2015/05/10 - 2015/05/10
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
カピトリーニ美術館は、ようやくコンセルヴァトーリ宮の1階(日本で言う2階)部分が終わって、2階に移動します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2階には、カピトリーニの誇る絵のコレクションがあります。いよいよ、公共のものとしては、世界で一番古い絵画ギャラリーに突入です。
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おっと、その前に、グラウンドフロア〜1階の踊り場にあった「ポルトガルのアーチ」からもう1点、レリーフが残されていました。
「サビーナの神格化」。サビーナはハドリアヌス帝の奥方。トラヤヌス帝の妹の孫に当たります。彼女は136年頃亡くなって、神格化されました。どこの国でもおんなじようなことやっているんですね。 -
続いて目に飛び込んできたのは、この2枚のトラが子牛に襲い掛かっているモザイク。まるで左右対称のように描かれていますが、後ろ足の位置が少し異なりますね。
多色大理石のモザイクで、作られたのは4世紀の第二四半期頃と言われています。 -
ローマの執政官 Iunii Bassiのバシリカから発見されました。これよりもう少し小さいパネルが2枚、マッシモ宮にあります。
大変大胆な構図! 地面の部分の大理石の紋様に変化があって面白いです。 -
やってまいりました。世界で最も古い美術館の絵画は、フェルディナンド・フーガが1749年に作った、宮殿の「新しい」部屋に展示されていました。
コーラ・デラマトリチェCola dell'Amatrice (本名ニコラ・フィロテシオ)の「聖母の永眠と昇天」」Transito e Assunzione della Vergine。
2つのテーマを一緒に描いている、珍しい作品です。 -
「キリストの神殿奉献」は、フランチェスコ・フランチアが描き始めた絵をバルトロメオ・パッセロッテイが完成したという少々変わった作品。聖母の纏った衣装の色が何とも言えず美しいです。こんな色よく出せるなあ・・・
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トンド(円形)の作品。フィレンツェを思い出すなあとつぶやいていたら、やはりフィレンツェ出身のジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニGiovanni Antonio Soglianiの作品でした。「聖母子と天使達」1510年。
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カラッラ侯マラスピーナのために描かれた、アゴスティーノ・マルティによる「聖母子と聖人達」。こちらは1513年の作品です。
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続いて、北イタリア16世紀フェッラーラの部屋です。
暗い色調で、特に赤が独特の雰囲気を出している「東方3博士の礼拝」は、1600年頃、フェッラーラ出身のスカルセリーノScarsellinoの作品。 -
こちらは、どなたの作品かメモを取っていないので、分かりません。上の作品より地味だけれど、似た雰囲気だと思いませんか? これも東方三博士の礼拝ですよね。
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こちらは、ガロファロ派による16世紀前半の作品「聖セバスティアーノ」。聖セバスティアーノの個人的なファンですが、このセバスティアーノは私のイメージとはかけ離れています。
ガロファロはフェッラーラの画家。1510年に北イタリアを襲ったペストの恐怖により、聖セバスティアーノ信仰が人々の間に急速に広まったそうです。なぜかと言うと、彼は沢山の矢を身に受けたけれど死ななかったから。ペストにかかるとできる紅斑は、矢を受けた時の傷に似ているのだそうです。 -
フェッラーラは海からも、ヴェネツィア、パドヴァ、ボローニャからも近く、これらの都市と緊密な文化交流を築いていた16世紀には、イタリアの芸術の中心の一つになっていました。
こちらは、フェッラーラが生んだ巨匠ガロファロの「聖母子」。 -
同じくガロファロの「受胎告知」。1528年。
個人的にはとても好きな作品です。床に置かれたカーネーションがさしてある花瓶は、フェッラーラのあるエミリオ・ロマーナ州出身の画家のシンボルなんですって。 -
