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奈良の世界遺産巡りです。薬師寺に続いて見学した、唐招提寺の紹介です。唐招提寺を拓いた鑑真和上のことは、その昔、教科書でも習いましたし、書籍や映像化された作品も目にしました。

2016梅雨、奈良の世界遺産(3/9):唐招提寺(2):金堂・戒壇、築地塀、講堂、五色旗

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2016/06/05 - 2016/06/05

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旅人のくまさん

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奈良の世界遺産巡りです。薬師寺に続いて見学した、唐招提寺の紹介です。唐招提寺を拓いた鑑真和上のことは、その昔、教科書でも習いましたし、書籍や映像化された作品も目にしました。

交通手段
私鉄
  • 金堂の前から、振り返って眺めた阿山門の光景です。山門は歴史的建造物ではなく、礎石などを元に再建された新しい建物です。

    金堂の前から、振り返って眺めた阿山門の光景です。山門は歴史的建造物ではなく、礎石などを元に再建された新しい建物です。

  • 国宝に指定されている建物、金堂の入口付近の光景です。内部の撮影はできませんので、外回りだけの紹介になります。平成12年(2000年)から、『平成の大修理』と呼ばれる解体修理が行われ、平成21年(2009年)11月に落慶行事が行われました。

    国宝に指定されている建物、金堂の入口付近の光景です。内部の撮影はできませんので、外回りだけの紹介になります。平成12年(2000年)から、『平成の大修理』と呼ばれる解体修理が行われ、平成21年(2009年)11月に落慶行事が行われました。

  • 同じく、国宝の建物、金堂の入口付近の軒下光景です。『平成の大修理』では、屋根の東西の『シビ(鴟尾)』も取替えられました。おろされたシビは、展示品として目にすることが出来ました。

    同じく、国宝の建物、金堂の入口付近の軒下光景です。『平成の大修理』では、屋根の東西の『シビ(鴟尾)』も取替えられました。おろされたシビは、展示品として目にすることが出来ました。

  • 国宝の建物、金堂の紹介が続きます。建物の西南側の軒下光景です。修復作業を終えて蘇えったリズミカルな木組みの光景です。

    国宝の建物、金堂の紹介が続きます。建物の西南側の軒下光景です。修復作業を終えて蘇えったリズミカルな木組みの光景です。

  • 金堂の西南角付近から眺めた北側の光景です。五色旗で飾られた建物は、金堂の真北に位置する『講堂』です。後ほど紹介します。

    金堂の西南角付近から眺めた北側の光景です。五色旗で飾られた建物は、金堂の真北に位置する『講堂』です。後ほど紹介します。

  • 金堂の建物の西側面の光景です。正面7間、側面4間の建物構造です。『間』は長さの単位ではなく、柱間の数を表します。側面ですから、柱は4本です。

    金堂の建物の西側面の光景です。正面7間、側面4間の建物構造です。『間』は長さの単位ではなく、柱間の数を表します。側面ですから、柱は4本です。

  • 金堂の内部には、中央に本尊の廬舎那仏坐像、向かって右に薬師如来立像、左に千手観音立像の3体の巨像が安置されていました。また、本尊の手前左右に梵天・帝釈天立像、須弥壇の四隅に四天王立像が安置されていました。すべて国宝の仏像には圧倒されました。金堂の見学を終え、境内の西側にある戒壇に向かう途中の光景です。

    金堂の内部には、中央に本尊の廬舎那仏坐像、向かって右に薬師如来立像、左に千手観音立像の3体の巨像が安置されていました。また、本尊の手前左右に梵天・帝釈天立像、須弥壇の四隅に四天王立像が安置されていました。すべて国宝の仏像には圧倒されました。金堂の見学を終え、境内の西側にある戒壇に向かう途中の光景です。

  • 金堂の西側にある戒壇の周りの築地塀の光景です。この角が、階段のエリアの東南になります。僧となるための授戒が行われる場所として、唐招提寺の創建時に築かれました。

    金堂の西側にある戒壇の周りの築地塀の光景です。この角が、階段のエリアの東南になります。僧となるための授戒が行われる場所として、唐招提寺の創建時に築かれました。

  • 戒壇を巡る築地塀の南東門に建っていた石碑の光景です。『大界東南内相』の文字が刻まれていました。最後の『相』の文字は読み取れませんでしたが、基壇脇の石碑から類推しました。

