2015/11/01 - 2015/11/01
414位(同エリア1395件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1484冊
- クチコミ1138件
- Q&A回答73件
- 2,681,795アクセス
- フォロワー151人
岡山で1泊した翌日は倉敷の観光に出掛けました。今回の旅の最大の目的である「大原美術館」へ行くためです。25年近く前にも一度来ていて大原孫三郎や児島虎次郎についても大まかな知識は持っていました。今年の春にベルギーのブリュッセルからアムステルダムまで3週間かけて美術館巡りをした旅で立ち寄ったゲント美術館で「TORAJIRO KOJIMA」と書かれたキャプションのある絵画を見たときは驚きました。ここで初めて作品を観て彼がゲントに滞在して美術アカデミーを首席で卒業した事実も知ることになりました。児島虎次郎の自画像の前のソファーに座り、「今年中に倉敷に行こうね。」と決めた旅でもありました。大原美術館以外にも前に宿泊した「旅館くらしき」で食事も出来たし、「八間蔵」でフランス料理も楽しめた充実した休日でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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岡山駅の一部のJR系の「ヴィアイン」というホテルに宿泊していたので、倉敷までの移動は実にスムーズで倉敷にホテルを取らなくてよかったです。当初は倉敷に3泊という事も考えたのですが、結果は岡山駅前が正解でした。この日は日曜日でしたが早朝なので人通りは少なかったです。
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建物の妻側外壁に焼杉板を張る家が多いのは中国地方の町屋で見られる特徴ですね。炭化させることにより板を長持ちさせる技というのはこれくらいなのではないでしょうか。手前に置かれた菊も美しく映えます。
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「誓願寺」という立派なお寺がありました。後ろの山には「観龍寺」右手には「阿智神社」があります。倉敷の旧市街とこの寺院や神社の配置には陰陽五行や風水の考えがあるような気がしました。
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倉敷は格子の美しい町ですね。家の前には鶏頭などの秋の花が美しく飾られています。横断幕などで「ようこそ倉敷へ。」なんて案内されるよりよほど心のこもったオモテナシだと思います。
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倉敷の町を歩いて一部観光地化され過ぎている面を見る一方で、このような美しさを見つけるとホッとします。
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倉敷の町屋の一般的な形式は本瓦葺きで平入り切妻で壁は白漆喰塗りの大壁造りで2階に格子が入った倉敷窓が付きます。1階は通り側に親1本通し3本切子の倉敷格子を設けることだそうです。
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中国銀行の建物全体の写真を撮り忘れました。
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ブリュージュの街中を日曜日の早朝に散歩していた時と同じような感覚を感じました。建築様式も国も違いますが美しさに国境はありません。
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白漆喰に映った松の木が見事でした。なまこ壁の美しさも倉敷の魅力の一つです。
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「大原美術館」に到着しました。
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大原邸のファサードです。この大原邸と大橋邸の個人住宅は国の重要文化財に指定されているそうです。京都の母方の祖父の生家も重要文化財なので維持管理など大変なのだろうなと思います。
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倉敷川のあたりも時間が早いので人の姿は少ないです。
