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粟原城(あわはらじょう、埼玉県久喜市鷲宮粟原鷲宮)は鷲宮神社神主であった細谷氏が鎌倉時代の建久年間(1190~1199)、鷲宮神社の西側に広がる小高い平坦地に築城した館で、永禄年間(1558~1570)越後上杉謙信に焼き討ちされるまで累代神主を兼ねる武将が当館に居住していたとされます。<br /><br />当該城館がいつ築城されたかは定かではありませんが、当地域は頻繁に合戦が行われた南北朝時代前半から戦国時代あたりと推測され、この頃鷲宮神社神主であった大内氏は武蔵国を北進する小田原北条氏康(ほうじょう・うじやす)方に属していたようです。<br /><br />然しながらもともと当地は鎌倉府御料所(直轄地)であった事情から古河に移った公方から特別な庇護を受けていた経緯があり、必然的に古河公方派を支える立場を明確にし神職兼武家の大内氏は奉公衆である簗田氏・野田氏・佐々木氏・一色氏らと共に古河城の前線基地の一角を担うことになります。<br /><br />永禄7年(1564)岩槻城主太田氏内部に権力闘争が起こり、北条氏方でありながら独立動きを示す城主大田資正(おおた・すけまさ)は不仲の嫡男の氏資(うじすけ)によって弟梶原政景ともども追放され、岩槻城は北条氏の支配となり、その後鷲宮神社も岩槻城の管理下に置かれ、神社支配の勢力は古河公方から小田原北条氏へと移行します。<br /><br />同時に粟原城主である大内氏の立場も小田原北条氏に属することになり、以降鷲宮神社並びに社領一帯は小田原北条氏の東関東・北関東進出のための兵站地として重要視されることになります。<br /><br />永禄4年(1561)越山して北条氏の小田原城を攻めた後、鎌倉鶴岡八幡宮にて北条氏包囲に参陣した関東管領に従う諸領主が見守るなか上杉憲政(うえすぎ・のりまさ)より関東管領の譲渡を受けた謙信は越後に引き揚げる途中配下の羽生城主木戸宮内少輔を先鋒として粟原城を攻め焼き、余勢をかって鷲宮神社社領に在する支城花崎城をも攻略したと思われます。この頃の神主兼武将の大内氏は古河公方足利義氏(あしかが・よしうじ)を介して小田原北条氏に通じていたので謙信側の攻撃を受けたのは当然であった訳です。<br /><br />この鷲宮神社は出雲族の草創にかかわる関東最古の神社といわれ、中世以降は関東鎮護の神として多数の武将の信仰を集め、例えば鎌倉時代における将軍源頼朝・執権北条時頼・執権北条貞時・下野国守護小山義政などによる社殿修復、室町時代では足利尊氏・鎌倉(古河)公方・小田原北条氏の庇護を受け、有力武将から幣帛の奉納、駿馬の奉献、神領の寄進更には社殿の造営等がなされています。<br /><br />江戸時代では徳川家康より400石の社領が与えられ、武蔵国大國魂神社(東京都府中市)の500石に次ぐもので朱印地としては破格の待遇であったことが判ります。<br /><br />鎌倉時代から勢力拡大をめざす歴代武将が古くから鷲宮神社を社格の高い神社として篤く信仰する背景としては当地域が政治・経済・軍事上戦略的重要地域として認めていたからこそであったようです。<br /><br />換言すればこの領域一帯が「太田荘」と呼ばれる利根川流域の肥沃な土地を有しており、この地域に勢力を持っていた国人領主は古くから鷲宮神社を崇敬していた経緯から有力武将たちは彼らと深い連帯を保つことが必要不可欠であるとの判断があったので特別の厚遇をしたと思われます。

武蔵鷲宮 関東最古の格式高い神社で鎌倉期以降は関東鎮護の神として歴史を飾る有力武将の篤き信仰を集めた鷲宮神社神主が城主を兼ねた『粟原城』訪問

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2016/02/21 - 2016/02/21

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滝山氏照

滝山氏照さん

粟原城(あわはらじょう、埼玉県久喜市鷲宮粟原鷲宮)は鷲宮神社神主であった細谷氏が鎌倉時代の建久年間(1190~1199)、鷲宮神社の西側に広がる小高い平坦地に築城した館で、永禄年間(1558~1570)越後上杉謙信に焼き討ちされるまで累代神主を兼ねる武将が当館に居住していたとされます。

当該城館がいつ築城されたかは定かではありませんが、当地域は頻繁に合戦が行われた南北朝時代前半から戦国時代あたりと推測され、この頃鷲宮神社神主であった大内氏は武蔵国を北進する小田原北条氏康(ほうじょう・うじやす)方に属していたようです。

然しながらもともと当地は鎌倉府御料所(直轄地)であった事情から古河に移った公方から特別な庇護を受けていた経緯があり、必然的に古河公方派を支える立場を明確にし神職兼武家の大内氏は奉公衆である簗田氏・野田氏・佐々木氏・一色氏らと共に古河城の前線基地の一角を担うことになります。

永禄7年(1564)岩槻城主太田氏内部に権力闘争が起こり、北条氏方でありながら独立動きを示す城主大田資正(おおた・すけまさ)は不仲の嫡男の氏資(うじすけ)によって弟梶原政景ともども追放され、岩槻城は北条氏の支配となり、その後鷲宮神社も岩槻城の管理下に置かれ、神社支配の勢力は古河公方から小田原北条氏へと移行します。

