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《2016.Jan》あみんちゅ淡海のぶらり旅その壱~浜大津・大津港~<br /><br />今更ですが明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。いきなり〝なんでやねん?〟で始まりましたが、昨年末からシフト休がタイミングよく取れず、なにか行動を起こそうとすると天気が崩れ…、結果休みにも拘らず外出すらしなかった年末年始。やっと出かけたのも今日中にケータイのプラン変更をしなければいけないという普通の方ならよくわからない理由でした。<br /><br />おまけに前日も夜遅くなり、寝過ごすといつものようにゴチャゴチャになってしまうため、これを機会に浜大津に泊まってみました。ホテルブルーレーク大津、浜大津駅近くに位置するビジネスホテルですが、以前泊まった時に場所の割に静かだった記憶があり、今回も利用しました。とはいえ到着は日が変わるかどうかの時間。さっさとシャワーを浴びてさあスマホターイムと考えると、な~んと一生の不覚(泣)。はい充電コードを持ってきませんでした。着替えは念のため持っていたものの予定外の行動だったためこんなことになりました。とはいえ1:00を過ぎた時間、ドタバタしても始まりません。なので仕方がないのでスマホの電源を落とし、ガラケーのアラームだけセットしてさっさと寝ることにしましたzzz。<br /><br />明けて平成28(2016)年1月31日、8:30起床。ギリギリまで寝ていたかったので食事なしで手配していました。なんとなく時間を過ごして9:45チェックアウト。近くのファミリーマートでいつものドリンク&一服を済ませ、その隣のauショップ浜大津店に来店。いつもなら月末はムチャ混みするのですが、本日2番目のお客はすんなり用事を済ませました。10:50ミッション完了♪<br /><br />せっかく浜大津までやって来たのでぶらぶらと周辺を歩きます。旧大津公会堂、昭和9年に建てられた築80年超の建物は改修を繰り返して今ではおしゃれな食べ物屋さんが集まっているそうです。実は私が小学生の頃、硬筆を学んでいましてその会場がこの場所でした。今となってはどこの主催だったかも覚えていませんが、エアコンはついておらず夏は窓が全開で、冬は長い煙突を取りつけたストーブがあった記憶がうっすらと残っています。その頃は今のようにキレイな外装をしておらず、ドス黒かった…。でも歴史ある建物を壊すだけではなく再利用して残すことは、古き時代を知るものとして嬉しく思います。そんな時代を思い出しながらトコトコと歩いて行きます。<br /><br />クロスロード、淡海らしからぬ名前ですがただの歩道橋です。浜大津エリアの再開発の際、整備されたものと聞いています。それを渡って湖岸へと向かうと京阪電鉄線路上を通過します。浜大津駅より少し石山よりにあるこの場所、本線を走る電車は石坂線の2両車両ですが、京津線京都市営地下鉄直通車両800系が引き込み線に入ってきます。なかなかタイミングが合わないのですが、上手くいけば新旧ふたつの京阪大津線車両を揃って撮影することができます。案の定タイミングがずれてしまいキレイには撮れていませんが、こんな場所もあ・る・ん・で・す・よ♪<br /><br />そして湖岸道路を渡ると浜大津アーカスが見えてきます。以前この場所には京阪レークセンターという建物がありました。新聞か何かの景品でプールの入場券を貰って連れて行って貰った記憶があります。その他建物内では今で言うディスカウントショップの出店みたいなこともやっていた記憶があります。時代の流れとともに衰退し閉鎖され、その後琵琶湖ホテルの移転を含めた再開発の結果いまの様相を呈するようになりました。元々石山っ子なので大津にぶらぶらっと来ることはあまりありませんでした。多分映画とかそんな用事でもなければ来ることはなかったため、すごく久しぶりに訪れた気がします。歩道橋からは大津港が眺められ、その後方には冠雪した比良山系等も望むことができる〝知る人ぞ知る〟場所になっています。<br /><br />琵琶湖汽船ミシガン後方に聳える比良山系を写真に収め、浜大津アーカスへと入りますが…どうも様子が違います。入口のロッテリア、湖の駅は同じですが、Pダイニングって・・・。外見は似た感じだったので入ってみましたがなんとなく違う…。後で調べると〝RAKERU〟が代わったようでした。ただ経営なんかも代わっており、外見が似ているだけでしかないというのが結論でしたが…。それに3階にあった台湾料理の〝阿里山〟なんかは跡形もなくなくなっていた…。時代の流れとはいえ飲食業界の厳しさを改めて感じました。<br /><br />そしてまたまたぶらついて、辿り着いた先は大津港。何回もここは来ているもののこれだけの船舶が停留しているのは初めてかも知れません。琵琶湖汽船二枚看板の〝ミシガン〟〝ビアンカ〟、それに滋賀県内の小学5年生が湖上学習をする船舶〝うみのこ(湖の子)〟なんかも停泊しています。高校を出た後東京や仙台を転々としたこともあり、淡海の案内のひとつのコースに組み込んでいたこともありました。