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倉敷川の河畔と大原美術館の姿を見るとだんだん記憶が蘇ってきます。
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大原邸と有隣荘が並んだ姿はとても美しいです。有隣荘は大原孫三郎が病弱な妻のために建てた別邸だそうです。
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橋を挟んで倉敷川の風情は全く違って見えます。
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さあ大原美術館へ入りましょう。妻にとっては初めての大原美術館です。
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表にいらした係員の方がシャッターを押してくださいました。春にベルギーのゲントへ行って児島虎次郎の絵に感銘を受けたのでやってきましたと伝えるととても喜んでくださいました。知らなかった「対露宣戦布告御前会議」の絵などのお話などいろいろ教えていただきました。
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「受胎告知」
エル・グレコ
マニエリスムの絵画はあまり好きではなかったのですが、クレタ島やスペインのトレドにも行ったりエル・グレコの絵を求めていろいろ旅しました。一番よかったのはトレドのサント・トメ教会の「オルガス伯の埋葬」ですね。ブダペストの国立西洋美術館ではたくさんの作品に出合えて驚きました。
ブダペスト西洋美術館
http://4travel.jp/travelogue/10563179 -
「水連」
クロード・モネ
1920年に児島虎次郎がジベルニーのモネのアトリエまで出向いて直接モネ本人に依頼して購入した作品です。昨年から今年の春まで池袋の百貨店の屋上庭園のプロジェクトをまとめていたのでモネの絵を見ると感慨深いものがあります。パリのマルモッタンやプチ・パレやオランジェリーと美術館巡りしたことを思い出します。夏のロンドン旅行ではナショナル・ギャラリーにも良いものがありましたし、上野の西洋美術館も数多く収蔵されています。 -
「泉による女」
ピエール・オーギュスト・ルノアール
この絵の購入には児島虎次郎は関らず、安井曽太郎が重要な役割を果たしたそうです。ルノアール本人が「日本は検閲がうるさいそうだから、覆いをかけといて上げよう」と白い布を描き足したという話は面白いですね。詳しくは美術館のHPに詳しいです。 -
「マルトX夫人」
トゥールーズ・ロートレック
2011年に3週間ほどパリをベースにした旅へ行く前に三菱一号館美術館へ行って、ロートレックについて勉強したことを思い出します。 -
「雅歌」
ギュスターヴ・モロー
オルセー美術館が開館したすぐ後くらいにパリへ行ってモローの絵を初めて見たときはあまり興味を持てませんでしたが、その後澁澤龍彦やその周辺の美術などに傾倒していく中で大好きな作家になりました。4年前のパリの旅では念願のモロー美術館へ行くことができました。
モロー美術館
http://4travel.jp/travelogue/10624901 -
「風景」
ポール・セザンヌ
この絵を観て思ったのはセザンヌの描きかけの絵って多いのだなということです。この作品は白樺同人が「白樺美術館」の建設を目的にお金を出しあって購入したものでしたが、美術館の設立が叶わず、柳宗悦の家に飾ってあったものを、大原總一郎が柳宗悦に懇望して、寄託というかたちで大原美術館にて展示していたそうです。同人がお金を出し合ったと言っても完成した作品を買えるだけの金額ではなかったのではと思えました。ロンドンのコートールド美術館にも同じような描きかけの作品がありました。
コートールド美術館
http://4travel.jp/travelogue/11049047 -
「かぐわしき大地」
ポール・ゴーギャン
ロンドンのナショナル・ギャラリーの「Faa Iheihe」を思い出させるような作品でした。 -
「オーヴェルシーの運河」
ポール・シニャック
春に行ったロッテルダム郊外のキンデルダイクのぽかぽか陽気を思い出しました。本物の風車の回転の速さや軸の木が軋む音までよみがえってくるようです。絵にあるようなポンポン船にも乗りました。 -
「アルプスの真昼」
ジョバンニ・セガンティーニ
