2015/09/21 - 2015/09/21
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naoさん
滋賀県大津市堅田は、比叡山を源とする天神川、真野川、御呂渡川の河口に広がる町で、比叡山延暦寺の寺領となった平安時代には、琵琶湖が最も狭くなっている絶好の立地条件を活かして京都下鴨神社が御厨を設け、琵琶湖で獲れた魚を献上させるようになります。
この代償として、琵琶湖の漁業権と自由通行権を得た堅田は、両社寺の勢力を背景に、湖上交通の要衝として圧倒的な力を持つことになります。
琵琶湖の漁業と水運両面にわたる特権を得たことで経済力を誇示し、「堅田衆」あるいは「湖族」と呼ばれるようになった人々は、町の周囲に石垣による堀割を巡らせ、「堅田千軒」と云われる近江の国最大の自治都市を築きあげます。
戦国時代以降の堅田は、織田信長や豊臣秀吉に寄与することで漁業と水運の特権的な地位を維持しますが、徳川家康の時代になると、他の集落との間で漁場などをめぐる争いが頻発したため、江戸幕府が堅田の特権を弱小化する政策を講じます。
これにより、特権的立場が大きく後退した堅田に代わって大津が台頭し、やがて堅田は斜陽の憂き目を見るところとなります。
このような歴史のある堅田は、一方で、歌川広重の代表作の一つである近江八景の一つに数えられる、「堅田落雁」で有名な浮御堂のある景勝地としてもよく知られており、古くから芭蕉、一茶、広重、北斎など、多くの文人墨客が訪れ、数々の詩歌や絵画を残しています。
正式名を海門山満月寺という臨済宗大徳寺派の寺院である浮御堂は、長徳年間(995年〜999年)に比叡山の僧源信が、湖上交通の安全と生ける物全ての迷いを救済することを祈願して、湖中に建立したものです。
現在の浮御堂は、先の御堂が室戸台風で倒壊したため昭和12年に再建されたもので、湖岸と御堂とを橋が繋いでいます。
この日は、堅田の中でも、今も風情ある町並みを見ることができる、南側の本堅田地区と北側の今堅田地区を巡りました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大津市堅田へやってきました。
かつて、比叡山延暦寺と下鴨神社から琵琶湖の漁業と水運両面にわたる特権を得た堅田は、両社寺の勢力を背景に経済力を誇示し、「堅田衆」あるいは「湖族」と呼ばれるようになった人々は、町の周囲に石垣による堀割を巡らせ、「堅田千軒」と云われる近江の国最大の自治都市を築きあげます。
では、堅田の歴史と文化を紹介している、「湖族の郷資料館」の駐車場に車を停めさせてもらって、先ずは本堅田地区の町歩きを始めます。 -
「湖族の郷資料館」のお隣にある瀟洒な町家。
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先ず訪れたのは、臨済宗大徳寺派の寺院で、正式名を海門山満月寺と云う浮御堂です。
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浮御堂は、長徳年間(995年〜999年)に比叡山の僧源信が、湖上交通の安全と生ける物全ての迷いを救済することを祈願して建立されました。
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また、「堅田落雁」で有名な浮御堂は、歌川広重の代表作の一つである近江八景の一つに数えられる景勝地としてもよく知られています。
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現在の浮御堂は、先の御堂が室戸台風で倒壊したため昭和12年に再建されたもので、湖岸と湖中に建っている御堂とを橋が繋いでいます。
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琵琶湖が最も狭くなっている所に位置しているので、湖東側の景観がはっきりと望めます。
ちなみに、見えている橋は琵琶湖大橋です。 -
こちらは北側からの景観です。
では、本堅田の町並みへ戻ります。 -
大津市の汚水枡の蓋。
琵琶湖にまつわる様々な景観をモチーフにしています。
このデザインは、大津市制100周年を記念して公募した作品の内、最優秀賞に選ばれた作品を元に製作されたそうです。 -
格子戸などに一部手が加えられていますが、煙出しの越屋根や虫籠窓のある風情ある町家です。
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荒々しい土壁と目隠しの簾がベストマッチの町家は、何のてらいもない素晴らしい外観を生んでいます。
意図的なものをいささかも感じさせない、「Simple is Beautiful」の極みのような町家です。 -
この日は敬老の日なので、日の丸を掲げている町家があります。
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伊豆神社のお堀に咲く彼岸花。
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江戸幕府の四代将軍徳川家綱の頃から約130年間置かれていた堅田藩の陣屋跡です。
現在はこの案内板だけが建っています。 -
大屋根形式の町家がありました。
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片方に大きく流れる大屋根形式の外観はダイナミックです。
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外壁に船板塀を使った建物があります。
ちなみに船板塀とは、高瀬舟などの木造船の古材を建築資材として使用したものです。 -
船板塀の外壁は、この町並みに「ピタッ」とはまっています。
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駒寄せのある、風情ある町家。
