2015/03/20 - 2015/03/22
329位(同エリア612件中)
赤い彗星さん
臼杵市から大分県を北上し続け、最後の町となる中津市に
やってきました。
大河ドラマ軍師官兵衛で大いに盛り上がったでしょうが、
元々は福沢諭吉を生んだ学問の町でもありますね。
中津は、唐揚げの聖地と云う事で美味しい唐揚げも頂きました。
官兵衛絡みで存在を知った合元寺や宇佐神宮と所縁の深い
薦神社を訪れました。
- 旅行の満足度
- 4.5
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中津市商店街を散策中に見つけた中津市キャラクターの
「くろかんくん」です。
主君の秀吉が、手乗り猿状態に。。。 -
こちらは中津市ポスターのリアル「くろかんくん」でしょうか。
頭にはお椀をかぶっているように見えますが、赤合子形兜をかぶっています。 -
中津が生んだ偉人「福沢諭吉」が、スタバマークのようになっています。
中津駅 (大分県) 駅
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学問のすゝめの有名な一節が書かれた額が、中津駅構内に掛けられていました。
中津駅 (大分県) 駅
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中津駅です。高架化された駅ですね。
中津駅 (大分県) 駅
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中津駅前には、福沢諭吉像が建てられています。
今の一万円札になってから、すでに30年も経っていたんですね。中津駅 (大分県) 駅
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駅から歩いて10分程の、寺町にやってきました。
宝連坊の楼門です。2階部分には、鐘が吊られていますね。
関ヶ原の戦いのあった慶長5年(1600年) 細川忠興が中津城に入封の際、
行橋浄喜寺の村上良慶に、中津浄喜寺を開基させました。
その中津浄喜寺が、現在は宝蓮坊と改称されています。宝蓮坊 寺・神社・教会
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宝蓮坊側面にある太子門です。
宝連坊の3代目村上良道は、勅命により聖徳太子の経典を天皇に講義した際に、
大阪四天王寺に祀られていた聖徳太子像を拝領しました。
良道は帰国後にお堂をたて、聖徳太子像を安置していたそうですが、
長年の風雨でお堂が傷んだ為、現在は本堂に安置されているそうです。宝蓮坊 寺・神社・教会
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宝連坊を少し進むと、合元寺が見えてきました。
赤壁寺とも呼ばれるだけあって、本当に壁が真っ赤ですね。
これは目立ちます。合元寺(赤壁寺) 寺・神社・教会
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黒田家が入封するまで領主だった宇都宮鎮房が中津城で謀殺され、
合元寺で休憩中だった宇都宮家家臣にも討ち手が差し向けられます。
宇都宮家家臣は奮戦しますが、全滅してしまいました。
その際に付いた返り血で赤く染まった白壁を、その後何度塗りなおしても、
血痕が滲み出てくる事から、遂に壁を赤く塗ったと云われています。合元寺(赤壁寺) 寺・神社・教会
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合元寺は、豊前宇都宮家庶子(宇都宮鎮房の一族)の空誉上人により開基されます。
空誉上人は、播州明石出身の文武両道の名僧で、官兵衛の豊前入国に合わせて合元寺を再興します。黒田家の筑前移封にも行動を共にし、大いに活躍したそうです。
空誉上人は黒田家元家臣の後藤又兵衛と仲が良く、黒田長政と仲違いして大阪城に入城した又兵衛の説得役を任されます。
しかし説得は叶わず帰国した後、長政長男の2代藩主忠之に大坂方との内通を疑われ、釜に入れられて背中を太刀で割られた後、煮えたぎった鉛を流し込まれるという残酷な方法で惨殺されました。
後日譚として、空誉上人を埋葬した場所に植えた松に鳥が止まると、立ちどころに落ちたという話しや、処刑された場所には釜の形で草が生えなかったという話が伝わっています。
昭和に入り、処刑場跡に知事公舎が建てられますが、僧の幽霊を見る人が相次いだり、知事がうなされるようになったりしたため、供養塔が建てられたそうです。合元寺(赤壁寺) 寺・神社・教会
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合元寺の本堂です。
こちらの壁面も赤く塗られていますね。合元寺(赤壁寺) 寺・神社・教会
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合元寺を少し進んだ所にある、大法寺です。
何て書いてあるんだろうか? -
大法寺の門です。
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大法寺にある鬼子母神像です。
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またまた少し先に進むと円応寺に到着しました。
黒田官兵衛開基で、黒田・細川・小笠原の歴代藩主に大切にされてきたお寺だそうです。
河童の伝説が残るお寺で、瓦には「水」の文字が刻まれています。円応寺 寺・神社・教会
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江戸時代中期に寂玄上人が、河童を仏の道に入らせ、河童の頭目3匹に戒名を授けたと云う伝説が残ります。河童たちは上人への恩返しの為に、寺を火災から守ったそうです。
その河童たちのお墓が残されています。円応寺 寺・神社・教会