登山とスキーが趣味だった父の影響で、北アルプスや南アルプスの主だった山々は小学生から中学生で登っていました。伝説の登山ガイドのガストン・レビュファーの映画にも一緒に行きました。セガンティー二の展覧会にも行った記憶があります。非常に感銘を受けサン・モリッツの美術館へも行きました。そのころから父はパーキンソン病を患い始めましたが、動けるうちにスイスへ連れて行ってあげればよかったという思いが残っています。 -
「夕暮れの小卓」
アンリ・ル・シダネル
月夜や庭のテーブル、薔薇や夕暮れなどを描くのが上手い作家です。象徴主義の影響を感じる作品です。ベルギーのブリュージュを旅した時はマグリットの絵画のような風景を探し求めて夕暮れの街を彷徨いましたが、その時のことを思い出させるような絵だったので印象に残りました。 -
「マルセイユの港」
アルベール・マルケ
マルセイユというとジーン・ハックマン主演のフレンチ・コネクションが思い出され、麻薬漬けにされるポパイ(ドイル刑事)のイメージが強くあまり良い印象がありません。30年近く前に初めてマルセイユへ行った時もそんな印象を受けました。 -
「マティス嬢の肖像」
アンリ・マティス
マティスというと数々の女性遍歴をすぐに思い浮かべてしまいます。初夏に行ったアムステルダムの市立美術館で展覧会を観た後にいろいろ勉強したせいでしょうか。パリでギュスターヴ・モローに絵を指導されていたとは思えない晩年の作品です。
市立美術館
http://4travel.jp/travelogue/11025716 -
「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」
レオン・フレデリック
手放したくないというフレデリックに特別に頼んで譲ってもらった話は何かのテレビ番組で見た記憶があります。この作品が児島のヨーロッパでの最後の買物でもあったそうです。大原美術館を建設する際に7枚にわたるこの連作が建物の横幅を決めたと伝えられています。 -
この絵を描き終わるまでに25年の歳月がかかり、第一次世界大戦で画家のフレデリックは娘さんを亡くしたそうです。そのせいか見ていると非常に重苦しい気持ちになってきます。ベルギーを旅して「フランダース・フィールド」の詩のことを知ったり当時の重苦しい時代が胸を打ちます。
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同じ作家の作品が出身地でもあるブリュッセルの世紀末美術館に収蔵されています。クノップスやモッサの作品と共に印象に残る作品でした。こちらの作品は「生命の源」というだけあって非常に明るい印象を受けます。見比べてみると面白いと思います。
ブリュッセル世紀末美術館
http://4travel.jp/travelogue/11024862 -
「赤い部屋」
ガストン・ラ・トゥシュ
印象派の影響を強く感じますが、色彩は独特の力強さを感じます。大きな屋敷のコンサバトリーみたいな部屋だということが鏡に映りこんだ木々から分かります。きっと冬場は寒い土地なので壁も赤く塗られているのでしょう。母親と子供たちが遊ぶ気持ちよい季節の絵のようです。 -
「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」
アメデオ・モディリアーニ
藤田嗣治のモデルをしていたこともあるジャンヌ・エビュテルヌは自らも絵筆を取り、美術界に入ることを望んでアカデミー・コラロッシに入ります。そこでモディリアーニを紹介され恋に落ちます。モディリアーニが数年後に没するとエビュテルヌの家族は娘を自宅に連れ帰ります。錯乱状態にあった彼女はモディリアーニの死から2日後にお腹の子供を道連れに集合住宅の5階の窓から身を投げます。 -
「ヘクトールとアンドロマケーの別れ」
ジョルジュ・デ・キリコ
トロイア戦争で、夫のヘクトールはアキレウスに討たれ、子供アステュアナクスはアキレウスの子ネオプトレモスに殺されます。ネオプトレモスはアンドロマケーを妾にしてヘクトールの兄弟ヘレノスを奴隷として連れ去るという叙事詩イーリアスに描かれるギリシャ悲劇の話が題材です。ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館で観た吟遊詩人や横浜美術館の作品を思い出しますが、絵のグレードとしては大原美術館の作品が素人目にも素晴らしく思えました。 -
「L.H.O.O.Q」
マルセル・デュシャン
先生に連れられた高校生の女の子が数人見学していましたが、この絵には興味をそそられたようでした。 -
「血の雨の中の家々」
