2015/11/03 - 2015/11/03
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kojikojiさん
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瀬戸内の旅の最終日は岡山市内をゆっくり散策しました。ホテルに荷物を預けた後に、岡山駅から市電に乗ってまずは「林原美術館」へ向かいました。昔岡山に来たときは市内の観光はせずに伊部へ向かい、備前焼の窯元を巡ったからでした。期待して行った備前はどこも同じようで岡山城や後楽園に行けばよかったという思いが何十年と残っていました。最初に林原美術館へ行ったのは池田家の美術品を観たいと思ったのですが、訪問時は塗り物に特化した展示だったのでちょっと物足りなさを感じました。その後は「岡山城」の見学です。前日までの低気圧はどこかへ行ってしまい、美しい秋晴れだったので岡山城がとてもきれいでした。お城自体は第2次世界大戦時の空襲で焼失しているので、夏に行った松山城のような感動はありませんでしたが、美しい黒い姿は往時を伺わせるものでした。お城の見学の後は旭川の鉄橋を渡り「後楽園」側に移動しました。旭川越しの岡山城を望みながら予約してあった「荒手茶寮」へ伺いました。お昼のお弁当を予約しておきましたが、お弁当は個室ではないのであまり期待していませんでした。ところが「せっかく遠いところからお越しですし、お部屋も空いていましたので。」と菊の間へ案内されました。うれしいお心遣いでした。この部屋は昭和26年に順宮厚子内親王(よりのみや あつこないしんのう)が池田隆政さんとお見合いされた部屋だそうです。現在の池田厚子さんですね。そんなお話を伺いながら岡山で造られたビールをいただきます。お料理も素晴らしく今回の旅の食事も大満足で終えられました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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岡山駅の桃太郎さんは吉備団子のばら撒き過ぎなのか、たくさんのハトがお供になっていました。
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昨日の雨が嘘のような快晴です。
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以前新幹線で来たときは東京から遠かった印象があります。母がこの旅の直前まで京都にいたのですが、叔母たちから「岡山なんてすぐやし、新幹線で合流したら。」と言われたそうです。確かにそうだったなと思いました。
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桃太郎のヘッドマークの市電です。市電は2系統あって、観光客が利用するのは1号線でしょうね。
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岡山城の近くまでなら100円で移動できます。後ろ乗りで前降り後払いです。
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市電の城下駅で降りて林原美術館へ向かいます。烏城みちの石垣は昔のお城の石垣の名残でしょうか。
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岡山城二の丸対面所跡に建っていて、大きな長屋門が正門となっている威風堂々とした入り口です。
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美術館としての品の良さを感じます。
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訪問時の展示は池田藩に由来する漆に特化したものでした。文箱や雛道具に嫁入り道具など素晴らしいものでしたが、かなり狭いジャンルの品々なので大名家の池田家としての全体像は分かりにくかったと思いました。
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岡山に住んでいて何度も通えればよいのでしょうが。大きくはありませんが良い美術館でした。展示物を撮影できないのが残念でした。
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林原さんは岡山で水飴製造で財を成した方だそうです。
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林原美術館を出た後は堀に沿って岡山城へ向かいます。
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橋を渡って場内に入るとここでも菊の花の展示会を行っていました。初日の栗林公園に玉藻公園、そして岡山城とこの後の後楽園でもきれいな花が並べてありました。
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厚物の三本仕立てはどこで見ても美しいです。
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山菊と呼ばれる小菊は丈夫で芽吹きが良く、花付きも良いので作る人の思うがままにいろいろな形への仕立て方が出来るそうです。
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寄せ植えもきれいです。
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管物と呼ばれる種類の菊です。まるで花火が開いた瞬間のようでとてもきれいです。
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菊の鑑賞を終えてさらに進みます。