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中津市のマンホールは、中津城がデザインされています。
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またまた少し進んで行くと、閻魔さんのお寺:円龍寺に到着しました。
本当にお寺がずらりと並んでいます。円龍寺 寺・神社・教会
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本堂は、まだ新しい建物です。
円龍寺 寺・神社・教会
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門をくぐって左側に閻魔堂が建っています。
円龍寺 寺・神社・教会
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中央に閻魔様、右手に奪衣婆像が安置されています。
正直、奪衣婆像の方が不気味です。
奪衣婆は、三途の川の渡り賃:六文銭を持たない者の衣服を、代金代わりに剥ぎ取る老婆だそうです。円龍寺 寺・神社・教会
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中津市郊外にある薦神社にやってきました。
薦神社 寺・神社・教会
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狛犬と呉橋が見えてきました。
薦神社と所縁の深い宇佐神宮にも、呉橋がありましたね。薦神社 寺・神社・教会
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小さな橋ですが、かなり凝った造りですね。
老朽化が激しいようで、立ち入り禁止になっています。薦神社 寺・神社・教会
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廊下橋の先に鳥居がありました。
薦神社 寺・神社・教会
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薦神社の神門が見えてきました。
薦神社 寺・神社・教会
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神門手前の伊勢宮に寄ってみます。
薦神社 寺・神社・教会
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かわいいお地蔵様です。ガッツポーズのようにも見えますね。
薦神社 寺・神社・教会
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伊勢宮の方角に伊勢神宮があるそうです。
薦神社 寺・神社・教会
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重要文化財の神門です。
江戸時代初期造営の墨書きが残っており、細川忠興により建てられたと考えられているそうです。薦神社 寺・神社・教会
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拝殿です。
薦神社は三角池がご神体とされており、池が内宮、こちらの社殿が下宮となっています。
宇佐神宮の祖宮と云われており、承和年間(834-848年)に創建された古い神社です。薦神社 寺・神社・教会
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多くの絵馬が掛けられていました。
薦神社 寺・神社・教会
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薦神社 寺・神社・教会
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薦神社 寺・神社・教会
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薦神社の本殿です。
薦神社 寺・神社・教会
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ご神体の三角池が、鳥居の向こうに見えています。
薦神社 寺・神社・教会
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神様の足跡という説明書きでした。
右側の窪みが、八幡神が3歳の童姿で降臨した際に付けられた足跡だそうです。薦神社 寺・神社・教会
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三角池に向かって、複数の鳥居が建っています。
薦神社 寺・神社・教会
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ご神体であり、内宮の三角池(みすみいけ)です。
池の中に鳥居が建っていますね。
三角池で採集した真薦を使用して、宇佐行幸会の神輿に納める霊代の枕を作成する習わしだったそうです。薦神社 寺・神社・教会
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シーサーのような可愛らしい阿形の狛犬です。
薦神社 寺・神社・教会
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吽形の狛犬です。
薦神社 寺・神社・教会
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日本酪農の父と云われる宇都宮仙太郎を記念する碑のようです。
中津生まれで、アメリカで酪農を学んだ後、北海道の酪農普及に努めたそうです。
雪印乳業の創始者の一人です。
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