フリデンスライヒ・フンデルトワッサー
池袋に西武美術館があったころ一時傾注していたことがある好きな作家です。ウィーンの建築群も何度か見に行きました。大阪南港から船で出港すると彼の設計した大阪市環境局舞洲工場が見える風景も好きです。この作品は東京で描かれたと描かれてありました。版画の作品も素晴らしく、日本の摺師に刷らせています。版画の雅号は「百水」フンデルトはハンドレット、ワッサーはウォーターですからね。そのままです。奥様は日本お方だったと思います。
ウィーンのワッサー建築
http://4travel.jp/travelogue/10563155 -
館内のミュージアムショップで絵ハガキや本をたくさん購入しました。美術館内は撮影禁止なので旅行記の絵画は購入したものをスキャンしています。大満足の見学の後は表に出てクールダウンします。
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敷地内のどこを見てもスキの無い美しさに覆われた美術館です。
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ジヴェルニーにあるモネの庭の睡蓮が株分けされたものがありました。倉敷にはアイビー・スクエアーにもありました。日本だと高知の美術館にも分けられているようです。
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工芸館と東洋館は大原家の米蔵を改装した建物だそうです。ベンガラの赤蔵がとてもきれいでした。こんな美しい蔵は初めて見ました。翌日は備中高梁から吹屋へ行く予定でしたが、平日なのと天気が悪いこともあったので尾道へ変更してしまいました。市川崑監督の金田一シリーズに出てくる建物も工事中だったこともあります。
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工芸館は富本憲吉に濱田庄司や河合寛次郎、バーナード・リーチなどの陶芸の素晴らしいものが芹沢銈介のデザインした陳列室に飾られています。陶器の作品はいろいろな美術館や展覧会で観ているのですが、この建物の素晴らしさには驚かされました。河合寛次郎さんの作品を観ていると祖父の友人だった高山泰造さんのことを思い出します。寛次郎さんの釉薬を使った茶碗などが残っていたりします。
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「カレーの市民(ジャン・デール)」
オーギュスト・ロダン
「カレーの市民」の記念碑は英仏百年戦争のエピソードをもとに制作されました。
1347年にイギリス王エドワード1世は、フランス北部の港町カレーを包囲します。王はカレーの市民6名が町の城門の鍵をもって投降することを条件に攻撃をやめることを提案します。 町はこの条件をのんで鍵と市民を差し出します。ジャン・デールが持っているのは城門の鍵です。 -
洗礼者ヨハネとカレーの市民の両作品は児島虎次郎がロダン美術館で交渉し鋳造してもらったものです。太平洋戦争中期の1943年夏にロダンの銅像2体に金属供出命令が出されます。 当時の館長の武内潔真は直ちに回収免除の申請を岡山県に提出し供出を免れたそうです。
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京都でも太平洋戦争中に御池通を拡張して二条駅まで伸ばす計画があったそうです。そうすると神泉苑や祖父の家の二条陣屋も取り壊される可能性があったそうです。そこで祖父が各所に陳情して家を国宝に指定してもらい解体を免れたそうです。当時はいろいろな所でそんな話が合ったのでしょうね。美術館の本を読みながらそんなことを思い出しました。
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「洗礼者ヨハネ」
オーギュスト・ロダン
この像は夏に行ったロンドンのビクトリア&アルバートにも納められていましたし、パリのロダン美術館にもありました。旅行前にロダンとカミーユ・クローデルについてもいろいろ学んだので感慨深いものがあります。
ロダン美術館
http://4travel.jp/travelogue/10624624 -
大原美術館の建物のギリシャ神殿風のコリント様式の柱を見ていると、児島虎次郎の作品が収蔵されているベルギーのゲント美術館のファサードと似ているように思えました。同じようなコリント様式の柱と屋根には楽器を奏でる一対の女神の銅像がありました。構成の類似には何かあるのでしょうか?
