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京都五条を歩いてゆきました。<br />地味なお寺の「本覚寺」~<br />六波羅蜜寺<br /><br />市比賣神社は、桓武天皇の時代、延暦14年(795年)の創建。市場の守護神であり、かつ、お祭りしてある祭神は全て女の神様なので、女性の守り神なのだそうです。<br /><br />西本願寺<br /><br />京の花街・島原を訪づねて、新選組御用達!‘おもてなし‘の館へ<br />島原というと思い浮かべるのは多くの方は「妖艶で怪しげな大人の世界」<br />でないでしょうか。<br />それが、島原は老若男女誰でも楽しめる街だったと感じました。

京都を歩く、西本願寺~島原

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2015/05/07 - 2015/05/07

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じゅんち

じゅんちさん

京都五条を歩いてゆきました。
地味なお寺の「本覚寺」~
六波羅蜜寺

市比賣神社は、桓武天皇の時代、延暦14年(795年)の創建。市場の守護神であり、かつ、お祭りしてある祭神は全て女の神様なので、女性の守り神なのだそうです。

西本願寺

京の花街・島原を訪づねて、新選組御用達!‘おもてなし‘の館へ
島原というと思い浮かべるのは多くの方は「妖艶で怪しげな大人の世界」
でないでしょうか。
それが、島原は老若男女誰でも楽しめる街だったと感じました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
4.5
同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 六波羅蜜寺<br />市聖と呼ばれた空也上人が天歴5(951)年に開山。<br />宝物館には、口から6体の仏の姿を吐き、念仏唱和の様子を表す空也上人像や<br />平清盛像などがある。<br />真言宗智山派の古刹で、西国三十三所十七番札所。<br />

    六波羅蜜寺
    市聖と呼ばれた空也上人が天歴5(951)年に開山。
    宝物館には、口から6体の仏の姿を吐き、念仏唱和の様子を表す空也上人像や
    平清盛像などがある。
    真言宗智山派の古刹で、西国三十三所十七番札所。

  • 悲哀を伝える平家物語の舞台でもあり、境内には平清盛とヒロインあこやの塚がある。

    悲哀を伝える平家物語の舞台でもあり、境内には平清盛とヒロインあこやの塚がある。

  • 市比賽神社へ

    市比賽神社へ

  • 市比賣神社は、桓武天皇の時代、延暦14年(795年)の創建。市場の守護神であり、かつ、お祭りしてある祭神は全て女の神様なので、女性の守り神なのだそうです。<br />。

    市比賣神社は、桓武天皇の時代、延暦14年(795年)の創建。市場の守護神であり、かつ、お祭りしてある祭神は全て女の神様なので、女性の守り神なのだそうです。

  • イチオシ

  • 浄土宗 極楽寺

    浄土宗 極楽寺

  • 新善光寺

    新善光寺

  • 西本願寺

    西本願寺

  • 唐門<br />黒塗りに極彩色で、牡丹に唐獅子、竹に虎、麒麟に孔雀などの彫刻が施されている

    イチオシ

    唐門
    黒塗りに極彩色で、牡丹に唐獅子、竹に虎、麒麟に孔雀などの彫刻が施されている

  • 太鼓楼<br />内部の大きな太鼓は、江戸時代には周囲に時刻を告げるために使用。<br />新選組の屯所でもあった。

    太鼓楼
    内部の大きな太鼓は、江戸時代には周囲に時刻を告げるために使用。
    新選組の屯所でもあった。

  • 花屋町通りを西へ進みます。

    花屋町通りを西へ進みます。

  • 島原の入口「島原大門」へ<br />島原は遊郭ですが、だれでも入れて食事や娯楽を楽しめる開かれた場所だったようです。

    島原の入口「島原大門」へ
    島原は遊郭ですが、だれでも入れて食事や娯楽を楽しめる開かれた場所だったようです。

  • 島原大門

    島原大門

  • 現在も営業している島原の置屋兼お茶屋「輪違屋」<br />入口には「観覧謝絶」(一見さんお断り)の札がついています。<br />当時の雰囲気をそのままに感じられる建物、<br />思わず見惚れてしまいました。<br /><br />創業1688年

    イチオシ

    現在も営業している島原の置屋兼お茶屋「輪違屋」
    入口には「観覧謝絶」(一見さんお断り)の札がついています。
    当時の雰囲気をそのままに感じられる建物、
    思わず見惚れてしまいました。

    創業1688年

  • 島原には、花街当初から建物を維持し続け、その揚屋建築を今に伝える唯一の遺構として『角屋』(すみか)が残されています。<br />角谷が現在の料亭と同じような用途で使われ、<br />太夫や芸舞妓を派遣いsてもらい、お客様に歌舞と食事を楽しんでいただくところでした。

    島原には、花街当初から建物を維持し続け、その揚屋建築を今に伝える唯一の遺構として『角屋』(すみか)が残されています。
    角谷が現在の料亭と同じような用途で使われ、
    太夫や芸舞妓を派遣いsてもらい、お客様に歌舞と食事を楽しんでいただくところでした。

  • イチオシ

  • 角屋が営業していたのは昭和60年までで、その後はお茶屋さんとしての宴会業務をを終え、「角屋おもてなしの文化美術館」として現代にその揚屋建築を遺しています。

    角屋が営業していたのは昭和60年までで、その後はお茶屋さんとしての宴会業務をを終え、「角屋おもてなしの文化美術館」として現代にその揚屋建築を遺しています。

  • 江戸時代の始めに作られた揚屋は、間口が狭く奥行きがある「うなぎの寝床」のような間どり。<br />一階は台所と居住スペースとして使われ、お客様をもてない客間は二階に設けてありました。<br />そのため、「お客様を二階の座敷に揚げる」ということから「揚屋」と呼ばれるようになったと云われていえうそうです。

    江戸時代の始めに作られた揚屋は、間口が狭く奥行きがある「うなぎの寝床」のような間どり。
    一階は台所と居住スペースとして使われ、お客様をもてない客間は二階に設けてありました。
    そのため、「お客様を二階の座敷に揚げる」ということから「揚屋」と呼ばれるようになったと云われていえうそうです。

  • 島原住吉神社

    島原住吉神社

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