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奈良の2箇所の世界遺産巡りです。薬師寺は、西ノ京町にあるお寺で、興福寺とともに法相宗の大本山です。南都七大寺の一つに数えられます。天武天皇の発願により建設が始まりました。

2016梅雨、奈良の世界遺産(2/9):薬師寺(2):六角堂、サツキ展、薬師寺から唐招提寺へ

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2016/06/05 - 2016/06/05

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

奈良の2箇所の世界遺産巡りです。薬師寺は、西ノ京町にあるお寺で、興福寺とともに法相宗の大本山です。南都七大寺の一つに数えられます。天武天皇の発願により建設が始まりました。

交通手段
私鉄
  • 玄奘三蔵院伽藍の中心に位置する、玄奘堂の建物光景です。薬師寺は天武天皇9年(680年)、天武天皇の発願により、飛鳥の藤原京(奈良県橿原市)の地に造営が開始され、平城遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転しました。

    イチオシ

    玄奘三蔵院伽藍の中心に位置する、玄奘堂の建物光景です。薬師寺は天武天皇9年(680年)、天武天皇の発願により、飛鳥の藤原京(奈良県橿原市)の地に造営が開始され、平城遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転しました。

  • 玄奘三蔵院伽藍の中の建物の一つ、大唐西域壁画殿の建物だったようです。平山郁夫画伯(1930〜2009年)の壁画が飾られています。

    玄奘三蔵院伽藍の中の建物の一つ、大唐西域壁画殿の建物だったようです。平山郁夫画伯(1930〜2009年)の壁画が飾られています。

  • 玄奘三蔵院伽藍の廻廊に展示してあったサツキ(皐月)の盆栽の紹介です。絡み合うような幹が見ものの一品です。薄いピンクの花が満開でした。品種名は分かりません。

    玄奘三蔵院伽藍の廻廊に展示してあったサツキ(皐月)の盆栽の紹介です。絡み合うような幹が見ものの一品です。薄いピンクの花が満開でした。品種名は分かりません。

  • 華やかなピンク色の花を咲かせた大型の盆栽です。『女神』の名札がありました。

    華やかなピンク色の花を咲かせた大型の盆栽です。『女神』の名札がありました。

  • グラディーションのピンクの花を咲かせた皐月の盆栽です。密度濃い咲き方でした。品種名は分かりません。

    イチオシ

    グラディーションのピンクの花を咲かせた皐月の盆栽です。密度濃い咲き方でした。品種名は分かりません。

  • 濃淡差があるピンクの花を咲かせた皐月の盆栽です。『暁天』の名札がありました。貫禄ある幹の大きさでした。

    濃淡差があるピンクの花を咲かせた皐月の盆栽です。『暁天』の名札がありました。貫禄ある幹の大きさでした。

  • 白い花に、少しだけピンク色の花が混じった皐月の盆栽です。『千代の光』の名札がありました。こちらも立派な幹の大きさと姿でした。

    白い花に、少しだけピンク色の花が混じった皐月の盆栽です。『千代の光』の名札がありました。こちらも立派な幹の大きさと姿でした。

  • 薬師寺の見学を終え、歩いて唐招提寺に向かう途中の光景です。荒地に『薬師寺北門跡』の立札があった場所の光景です。

    薬師寺の見学を終え、歩いて唐招提寺に向かう途中の光景です。荒地に『薬師寺北門跡』の立札があった場所の光景です。

  • 暫く、歩いて唐招提寺に向かう途中の光景が続きます。道の左手にあった門が前の家です。粗い目のネットを使って立入り制限されていました。

    暫く、歩いて唐招提寺に向かう途中の光景が続きます。道の左手にあった門が前の家です。粗い目のネットを使って立入り制限されていました。

  • 道の脇で咲いていた白い『ユリ(百合)』の花です。ユリ科百合属の多年草です。

    道の脇で咲いていた白い『ユリ(百合)』の花です。ユリ科百合属の多年草です。

  • 道の脇で咲いていた、ユリによく似た黄色の花です。ノカンゾウ化、ヤブカンゾウのようでしたが、見分けが付きませんでした。あるいは、黄色のユリかも知れません。

    道の脇で咲いていた、ユリによく似た黄色の花です。ノカンゾウ化、ヤブカンゾウのようでしたが、見分けが付きませんでした。あるいは、黄色のユリかも知れません。

  • 薬師寺から歩いてきて突き当たった、三叉路の光景です。唐招提寺の外塀でした。黒板に白い筆字で、『開山忌舎利会』の表題の最後に、唐招提寺の文字がありました。

    薬師寺から歩いてきて突き当たった、三叉路の光景です。唐招提寺の外塀でした。黒板に白い筆字で、『開山忌舎利会』の表題の最後に、唐招提寺の文字がありました。

  • 同じように、通路脇にあった『西ノ京寺観光案内図』の光景です。北が下側に表示された地図の下部に、薬師寺のエリアが表示されていました。

    同じように、通路脇にあった『西ノ京寺観光案内図』の光景です。北が下側に表示された地図の下部に、薬師寺のエリアが表示されていました。

  • 薬師寺境内の南面に位置する南大門の光景です。『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたと記しています。

    薬師寺境内の南面に位置する南大門の光景です。『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたと記しています。

  • 南大門の上部に掲げられていた扁額の光景です。墨字で記されているようですが、ほとんど読み取れませんでした。

    南大門の上部に掲げられていた扁額の光景です。墨字で記されているようですが、ほとんど読み取れませんでした。

  • ほとんど文字が読み取れなかった、『唐招提寺』の扁額のズームアップ光景です。右から始まる、2文字ずつの『唐招提寺』の文字でした。唐招提寺の寺号は、『唐僧鑑真和上のための寺』の意味とされます。