ガロファロ・シリーズが続きます。「栄光の聖母子」。1520年〜25年。画面上より下に目が釘づけ! 二人のフランシスコ会の修道士がいますね。 水辺で半分沈みかけている町はどこでしょうか? 背後の変わった形の山々はドロミテ? 景色がとても幻想的。
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ガロファロの弟子が、熱烈なガロファロ・ファンのために描いた「聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ」。
主役たちはもちろんのこと、こちらの背後の風景もガロファロチックで素晴らしいです。 -
フェッラーラ派をもう一人。オルトラーノが1520年頃描いた、左はバーリの聖ニコラ(日本語では、聖ニコラウス。サンタ・クロースのモデルになった人で、数々の奇跡をおこなったことで有名です)。右は聖セバスティアーノ。これも私的にはイマイチ・・・
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16世紀のローマの芸術的動向の部屋。
フランソワ・ペリエの「金の仔牛の礼拝」1642年。
画面奥に黄金の仔牛の像が見えます。この時代、「牛への崇拝」が盛んだったそうです。モーゼがシナイ山に行って留守の間、人々は不安に陥り、モーゼの兄アロンに作ってほしいと望んだ偶像でした。山から下りてきたモーゼは怒って、その場で十戒の石板を投げつけ、仔牛の像を燃やすのです。 -
16世紀のローマの芸術的動向の部屋。
ジョヴァンニ・フランチェスコ・ロマネッリの聖チェチリア。1640年
3世紀の殉教者サンタ・チェチリアは15世紀に音楽の聖人となりました。ここでは右手に五線紙を持ち、左手はバイオリンに触れています -
ヴェネツィアおよびその周辺の絵画の部屋。
ヴェローナ出身パオロ・ヴェロネーゼの「エウロペの略奪」。
女たらしのゼウスはある日白い牛に化け、フェニキアの美しい王女を攫って、はるかクレタ島まで彼女を連れ去るのです。彼女がゼウスとの間に産んだ3人の子の子孫がこの地に繁栄をもたらします。エウロペ(Europe)はヨーロッパの語源となりました。 -
コッレッジオかと思ったらピットーレ・エミリアーノという画家による模写でした。「この人を見よ」Ecce Homo。
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そして、ついにきたぁ!
「ボローニャ(カラッチからレーニまで)の部屋」で、グイド・レーニの聖セバスティアーノと初対面です。ピンクの頬が女の子のように初々しいけれど、やはり素敵です。もう何にも言えません・・・1615年。 -
グイド・レーニ作の傑作の一つ「Giuditta」の模写で、作者はカルロ・マラッタ。かなりいい線言っていると思います。
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「聖ペトロニッラの部屋 - 17世紀におけるローマの芸術の動向」です。
ボローニャ出身のジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリは斜視のため、あだ名の「グエルチーノ(やぶにらみ)」の方が有名になってしまった画家です。
こちらの「聖ペトロニッラの埋葬」はグエルチーノのマスターピースとされる作品(1621年〜1623年)です。ペトロニッラはサン・ピエトロの娘とされています。彼女の聖遺物はカタコンブの中にありましたが、1606年、彼女の父親に捧げられた聖堂内の礼拝堂に移されました。この絵は、その後18世紀末ナポレオンの軍隊に持ち去られ、ナポレオンの没落後、修復されてローマに戻ってきたそうです。そういう絵画が他にも何枚かありましたよ。 -
グエルチーノは、絵を仕上げるスピードが速かったことでも知られていて、大きな祭壇画だけでも制作数は100点を超えているそうです。
こちらは「聖家族」。1617年作。 -
グエルチーノ3枚目は、「洗礼者聖ヨハネ」。1645年頃の作品。
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さあて、カラヴァッジョです。「フォーチュンテラー」日本名は「女占い師」と言うんですね。
カラヴァッジョの同じタイトルの絵は2枚あって、1枚目は1594年作のこちら。そして2枚目は1595年作で、パリのルーブル美術館にあります。2枚並べて見てみると、占い師の彼女の手の動きがなかなか興味深かったです。 -
カラヴァッジョの「洗礼者聖ヨハネ」は残念ながら貸出し中でした。
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フランチェスコ・アルバーニ 「聖母の誕生」。
