2015/05/10 - 2015/05/10
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
日曜日の行程は全て徒歩で歩ける範囲内です。朝一番で訪れたのは、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂ですが、まずその前にディオクレティアヌス浴場の説明から。
ディオクレティアヌス浴場は、298年から306年までかけて建てられたローマ最大かつ最も豪華な浴場です。テルミニ駅の北西、わずか4、500m位の距離にあるこの辺りは、ヴィミナーレ地区と呼ばれていますが、この浴場はヴィミナーレ、現首相官邸のあるクイリナーレ、サンタ・マリア・マッジョーレのあるエスクイリーノ地区の住民のために提供された浴場でした。
浴場は14ヘクタールという広大な広さを誇り、取り囲む外壁は 380m X 365m、一度に3000人が同時に入れたそうです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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のっけからなぜ、ディオクレティアヌス浴場について長々と書いたかと言うと、いきなり、こんな建物に出くわしてしまったからです。
宿泊しているホテルの前の道プリンチペ・アメデオ通りをまっすぐ北西に進んで突き当たった道ヴィミナーレ通りにあるこの円筒形の建物。周囲の建物に溶け込んでいるとは言いがたいですね。
実はこの建物、ディオクレティアヌス浴場を取り囲む外壁にあった二つの塔の内の一つなのだそうです。 -
こちらは、Wikipediaから転用させていただいたディオクレティアヌス浴場の全体図です。上記の円筒形の塔は、外壁の右下にある塔です。
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現在、建物の一部はレストランになっていました。その名もズバリ、「ディオクレティアヌス浴場」。
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中央に開いたゲートの先は、駐車場になっていました。外観をそのままの形で残しながらも、内部はきちんと再利用できているのだから、ローマ人のリサイクルの伝統はここでもきちんと守られていましたよ。
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ヴィミナーレ通りを右折し、突き当りを左折すると、見えてきたのは、今回のたびで私が目にするローマのオベリスク3本目 ドガーリのオベリスクObelisco di Dogaliです。ローマ13古代オベリスクの一つです。
高さは16.92m。エジプトでラムセス2世の時代に作られ、ヘリオポリスの街中に立っていました。皇帝ドミティアヌスの時代にローマに運ばれ、パンテオン前をはじめとするローマの神殿の装飾として用いられていました。
このオベリスクは、1883年、パンテオンそばにあるサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会で考古学者ロドルフォ・ランチアーニによって発見され、最初はエトルリアのドガーリの戦い終結記念としてテルミニ駅前に立てられましたが、1925年に現在のディオクレティアヌス浴場前の庭園に移されました。 -
オベリスクにもっと近づこうと思ったのですが、ローマにも沢山いるホームレスの住居の一部と化していたため、遠慮しました。
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公園はホームレスの住み家となっていることが多く、こんなにテルミニに近いにもかかわらずあまり人が歩いていなかったのは意外でした。
オベリスクの先についている★を正面から撮ろうと思ったのに、なんと先が欠けてしまいました(泣)。ドへた!! -
共和国広場にやってきました。ここまで来ると、観光客が沢山現れたので一安心。
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共和国広場のこの形をみて、ぴんと来るものがありますよね。そう、こちらはディオクレティアヌス浴場の外壁のエゼドラ(半円形の壁)の中でも最大のもの(上の図の7)を元に作られました。
現在は共和国広場と呼ばれていますが、かつてはエゼドラ広場という名前で、土地の人は今でもそう呼んでいるそうです。
1887年から1898年にかけて建築家ガエターノ・コクにより建てられた、柱廊のある建物が素晴らしいですね。
向かって右側の建物の中には、三越が入っています。 -