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烏城(うじょう)と呼ばれる岡山城です。松本城も黒い外壁なので烏城と言われますが、こちらは「からすじょう」と呼ばれます。
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昭和20年の岡山の空襲で焼失していて、昭和39年から鉄筋コンクリート造りで復元されています。
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復元された建物でも美しさは変わりありません。中に入るとエレベーターも設置されているのでビルというイメージは払拭できませんが。
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創建当時の天守には金の鯱が載っており、金烏城と呼ばれていたとの伝承から鯱に金箔を施したそうです。
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旭川に架かる鉄橋の向こうは後楽園です。
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沢の池は後楽園の園内中央にある池で、左から島茶屋(しまぢゃや)のある中の島(なかのしま)、釣殿(つりどの)のある御野島(みのしま)、白砂青松が美しい砂利島(じゃりじま)が天守閣から望めました。
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松林の先にビル群が見えてしまうのは残念ですが、後楽園の庭園を一番美しく眺められる場所ではないでしょうか。
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どこを切り取っても絵になる庭園です。この日は午前中に岡山城に登りましたが、後楽園は午前中のほうが空いていたようです。
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井田(せいでん)の稲穂は刈り取られていました。以前は園内に広く田畑が作られていまたそうですが、今は井田だけがそのなごりを伝えていて、元々は中国の周時代の田租法だそうです。
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金の鯱は日陰になっていますが、後楽園を背景に写真を撮ってみます。
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秋季特別展「戦(いくさ)のいでたち」では有名武将の復元甲冑が並んでいました。現物をこの美しさでは拝めないので面白かったです。お城自体も復元されたコンクリートですからね。
「徳川家康」の甲冑から見ていきます。本物は和紙の貼り懸けで造られていたので見た目より軽かったのではないでしょうか。家康の就寝中に枕元に現れた大黒天を自らデザインして甲冑師に製作させたとそうです。 最も験を担ぎ愛用していた甲冑とされ、後の将軍も代々この大黒頭巾+歯朶(シダ)の具足を自分の甲冑としたそうです。 -
「宇喜多秀家」
1572年に備前国岡山城主の宇喜多直家の次男として生まれていますから、この地に縁のあった武将です。 -
「豊臣秀吉」
この具足では実践には向かないですね。 -
「井伊直政」
初代彦根藩主の井伊直政と、安政の大獄と桜田門外の変で有名な十五代彦根藩主で幕府の大老井伊直弼は、赤備えにちなみ井伊の赤鬼と呼ばれたそうです。徳川と武田の戦いの一言坂の戦いの後に「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」という本多忠勝の武功を称える狂歌・落書が登場しました。その唐の頭がこの白いヤクの毛です。この当時は貴重品だったそうです。 -
「本多忠勝」
黒糸威胴丸具足
本多忠勝は戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で徳川氏の家臣です。 徳川四天王や徳川十六神将や徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も伝えられています。前立ての鬼?はモグアイが変身したグレムリンのようですね。徳川家康には過ぎた2つがここには揃っていました。 -
「石田三成」
黒糸威 当世小札二枚胴具足
こちらもヤクの毛を使ったものです。 -
「真田幸村」
赤備え(あかぞなえ)は、戦国時代の軍団編成の一種で具足や旗差物などのあらゆる武具を朱塗りにした部隊編成の事だそうです。当時朱は高級品である辰砂から作られてており、戦場でも特に目立つため赤備えは武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊とされます。 -
「伊達政宗」
鉄黒漆塗五枚胴具足
伊達政宗の具足は雄大な弦月の前立が印象的で、一度見たら忘れられないですね。
弦月が右手から左上へ長く流れているのは、デザイン上のバランスと太刀を振りかざす際に、支障のないようにとの配慮がなされているそうです。 -
「大谷吉継」
大谷吉継は、三成の再三にわたる説得を受入れて関ケ原の合戦に参戦しますが、小早川隊の反応により隊が大きく崩れ関ケ原で自刃したとされています。
大谷吉継については大病に冒されたため、兜をかぶることはなく、白頭巾姿だったそうです。 -
「直江兼続」
天地人で有名になった溜塗碁石頭札胸取二枚胴具足ですね。 -
「黒田官兵衛」
こちらも大河ドラマで有名になった黒田官兵衛の合子形兜です。合子の姿を兜に写しているのは破綻がないという願いだそうです。(合には集まるや合わせるや結ぶの意味があります。) -
「福島正則」