こちらの絵も、ナポレオンの軍隊に持ち去られ、修復後にローマに戻された1枚です。ラッキー?!といったところでしょうか? 聖母の誕生はキリスト教のテーマではありませんが、イタリアにおいては、常に人気のある題材でした。 -
「聖母子と天使達」ボローニャ派のフランチェスコ・アルバーニの作品。
カピトリーニの丘にあったローマ執政官宮殿に収められていたもの。この絵は黒いスレートの上に描かれていますが、スレートは保存および持ち運びが難しいため、あまり他に例を見ることがないようです。 -
オランダの巨匠ルーベンスの「ロムルスとレムス」。1720年代、ルーベンスがイタリアから帰国した後に、当時のオランダの支配者スペインのイザベラ女王から依頼されて描いたとされています。
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「クマエのシビュラ」はカラッチ門下生の一人ドメニキーノの作品。
クマエのシビュラは、アポロンから1000年の命と予言能力を与えられましたが、若さと美貌を保てるようにしてもらうことをお願いし忘れたため、年老いてよぼよぼになってぼろきれのような姿で諸国を放浪して廻ったとされています。
これは、まだ美しい時代の絵で良かった・・・シエナの大聖堂には、小柄なおばあちゃんの姿のモザイクがあったのを思い出しました。
http://4travel.jp/travelogue/10928702 -
下の階にも壁画のあったピエトロ・ダ・コルトーナには、専用の部屋が与えられていました。こちらは「サビニの女たちの略奪」。
サビニの女たちは、ヴェネツィア派が細かな描写の技術を格段と進歩したことにより、バロック期になって、盛んに取り上げられるテーマの一つとなりました。
これを見る限り、完全な集団誘拐ですねえ。1629年?1630年作。 -
光が入って見にくいですが、同じピエトロ・ダ・コルトーナの「ポリュクセネーの犠牲」。
アキレス腱と言う言葉の持つ意味を深く噛みしめずにはいられないお話です。
アキレスはトロイアの王女ポリュクセネーに恋い焦がれ、自分の弱点が腱であることを話してしまいます。ポリュクセネーは自分の兄弟を殺したアキレスを許すことが出来ず、別の兄弟を使ってアキレスの腱に毒矢を撃ち込んで殺害します。
そのポリュクセネーも、アキレスの息子ネオプトレモスにより、アキレスの墓前で殺されました。この絵はネオプトレモスがポリュクセネーを捕えに来た場面です。 -
絵画はこれでお終いかな?
石を使った装飾に目がない私の目を惹いたのは、2点の箪笥。家に持って帰りた〜い! -
見ていて、全然飽きません。
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フランチェスコ・チーニの陶器コレクションには、殆ど目もくれず通り過ぎます。
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ポンピオ・ジローラモ・バトーニは18世紀の肖像画家です。外国人旅行者は、彼らのローマ滞在中にバトーニを呼んで、自分の肖像を依頼しました。そのため、彼の名声は世界各国に広まり、特に英国では、個人のコレクションにもなるほど。諸外国の王族、貴族、国内からは教皇、司教、教会などからの依頼が殺到したそうです。
そういう話とはあまり結びつかない、彼の「聖家族」。ただただ美しいですねえ・・・あまりにもヨセフの存在が薄いのが気になりますが・・・ -
2階の南側には、2000年以降に博物館での展示が始まったパラッツォ・カッフェレッリの修復品の一部を見ることが出来ます。パラッツォ・カッフェレッリは16世紀にカピトリーニの丘に建ったお屋敷です。
こちらは古い建物の中にあったフレスコ画の部屋です。木製の格間の天井と壁の装飾の一部が、復元作業中に発見されました。
背後の壁には、エルサレムの神殿にいるサン・ピエトロが描かれています。 -
日向では、エロスがぐっすりお昼寝中でした。
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19世紀になってからパラテイーノの丘とチェリオの間の谷で発見された、紀元前2世紀頃のローマ帝国時代の神殿です。彫像の断片がわずかに残るのみ。
これでほぼ、コンセルヴァトーリ宮殿は終了です。 -
疲れたので、2階のテラス部分にあったカフェテリアで、外の景色を楽しみながらお茶にします。
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フォロ・ロマーノの一部も見えています。
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これは何だろう???