    ほとんど文字が読み取れなかった、『唐招提寺』の扁額のズームアップ光景です。右から始まる、2文字ずつの『唐招提寺』の文字でした。唐招提寺の寺号は、『唐僧鑑真和上のための寺』の意味とされます。

  • 南大門の入口に掛けられていた白い暖簾の光景です。染め抜かれた文様は、花をデフォルメした二種の文様でした。

    南大門の入口に掛けられていた白い暖簾の光景です。染め抜かれた文様は、花をデフォルメした二種の文様でした。

  • 入場した後、振り返って眺めた南大門の光景です。鑑真和上1200年忌の昭和35年(1960年)に天平様式で再建された門です。五間の中央に三扉とする、切妻造りの建物です。遺っていた礎石から、規模や形式が推定されて再建されました。

    入場した後、振り返って眺めた南大門の光景です。鑑真和上1200年忌の昭和35年(1960年)に天平様式で再建された門です。五間の中央に三扉とする、切妻造りの建物です。遺っていた礎石から、規模や形式が推定されて再建されました。

  • 南大門近くから眺めた、『金堂』の建物光景です。唐招提寺の金堂は、日本最大規模の天平建築として知られます。国宝に指定されている建物です。

    南大門近くから眺めた、『金堂』の建物光景です。唐招提寺の金堂は、日本最大規模の天平建築として知られます。国宝に指定されている建物です。

  • 同じ場所からズームアップした、『金堂』の建物光景です。金堂内には、ご本尊の廬舎那仏坐像が安置されています。空海が拓いた真言宗などの密教などでは、『大日如来』とも呼ばれています。

    同じ場所からズームアップした、『金堂』の建物光景です。金堂内には、ご本尊の廬舎那仏坐像が安置されています。空海が拓いた真言宗などの密教などでは、『大日如来』とも呼ばれています。

  • 『唐招提寺』の文字が刻まれた、世界文化遺産登録の石標です。『古都奈良の文化財』として、1998年に世界遺産の登録された8件の構成要素の一つです。

    『唐招提寺』の文字が刻まれた、世界文化遺産登録の石標です。『古都奈良の文化財』として、1998年に世界遺産の登録された8件の構成要素の一つです。

  • 南大門近くにあった、『唐招提寺境内案内図』の光景です。

    南大門近くにあった、『唐招提寺境内案内図』の光景です。

  • 南大門から少し北側に歩き、その途中で撮影した金堂の建物光景です。

    イチオシ

    南大門から少し北側に歩き、その途中で撮影した金堂の建物光景です。

  • 金堂に向かう参道の左手方面の光景です。立ち入り禁止の表示がありました。樹の根元や、苔が踏み荒らされるのを避けたものに見えました。

    金堂に向かう参道の左手方面の光景です。立ち入り禁止の表示がありました。樹の根元や、苔が踏み荒らされるのを避けたものに見えました。

  • 金堂正面に向かって左手(西)の屋根飾りの、シビ(鴟尾)の光景です。1200年前の天平のシビは、平成の修理で新しいものに取替えられました。鴟尾は、訓読みでは『とびのお』と読み、沓(くつ)に似ていることから、『沓形(くつがた)』とも呼ばれます。

    金堂正面に向かって左手(西)の屋根飾りの、シビ(鴟尾)の光景です。1200年前の天平のシビは、平成の修理で新しいものに取替えられました。鴟尾は、訓読みでは『とびのお』と読み、沓(くつ)に似ていることから、『沓形(くつがた)』とも呼ばれます。

  • 金堂正面に向かって右手(東)の屋根飾りの、シビの光景です。こちらのシビは、鎌倉時代のものでしたが、平成の修理で新しいシビに取替えられました。シビは、瓦の伝来に伴い、飛鳥時代(592〜710年)に大陸から日本へ伝えられました。

    金堂正面に向かって右手(東)の屋根飾りの、シビの光景です。こちらのシビは、鎌倉時代のものでしたが、平成の修理で新しいシビに取替えられました。シビは、瓦の伝来に伴い、飛鳥時代(592〜710年)に大陸から日本へ伝えられました。

  • 軒瓦の先端部分のズームアップ光景です。第9次遣唐使で大陸に渡った留学僧たちを描いた、井上靖さんの小説の題は、『天平の甍』でした。初版は中央公論社から昭和32年(1957年)に単行本が刊行されました。現在は文庫本で読むこともできます。

    軒瓦の先端部分のズームアップ光景です。第9次遣唐使で大陸に渡った留学僧たちを描いた、井上靖さんの小説の題は、『天平の甍』でした。初版は中央公論社から昭和32年(1957年)に単行本が刊行されました。現在は文庫本で読むこともできます。

  • 金堂の前から眺めた、唐招提寺の境内光景です。金堂の建立年代には諸説ありますが、おおむね8世紀末と推定されています。鑑真和上が亡くなった後の建立です。

    金堂の前から眺めた、唐招提寺の境内光景です。金堂の建立年代には諸説ありますが、おおむね8世紀末と推定されています。鑑真和上が亡くなった後の建立です。

  • 金堂の建物の、南東端の光景です。その奥の中央に見える建物は、『礼堂』のようです。

    金堂の建物の、南東端の光景です。その奥の中央に見える建物は、『礼堂』のようです。

  • 金堂正面に置かれていた、大きな石灯篭の光景です。台座には、蓮花が彫刻されているようでした。

    金堂正面に置かれていた、大きな石灯篭の光景です。台座には、蓮花が彫刻されているようでした。

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