行田・羽生・加須旅行記(ブログ) 一覧に戻る
東武伊勢崎線花崎駅から線路に沿って久喜方向に徒歩約8分、今では沼地を含む低地一帯が公園化された花崎城跡(埼玉県加須市花崎北)は当公園敷地だけでなく線路によって分断された北部や隣接する自動車教習所をその城域としていたとされます。<br /><br />当地域は鷲宮を中心に広大な社領を有した鷲宮神社の一部であったことから鷲宮神社及び神主は珍しく神職兼武家の家柄である大内氏と何らかの関係があったとされ、具体的には花崎城は城塞と化した粟原城の支城としての位置づけと言及されています。<br /><br />永禄4年(1561)、関東に出陣した上杉謙信は南下しながら北条氏支城を次々と撃破、本命の北条氏本拠である小田原城包囲して攻撃を試みますが北条氏の籠城ぶりは堅く、謙信は攻撃をあきらめます。<br /><br />そして鎌倉の鶴岡八幡宮において謙信に従ってきた関東各国人領主が見守るなか、謙信は上杉憲政より正式に関東管領の職を譲り受け、越後への帰路途中に木戸宮内少輔を先陣とする一隊を北条方に属していた鷲宮・粟原城に差向け焼き討ちし、その後花崎城へも攻撃をかけ落城に至ります。<br /><br />天正18年(1590)小田原城攻防に於いては城内に詰める関東各地の小領主のなかに北条方の武将として粟原城主大内泰秀(おおうち・やすひで、1552~1602)が居たという記録があり、この記録から類推すれば上杉謙信の関東進出の拠点の一つとした羽生城と対峙する小田原北条氏の境目の城として重要視した北条氏は一旦落城した花崎城を改修した可能性があります。<br /><br /><br />東側から入る公園入口脇に掲示されている説明板には次の内容が記述されています。<br /><br />「花崎遺跡<br /><br />この公園及び線路の北側に広がる一帯は、花崎遺跡といい新編武蔵風土記稿に記載されている花崎城があったところである。<br /><br />昭和55年から56年にかけて発掘調査が行われ、畝堀、馬出し、橋脚及び大変珍しい障子堀などが出土した。そこから擂鉢、かわらけ、ほうろく、美濃焼陶器、常滑焼陶器、板碑、石臼、弾丸などが出土した。<br /><br />これらの出土品は十六世紀のものである。その他縄文時代の土器や石鏃また平安時代の住居址、土師器、灰釉陶器及び砥石などが出土した。<br /><br />この時代は縄文時代から人々がいて、平安時代には住居を構え住みつくようになった。また、戦国時代にあると居館を構えて戦いに備えていたところであったことが発掘調査により解明された。<br />                    加須市教育委員会」

武蔵加須 小田原北条氏に属した後は越山した上杉謙信が関東拠点とする羽生城と対峙した神職を兼ねる武家の大内氏の支城とも伝える『花崎城』訪問

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2016/02/21 - 2016/02/21

399位(同エリア643件中)

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滝山氏照

滝山氏照さん

東武伊勢崎線花崎駅から線路に沿って久喜方向に徒歩約8分、今では沼地を含む低地一帯が公園化された花崎城跡(埼玉県加須市花崎北)は当公園敷地だけでなく線路によって分断された北部や隣接する自動車教習所をその城域としていたとされます。

当地域は鷲宮を中心に広大な社領を有した鷲宮神社の一部であったことから鷲宮神社及び神主は珍しく神職兼武家の家柄である大内氏と何らかの関係があったとされ、具体的には花崎城は城塞と化した粟原城の支城としての位置づけと言及されています。

永禄4年(1561)、関東に出陣した上杉謙信は南下しながら北条氏支城を次々と撃破、本命の北条氏本拠である小田原城包囲して攻撃を試みますが北条氏の籠城ぶりは堅く、謙信は攻撃をあきらめます。

そして鎌倉の鶴岡八幡宮において謙信に従ってきた関東各国人領主が見守るなか、謙信は上杉憲政より正式に関東管領の職を譲り受け、越後への帰路途中に木戸宮内少輔を先陣とする一隊を北条方に属していた鷲宮・粟原城に差向け焼き討ちし、その後花崎城へも攻撃をかけ落城に至ります。

天正18年(1590)小田原城攻防に於いては城内に詰める関東各地の小領主のなかに北条方の武将として粟原城主大内泰秀(おおうち・やすひで、1552~1602)が居たという記録があり、この記録から類推すれば上杉謙信の関東進出の拠点の一つとした羽生城と対峙する小田原北条氏の境目の城として重要視した北条氏は一旦落城した花崎城を改修した可能性があります。


東側から入る公園入口脇に掲示されている説明板には次の内容が記述されています。

「花崎遺跡

この公園及び線路の北側に広がる一帯は、花崎遺跡といい新編武蔵風土記稿に記載されている花崎城があったところである。

昭和55年から56年にかけて発掘調査が行われ、畝堀、馬出し、橋脚及び大変珍しい障子堀などが出土した。そこから擂鉢、かわらけ、ほうろく、美濃焼陶器、常滑焼陶器、板碑、石臼、弾丸などが出土した。

これらの出土品は十六世紀のものである。その他縄文時代の土器や石鏃また平安時代の住居址、土師器、灰釉陶器及び砥石などが出土した。

この時代は縄文時代から人々がいて、平安時代には住居を構え住みつくようになった。また、戦国時代にあると居館を構えて戦いに備えていたところであったことが発掘調査により解明された。
                    加須市教育委員会」