同時に粟原城主である大内氏の立場も小田原北条氏に属することになり、以降鷲宮神社並びに社領一帯は小田原北条氏の東関東・北関東進出のための兵站地として重要視されることになります。

永禄4年(1561)越山して北条氏の小田原城を攻めた後、鎌倉鶴岡八幡宮にて北条氏包囲に参陣した関東管領に従う諸領主が見守るなか上杉憲政(うえすぎ・のりまさ)より関東管領の譲渡を受けた謙信は越後に引き揚げる途中配下の羽生城主木戸宮内少輔を先鋒として粟原城を攻め焼き、余勢をかって鷲宮神社社領に在する支城花崎城をも攻略したと思われます。この頃の神主兼武将の大内氏は古河公方足利義氏(あしかが・よしうじ)を介して小田原北条氏に通じていたので謙信側の攻撃を受けたのは当然であった訳です。

この鷲宮神社は出雲族の草創にかかわる関東最古の神社といわれ、中世以降は関東鎮護の神として多数の武将の信仰を集め、例えば鎌倉時代における将軍源頼朝・執権北条時頼・執権北条貞時・下野国守護小山義政などによる社殿修復、室町時代では足利尊氏・鎌倉(古河)公方・小田原北条氏の庇護を受け、有力武将から幣帛の奉納、駿馬の奉献、神領の寄進更には社殿の造営等がなされています。

江戸時代では徳川家康より400石の社領が与えられ、武蔵国大國魂神社(東京都府中市)の500石に次ぐもので朱印地としては破格の待遇であったことが判ります。

鎌倉時代から勢力拡大をめざす歴代武将が古くから鷲宮神社を社格の高い神社として篤く信仰する背景としては当地域が政治・経済・軍事上戦略的重要地域として認めていたからこそであったようです。

換言すればこの領域一帯が「太田荘」と呼ばれる利根川流域の肥沃な土地を有しており、この地域に勢力を持っていた国人領主は古くから鷲宮神社を崇敬していた経緯から有力武将たちは彼らと深い連帯を保つことが必要不可欠であるとの判断があったので特別の厚遇をしたと思われます。

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル 私鉄
  • 久喜市観光マップ

    久喜市観光マップ

  • 鷲宮案内板

    鷲宮案内板

  • 久喜市(鷲宮地区)案内図

    久喜市(鷲宮地区)案内図

  • 鷲宮神社遠景<br /><br />

    鷲宮神社遠景

  • 鷲宮神社・大鳥居

    鷲宮神社・大鳥居

  • 鷲宮神社・由緒略記

    鷲宮神社・由緒略記

  • 鷲宮神社・説明板

    鷲宮神社・説明板

  • 鷲宮神社・参道

    鷲宮神社・参道

  • 鷲宮掘内遺跡石標

    鷲宮掘内遺跡石標

  • みひかりの池

    みひかりの池

  • みひかりの池説明

    みひかりの池説明

  • 光天之(みひかりの)池石柱

    光天之(みひかりの)池石柱

  • 鷲宮神社・拝殿

    鷲宮神社・拝殿

  • 鷲宮神社・神楽殿(全景)

    鷲宮神社・神楽殿(全景)

  • 鷺宮神社・神楽殿(近景)

    鷺宮神社・神楽殿(近景)

  • 鷲宮神社・本殿

    鷲宮神社・本殿

  • 鷲宮神社・本殿<br /><br />

    鷲宮神社・本殿

  • 鷲宮神社・境内<br /><br />広大な境内敷地です。

    鷲宮神社・境内

    広大な境内敷地です。

  • 鷲宮神社・本殿

    鷲宮神社・本殿

  • 鷲宮神社本殿裏<br /><br />本殿裏北側に僅かながらの土塁跡らしきものが見えますが遺跡かどうか不明です。<br /><br />永禄4年(1561)謙信軍勢に焼き落とされた粟原城に対し神主の大内氏は神社境内に居館を建てたと言い伝えがあります。

    鷲宮神社本殿裏

    本殿裏北側に僅かながらの土塁跡らしきものが見えますが遺跡かどうか不明です。

    永禄4年(1561)謙信軍勢に焼き落とされた粟原城に対し神主の大内氏は神社境内に居館を建てたと言い伝えがあります。

  • 鷺宮神社・絵馬掛場

    鷺宮神社・絵馬掛場

  • 鷲宮神社・遠景<br /><br />宮前川を渡った川岸から鷲宮神社を一望します。神社及び粟原城を守る外堀としての役割が見て取れます。

    鷲宮神社・遠景

    宮前川を渡った川岸から鷲宮神社を一望します。神社及び粟原城を守る外堀としての役割が見て取れます。

  • 鷲宮神社・遠景<br /><br />宮前橋から北西にある鷲宮神社を遠くに捉えます。

    鷲宮神社・遠景

    宮前橋から北西にある鷲宮神社を遠くに捉えます。

  • 東武伊勢崎線鷲宮駅<br /><br />鷺宮神社の最寄駅である「鷺宮」駅に着きました。

    東武伊勢崎線鷲宮駅

    鷺宮神社の最寄駅である「鷺宮」駅に着きました。

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