福島正則は関ケ原の合戦おいては、豊臣恩顧の武将でありながら東軍の先鋒として参加しています。水牛の大きな角をあしらった大きな脇立が特徴的なこの兜は、朝鮮出兵後に福島正則と黒田長政が交換した兜と伝えられ、桃の形に似ていることから、桃形兜(ももなりかぶと)と呼ばれています。 -
「黒田長政」
銀箔押一の谷形兜です。ほとんどロボットみたいですね。一見重そうですが板の部分は鉄板ではなく杉板に銀箔を押したものだそうです。こういった形になってくるとこの夏にロンドン塔で見たイギリス王家の甲冑が思い出されてきます。 -
甲冑の着付けやお姫様の衣装の着付けがありましたが、予約でいっぱいのようでした。時間もないので自由に写真が撮れる大名駕籠で記念写真です。
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景色が良かったのと甲冑が面白かったので満足できました。秋の青空に天守の鯱や瓦の黄金が映えます。
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もう少しで紅葉も見頃のようです。
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月見櫓は国の重要文化財で元和から寛永年間(1615-1632年)に建てられたものです。本丸の北西隅に建っています。現存しているということは空襲の火災を免れたということです。
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月見櫓からの景色もよいです。
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この時期は特別公開して内部の見学ができました。
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白い線は当時の建物があったラインで、台所などの文字が入ったプレートが埋められています。
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廊下門から城外へ出ます。
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鉄で覆われた扉や枠に打たれた鋲が長い影を作っていました。
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旭川からの岡山城の姿です。
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逆光気味ですが木の枝で光をさえぎって。
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旭川に架かる鉄橋を渡って後楽園側に向かいます。でも何でこんな鉄橋にしたのでしょう?
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そろそろお腹が空いてきました。
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橋の上から旭川と岡山城を望みます。ビルなどの無粋な建物も見えないのでとてもきれいです。
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「きし近く 烏城そびえて旭川 ながれゆたかに 春たけむとす」
昭和天皇が昭和42年4月の樹祭に行幸の折、後楽園に立ち寄られて外苑を散策された時の旭川の印象を翌年新春歌会始めの御題「川」によせてこの歌を詠まれたそうです。
入江侍従次長謹書
入江侍従長と京都の祖母や叔母が懇意にさせていただいていたのを思い出しました。以前に祖母と叔母たちと母を大津の琵琶湖ホテルに招待したことがあります。今の浜大津の建物ではない古い建物の頃です。ホテルの方の配慮で一番良い部屋を用意していただいたのですが、その部屋に入江侍従長の額があり、皆に感謝されたことも思い出しました。 -
ここからの姿が一番美しく見えました。
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川沿いの散歩道をぶらぶら歩きます。
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暑くも寒くもない気持ち良い日でした。
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目的地の住所は後楽園1でした。
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今上天皇が皇太子時代の高校生の頃お泊まりになったそうです。皇族の方が泊るということは名誉なことなのですが、いろいろ大変なのだそうです。以前小樽の「海陽亭」の女将さんが「お泊りになるので部屋の手入れや布団を誂えたのに急に中止になって。」と嘆かれていたのを思い出しました。
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ここでの食事は今回の旅行のお楽しみの1つでした。せっかくの岡山ですから由緒ある料理屋さんで食事を楽しみたかったのです。そんなことばかり繰り返しているので、お昼では一番お手ごろなお弁当を予約しておきました。
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昔からこの岩の前には砂を盛っておくのが仕来たりなのだそうです。このような大きな岩は目に見えていない埋まっている部分は地上の数倍あります。祖父が京都の二条陣屋の庭先で庭に置かれた岩を指さして「あの岩はわしのお父さんが嵐山から牛車で運ばせたんや。埋まっている部分は上に見える3倍はあった。」と教えてくれたのを思い出します。
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叩いてみたい衝動に駆られます。