    戒壇を巡る築地塀の南東門に建っていた石碑の光景です。『大界東南内相』の文字が刻まれていました。最後の『相』の文字は読み取れませんでしたが、基壇脇の石碑から類推しました。

  • 戒壇の周りの築地塀の光景です。古都奈良で戒壇が存在したのは『東大寺』と『唐招提寺』だけとされます。唐招提寺の戒壇は、創建時からあったとする説と、鎌倉時代の弘安7年(1284年)に初めて造られたとする説とがあります。

    戒壇の周りの築地塀の光景です。古都奈良で戒壇が存在したのは『東大寺』と『唐招提寺』だけとされます。唐招提寺の戒壇は、創建時からあったとする説と、鎌倉時代の弘安7年(1284年)に初めて造られたとする説とがあります。

  • 唐招提寺の中でも、特に重要な施設とされる『戒壇』の光景です。『戒壇』とは、三段の壇で形成されているための呼び方のようです。

    唐招提寺の中でも、特に重要な施設とされる『戒壇』の光景です。『戒壇』とは、三段の壇で形成されているための呼び方のようです。

  • ズームアップした、『戒壇』の光景です。江戸時代に、廃れていた戒壇を将軍綱吉の母『桂昌院』が錺(かざり)金具や荘厳具など絢爛豪華な装飾を施された建築に再建されました。しかし、それらの金物が盗難に遭い、その上犯人による証拠隠滅を図るための放火で建物も焼失しました。

    ズームアップした、『戒壇』の光景です。江戸時代に、廃れていた戒壇を将軍綱吉の母『桂昌院』が錺(かざり)金具や荘厳具など絢爛豪華な装飾を施された建築に再建されました。しかし、それらの金物が盗難に遭い、その上犯人による証拠隠滅を図るための放火で建物も焼失しました。

  • ズームアップした基壇中央部の光景です。白い仏塔は、インドの 『サーンチーの仏塔』を参考に造られたようです。

    イチオシ

    ズームアップした基壇中央部の光景です。白い仏塔は、インドの 『サーンチーの仏塔』を参考に造られたようです。

  • 戒壇の西南角付近の基壇のズームアップ光景です。基壇の端の部分に、左の石碑に『戒壇東南外相』、左の石碑に『戒壇外相』の文字がありました。

    戒壇の西南角付近の基壇のズームアップ光景です。基壇の端の部分に、左の石碑に『戒壇東南外相』、左の石碑に『戒壇外相』の文字がありました。

  • 戒壇の西南角付近の基壇のズームアップ光景です。基壇の端の部分に、『戒壇外相』と『戒壇西南外相』の文字がありました。

    戒壇の西南角付近の基壇のズームアップ光景です。基壇の端の部分に、『戒壇外相』と『戒壇西南外相』の文字がありました。

  • 戒壇の敷地内には、入ることが出来ませんでした。入口からの見学でした。その階段の周りの築地塀の光景です。漆喰が剥がれ、傷みが進んでいる場所が目に付きました。

    戒壇の敷地内には、入ることが出来ませんでした。入口からの見学でした。その階段の周りの築地塀の光景です。漆喰が剥がれ、傷みが進んでいる場所が目に付きました。

  • 周りの緑が豊かな参道の光景です。舗装道路ではありませんが、水刷けがよく雨後でもぬかるんでいませんでした。

    周りの緑が豊かな参道の光景です。舗装道路ではありませんが、水刷けがよく雨後でもぬかるんでいませんでした。

  • 『戒壇』の見学を終え、東側に移動する途中の光景です。木立の先に見える正面の建物が、先に見学した『金堂』、左手の建物が、これから見学予定の『講堂』の建物です。

    『戒壇』の見学を終え、東側に移動する途中の光景です。木立の先に見える正面の建物が、先に見学した『金堂』、左手の建物が、これから見学予定の『講堂』の建物です。

  • 横目で眺めて通り過ぎた、『金堂』の真北に位置する、『講堂』の建物光景です。国宝の建物です。軒下を五色旗が飾っていました。この後で、もう少し紹介します。

    横目で眺めて通り過ぎた、『金堂』の真北に位置する、『講堂』の建物光景です。国宝の建物です。軒下を五色旗が飾っていました。この後で、もう少し紹介します。

  • 生垣越しに眺めた。鐘楼の光景です。金堂・講堂の東側に建つ『鼓楼』は国宝の建物ですが、西側に建つこの鐘楼は文化財に指定されていませんでした。

    生垣越しに眺めた。鐘楼の光景です。金堂・講堂の東側に建つ『鼓楼』は国宝の建物ですが、西側に建つこの鐘楼は文化財に指定されていませんでした。

  • 鐘突き棒の後ろから眺めた、鐘楼の光景です。暮れには108人の方が梵鐘を撞くことが出来、記念品の干支が貰えるそうです。その一つを現地ガイドさんが披露してくれました。

