2016/02/21 - 2016/02/21
682位(同エリア852件中)
滝山氏照さん
千勝神社(ちかつじんじゃ、埼玉県久喜市本町)は室町将軍足利氏と同族で、関東八ケ国に甲斐と伊豆を加えた十ケ国を支配する鎌倉府首長である足利基氏(あしかが・もとうじ)を初代の後裔の足利成氏(あしかが・しげうじ、1449~1455)が幕府との争いに敗れ下総古河を新たに本拠とし、下野・常陸・下総・上総の国人領主の支持のもとにかつての関東管領職にあった上杉氏と対峙するなか当該神社を崇敬し、成氏を継いだ足利政氏(あしかが・まさうじ、1462~1531)も引き続き深く信仰、さらに江戸時代初期に当地に陣屋を築いた三河国に出自とする徳川家康譜代の米津氏も当地歴代藩主ともども崇敬した由緒ある寺院として知られています。
当該神社拝殿脇に建てられた「千勝神社御由緒」によれば次の通り記されています。
「御由緒(歴史)
当社は二代目古河公方足利政氏の勧請と伝える。
室町時代を開いた足利尊氏は関東を治めるため、鎌倉に関東公方を設置した。しかし、六代目関東公方足利成氏は、幕府と争いとなり鎌倉の関東管領と関東の支配を二分した。成氏は康生元年(1455)に下総古河を御在所としたことから古河公方と呼ばれた。
その子政氏は、明応六年(1497)に公方を継いだが、子の高基との確執から争いとなり、ついに実権を失った。そこで政氏は永正十四年(1517)に領地であった当地に館を築き隠棲した。当社は館の正面に延びる当時の馬場と思われる約200メートルのまっすぐな道の先に祀られた。また、館の裏鬼門の位置には、八幡神社が祀られた。
ちなみに当社は「近津(ちかつ)」と書く社名の社(やしろ)と同じく、福島県東白川郡に鎮座する奥州一宮の都都古別神社(旧称近津宮)を本宮とする。この社は南奥州から北関東にかけて中世に活躍した結城氏の勢力圏に広く分布し、県内では、中世に太田庄と呼ばれた地域(南埼玉郡の北部一帯、北埼玉郡の大部分と大里郡の一部)だけに散見する。
江戸期は館(後の臨済宗永安山甘棠院)に隣接する真言宗薬王院光明寺が別当を務めていた。
明治四十二年、字道合の愛宕神社と境内社の天神社、字馬場の八幡神社と境内社の稲荷神社ちょ熊野神社、当社境内社の三社神社を合祀した。」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル
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