広場の中央にあるナイアディの泉です。今はちょぼちょぼとしか水が出ていませんね。中央に立つのが湖の妖精です。ナイアディというのは、噴水の真ん中とその周りに立っている湖、大洋、川、地下水の妖精の総称だそうです。道を渡ることはままならないので、遠すぎてはっきりと見えませんね。
2世紀初頭に作られ、ディオクレティアヌス浴場に水を供給していたアクア・マルチアという水道がこの噴水にも水を提供しています。
ローマの水道は、浴場への安定供給を図るため、ディオクレティアヌスの時代に飛躍的に整備されたそうです。 -
広場の反対側にようやくディオクレティアヌス浴場が姿を現しました。
現在、この浴場は、ローマ国立博物館の一部になっていて、古代ローマ人の生活を知る博物館として、一般公開されています。 -
ディオクレティアヌス浴場は、他のローマの浴場同様、3つの主要な建物から成り立っています。
前述の図で言うと1.がカリダリウム(温水プール。) 浴場のメインで、大きな熱い湯をたたえた浴槽とサウナ、蒸し風呂がありました。
2.はテピダリウム(微温浴室)。こちらは壁や床が適度に温められている部屋で、入浴する前に体を慣らすために利用しました。
3.はフリギダリウム(冷水プール)。4.のナタトリウム(大きなプール)を併設した小さな多数の風呂から構成されていて、スイミングあるいは冷水浴に利用しました。
3つの主要設備以外にも、ここには、5.体育館、そして更衣室、図書館、噴水のある公園、アーケードなどがシンメトリーに並んでいました。 -
やってきたのは、浴場に立つサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂。正式名を天使と殉教者の聖母マリア聖堂と言います。
1561年、教皇ピウス4世(在位 1559年〜1565年)は、フリギダリウムの中央ホールを教会に改築するために、当時サン・ピエトロ寺院で働いていたミケランジェロ・ブオナロッティを呼び寄せました。
ミケランジェロは教会を設計し、1563年から建築を開始しましたが、その翌年に亡くなったため、教会は彼の弟子ジャコポ・ロ・ルカらによって完成しました。
ご覧の通り、そのファサードはかつてのカルダリウムの凹形の外壁をそのまま用いた大変ユニークなもの。ミケランジェロが古代の遺跡に最大限の敬意を払ったことがよく表れています。
ファサードは上の図の数字1の上の半円部分に当たります。カリダリウムはこの壁以外残っていないようです。 -
ブロンズ製の扉は、ポーランド人イゴール・ミトライIgor Mitorajにより、2005年に完成したものです。
向かって右の扉は、まあ驚いた! 受胎告知です。こんな受胎告知は初めて見ましたよ。扉上部の半月形部分にも、いくつか金属片が見えますが、古代の浴場の遺物の断片と掛け合わせているのかもしれません。 -
もう一方の左扉に描かれたのは、十字架で4分割されたキリスト。こちらは、「キリストの復活」と言う題名です。
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普通なら彫像が立っていることの多い中央のニッチェには、どこかの古代の遺跡から掘り出された柱頭らしきものがぽつんと置かれているのみ。
これも演出の一つなのでしょうか? -
それでは、こちらの扉から中に入るとしましょう。
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一歩入ると、そこは小さな円形の部屋になっていて、かつてのテピダリウム(上図の2)でした。その先は広い翼廊となります。中は入り口の雰囲気とは全く違った世界。よくある教会の内部といった感じで、少々がっかりしました。
内陣にあった十字架のチャペルです。ローマの銀行家ジローラモ・チェウリのために1575年に建てられました。祭壇画の磔図は渋い感じで良い作品だと思いました。 -
この教会のメインと言ってもよいのが、この翼廊。古代のフリギダリウム(上図の3)です。
聖堂建設は、ミケランジェロがなんと86歳の時に始まり、彼の最後の仕事となりました。彼の創り上げたギリシャ十字形をした聖堂内部は、18世紀に彼の後継者ヴァンヴィテッリにより、大幅に改修されてしまいました。そのため彼が尊重したローマ時代の浴場を思わせるものは、パッと見た限りでは殆ど見当たりませんでした。
正面に見える列柱のうち、丸い柱は本物ですが、赤に白の模様が入った花崗岩に見える四角い柱は、実は煉瓦の張りぼてです。実際に触ってみると、冷たくないのでわかります。これもヴァンヴィテッリによるものです。 -
内陣のアーチ。実はミケランジェロの時代、彼はここにわざわざ壁を作り、ふさいでいました。後にヴァンヴィテッリがその壁を壊し、内陣にしたそうです。また、後陣部分を作るため、ヴァンヴィテッリは古代のナタトリウム(上図4のプール)手前の壁を壊さざるを得ませんでした。従って、後陣奥は、ディオクレティアヌス浴場のプールがあった場所に位置します。
