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 大磯町にある地福寺は真言宗東寺派のお寺で船着山地福寺という。承知4年(837年)に創建された古寺である。大磯の名は、「和名抄」に見える余綾郡伊蘇郷に比定される。また、天平10年(738年)、正倉院御物の白布墨書に「  郡大□ 大磯里戸磯部白髪 調并庸布壱端」とある。大磯宿の形成は鎌倉期に遡るが、「国府」の地名(平安時代末期からの相模国の国府があったところか?)も残り、古代には既に存在していたことが分かる。平安時代前期に地福寺が創建されているが、同じ大磯町にある六所神社の創建の年は崇神天皇甲申年(崇神天皇元年(594年)または61年(624年)であると考えられる。)、同じ大磯町にあった高麗寺の創建は養老元年(717年)と伝えられるから、それらに次ぐ古さである。<br /> 慶長6年(1601年)になって東海道五十三次の宿場として大磯宿が3つの本陣がある宿場町となるが、江戸時代に亘ってあった小島本陣と尾上本陣の間に地福寺参道が位置している。また、小島本陣を営んでいた小島家の墓が地福寺境内の山門裏手にある。<br /> 地福寺境内には小島家の墓の他に、戦中戦後に島崎藤村夫妻の墓が造られた。<br /> 春は梅の名所と言われているが、この時期はフヨウとイヌサフランが咲いている。<br /> また、横の墓地には六地蔵があるが、墓地にある六地蔵は円覚寺墓地、古川神明神社(川崎市幸区古川町)前の墓地に次いで3例目である。<br />(表紙写真は地福寺本堂)

地福寺

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2015/09/30 - 2015/09/30

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 大磯町にある地福寺は真言宗東寺派のお寺で船着山地福寺という。承知4年(837年)に創建された古寺である。大磯の名は、「和名抄」に見える余綾郡伊蘇郷に比定される。また、天平10年(738年)、正倉院御物の白布墨書に「  郡大□ 大磯里戸磯部白髪 調并庸布壱端」とある。大磯宿の形成は鎌倉期に遡るが、「国府」の地名(平安時代末期からの相模国の国府があったところか?)も残り、古代には既に存在していたことが分かる。平安時代前期に地福寺が創建されているが、同じ大磯町にある六所神社の創建の年は崇神天皇甲申年(崇神天皇元年(594年)または61年(624年)であると考えられる。)、同じ大磯町にあった高麗寺の創建は養老元年(717年)と伝えられるから、それらに次ぐ古さである。
 慶長6年(1601年)になって東海道五十三次の宿場として大磯宿が3つの本陣がある宿場町となるが、江戸時代に亘ってあった小島本陣と尾上本陣の間に地福寺参道が位置している。また、小島本陣を営んでいた小島家の墓が地福寺境内の山門裏手にある。
 地福寺境内には小島家の墓の他に、戦中戦後に島崎藤村夫妻の墓が造られた。
 春は梅の名所と言われているが、この時期はフヨウとイヌサフランが咲いている。
 また、横の墓地には六地蔵があるが、墓地にある六地蔵は円覚寺墓地、古川神明神社(川崎市幸区古川町)前の墓地に次いで3例目である。
(表紙写真は地福寺本堂)

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