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こうして、上から眺めると、ローマが丘に囲まれた町だということが、良く分かりますね。
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先ほど見た、ユピテル、ジュノー、ミネルヴァの神殿のあった辺りです。立ち入りは出来ないようです。
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下まで降りたついでに、もう一度中庭をじっくりと見ることにしましょう。
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「座ってるローマ」“Cesi Roma”という名前の付いたこちらは、女神ローマ像。紀元前5世紀頃の作品です。
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古代の建物に刻まれたレリーフがとてもきれいに残っています。真ん中のドラゴンは何だろう??
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様々なローマの神殿を飾っていた勇者たち、甲冑に槍、旗も見えます。
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依然として私の歩みは亀のごとくのろい。あちこちきょろきょろしながら進みます。
これは、結構良い男だなあ・・・と思ったら、この人サテュロス(半人半獣)ですって! 嘘〜!! ハドリアヌス帝の時代のルーニ大理石製で、ヴィッラ・デステから見つかったものです。 -
石碑の真ん中にあるでっかいつくしんぼが気になるのですが、ローマの松ぼっくりでしょうか?
たいてい間違ってはいるものの、何の場面なのか、想像しながら歩くと楽しいです。 -
地下通路はこんな感じ。ひと時もカメラを離すことが出来ません。130を超える石碑がずらりと並んでいます。
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こちらには、珍しく説明書きがついていました。但しイタリア語のみ。
Stele funeraria con ritratti
肖像画のついた葬儀用石碑でいいかな? 1世紀中ごろの作です。 -
暗いお墓の中を歩いてきたような気分なので、他の人の姿を見つけると、嬉しくなります。薄暗いところは苦手・・・
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大変手の込んだ石棺。あれれ??? 男性陣の頭には角が生えていますね・・・
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パラッツォ・ヌオヴォに到着です。新宮は、二段階に分けて、ジローラモ・ライナルディの指示の下に建てられ、彼の息子カルロ・ライナルディが1663年に完成させました。ミケランジェロのデザイン通り、シンメトリーを保つため、台形をしています。中の装飾は殆どがオリジナルのままだそうです。
ローマ神話における戦さと農耕の神マールス(火星)の大理石像。360cmもあります。作られたのは1世紀。 -
マールスの毛皮のついたサンダルにアップで挑戦。冬でもこのスタイルだったのかしら?
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この物静かな像とは裏腹に、下のレリーフでは大捕り物が進行中です。右の方にいる獣を捕まえようと、縄を持つ人が近づいていくところのようです。獣は何でしょう?
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こちらのエジプト・メードの石像は、カンポ・マルツィオ地区にあった重要な神殿 イシスとセラピス神殿からの出土品です。
後ろのお猿さんのように見える2体は「犬」ですって。神殿へと続く参道に、並べて置かれていたとなると、まさに狛犬ですねえ。
左側のスフィンクスは紀元前6世紀の作だそう。 -
グラウンドフロア中庭には、中央に「マルフォーリオ」と呼ばれる、2世紀に作られた川(大洋と言う説もある)の神の巨大な彫像と噴水がありました。かつては、カンピドーリオ広場の麓に置かれていて、一般庶民が政府に対する中傷や悪口をこの像に張り付けていったことから、別名「物言う像」と言われています。
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像の名前は、マールスのフォロから取られたそうです。両脇にある花崗岩の柱は、イシスとセラピスの宮殿から運ばれました。
1734年に博物館でお披露目した記念に、像の背後には教皇クレメンス12世の肖像と碑文が飾られています。 -
マルフォーリオの像の左右には、サテュロス(半人半獣)の彫像がありました。ギリシャ神話ではパンと呼びますね。この人なら半獣と言うのがよくわかりますが、先ほどのイケメン君は獣らしくなかったなあ・・・
Wikipediaによると、彼らは「自然の豊穣の化身、欲情の塊」なのだそうです。欲情の塊・・・
こちらは向かって右側の像。 -
そして、こちらが対をなす左側の像です。
彼らはやはり同じカンポ・マルツィオ地区にあったポンペイ劇場のテラモーン(柱を支える男性像。元々はギリシャ神話に登場する英雄たち)として使われていました。 -
ローマのディナー・タイム・スタイルでおくつろぎのマルフォーリオと噴水です。午前中に見た、「4つの噴水」の内のテレヴェの噴水とも雰囲気がよく似ています。
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こちらの古い花崗岩の円柱には、エジプト風のレリーフが残っていました。ローマの帝政初期の作とされています。高さは470cm。途中から折れたみたいです。
この柱もイシス神殿に向かう道沿いに置かれていました。 -
中庭で雨に濡れるせいか、彫像には黒い筋や染みが出来ていました。酸性雨の影響かしら?