今では大型船で外国を巡るクルーズ船の旅が珍しいものではなくなったものの、当時は船上レストランでの食事が値段の割に如何にインパクトがあったものかは鮮明に記憶に残っています。最近は費用を掛けずに歩く旅を地元では繰り返しているためご無沙汰していますが、もう少し暖かくなって海津大崎の桜の時期に募集される〝花見クルーズ〟なんかに参加してみようかな…なんて思った次第です。残念ながら今日乗船してしまうと仕事に行けないので、泣く泣く諦めましたが…。<br /><br />ということで大津港を後にすると、入口には大津城跡の碑が建てられています。関ヶ原の戦いの前哨戦であったという呼び声の高い大津城の戦いは、慶長5年9月7日から9月15日まで大津城主京極高次以下3,000名が大津城に籠城し、西軍毛利元康以下15,000名の兵力をこの場所に釘づけにし、関ヶ原の戦い当日である9月15日に開城したというものでした。元々琵琶湖を渡ってくる物資などの管理をするのが主目的として構築された湖城である大津城は籠城戦には不適とされるものでした。そこに籠城し5倍ものの兵力を釘付けにした京極高次でしたが、結果は明らかで9日間の籠城の末開城し自身は高野山で出家します。これだけならばそれ程歴史に残るものではなかったのかも知れませんが、高次が開城した日は9月15日、即ち関ヶ原の戦い当日のことでした。大津城の戦いに参戦した西軍主力部隊は関ヶ原に向けて東進しますが、幾許も進むことなく関ヶ原での西軍敗退の報を知り、西国へと退却します。大津城の戦いでは京極高次を降伏させたものの、戦いに参加した15,000名もの兵を関ヶ原に送ることができなかった。確かに大津城の戦いという局所的な戦いでは西軍は勝利した、しかしそこで兵力を足止めさせてしまったことが結果として関ヶ原の戦いという大局での敗北につながった。そのような解釈がなされています。関ヶ原の戦いに於いて東軍の将であった高次の弟京極高知の働きもあり、徳川家康から高野山に使者を遣わされ、大名として取り立てる旨を伝えたこと。また諸説はあるものの大津城の戦いで西軍兵士を足止めさせたことを家康はいたく賞賛していたとされており、感状を受けたとされています。その後戸田一西が大津城主に任ぜられるも損傷が激しく後に廃城、当時城づくりの名手であった藤堂高虎によって膳所城が建築され、大津城に残る城を構成したものが膳所城へと引き継がれました。<br /><br />交通の要所としての近江は、その利権絡みで戦いの戦場としばしばなってしまいました。その兵火により失われた古の遺物も数多いとされています。今から戦争の是非論を言うつもりはありません。しかしこの大津城、見かけだけとされた評価が多いものの最後に天下分け目の戦いの結果を変えてしまった…。史跡というものは必ずしも平和とは結びついていないものも多々あるように思います。しかしどんなものでも史跡は史跡、正負関わらず残せるものは残して後世にその事実を伝えて行く、その必要性を常に思うこの大津城跡の碑でした。<br /><br />それから国道161号線沿いに少し歩くとこれまた歴史のあるお店が目に入ります。あたか飯店浜大津店、滋賀エリアに数店舗ある本格中華料理を堪能できるお店として有名ではあるものの早い時間ゆえまだ開店していないようでした。まあ今回は昼食を取ることまでは考えていなかったので先を急ぐとします。<br /><br />丁度浜大津駅から見て右斜め前方に大きな建物が見えてきます。明日都(あすと)浜大津、昔京阪電鉄京津線の浜大津駅があった場所になります。現浜大津駅が浜大津(東口)駅であった頃、石山寺から走ってきた京津線直通の電車は、浜大津(東口)を出ると浜大津駅に入線し、スイッチバックをして三条へと向かいました。勿論京津線自体はこの浜大津駅までの運行が多かったため、乗り換えるには浜大津(東口)と浜大津駅間を歩いて乗り換える必要がありました。このふたつの浜大津駅が統合されてから三十余年、旧浜大津駅跡地には浜大津再開発と称し〝明日都浜大津〟が建てられたものの、決して交通の便が良い場所でもなく、入居希望者が増えず一時は〝コジマ電機〟なんかが入っていたこともあれど既に撤退、今では市や県の外郭団体が入っているに過ぎません。再開発をするのは良いですが、もう少し先を見越したものを考えて欲しかった…、この場所に来るといつも思ってしまいます…ふ~っ。<br /><br />という感じで浜大津駅まで戻ってきた後出勤までにしばらく時間があるため、膳所くらいまで歩こうかと思い、駅を通り越してホテル前まで戻ってきたところで無情にもケータイに呼び出しが掛かりました。早く来れない~?って。いつもなら〝無理!ブチっ〟と切るだけなのですが、仕方がありません。今日の散歩はこれにて終了して、浜大津駅のバス停へと向かい、湖岸経由石山駅行きの近江バスに乗車。車で通ることの多い道ゆえあまり景色を楽しんだ記憶のない道ではありましたが今回は車窓をボケ~っと見ながら走ります。そして所要約30分、いつも利用している石山駅へと到着し今回の〝浜大津界隈の散歩〟は終わりました。<br /><br /><br />これで今年初っ端の〝≪2016.Jan≫あみんちゅ淡海のぶらり旅その壱~浜大津・大津港~〟は終わります♪