後陣の聖歌隊席、背景の装飾、後で紹介しますが両翼廊の礼拝堂などは全てヴァンヴィテッリによるものです。
今日は日曜日。もうじきミサが始まるので、人々が集まっています。司教の登場を待っているところでしょうか。 -
この教会で私の目を引いたものは、またしても床でした。今度はコズマーティではなくて、こちらの日時計です。
教会の床の上を、このような直線の切込み(クレメンスの線と呼ばれるLinea Clementina)が大胆に走っているのです。 -
床は、ジュゼッペ・バルビエリによって18世紀末に工事が行われました。そして日時計は、1700年の聖年に間に合うようにと、教皇クレメンス11世から委託を受けた天文学者、数学者、考古学者、歴史家であり、かつ哲学者でもあるフランチェスコ・ビアンキーニにより作られました。工事は結局聖年には間に合わず、1703年に完成したそうです。
それ以来、この日時計は、ジャニコロの丘から正午に発射される大砲に置き換えられた1846年まで実に143年の間、ローマの標準時間を計測しつづけたのです。この日時計によって,毎年のイースターを何日からにするかも決められてきたそうですよ。
毎日教会の壁にある小さな穴から射しこんだ太陽光は、この線のどこかに光を投げかけます。装置は、正確なクロノメーターにより制御されているそうです。 -
太陽の子午線通過の測定を行う線に加えて、ビアンキーニは、星の動きを観測するために天井に穴を追加しました。こちらは、天体観測用の装置でしょうか。
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床には、黄道帯の十二宮のパネルがあったので、追っかけてみました。私的コレクションをご覧ください。順不同です。
これはおとめ座かな? -
てんびん座
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牡羊座
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おうし座
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ふたご座
ひどい構図ですが、お許しを。立ち入り禁止のロープのせいで、なかなか近寄れないのです(言い訳)。 -
少々グロテスクですね、このうお座。
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自分の星座であるしし座を見つけたところで星座探しはひとまず終了。
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主祭壇前の床です。1084年にサン・ブルーノによって設立された厳格で瞑想的なローマカトリックの修道会カルトジオ修道会のエンブレムだそうです。7つの黄色い星が特徴です。
1091年、教皇ウルバヌス2世は、サン・ブルーノにカルトジオ修道会の新しい修道院を作る場としてディオクレティアヌス浴場を提供したのだそうです。彼らが使っていた回廊は、ミケランジェロの弟子ジャコポ・ロ・ルカにより作られたものが、ローマ国立博物館の敷地内に現在も残っています。 -
そして、こちらは翼廊奥の礼拝堂前の床でした。
こちらは、16角のある星が中心になっていますね。
以上で床の部終わり!! -
ヴァンヴィテッリの改修の主目的の一つに、サン・ピエトロ寺院から貴重な絵を譲り受けるための礼拝堂の建設がありました。彼は、左右の翼廊に対となる礼拝堂を制作しました。サン・ブルーノ礼拝堂とアルベガティ礼拝堂です。
こちらは、右翼廊奥のアルベガティ礼拝堂。ちょっと見てすぐに気が付いたのは、祭壇画の周りのだまし絵です。4本の緑の柱もその上の装飾もすべて描かれたもの。
余程、予算がなかったのでしょうか。この教会、言っちゃ悪いけれど、「偽物」が多いです。
祭壇画は、「祝福されたニッコロ・アルベガティによる奇跡」。1746年エルコーレ・グラツィアーニの作品。両脇の天使は「寓話」的な存在で、平和と正義を表すのだそうです。 -
そしてこちらは、左翼廊奥だったと思うのですが、確かではありません。オルガンのあったそばの礼拝堂には、サン・ピエトロ寺院から運ばれた貴重な絵の1枚 「無原罪」が飾られていました。
祭壇にちょうど光が当たっていて、これまた見にくい写真ですが、ピエトロ・ビアンキによって18世紀初頭に描かれた作品。サン・ピエトロでは聖歌隊の礼拝堂を飾っていました。
こちらは本物の柱を使っているようですね。