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メモを取りきれなかったので、気になった写真だけ紹介します。
こちらは「犬を連れた少年」像。のっけから足の長さに感動! -
ミネルバの像のオリジナルは、紀元前5世紀にアテネのパルテノン神殿に置かれていたものですが、こちらは紀元前2世紀のローマ版。大理石製で高さ321cm。
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廊下の突き当りにあるのは、珍しい斑岩でできた頭のない彫像。衣服のひだの美しさで知られているそうです。
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石棺の見事なレリーフを見ると、足が止まってしまいます。激しい戦闘が行われていて、もうすでに馬の下敷きになって、何人も兵士が倒れています。
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「皇帝の部屋」です。ローマ帝国の歴代の皇帝とその関係者の胸像、頭部像がずらりと並んでいます。
中段左から3つ目はウェスパシアヌス帝。他はあまり馴染みのない皇帝です。 -
一つ一つ見て行ったらきりがないので、殆ど素通りです。
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何度も見ているから、この人の顔だけは分かりました。下段左はマルクス・アウレリアス。隣の色大理石をふんだんに使った彫像は彼の妻のファウスティナ・ミノル。いとこ同士のインペリアル・カップルです。
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ギリシャやローマの哲学者、文人の部屋。部屋の中央に寛いだ様子の哲学者がいて、周りの壁には、哲学者たちの頭部の像が並んでいます。
顔見知りの哲学者がいないもので(笑)、ここも殆ど素通り。 -
メインの部屋です。壁は金メッキの施した柱がシンプルで素敵。写っていないけれど、天井は格間天井でした。
智慧と戦争の女神アテナの女神がお出迎え。 -
角が生えた男性像を撮ったのですが、その左側にまた先ほどのカップルがいました。
マルクス・アウレリウスとファウスティナ・ミノル この像は、テヴェレの河口にある サクラ島Isola Sacraで1750年に発見されました -
部屋の中央に立っている5体の像が印象的なメイン・ホールです。
左側の像はギリシャ神話の全能の神ゼウス。こちらはアンツィオにある皇帝ネロのヴィッラから出土。
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ギリシャの黒っぽいモラート大理石で作られたケンタウロスの像。台座にアリステアスとラピアスという二人の石工の名前が刻まれていました。ティヴォリのヴィッラ・アドリアーノからの出土品。
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ヴィッラ・アドリアーノからのケンタウロスはもう1体あって、中央にあるのがそれ。ちょっとわかりづらいです。こちらの方は若くて元気いっぱいと言う感じ。
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イチオシ
ふと、窓の外を見ると・・・あら〜
マルクス・アウレリアスを見下ろすなんていい気持ち〜 -
中央のイケメン君の左隣のやや地味な像は、Omphalos Apollo「アポロの臍」と呼ばれる作品。 ギリシアの彫刻家カラミスの作品のコピーです。
これと同じポーズで立つ像が、カピトリーニだけでも3体あるそうです。オリジナルはギリシャにあるのかと思って調べてみたら、現在ギリシャにあるものもローマンコピーと書かれていました。
アポロの臍は、デルフィのアポロン神殿にある大地の臍と関係があるのかしら? -
高々と獲物のウサギを掲げている中央の像は、1747年にラティーナ門近くで発見された「獲物のウサギを手に持つ狩人の立姿」。あのかの有名なペルセウスがメドゥーサの首を持ち上げる像のパスティーシュだと言われています。フィレンツェで見たなあ・・・
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カピトリーニのヴィーナスの小部屋に到着。散々あけっぴろげな人たちを見た後なので、彼女の胸と大事なところを手で隠している立ち振る舞いに、なんとも言えない奥ゆかしさを感じます。