ゲント美術館
http://4travel.jp/travelogue/11025159 -
本館と工芸館・東洋館の後は分館へ向かいます。その途中にあった遊心館へ立ち寄りました。
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玄関先に置かれていた倉敷張り子の虎。どこかで見たことがあると思ったら。
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昭和37年1月に池袋西武で見たものと同じでした。
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建物の中では備前焼の展示会が開かれていました。昔岡山に来たときに伊部まで足を延ばして備前焼の窯元巡りしたことがありますが…。あまり魅力を感じませんでした。
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それよりも庭先の紅葉が見事でした。
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それほど大きなお庭ではないのですが。確実に秋は岡山まで来ていました。
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たくさんの絵をじっくり観てきたので少し目を休めましょう。
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「歩く人」
オーギュスト・ロダン -
「横たわる母と子」
ヘンリー・ムーア -
分館は梅原隆三郎や岸田劉生などの作品が収蔵されていました。が今回の旅の目的ではないので早めに見学を終えました。
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お昼時になったので美観地区へ戻ってきました。有隣荘の屋根瓦の色はとても美しいのですが、中国だったら皇帝に使う色なので打ち首になりそうな気がします。一見日本の建築には合わなさそうですが調和がとれてとても美しく感じます。
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お昼は「旅館くらしき」でいただくことにしました。
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席は満席で数組のお客さんが待たれていましたが15分くらいで席は空きました。
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倉敷ガラスの置かれた待合室です。食事時間の後は喫茶室になるのでしょうか。
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1日50食限定の「四季の散歩道御膳 」を注文しました。混んでいたので心配でしたが間に合ったみたいです。これで2,000円くらいなのでお手ごろだと思います。前日の栗林公園の「二蝶」のお弁当といいおいしいところに当たりました。
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小皿に12種類の料理が盛られてありますが、熱いものは熱くさすが料理旅館の味付けだと思えました。
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弁当箱と小皿の取り合わせもきれいです。これを考えた人のセンスを感じます。
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お品書きもいただけます。
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急須敷きがデニムというところが倉敷っぽくてよいです。番茶もおいしいです。
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昔泊まったことがありますが何となく記憶がよみがえってきました。入ったときは全く思い出せませんでしたが。
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「旅館くらしき」のお庭も見せていただきました。
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今回のホテル3泊の代金合わせてもここに1人も泊まることはできません。
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懐かしい火の見櫓です。昔は近所にもありましたが。いつ無くなったのか記憶に残っていません。
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間違えました。この人は一年中正月でした。12月にドイツのクリスマスマーケット巡りするので少し下見させていただきました。
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アイビー・スクエアには初めて来ました。そうなのです。前回は児島虎次郎記念館観ていなかったのです。
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まずは目的の「児島虎次郎記念館」へ入ります。
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「里の水車」
東京美術学校研究科在学中に東京府勧業博覧会の美術展に出品した2点のうちの1点です。50年ほど前は埼玉の父の実家あたりでもこんな感じだったことを思い出しました。 -
「凝視」
1909年の制作ですからベルギーのゲントへ行ってすぐの頃の作品のようです。まるで描かれることを拒否するかと思えるような視線です。この当時ブリュッセルから数十キロの距離とはいえ、滞在していた日本人などほんの数人でしょうし、モデルの心の葛藤まで描いているように思えました。 -