少しだけ見えている天井のヴォールトは、ミケランジェロの作品です。ヴァンヴィテッリはこのヴォールトだけには手を付けなかったそうです。 -
最後に入ったこちらの部屋。なんという部屋だったか記憶にないのですが、ミニ博物館のようで、壁にはいろいろな資料や写真、図が展示されていたので、勉強させてもらいました。
この部屋は壁がむき出しの煉瓦で、床も温かみのある同じ煉瓦のデザイン。ミケランジェロの入り口からまっすぐこの部屋に入ったら、落ち着けただろうにと思いました。 -
壁には、このようなパネルが並んでいます。こちらは、ミケランジェロの作ったヴォールトの写真とそれに関する説明が添えられていました。
「今日ミケランジェロの仕事の美しさと重要性を理解する最良の方法は、偉大なボールトを研究することです。」と書いてあります。 -
これは、例の床の占星術のパネル一覧です。今改めて見たら「さそり座」は珍しい三角のパネルでした。途中ではしょらずに、最後まで追っかけすればよかったと後悔・・・
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教会の正式名、天使と殉教者の聖母マリア聖堂。ここで言う殉教者とは、ディオクレティアヌス浴場で働かされていたキリスト教徒の奴隷たちを意味するそうです。この絵は、その時代を描いたもののようですね。
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ミケランジェロは、現在のファサード(写真下)の入り口以外に、後二つ入り口を設計していました。それが上の二つの写真にある扉です。
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パネルが並んでいた資料館のような部屋にも、祭壇と思しきものがありました。祭壇画の女性はバラを携えているので、シエナのカテリーナでしょうか?両脇には、2人ずつの寓話的女性像。
パネルはいかにも手作りという感じで、親しみが持てます。教会の変遷についても、ある程度の理解を得ることが出来ました。 -
教会から出たところは裏口のようです。
そこに立っていたのは、なんとガリレオ・ガリレイの大きな立像でした。高さは多分3m位はありそうです。説明もないので、なぜいきなり彼が出現したのか、分かりません。 -
古代の浴場のカーヴを描いた壁の中にいます。
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外に出てきたのは、こちらの扉からです。扉の脇には、モダンな「聖家族」の彫刻があって、静寂の会話を交わしていました。
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中と外の余りのギャップに、まだ体が慣れません。
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建物のあちこちに付着している白い大理石は、付け柱の柱頭あるいは基壇の跡でしょうか?
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こちらは反対側。壁が左右対称になっているのがわかりますね。
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この階段を上って、チェルナイア通りへと向かいます。
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サンタ・マリア・デッレ・アンジェリ聖堂創建450年を祝したプレートです。これが2011年のことだったので、今年は454年目を迎えたということですね。
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チェルナイア通りから見た聖堂です。白いドームの屋根を除けば、やはり廃墟にしか見えません。
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聖堂の左翼廊部分の外観です。ミケランジェロが建築当初に設計したという3つの扉の内の1つが、左側のアーチの下にありました。
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チェルナイア通りの向かい側には、ディオクレティアヌス浴場の外塀と思しきものが続いていました。半円形の窪み 発見! これが小さなエゼドラじゃあないかしら?
凹部の前には、発掘品らしきものが、無造作に並べられていました。いくらでも出てくるから、きりないって感じ。 -
ディオクレティアヌス浴場を巡るたびフィナーレはこの教会。サン・ベルナルド・アッレ・テルメ。予定にはなかった教会なのですが、こうなったら行かなくっちゃ!