この像は、紀元前250年〜150年位のパロス島産の大理石製で、1667年頃、ローマのナツィオナーレ通り沿いのサン・ヴィターレ地区で発見されました。
紀元前360年頃にプラクシテレスにより作られた、クニドスのアフロディーテ神殿のヴィーナスを元にしていますが、最も古く、最も原作に忠実なコピーだと言われています。 -
世界には100を超えるこの彫像のコピーがあると言われています。アメリカ人の観光客の中で大変感動した人の一人に作家のマーク・トウェインがいます。彼は称賛の気持ちを、1867年に「カピトリーニのヴィーナス」と言う話を書いて、彼女に奉げたのだそうです。
小さな彼女専用の部屋に置かれているので、周りをぐるっと回って四方から彼女を見ることが出来て、大変満足しました。 -
ファウンの部屋。
珍しいロッソ・アンティコ(古代赤)の大理石で作られた半人半獣の像ファウヌスです。2世紀初期の作品。こちらは、ヴィッラ・アドリアーノから1736年にトルソの状態で発見。1744年に更に25以上の断片が見つかり、それらを元に組み立て直したものです。
農耕の神らしく、たくさんのブドウを高く掲げて、収穫を祝っているように見えます。
ファウヌスになったり、サチュロスになったり、ファウンになったり、半人半獣の神の名称が色々とあって、実を言うとよくわかりませぬ! -
サチュロスのマスクを持って遊ぶ子供の像。
なんと素敵な笑顔! なんと可愛らしいのでしょう! しかし、マスクが絡みついて、喉を絞めたりするのではと気が気ではありません。 -
ここから1階(日本式の2階)のガッレリアに入りました。
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羽の造作がイマイチですが、全体の構図が面白いと思った天使の像。
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この美しいお方はアマゾン?
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蓋に松ぼっくりがついているこちらの容器は何に使ったのでしょうか?
うつむき加減のエロス達の見事なレリーフに惚れ惚れ・・・ -
蛇を持つヘラクレスの子供時代の像。(中央下)
無邪気に蛇を見つめる子供のモデルは、カラカラか、マルクス・アウレリアスの息子アニウス・ヴェーロだと言われています。
背後の「ローマ貴族の女性」はヴィーナスのポーズを真似ています。1世紀前半。 -
構図が変わっていたので注目したこちらは、言うなれば、「酔っ払いの老婦人」。ギリシャのテーベで紀元前3世紀のオリジナルが見つかっていますが、これはサンタ・アニェーゼ聖堂で1620年に見つかった作品。
古典的な美しさからは程遠い、こんな日常の一コマが彫刻の対象になったということに、驚きと感動を覚えます。酒壺を抱え込む姿、そしてこの横顔がとても生々しい。人間って変わらないねえ・・・ -
左側「レルナのヒュドラを殺すヘラクレス」。レルナの沼に住むヒュドラは9つの頭を持つ大蛇。ヘラクレスの12の功業の2番目に出てくるお話です。
右側 「弓を奏でるエロス」。ハッとするほど美しい横顔です。オリジナルは紀元前4世紀の物ですが、こちらは1世紀のコピー。パロス島の大理石製。 -
左側の像「レダとスワン」。この作品は、ハドリアヌス時代のコピー。白鳥に変身したゼウスはレダを犯し、彼女はあの有名なカストルとポルックス、そしてトロイのヘレンを生みました。
レオナルド・ダヴィンチ、・サルバドールダリ、セザンヌ、マチス等多くの画家に強い影響を与えた作品です。 -
ガリア人の部屋。世界最古の美術館もようやく終わりに近づいてきました。
最初は、リラ(楽器)を持ったアポロ。ハドリアヌス帝の時代の作で、ギリシャ製の大理石で作られています。どんな音色なのか、聴いてみたい楽器ですね。 -
「エルメス像」。ルーニ産の大理石で作られた紀元前150年〜130年頃のものです。この像は、ヴィッラ・アドリアーノ(ティヴォリのハドリアヌス帝の別荘)で発見され、モデルはハドリアヌス帝の愛人アンティノウス(帝は有名な男好き)だということで有名な作品です。