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船板塀を使った建物の方を振り返ったところです。
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こちらは、300年余りの歴史を誇る鮒寿しの老舗です。
鮒寿しは、琵琶湖固有の「にごろふな」を飯に漬け込んで発酵させた食べ物で、独特の臭みを持っています。 -
妻入りと平入りが混在する町家。
虫籠窓には木製の庇が架かっています。 -
玄関先に立派な黒松を配した町家。
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客を玄関へ導く敷石。
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堅田の町並みには、ベンガラを塗った町家が結構見受けられます。
この町家は、ベンガラの赤と黒漆喰のコントラストが特徴的です。 -
こちらの町家も、ベンガラが効果的に塗られています。
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妻面の板材の雨による変色が、思いがけない景色を作っています。
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町並みに立っている街灯には、「びわ湖堅田 湖族の郷」の看板が掲げられています。
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ここにも駒寄せをしつらえた町家があります。
格子のデザインに一工夫が見られます。 -
こちらの町家は・・・
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犬矢来を巡らせたこの門が正式な出入口のようです。
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古色蒼然とした日本酒の銘柄看板が、このお店の歴史を物語っています。
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こちらの燃料屋さんの店先で、昔懐かしいガソリンの計量器を発見しました。
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おぼろげながらですが、昔はこの計量器がガソリンスタンドに置いてあったように記憶しています。
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このガラスの中にガソリンが入っていたんですよね〜。
昭和の古き佳き遺産です。 -
燃料屋さんを過ぎてしばらく歩くと教会が見えてきました。
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右側に尖塔のあるこの教会は・・・
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小さな内陣のある単廊式の内部は、単純明快な小屋組みが屋根を支えています。
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「コンサートを明日に控えていて、その準備に追われています。」とおっしゃる牧師さんでしたが、親切に招き入れてくれました。
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壁に掛けられたキリスト像。
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柔らかな光が差し込む窓のシルエットが、おごそかな雰囲気を醸し出しています。
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外壁に絡まる蔦が、そっと玄関から覗いています。
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蔦の絡まる玄関ポーチと尖塔。
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尖塔の十字架。
では、おごそかな余韻に浸りながら、町歩きに戻ります。 -
こちらは和菓子屋さん。
トンチで名高い一休和尚がお店のすぐ傍にある祥瑞寺で修養したことにちなんで、昭和の初めにお寺に伝わるお菓子を工夫して、初代店主が考案した「一休餅」が名物だそうです。 -
一休和尚が修養した祥瑞寺の案内板が右側に見えます。
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この町屋の屋根には、軒樋が上下2段につけられています。
屋根面が大きいからこんな納まりにしているんでしょうか・・・。 -
こちらは辻家住宅です。
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辻家住宅も駒寄せを巡らせています。
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これは玄関上部に取り付けられているのですが、意味は判りません。
厄除けなんでしょうか・・・。 -
玄関灯のガラスフードには、花弁の模様が施されています。
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妻入りの大きな町家がそびえています。
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2階の外壁から笹の葉のようなものが伸びています。
まさか、植えたわけじゃあないんだろうに・・・。 -
これは堅田漁港の少し南にある、観光船用の桟橋です。
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この町家は、1階の格子が外観上のポイントになっています。
