。

  • 『薬師如来立像』<br />木像<br />重要文化財<br />奈良時代(8世紀)<br /><br />中国唐代(618〜907年)の大理石の石彫を偲ばせる木彫とも言われます。旧講堂に安置されていた奈良時代木彫群像の一つです。<br />

    『薬師如来立像』
    木像
    重要文化財
    奈良時代(8世紀)

    中国唐代(618〜907年)の大理石の石彫を偲ばせる木彫とも言われます。旧講堂に安置されていた奈良時代木彫群像の一つです。

  • 『十一面観音立像』<br />木像<br />重要文化財<br />奈良時代(8世紀)<br /><br />旧講堂に安置されていた奈良時代木彫群像の一つです。<br />

    『十一面観音立像』
    木像
    重要文化財
    奈良時代(8世紀)

    旧講堂に安置されていた奈良時代木彫群像の一つです。

  • 『新宝蔵』に到着しました。新宝蔵は、昭和45年(1970年)に完成した鉄筋コンクリートの収蔵庫です。唐招提寺に残る多くの仏像等が展示されています。

    『新宝蔵』に到着しました。新宝蔵は、昭和45年(1970年)に完成した鉄筋コンクリートの収蔵庫です。唐招提寺に残る多くの仏像等が展示されています。

  • 高床式の造りの『新宝蔵』の正面入口光景です。この日は、『鑑真和上像』の特別拝観が目玉でした。金堂に安置されていた木造大日如来座像、「旧講堂木彫群」と呼ばれる、奈良時代末期から平安時代にかけて制作された薬師如来立像、獅子吼菩薩立像、衆宝王菩薩立像、十一面観音立像、如来形立像など多数の木彫像が、通年で公開されています。

    イチオシ

    高床式の造りの『新宝蔵』の正面入口光景です。この日は、『鑑真和上像』の特別拝観が目玉でした。金堂に安置されていた木造大日如来座像、「旧講堂木彫群」と呼ばれる、奈良時代末期から平安時代にかけて制作された薬師如来立像、獅子吼菩薩立像、衆宝王菩薩立像、十一面観音立像、如来形立像など多数の木彫像が、通年で公開されています。

  • 内部の見学を終えた後での撮影です。高床式の造りの『新宝蔵』の正面入口光景です。平成の大修理で取替えられた国宝の『シビ(鴟尾)』も目前で見学できました。

    内部の見学を終えた後での撮影です。高床式の造りの『新宝蔵』の正面入口光景です。平成の大修理で取替えられた国宝の『シビ(鴟尾)』も目前で見学できました。

  • 同じく、内部の見学を終えた後での『新宝蔵』の周りの光景です。特別拝観のためにテントが設けられ、スタッフも多く配置されていました。

    同じく、内部の見学を終えた後での『新宝蔵』の周りの光景です。特別拝観のためにテントが設けられ、スタッフも多く配置されていました。

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