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル 私鉄

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  • 花崎城跡東端<br /><br />花崎城は城域を通る東武伊勢崎線で南北が分断され、撮影時には特急電車が通過中でした。

    花崎城跡東端

    花崎城は城域を通る東武伊勢崎線で南北が分断され、撮影時には特急電車が通過中でした。

  • 花崎城公園<br /><br />公園となった花崎城公園の東端には「花崎遺跡」の案内板が建っています。

    花崎城公園

    公園となった花崎城公園の東端には「花崎遺跡」の案内板が建っています。

  • 花崎遺跡説明i板

    花崎遺跡説明i板

  • 「花崎城山公園」標柱<br /><br />特に高台でもない平坦な城跡に「城山」と刻されています。

    「花崎城山公園」標柱

    特に高台でもない平坦な城跡に「城山」と刻されています。

  • 花崎城跡・北端<br /><br />花崎城跡公園入口から北方向を捉えます。周囲は金網にて包囲され、その北方行には東武伊勢崎線が東西に走行しています。

    花崎城跡・北端

    花崎城跡公園入口から北方向を捉えます。周囲は金網にて包囲され、その北方行には東武伊勢崎線が東西に走行しています。

  • 花崎城跡北西方向

    花崎城跡北西方向

  • 花崎城跡・南方向

    花崎城跡・南方向

  • 花崎城跡・北西方向<br /><br />北端とほぼ平行に水堀が西から東へ走っています。

    花崎城跡・北西方向

    北端とほぼ平行に水堀が西から東へ走っています。

  • 中央部通路<br /><br />北端を東西に流れる水堀と平行に通路が施されています。

    中央部通路

    北端を東西に流れる水堀と平行に通路が施されています。

  • 空堀跡<br /><br />中央部通路の南側には空堀が並行して施されています。

    空堀跡

    中央部通路の南側には空堀が並行して施されています。

  • 水堀

    水堀

  • 中央部通路<br /><br />低地部を走る通路は次第に高さを上げていきます。

    中央部通路

    低地部を走る通路は次第に高さを上げていきます。

  • 空堀

    空堀

  • 丘陵部<br /><br />次第に高くなった丘陵部にはあずまやのような設備があります。<br /><br />

    丘陵部

    次第に高くなった丘陵部にはあずまやのような設備があります。

  • 渡り橋<br /><br />北端を流れる水堀を渡る橋が見えます。

    渡り橋

    北端を流れる水堀を渡る橋が見えます。

  • 水堀<br /><br />渡り橋から西側の水堀を捉えます。<br /><br />

    水堀

    渡り橋から西側の水堀を捉えます。

  • 渡り橋<br /><br />南北を流れる水堀を渡り西方向に進みます。

    渡り橋

    南北を流れる水堀を渡り西方向に進みます。

  • 空堀<br /><br />渡り橋中央部から左側を見ると水位は低くやがて空堀と化しています。

    空堀

    渡り橋中央部から左側を見ると水位は低くやがて空堀と化しています。

  • 水堀<br /><br />今度は渡り橋中央部から右側を見ます。北端を東西に流れる水堀が途中まで入り込んでいます。

    水堀

    今度は渡り橋中央部から右側を見ます。北端を東西に流れる水堀が途中まで入り込んでいます。

  • 水堀<br /><br />西端部にも北端部から流れてくる水堀が南端に入り込んでいます。

    水堀

    西端部にも北端部から流れてくる水堀が南端に入り込んでいます。

  • 水堀<br /><br />西端部の水堀は北端部の水堀と合流し、「L」字形を形成しています。<br /><br />

    水堀

    西端部の水堀は北端部の水堀と合流し、「L」字形を形成しています。

  • 西端通路<br /><br />中央部通路が途中で左折して西端部は終わります。

    西端通路

    中央部通路が途中で左折して西端部は終わります。

  • 空堀<br /><br />公園南端部から南北に貫かれた空堀を捉えます。橋を渡った辺りから水位が出て北端の水堀に繋がっています。

    空堀

    公園南端部から南北に貫かれた空堀を捉えます。橋を渡った辺りから水位が出て北端の水堀に繋がっています。

  • 渡り橋<br /><br />中央部の通路と繋がる渡り橋があり、橋の左右は空堀となっています。

    渡り橋

    中央部の通路と繋がる渡り橋があり、橋の左右は空堀となっています。

  • 西端部水堀<br /><br />線路と直角の西側道路からフェンスを隔てた西端部を流れる水堀を捉えます。

    西端部水堀

    線路と直角の西側道路からフェンスを隔てた西端部を流れる水堀を捉えます。

  • 西端・北端合流部水堀<br /><br />水堀の流域が一番広く水量も豊かになっています。<br /><br /><br /><br /><br />

    西端・北端合流部水堀

    水堀の流域が一番広く水量も豊かになっています。




  • 花崎城跡北端<br /><br />北端はフェンスに覆われ、外側は道路と東武伊勢崎線が走っており、この線路によって城域が分断されたています。

    花崎城跡北端

    北端はフェンスに覆われ、外側は道路と東武伊勢崎線が走っており、この線路によって城域が分断されたています。

  • 中央部通路・渡り橋<br /><br />北端を東西に流れる水堀を線路脇道路から捉えます。

    中央部通路・渡り橋

    北端を東西に流れる水堀を線路脇道路から捉えます。

  • 東武伊勢崎線<br /><br />線路の北方向は戸建ての住宅が建ち並んでいます。

    東武伊勢崎線

    線路の北方向は戸建ての住宅が建ち並んでいます。

  • 東武伊勢崎線

    東武伊勢崎線

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