「和服を着たベルギーの少女」
一転こちらは不思議な日本の民族衣装を着て嬉しそうな少女の表情が良いですね。欧米人が描いた絵であれば「ジャポニスム」と呼ばれるのでしょうが、日本人が描いた場合なんていうのだろうか?背景の棚の調度品の感じがジェームズ・アンソールの絵のように見えました。虎次郎の滞在時期とアンソールの活躍した時代は重なっているので影響を受けたのかもしれないと妻と話が弾みました。 -
「和服を着たベルギーの少女」(小さな隣人)
先の和服の少女は着物を着こなしていますが、こちらは着物に着られてしまっています。ベルギー名産のタペストリーで覆われたような背景もいいですね。画面右の背景の花はモネの影響があるのではと思えました。 -
「睡れる幼きモデル」
実際にこんなポーズでは眠れないと思いますが、一度見たら忘れられない絵です。 -
「椅子に座る少女」
妻と2人で思ったのはこれは絶対にクリムトを意識していると思いました。分かりにくいですが、背景のブルーの部分は細かい色を重ねた渦状の円が連続しています。ただ女性に対しての思いはクリムトとは違いまじめな印象を受けます。 -
「酒津風景」
一番良いと思えたのはこの絵でした。岡山の秋の暖かい農村の風景が心に沁みます。子供の頃に父と登山に行った帰り道に里に下りて来たときに感じた心象の風景のようです。アール・ヌーヴォーとかモデルニスモとかいろいろな名前で呼ばれる世紀末美術が日本にもしっかりあったのだなと思いました。 -
「春の光」
この絵を観て妻とびっくりしました。縦横の構図は違いますが、ゲント美術館にあった作品とほとんど一緒です。 -
「芝の上」
ゲント美術館の虎次郎と同じ部屋に飾られたエドワード・アトキンソン・オニールという作家の「田園の春」という絵を思い出させました。 -
「蘇州の塔」
初めて中国へ行ったとき、上海駅から列車で蘇州へ向かいました。その時の車窓から眺めた江南の風景を思い出しました。ほんの15年くらい前のことですが、それからでも中国の風景は驚くほどの速さで変わって行っているように思います。 -
「蘇州の廟」
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「城門」蘇州の南側の盤門のようです。そう考えると遠景の間に運河が流れているように思えてきます。
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「小放牛」
小放牛は日本語「小さいな牛飼い」という意味です。明時代の歌劇の登場人物を描いたものです。つま先立ちして決めのポーズをとった瞬間のようです。北京の湖広会館で初めて京劇を観た時の興奮を思い出しました。絵を観ているだけで音楽が聞こえてくるようです。
湖広会館の京劇
http://4travel.jp/travelogue/10359127 -
「朝顔」
妻はこの絵が一番気に入ったそうです。下駄を履いてつま先立ちして朝顔に水をやる一瞬が切り取られています。 -
「祭りの夜(タンバリン)」
祭りの夜は3枚同じ題材の作品がありました。美しいヒターノの女性たちの姿を見ているとスペインを旅したことを思い出します。グラナダのアルバイシンの洞窟タブラオでフラメンコに感銘を受け、予定変更してセビリアへ行き、数年後再訪した時はマドリーのカフェ・チニータスやトーレス・ベルメハスなどに毎晩入り浸っていました。 -
「スペインの丘」
これもグラナダのどこか丘の上の風景ですね。背景の山々はシエラ・ネバダの山々でしょう。大聖堂の姿もこんな感じだったと思います。大聖堂に寄り添うように建つ建物の中のアンティーク屋で16世紀のアンダルシアの地図を買ったことを思い出しながら眺めました。 -
「デッキ・パッセンジャー」
渡欧する途中に立ち寄ったエジプトへの船中の絵だそうです。題名が良いですね。地中海をフェリーで巡るのが好きですが予約する時のカテゴリーは「フット・パッセンジャー」ですから。 -
虎次郎の記念館の横にはエジプトからギリシャ・ローマの収蔵品が飾られる部屋もありました。絵画に加えこういった美術工芸品を現地に赴いて購入することが出来たのは本当にうらやましく思えることですね。でも審美眼を持った人だったと収蔵品を見て思いました。
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さあ美術館賞は終わりです。倉敷観光とお買い物しましょう。
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この南欧風の噴水も虎次郎が運んできたのだろうかなどと思ってしまいます。
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ここのホテルにも泊まろうかと思っていたので見学させてもらいます。建物と一体化した蔦が紅葉してとても綺麗でした。
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ホテルのフロントも感じが良かったです。見学できるのはここまで。
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ベンチに置かれたノッティングと呼ばれる倉敷名産の敷物です。非常に素晴らしいのですが、20,000円からというお値段がちと痛い。脇のお土産屋さんで美濃和紙を使ってベトナムで造られた五月人形のこいのぼりセットを購入しました。美濃⇒ベトナム⇒倉敷で購入という何の脈略の無さが気に入りました。
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今晩のホテルでのおつまみにとかまぼこを購入します。涼しいので持ち歩いて大丈夫との事でした。材料はグジ(アマダイ)などで昔ながらの店構えが良いです。
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岡山と言ったら桃太郎です。高松からのフェリーで鬼が島も見ることが出来ました。
人形屋さんで張子などを眺めていると。 -
花嫁行列がやってきました。
