2016/06/05 - 2016/06/05
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奈良の世界遺産巡り、唐招提寺の紹介です。律宗の総本山であり、本尊は廬舎那仏です。井上靖の小説、『天平の甍』で広く知られるようになった、鑑真和上が開いたお寺です。
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- 私鉄
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鬱蒼とした、唐招提寺の北側方面の境内光景です。『新宝蔵』での鑑真和上像の拝観を終え、『鑑真和上御廟』に向かう途中の光景です。
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鬱蒼とした木立の下の光景です。びっしりと苔が生して、緑の絨毯になっていました。苔にも見頃があるのかもしれませんが、今は梅雨時、丁度、見頃に当たったようです。
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イチオシ
唐招提寺の『苔庭』の紹介が続きます。『苔寺』では、京都の世界遺産の『西芳寺』などが有名です。ネット写真で比較しましたが、部分的には、優劣がない光景に見えました。
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最後にもう1枚、樹木の根が少し浮き出た部分の光景です。かなり広い範囲を苔が覆った庭園の一角でした。
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『鑑真和上御廟』に向かう途中の参道脇の光景です。『鑑真大和上御廟清域』のタイトルがあった注意書きです。当然守るべき5項目が記されていました。
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『鑑真和上御廟』は、唐招提寺境内の北東隅に位置し、三日月池に前方を囲まれた八角形の墳墓です。その域内に渡る、三日月池に架かる小橋の光景です。
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鬱蒼とした林に囲まれた、『鑑真和上御廟』の光景です。八角形の墳墓の中心部に、鎌倉時代の宝篋印塔が建てられています。
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イチオシ
『鑑真和上御廟』の前の石造の祭壇の光景です。鑑真和上は天平宝字7年(763年)、旧暦の5月6日に入滅しました。この鑑真和上の御廟は、唐招提寺の境内にある唯一の墓とされます。
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『瓊花(けいか)』の説明プレートです。鑑真和上の故郷、中国揚州の名花と紹介してありました。揚州は、漢代(紀元前260〜220年)に置かれた13州の一つです。唐代(618〜907年)に表記を『揚州』と改められました。現在は江蘇省に属します。
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中国揚州から贈られ、記念植樹されたらしい、『瓊花(けいか)』の光景です。先ほどの説明プレートには、4月下旬〜5月上旬に花が咲くと紹介されていました。『ガクアジサイ(額紫陽花)』に似た白い花です。唐招提寺の御影堂供華園には複数の成木があります。芳香を持つ、スイカズラ科の樹木です。
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『中華人民共和国首相・趙紫陽閣下手植瓊花』の文字が刻まれた石碑です。趙紫陽首相(1919〜2005年)は、後に総書記(在位:1987年1月〜1989年6月)まで務めた人ですが、1989年の天安門事件で失脚し、2005年に死去するまで軟禁生活を余儀なくされました。
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『鑑真和上御廟』の周りを囲う、八角形の石塀に刻まれた文字です。『像立如人在』で始まる漢文でした。
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『像立如人在』で始まる漢文の締め括りは、『鑑真大師像・四囲巡展(?)礼讃・趙』の落款でした。趙紫陽首相の讃文を刻んだもののようでした。
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シルエットのままズームアップした、鎌倉時代の宝篋印塔の光景です。唐招提寺の他の歴代の高僧の墓は、この後見学した、奥の院の西方院にありました。
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墳墓と宝篋印塔が逆光とならない場所を探しての撮影です。正面の祭壇から、左側(西)に回り込みました。
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西側からズームアップした、墳墓の頂点に立つ宝篋印塔の光景です。その左に見える木塔は、鑑真和上1250遠忌の卒塔婆のようでした。2013年に建てられたようです。
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『鑑真和上御廟』の正面に立っていた石灯篭の光景です。聖武天皇の招致に応え、受戒の師として来朝することになり、天平勝宝6年(754年)東大寺に到着するまで12年間、前後5回におよぶ航海に失敗したにもかかわらず、初志を貫き奈良の都に着いた時は両眼を失明していました。鑑真和上は東大寺戒壇院を退いて唐招提寺を建立し、4年の在の後、天平宝字7年(763年)に76歳をもって示寂されました。
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『鑑真和上御廟』の回りの土塀の光景です。赤土の地肌に横並びに瓦が埋め込まれた築地塀です。
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『鑑真和上御廟』の参拝を終えて、次に向かったのは『御影堂』です。『御影堂』は、鑑真の肖像彫刻(国宝)を安置する建物ですが、今日はその鑑真像は、『新宝蔵』で見学しました。
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『鑑真和上御廟』のエリアの土塀は、瓦を横に並べた造りでしたが、こちらの御影堂の周りの土塀は、黄色系に塗り込め、白筋が五本入った格式高い築地塀です。
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『平成の鑑真和上御身代わり像及び御影堂前庭公開』の案内立札です。御身代わり像は、『中興堂』の中に祀られていました。別の出口まで、一方通行でした。
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イチオシ
『平成の鑑真和上御身代わり像が安置された、『中興堂』の建物光景です。前面の扉が開け放たれていました。通常は非公開で、重要文化財の木造大悲菩薩坐像(中興の祖:覚盛の肖像)を祀る建物です。
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『中興堂』の建物正面のズームアップ光景です。唐招提寺中興の祖の覚盛(かくじょう:1194〜1249年)は、鑑真和上の再来と称される高僧です。この日は、鑑真和上御身代わり像も公開されていました。
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『鑑真大和上御身代わり像』のタイトルがあった説明立看板です。例年5月5〜7日の3日間か公開されない国宝の和上像に代わって、毎日参拝できる御身代わり像(御影)が平成25年(2013年)に制作されたことが紹介されていました。1250年遠忌の事業の一つだったようです。
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右斜め前から眺めた、『中興堂』の建物光景です。『鑑真和上御身代わり像』は、この後も続けて『中興堂』で拝観できるようでした。
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順路に従って移動した境内の片隅光景です。由緒ありそうな古井戸のそばに、石灯篭が置かれていました。
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ここからは順路に従って見学した、『御影堂』の建物光景になります。御影堂の西側の破風の光景です。国の重要文化財の建物です。日本画家の東山魁夷が描いたこの建物の障壁画の『濤声』、『山雲』、『黄山暁雲』は、彼の畢生の大作として知られます。参拝記念にその絵ハガキを貰いました。
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同じく、『御影堂』の側面と全面の建物光景です。現地ガイドさんは、障壁画が完成した後の製作費は謝辞されたようですが、止むを得ず受け取った後は、全額お布施としてお寺に寄付されたエピソードを紹介されていました。
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『重要文化財・御影堂』の案内立看板です。元は慶安3年(1650年)に建てられた、興福寺の門跡である一乗院の宸殿だった建物と紹介されていました。明治以降、奈良県庁などに転用されていましたが、昭和39年(1964年)にこの地に移築され、鑑真和上座像が祀られる御影堂となったことも紹介されていました。
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先程の『御影堂』の説明立看板でも紹介されていた、『右近の橘』の光景です。左近には梅がありました。
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