《2016.January》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのVII大津編~浜大津・大津港~

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2016/01/31 - 2016/01/31

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

《2016.Jan》あみんちゅ淡海のぶらり旅その壱~浜大津・大津港~

今更ですが明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。いきなり〝なんでやねん?〟で始まりましたが、昨年末からシフト休がタイミングよく取れず、なにか行動を起こそうとすると天気が崩れ…、結果休みにも拘らず外出すらしなかった年末年始。やっと出かけたのも今日中にケータイのプラン変更をしなければいけないという普通の方ならよくわからない理由でした。

おまけに前日も夜遅くなり、寝過ごすといつものようにゴチャゴチャになってしまうため、これを機会に浜大津に泊まってみました。ホテルブルーレーク大津、浜大津駅近くに位置するビジネスホテルですが、以前泊まった時に場所の割に静かだった記憶があり、今回も利用しました。とはいえ到着は日が変わるかどうかの時間。さっさとシャワーを浴びてさあスマホターイムと考えると、な~んと一生の不覚(泣)。はい充電コードを持ってきませんでした。着替えは念のため持っていたものの予定外の行動だったためこんなことになりました。とはいえ1:00を過ぎた時間、ドタバタしても始まりません。なので仕方がないのでスマホの電源を落とし、ガラケーのアラームだけセットしてさっさと寝ることにしましたzzz。

明けて平成28(2016)年1月31日、8:30起床。ギリギリまで寝ていたかったので食事なしで手配していました。なんとなく時間を過ごして9:45チェックアウト。近くのファミリーマートでいつものドリンク&一服を済ませ、その隣のauショップ浜大津店に来店。いつもなら月末はムチャ混みするのですが、本日2番目のお客はすんなり用事を済ませました。10:50ミッション完了♪