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「傷ついたアマゾン」。紀元前490年〜430年頃の作品で、エフェソスのアルテミスの神殿で行われた最も優れた彫刻家によるコンテストで作成されたものだそうです。但し頭部はオリジナルからのコピーで、1775年以降につけられたもの。体の部分は、ティヴォリのヴィッラ・デステから発見されました。イッポリートのお抱え建築家が、近くのヴィッラ・アドリアーノから運んでいったのかもしれません。
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「瀕死のガリア人」。
ガリア人というのは、イタリア北部に定住したケルト語を話す民族をことを指すそうです。このあまりにも有名なこのガリア人は紀元前3世紀に作られたブロンズ像がオリジナル。ジュリアス・シーザー(カエサル)が指揮を取り、勝利した第二次、三次ガリア戦争の勝利を祝して、ベルガモンのアッタロス1世から贈られた像のローマ版コピーです(紀元前1世紀)。 -
こちらの像は、ローマのサルスティウスの園(ルドビシ邸 ルドビシは古代ローマの歴史家。カエサルと親しく、彼の暗殺後は自宅で著述に専念した)で、1623年に発見されました。
なんといっても、カピトリーニで一番の秀作だと思います。彼の苦悩が2000年たっても消えることなく、永遠に苦しみから解放されることがないのが見ていてつらいです。 -
「ハトの部屋」。確かに入ったはずなのに、ハトのモザイクの写真が見当たりません(泣)。
こちらは、衣装に使われている大理石があまりに見事なので、思わず1枚。 -
最後に見事な石棺2つ。
プロメティウスの神話が彫られた石棺は、パンクラーツィオ門付近・・・ -
そして、エンディミオンとシレーネの神話が彫られた石棺は、オスティエンセ門付近から出土しました。
いずれも、彫刻が見事です。話が分からないのが残念でなりません。
この写真の中央、石棺の背後の口を開けたケンタウロスの像はギリシャ風ですねえ。眼球のない像や仮面はちょっと不気味。 -
ようやく見終わって、階段を下ります。この後は、市庁舎の地下展望台に進みます。
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凄〜い!
フォロ・ロマーノが一望です。
先ほど模型で見た、セプティミウス・セウェルスの凱旋門が間近に見えます。
右端に見える3本の列柱のあるところは、ウェスパシアヌスとティトゥス神殿。皇帝ウェスパシアヌスとその息子ティトゥス(こちらも皇帝)が神となって祀られていたところです。現在残っているのは3本の柱と祭壇、内陣の一部のみです -
セプティミウス・セウェルスの凱旋門の左側にはサンティ・ルカ・エ・マルティーナ教会が見えます。
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ちょっとズームアップして・・・
中央に立っているのは、フォカスの記念柱。Wikipediaによると、東ローマ帝国皇帝フォカスを称えて、601年に建立された、フォロ・ロマーノ最後の建造物だそうです。この記念柱がとても新しく感じるから不思議な世界ですね。
右側の三本柱は、カストルとポルックス神殿。紀元前492年建造です。自然に壊れたわけではなく、長きに及ぶ略奪、盗掘の結果、現在は3本の柱が残るのみとなりました。
背後ににティトゥスの凱旋門も見えていますね。 -
パラティーノの丘方面。たくさんの人たちが展望台に集まっているのが見えます。手前には、たくさんの建物の遺構が見えます。
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ウェスパシアヌスとティトゥス神殿の背後に見えるのはサートゥルヌス神殿。ローマの古代神神サートゥルヌスを祭った神殿です。
そして、その前に点々と柱の土台だけが続いている巨大な建物跡が、ユリウスのバジリカ。4つの裁判所があり、司法の中心でした。 -
セプティミウス・セウェルスの凱旋門越しに見えるのは、サンタ・フランチェスカ・ロマーナ聖堂。いかにもローマらしい鐘楼が目立っています。かつては神ウェヌスとローマに捧げられた神殿でした。
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今一度セプティミウス・セウェルスの凱旋門全景です。碑文もその下のレリーフも、本当に綺麗に残っていています。独立した柱がなかったので、略奪から守られたのでしょうか?それにしても土木技術の素晴らしいこと 完璧です!