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古い街並みに笙や篳篥の音が流れていきます。
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本物の花嫁さんと花婿さんです。
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町を練り歩いた後に人前の結婚式を執り行い、観光客にも振る舞い酒や餅まきがあったり参加することが出来ます。
YOUTUBEにも公開されています。
https://www.youtube.com/watch?v=aPBoJlYYDvY -
素隠居(すいんきょ)と呼ばれる阿智神社の例祭の御神幸の雌雄の獅子に付き添う老人の面をかぶった若者もお供しています。素隠居が持っている渋うちわで頭を叩かれると、賢くなるとか健康になると言われるそうです。
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花嫁行列を見送って倉敷民芸館に入ってみます。この民芸館には祖父と旧知の方がいらしたということを母に聞いていたのでどうしても立ち寄りたかったところです。もちろん半世紀以上前のことですが。
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展示されている民芸品も素晴らしいのですが、蔵を改造した建物も素晴らしいものでした。
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陶器は中国地方のものが多く飾られています。こちらは岡山県羽島の蓋付壺です。
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こちらも同じ羽島の大皿。
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酒津堤窯の大皿。現在も倉敷近くの酒津で窯は続いているそうです。時間があったら伺いたいところですが、ちゃんと下調べおかないとだめですね。
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タイとミャンマーの国境近くのチェンライ郊外にドイ・ディーン・デーン窯を訪れたことを思い出しました。九州の唐津で修行されたタイ人の方の窯ですが、工房の建築も素晴らしくこんな雰囲気だったことを思い出しました。
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この民芸館は東京駒場の日本民藝館に続く日本で2番目の民藝館だそうです。
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倉敷ガラスももちろん陳列されていました。
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素晴らしいとは思いましたが、市中で売っている値段はちょっと高すぎました。ヴェネツィアでオーダーするよりも高いと考えるととても手が出ませんでした。
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掛かった衣装は台湾の原住民族のものでした。赤絵の大皿は島根県で造られたものです。
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インドネシアのスンバ島の経絣(たてがすり)です。経絣とはイカットで、バリ島のトゥガナン村のグリンシンというイカットを見に行ったことを思い出します。
トゥガナン村 http://4travel.jp/travelogue/10785203
下の八角の大盆は富山で造られたものです。 -
江戸時代後期の米倉を再生活用してこの民藝館が1948年に設立されたそうです。
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江戸時代の沖縄の紅型(びんがた)も飾られていました。
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赤絵の大鉢も使いやすそうでした。
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このお盆欲しかったです。
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栃木県の馬鞍はもう今では使われることは無いでしょうし、製作されることは無いのでしょうが、馬を大切にしていたことが伝わってきます。
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倉敷手まりは倉敷民藝館初代館長の外村吉之介が、熊本の肥後てまりの魅力に魅せられ「倉敷にも独自のものを」と考えたことに始まったそうです。この外村さんが祖父の実家である京都の二条陣屋を訪れていた方です。
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名残の萩がまだ咲いていました。嵐山の吉兆の庭にきれいな萩が咲くのを思い出しました。いつか妻を連れて行かなければと思っているのですが。
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大原美術館の隣のカフェは色づいた蔦の葉がきれいでした。嵐山の吉兆へは連れて行っていませんが、この後にスペイン3週間の旅行へは行けました。
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あとは買い物だけです。途端に元気になったような気がします。
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「平翠軒」には絶対立ち寄りたかったお店です。他の地方のものを買っても仕方ないので倉敷周辺のものを買いました。ちょうど社長の森田さんもレジに立たれていました。地酒を2本買ったのですが、社長さんに「これおいしいですか?」と尋ねると「これは少し辛口に仕込んでいます。無濾過で…。」詳しく教えてくださいました。仕込んでいるって…、とちょっと引っかかっていたのですが。