せっかく浜大津までやって来たのでぶらぶらと周辺を歩きます。旧大津公会堂、昭和9年に建てられた築80年超の建物は改修を繰り返して今ではおしゃれな食べ物屋さんが集まっているそうです。実は私が小学生の頃、硬筆を学んでいましてその会場がこの場所でした。今となってはどこの主催だったかも覚えていませんが、エアコンはついておらず夏は窓が全開で、冬は長い煙突を取りつけたストーブがあった記憶がうっすらと残っています。その頃は今のようにキレイな外装をしておらず、ドス黒かった…。でも歴史ある建物を壊すだけではなく再利用して残すことは、古き時代を知るものとして嬉しく思います。そんな時代を思い出しながらトコトコと歩いて行きます。

クロスロード、淡海らしからぬ名前ですがただの歩道橋です。浜大津エリアの再開発の際、整備されたものと聞いています。それを渡って湖岸へと向かうと京阪電鉄線路上を通過します。浜大津駅より少し石山よりにあるこの場所、本線を走る電車は石坂線の2両車両ですが、京津線京都市営地下鉄直通車両800系が引き込み線に入ってきます。なかなかタイミングが合わないのですが、上手くいけば新旧ふたつの京阪大津線車両を揃って撮影することができます。案の定タイミングがずれてしまいキレイには撮れていませんが、こんな場所もあ・る・ん・で・す・よ♪

そして湖岸道路を渡ると浜大津アーカスが見えてきます。以前この場所には京阪レークセンターという建物がありました。新聞か何かの景品でプールの入場券を貰って連れて行って貰った記憶があります。その他建物内では今で言うディスカウントショップの出店みたいなこともやっていた記憶があります。時代の流れとともに衰退し閉鎖され、その後琵琶湖ホテルの移転を含めた再開発の結果いまの様相を呈するようになりました。元々石山っ子なので大津にぶらぶらっと来ることはあまりありませんでした。多分映画とかそんな用事でもなければ来ることはなかったため、すごく久しぶりに訪れた気がします。歩道橋からは大津港が眺められ、その後方には冠雪した比良山系等も望むことができる〝知る人ぞ知る〟場所になっています。

琵琶湖汽船ミシガン後方に聳える比良山系を写真に収め、浜大津アーカスへと入りますが…どうも様子が違います。入口のロッテリア、湖の駅は同じですが、Pダイニングって・・・。外見は似た感じだったので入ってみましたがなんとなく違う…。後で調べると〝RAKERU〟が代わったようでした。ただ経営なんかも代わっており、外見が似ているだけでしかないというのが結論でしたが…。それに3階にあった台湾料理の〝阿里山〟なんかは跡形もなくなくなっていた…。時代の流れとはいえ飲食業界の厳しさを改めて感じました。

そしてまたまたぶらついて、辿り着いた先は大津港。何回もここは来ているもののこれだけの船舶が停留しているのは初めてかも知れません。琵琶湖汽船二枚看板の〝ミシガン〟〝ビアンカ〟、それに滋賀県内の小学5年生が湖上学習をする船舶〝うみのこ(湖の子)〟なんかも停泊しています。高校を出た後東京や仙台を転々としたこともあり、淡海の案内のひとつのコースに組み込んでいたこともありました。今では大型船で外国を巡るクルーズ船の旅が珍しいものではなくなったものの、当時は船上レストランでの食事が値段の割に如何にインパクトがあったものかは鮮明に記憶に残っています。最近は費用を掛けずに歩く旅を地元では繰り返しているためご無沙汰していますが、もう少し暖かくなって海津大崎の桜の時期に募集される〝花見クルーズ〟なんかに参加してみようかな…なんて思った次第です。残念ながら今日乗船してしまうと仕事に行けないので、泣く泣く諦めましたが…。