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玄関先は地方の料理屋さんといった印象を受けました。
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トイレ前にあった蹲踞は昔はここで手を洗った名残なのでしょうね。
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本物の400年位前の甲冑だそうです。具足には絹糸を使ってあるので実際の戦いで使ったものでは無いだろうとのことでした。今日は甲冑に縁のある日です。
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本当は広間での食事だったのだと思いますが、ほかにお弁当のお客がいなかったのか「菊の間」に案内されました。もう1組七五三の家族連れがいらしているようでした。大広間で我々だけでは興ざめですが「昭和天皇第四皇女の厚子内親王がご結婚前に池田詮政元岡山藩主の孫である池田隆政さんと「お顔合わせ」をされた部屋です。」と言われると恐縮します。
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我が家はお見合いしなかったので記念に写真を撮っていただきました。
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我が家は年長者を敬いますので妻が上座です。今年は還暦なのでいたれりつくせりです。
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大きなお部屋で表には一間以上の広い廊下まで回っています。
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せっかくですので仲居さんおすすめのキリン一番搾りの「岡山づくり」。ベルギーで地ビールを飲み歩いた春の旅行を思い出します。あまり知られていませんが中国も地ビールが数多い国です。ラベルを集めたら数十枚になりました。
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まず胡麻豆腐に菊の花とイクラです。
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ハガツオとイカのお刺身はもちもちして美味しいです。
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そしてお弁当はこんな感じです。
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ごぼうの炊き込みご飯もついてきます。
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岡山のお味噌汁は少し甘めのお味噌でした。
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季節のお料理が美しく盛られています。焼き魚は岡山らしく鰆でした。さすが老舗のお料理屋さんですね。こんなことなら懐石にしてもよかったなと思いましたが、食事の後に動けなくなりそうです。
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これ以上熟せないギリギリの西条柿です。西条柿は近隣の広島が原産の柿です。皮目に包丁が入れてあるのでツルッと身離れが良いです。
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冷たく冷やしてあったのでおいしいです。妻は柿が大好きですが私は何年ぶりに食べたのか思い出せないほどです。でもこの柿はおいしかった!
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床の間の掛け軸は夫婦の孔雀でした。
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武者隠しの中にも軸とお花が生けられてありました。
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月落ち烏(からす)ないて霜天に満つ
江楓(こうふう)漁火愁眠(しゅうみん)に対す
姑蘇(こそ)城外の寒山寺(かんざんじ)
夜半の鐘声(しょうせい)客船に到る
蘇州の寒山時に残る唐代の詩人張継の有名な歌「楓橋夜泊」の碑の拓本です。
以前妻と夜半の蘇州から船に乗って杭州まで旅したことを思い出します。
楓橋は寒山寺の前に架かる半円形の橋です。 -
こちらも同じ舘山寺の寒山拾得図の拓本です。彼らもこの寒山寺にいたとされる僧侶です。森鴎外や井伏鱒二の「寒山拾得」でも有名ですね。どなたかが蘇州へ旅行されてお土産で持ち帰ったのでしょうか。
蘇州寒山時の旅 https://4travel.jp/travelogue/10847323 -
食事の後に建物の中を案内していただきました。金屏風の前で記念写真なんて結婚式でも撮っていないので緊張します。
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丸山応挙のお弟子さんの長沢芦雪の作品だそうです。
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こちらはこの家に逗留された画家の方が描いていったとお聞きしたのですが、どなただったか失念しました。最近物忘れが進んだようで。ちなみにお昼のお弁当は3,700円+税+サでした。あんな素晴らしいお部屋で食事することができてよい思い出になりました。さあ、頑張って後楽園を見学しましょう。
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