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表の写真を撮って隣の建物を見ると。
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森田酒造の建物でした。しまった、森田さんと森田酒造…。自分の蔵で造っていたのですね。失礼いたしました。お酒2本買ったので許してください。
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買い物も済んで夕食まで時間があったので観光案内所に寄ってみました。
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休憩できるテーブルがあったので、大原美術館で買った絵葉書を2枚書きました。
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どこかへ行ったら1日1枚実家宛に絵葉書を出すのが習慣です。結婚前の長期の海外旅行などは大変でした。実家と妻宛に1回の旅行で90枚くらい出したのが最高でしょうか。結婚して一緒に旅をするようになって半分になったのが一番幸せなことかもしれません。
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日が暮れてきて街に明かりが灯りだしました。
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観光客の姿も減っていい感じになってきました。1泊くらい倉敷に泊まってもよかったなと思いました。
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大原美術館の扉も閉まっています。建物全体が見えなのが残念です。もう少し日暮れ時の写真も撮りたかったのですが、おなかが減ったので予約したお店に急ぎます。
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予約した時間より少し早かったのですがお店に到着しました。旧日航ホテルで現在は倉敷ロイヤル・アートホテルになっていましたが、お店の「八間蔵」はそのままでした。
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寛政8年(1796年)に建築された重要文化財「大橋家住宅」の米蔵を改装した倉敷ならではのフレンチレストランです。趣があり上質な時間が流れています。1週間前に予約しましたが、食事が終わるころには満席になっていました。
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かわいらしいアミューズは生ハムでした。最初のドリンクはネットのクーポンを出力していったのでグラスワインがサービスされました。
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妻は最近ロゼワインがお気に入りです。予約したのは「蔵」という5,000円のコースでした。
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ホタテ貝のテリーヌはキノコのソテーと下津井のタコが添えられています。黄色いソースはサフランソースです。
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季節のスープはマッシュルームでした。濃厚でとてもおいしかったです。
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太刀魚と秋鮭と茄子のポワレ。太刀魚は香ばしく焼いてあっておいしかったです。
付け合わせのひよこ豆も濃厚な味付けでした。 -
口直しのシャーベットはゆず味でした。
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メインのお肉料理は2種類から選べました。私は仔牛と海老のバロティーヌ。柔らかい仔牛とプリプリの海老とバルサミコソースが最高でした。
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妻は牛フィレステーキを選びました。春のベルギーとオランダ旅行以来ずっとステーキを食べている気がします。
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ワインをお替りして食事がどんどん進みます。昨日今日と和食が続いていたのでフランス料理がよりおいしく感じます。
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デザートはパンナコッタでスイートポテトとチョコレートの一口ケーキも添えられています。最後にコーヒーをいただいて大満足の夕食でした。
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ほろ酔い気分で倉敷駅から岡山駅に戻りました。ほんの20分くらいなので移動が苦にはなりません。駅のコンビニで飲み物を調達してホテルに戻ります。まずは高松で購入した「びわ梅酒」からスタート。廊下に製氷機もあるので便利です。
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缶チューハイに変えてからは倉敷で買った黒田蒲鉾店のかまぼこです。
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最後に橘香堂(きっこうどう)のむらすずめで締めました。充実した旅の2日目も終了しました。翌日は天気が悪そうなので、備中高梁と吹屋の観光はやめて、西からの天気の回復を期待して尾道へ行くことにしました。
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