ということで大津港を後にすると、入口には大津城跡の碑が建てられています。関ヶ原の戦いの前哨戦であったという呼び声の高い大津城の戦いは、慶長5年9月7日から9月15日まで大津城主京極高次以下3,000名が大津城に籠城し、西軍毛利元康以下15,000名の兵力をこの場所に釘づけにし、関ヶ原の戦い当日である9月15日に開城したというものでした。元々琵琶湖を渡ってくる物資などの管理をするのが主目的として構築された湖城である大津城は籠城戦には不適とされるものでした。そこに籠城し5倍ものの兵力を釘付けにした京極高次でしたが、結果は明らかで9日間の籠城の末開城し自身は高野山で出家します。これだけならばそれ程歴史に残るものではなかったのかも知れませんが、高次が開城した日は9月15日、即ち関ヶ原の戦い当日のことでした。大津城の戦いに参戦した西軍主力部隊は関ヶ原に向けて東進しますが、幾許も進むことなく関ヶ原での西軍敗退の報を知り、西国へと退却します。大津城の戦いでは京極高次を降伏させたものの、戦いに参加した15,000名もの兵を関ヶ原に送ることができなかった。確かに大津城の戦いという局所的な戦いでは西軍は勝利した、しかしそこで兵力を足止めさせてしまったことが結果として関ヶ原の戦いという大局での敗北につながった。そのような解釈がなされています。関ヶ原の戦いに於いて東軍の将であった高次の弟京極高知の働きもあり、徳川家康から高野山に使者を遣わされ、大名として取り立てる旨を伝えたこと。また諸説はあるものの大津城の戦いで西軍兵士を足止めさせたことを家康はいたく賞賛していたとされており、感状を受けたとされています。その後戸田一西が大津城主に任ぜられるも損傷が激しく後に廃城、当時城づくりの名手であった藤堂高虎によって膳所城が建築され、大津城に残る城を構成したものが膳所城へと引き継がれました。

交通の要所としての近江は、その利権絡みで戦いの戦場としばしばなってしまいました。その兵火により失われた古の遺物も数多いとされています。今から戦争の是非論を言うつもりはありません。しかしこの大津城、見かけだけとされた評価が多いものの最後に天下分け目の戦いの結果を変えてしまった…。史跡というものは必ずしも平和とは結びついていないものも多々あるように思います。しかしどんなものでも史跡は史跡、正負関わらず残せるものは残して後世にその事実を伝えて行く、その必要性を常に思うこの大津城跡の碑でした。

それから国道161号線沿いに少し歩くとこれまた歴史のあるお店が目に入ります。あたか飯店浜大津店、滋賀エリアに数店舗ある本格中華料理を堪能できるお店として有名ではあるものの早い時間ゆえまだ開店していないようでした。まあ今回は昼食を取ることまでは考えていなかったので先を急ぐとします。

丁度浜大津駅から見て右斜め前方に大きな建物が見えてきます。明日都(あすと)浜大津、昔京阪電鉄京津線の浜大津駅があった場所になります。現浜大津駅が浜大津(東口)駅であった頃、石山寺から走ってきた京津線直通の電車は、浜大津(東口)を出ると浜大津駅に入線し、スイッチバックをして三条へと向かいました。勿論京津線自体はこの浜大津駅までの運行が多かったため、乗り換えるには浜大津(東口)と浜大津駅間を歩いて乗り換える必要がありました。このふたつの浜大津駅が統合されてから三十余年、旧浜大津駅跡地には浜大津再開発と称し〝明日都浜大津〟が建てられたものの、決して交通の便が良い場所でもなく、入居希望者が増えず一時は〝コジマ電機〟なんかが入っていたこともあれど既に撤退、今では市や県の外郭団体が入っているに過ぎません。再開発をするのは良いですが、もう少し先を見越したものを考えて欲しかった…、この場所に来るといつも思ってしまいます…ふ~っ。

という感じで浜大津駅まで戻ってきた後出勤までにしばらく時間があるため、膳所くらいまで歩こうかと思い、駅を通り越してホテル前まで戻ってきたところで無情にもケータイに呼び出しが掛かりました。早く来れない~?って。いつもなら〝無理!ブチっ〟と切るだけなのですが、仕方がありません。今日の散歩はこれにて終了して、浜大津駅のバス停へと向かい、湖岸経由石山駅行きの近江バスに乗車。車で通ることの多い道ゆえあまり景色を楽しんだ記憶のない道ではありましたが今回は車窓をボケ~っと見ながら走ります。そして所要約30分、いつも利用している石山駅へと到着し今回の〝浜大津界隈の散歩〟は終わりました。


これで今年初っ端の〝≪2016.Jan≫あみんちゅ淡海のぶらり旅その壱~浜大津・大津港~〟は終わります♪

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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