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それほど大きくはない面積のところに、ぎっしりと街が広がっていたことがよくわかります。
14年前、きょろきょろしながら、この中を歩いたのを思い出しましたが、その時と比べて立ち入り禁止の柵が増えたみたい・・・歩いただけではわからない全体像をつかむには、ここは絶好の場所ですね。 -
ユリウスのバジリカが正面に見える場所までやってきました。手前にアーチが4つ残っていますね。
この後、アメリカ人のご夫婦と知り合って、30分以上お喋りを楽しみました。私がローマに1週間取ったけれど全然足りない・・・とこぼしたら、ご主人が、「家内と同じことを言うね。」と言って奥さんの方を振り向きました。
彼女曰く、「私もそう思って、今回は思い切って1か月滞在しているの。もう2週間たってしまったけれど、全然飽きないわ!」
そうなんです。見るところが多すぎて、1週間でも1か月でも多分足りないのでしょう。過去をこんなに振り返ることのできる町なんて、そうやたらめったらあるものではありません。
今この瞬間にローマにいられることの幸せを噛み締めながら、もうしばらく景色を眺め続けました。 -
充分満喫したので、市庁舎の地下に広がるタブラリウム(公文書館)はスキップしたみたいで、子の写真しか残っていませんでした。
2000年以上持ちこたえてきた、建物の壁は何とも味わいがありますね。 -
どこから出てきたのかな? カピトリーニとのお別れに、例によって例のごとく振り返ったみたいです。おかげさまで日曜日の午後は充実した時間を過ごせましたよ。
この続きは、イタリア あっちも! イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その23 ローマ サンタ・マリア・イン・アラコエリ〜フォーリ・インペリアーリで!
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この旅行記へのコメント (2)
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- ドロミティさん 2018/10/06 11:23:29
- おはようございます♪
- junemayさん、お久しぶりです^^
カピトリーニ美術館2階もjunemayさんの丁寧な解説で拝見しました!
詳細かつ分かりやすくて又々お勉強になりました^^
ローマに再訪できたらこちらも見逃さないようにしなくては~とメモします。
ドロミティ
- junemayさん からの返信 2018/10/08 16:54:54
- RE: おはようございます♪
- ドロミティさん
いつもいつもありがとうございます。返事が遅くなり申し訳ございません。ローマは3年前のことになり、忘却の彼方です。まだ見ていないところが沢山あるので、再訪したいですが、いつのことになるのやら。カピトリーニだけでもじっくり見れば1日かかります。なんていう国でしょうね。
今年はドイツに1か月、スリランカに11日間行って参りました。今は来週から友達と行く少々マニアックな九州の旅の準備に追われています。1日が24時間あっても全然足りないと思っている今が花とばかり、計画たてては実行を繰り返しているので、中々落ち着いて旅行記を書く時間が取れません。その間にどんどんぼけは進み、記憶は薄れ…あわわ と言う状態です(笑)。
遅々として進まない旅行記ですが、また覗いていただけたら嬉しいです。
junemay
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