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屋根の上に風格のある看板を掲げた呉服屋さん。
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こちらは、堅田の豪族三家の一つで、その筆頭として指導的立場にあった居初家(いそめけ)のお屋敷です。
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居初家は京都下鴨神社が堅田に御厨を設けた頃から続く名家で、琵琶湖の漁業権と自由通行権の差配や、「堅田千軒」と云われる自治都市形成に際し、指導的役割を果たしました。
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琵琶湖に面してしつらえられた茶室「天然図画亭」と庭園は、国の名勝に指定されています。
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土蔵を従えた町家。
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小じんまりした中にも、伝統様式がギュッと凝縮された町家です。
端正なフォルムが良いですね。
そろそろ本堅田地区は終わりにして、今堅田地区へ移動するため、車を停めさせてもらっている「湖族の郷資料館」へ戻ります。 -
窓に太めの格子がはめられた町家。
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こちらの町家は、目隠しのため玄関を簾で隠しています。
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「湖族の郷資料館」へ戻ってきました。
では、今堅田地区へ移動します。 -
今堅田地区へ着きました。
泉福寺さんの横に車を停めさせてもらって、今堅田地区の町歩きに向かいます。 -
新しく建てられた町家のようですが、堅田の町家の様式が随所に踏襲されています。
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そろそろ西日が差す時間帯になったようです。
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こちらは、新しく建てられた町家のすぐ向かいにある昔ながらの町家です。
道路を隔てて新旧対比が楽しめます。 -
虫籠窓にバリエーションをつけた町家。
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この町屋には、通りに面して前庭がしつらえられています。
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2階の手摺に面白いデザインが取り入れられています。
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ここにも外壁に船板塀を使った建物がありました。
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こちらの船板塀は、船の加工跡がくっきり残っており、船板塀特有の良い景色を生んでいます。
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船溜まりを隔てた町並みを、西日がほのかに赤く染めています。
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琵琶湖大橋の下を航行する船の安全を見守る出島(でけじま)灯台。
出島灯台は、明治8年(1875年)にかつて湖上に設けられていた関所跡に建てられた灯台で、現在の灯台は昭和48年(1973年)に復元されたものだそうです。
ちなみに、琵琶湖大橋は全長1350mで、昭和39年(1964年)に完成しました。
では、出島灯台の方へ回りましょう。 -
この先にある出島灯台に通じる町並みです。
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平入りの建物と妻入りの建物が、1階の下屋で一体につながった町家です。
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この町家は、先ほど船溜まりを隔てて見た内の一軒です。
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出島灯台の下までやってきました。
琵琶湖にはたくさんの灯台がありますがが、この形式のものはここだけで、全国的にも珍しい灯台だそうです。 -
灯台の頭部に取り付けられた火袋。
以前はランプを使っていたそうですが、現在は電灯に切り替えられています。 -
灯台に気をとられて東の方ばかり見ていましたが、振り返ると、西の空の赤みが増してきています。
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大きな屋根面を持つ町家。
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お庭へ入るために冠木門が開けられているのですが、すぐ後ろの土蔵のために開けられているように錯覚します。
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石積みの上に土塀をしつらえた大きなお屋敷です。
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今回、「堅田千軒」と云われるかつての自治都市の面影の残る町並みを歩いてみて、歌川広重の代表作の一つである近江八景の「堅田落雁」で有名な浮御堂とともに、風情ある町並みに満足することができました。
では、真っ赤に燃える夕日に後ろ髪を引かれながら、家路につくことにします。
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