この形でピンときた貴方は凄い!。そう、ここは、上にある図の左下の円形部分の塔。浴場の外壁の左下隅に作られたもう一つの塔を教会にリフォームしたものです。教会の名前も、ずばり、浴場の聖ベルナルド教会です。
教会はサンタ・マリア・デッレ・アンジェリの前の道を右に行き、ほどなく到着するサン・ベルナルド広場にありました。 -
朝一番に見たレストランになっていた塔(名前が不明)と多分同じ大きさなのでしょうが、こちらは綺麗に装飾されて、教会らしい佇まいになっています。
煉瓦の壁の厚みが半端ではなく厚かったことが、この建物が生き残った理由の一つと言われています。どうやら人々は二つの塔の中を通って、浴場に向かったようです。
1598年塔は教会にリフォームされ、シトー会の修道院付属の教会となりました。中央にペディメントのついた扉があり、その上には十字架と聖顔布を持つサン・ベルナルドを描いたフレスコ画が飾られています。サン・ベルナルドはフランス出身。33人いる教会博士の一人で、日本では「クレルヴォーのベルナルドゥス」と呼ばれています。 -
内部に入りました。直径22mのまあるいスペースを何と呼ぶのでしょう?身廊でいいのかしら?
この教会は建てられてから頻繁には改修されていないので、いまだに創建当時の雰囲気が残っています。
イオニア式の付け柱で支えられた壁には8つのニッチェがあり、8人の聖人像が立っていました。彫像の高さは約3m、全てヴィチェンツァ出身の彫刻家カミッロ・マリアーニによるもので1600年頃完成しました。
今ここから見える彫像は、左からアレクサンドリアのサンタ・カテリーナ(彼女についてはこちら http://4travel.jp/travelogue/11036968)、サン・ベルナルド(この教会が捧げているシトー会の聖人)、アッシジのフランチェスコ、マグダラのマリアです。 -
またまた下手な写真となりました。残りの4人を撮れば良いのに、2人しか撮れていません。
左からサン・ジローラモ(日本語では聖ヒエロニムス 聖書のラテン語訳であるウルガータ訳の翻訳者として有名。四大ラテン教父の一人)、そしてシエナのサンタ・カテリーナ(病人や貧者を援助することに人生を捧げた)です。 -
教会は円筒形ゆえ窓がなく、唯一の光源は、ドーム天井の中央に開けられた穴。この時はまだパンテオンにお目にかかっていませんでしたが、同じシステムですね。天井からの光だけで、結構明るいですが、雨の日はどうなのでしょうね。
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祭壇のある内陣はとてもシンプル。天井も白塗りのままです。後陣の半球部分がなく、祭壇画もありませんでした。その代わり? と言っては何ですが、パイプオルガンが設置されていました。オルガンの前は、少々窮屈そうですが聖歌隊席かな?
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こちらは、円筒形からはみ出した場所にあった(アッシジの)フランチェスコ礼拝堂。
祭壇には、ジャコモ・ファンチェッリによる「聖なる傷を受けた時のフランチェスコ」像が安置されていました。この十字架に磔にされた際のイエス・キリストと同じ傷跡を受ける行為を日本語に訳すのは大変難しいと感じていましたが、日本語でもスティグマータと言うようです。
スティグマータのWikipediaまでありましたよ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BF
天井の装飾が、身廊とは全く雰囲気が異なり、重厚なバロックを暫し楽しむことが出来ました。 -
日曜日なのに、心配になるくらい人の出入りが少ない教会をゆっくりと見せていただきました。
朝一番で3つの浴場跡を通り抜けました。古代の浴場の雰囲気は全く感じられませんでしたが、1700年を経てもなおもその建物が継続して使われているという事実に、改めて感心すると同時に羨ましい気持ちで一杯になりました。
石の文化っていいなあ〜
この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その18 ローマ サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリアで!
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