    鐘突き棒の後ろから眺めた、鐘楼の光景です。暮れには108人の方が梵鐘を撞くことが出来、記念品の干支が貰えるそうです。その一つを現地ガイドさんが披露してくれました。

  • 鐘楼に吊り下げられた梵鐘の光景です。子の梵鐘は平安時代(794〜1186/1192年)の作で、国の重要文化財に指定されています。

    鐘楼に吊り下げられた梵鐘の光景です。子の梵鐘は平安時代(794〜1186/1192年)の作で、国の重要文化財に指定されています。

  • 鐘楼の次に見学したのが、国宝の建物の『講堂』です。天平宝字4年(760年)頃、平城宮の改修に伴い、平城宮の東朝集殿が移築・改造された建物です。奈良時代(710〜794年)の宮廷建築の唯一の遺構として、極めて貴重な建築物です。

    鐘楼の次に見学したのが、国宝の建物の『講堂』です。天平宝字4年(760年)頃、平城宮の改修に伴い、平城宮の東朝集殿が移築・改造された建物です。奈良時代(710〜794年)の宮廷建築の唯一の遺構として、極めて貴重な建築物です。

  • 鐘楼の次に見学したのが、国宝の建物の『講堂』です。天平宝字4年(760年)頃、平城宮の改修に伴い、平城宮の東朝集殿が移築・改造された建物です。奈良時代(710〜794年)の宮廷建築の唯一の遺構として、極めて貴重な建築物です。

    鐘楼の次に見学したのが、国宝の建物の『講堂』です。天平宝字4年(760年)頃、平城宮の改修に伴い、平城宮の東朝集殿が移築・改造された建物です。奈良時代(710〜794年)の宮廷建築の唯一の遺構として、極めて貴重な建築物です。

  • 北側から眺めた、『金堂』の建物光景です。奈良時代建立の寺院金堂としては、現存唯一のものとされます。国宝の建物です。

    北側から眺めた、『金堂』の建物光景です。奈良時代建立の寺院金堂としては、現存唯一のものとされます。国宝の建物です。

  • 『講堂』の南側から眺めた、『金堂』の北側の光景です。どちらも国宝の建物です。

    イチオシ

    『講堂』の南側から眺めた、『金堂』の北側の光景です。どちらも国宝の建物です。

  • 『講堂』の建物の東側面光景です。『講堂』は、入母屋造、本瓦葺きで、正面9間、側面4間の建物です。鎌倉時代の建治元年(1275年)にも改造されました。

    イチオシ

    『講堂』の建物の東側面光景です。『講堂』は、入母屋造、本瓦葺きで、正面9間、側面4間の建物です。鎌倉時代の建治元年(1275年)にも改造されました。

  • 『講堂』の建物の東側面の出入口光景です。堂内には本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)が安置されています。

    『講堂』の建物の東側面の出入口光景です。堂内には本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)が安置されています。

  • 『礼堂(らいどう)』の建物光景です。その中間が通り抜け出来る『馬道(めどう)』と呼ばれる通路でした。元々は僧房でしたが、北側が東室(ひがしむろ)、南側が『仏堂』として使われている、重要文化財の建物です。

    『礼堂(らいどう)』の建物光景です。その中間が通り抜け出来る『馬道(めどう)』と呼ばれる通路でした。元々は僧房でしたが、北側が東室(ひがしむろ)、南側が『仏堂』として使われている、重要文化財の建物です。

  • 『講堂』の見学を終え、更に北側の御影堂方面に移動途中の光景です。松尾芭蕉の句碑があった建物付近です。

    『講堂』の見学を終え、更に北側の御影堂方面に移動途中の光景です。松尾芭蕉の句碑があった建物付近です。

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