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JR秋田駅から北西へ徒歩約5分、標高40mの神明山に造られた久保田城(くぼたじょう、秋田県秋田市千秋公園1)は54万石余りを以て常陸国を本領とした清和源氏の流れをくむ佐竹氏が関ケ原合戦で勝利した徳川家康より西軍側と見做されその結果出羽国・秋田仙北へ転封させられ、初代藩主佐竹義宣(さたけ・よしのぶ、1570~1633)が築城した天守閣と石垣のない城です。<br /><br /><br />久保田城の概要については佐竹資料館ホームページに掲載内容は下記の通りです。<br /><br />「 久 保 田 城 の 概 要<br /><br />久保田城は、慶長七年(1602)に出羽国へ国替えとなった佐竹氏二十万五千八百石の居城であり、複数の郭を備えた平山城です。<br /><br />築城は慶長八年(1603)五月に開始され、翌年の八月には初代藩主佐竹義宣が久保田城に入り、旧領主秋田氏の居城であった湊城は破棄されました。<br /><br />しかし、義宣が湊城から居を移した後も城普請は続けられ、完成したのは寛永八年(1631)頃といわれています。<br /><br />久保田城の特徴は、石垣がほとんどなく堀と土塁を巡らした城であると、天守閣をはじめから造らなかったことが挙げられます。<br /><br />天守閣を造らなかったのは、国替えによる財政事情や幕府への軍事奉仕、徳川幕府への遠慮などが原因であると考えられます。<br /><br />現在、久保田城跡は千秋公園として整備され、市民の憩いの場として、また、桜の名所としても親しまれています。」<br /><br />

羽後秋田 関ヶ原合戦での態度不明が災いとなったのか突如の常陸から国替え清和源氏の流れをくむ佐竹氏が築城した天守閣と石垣のない『久保田城』訪問

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2015/08/10 - 2015/08/10

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR秋田駅から北西へ徒歩約5分、標高40mの神明山に造られた久保田城(くぼたじょう、秋田県秋田市千秋公園1)は54万石余りを以て常陸国を本領とした清和源氏の流れをくむ佐竹氏が関ケ原合戦で勝利した徳川家康より西軍側と見做されその結果出羽国・秋田仙北へ転封させられ、初代藩主佐竹義宣(さたけ・よしのぶ、1570~1633)が築城した天守閣と石垣のない城です。


久保田城の概要については佐竹資料館ホームページに掲載内容は下記の通りです。

「 久 保 田 城 の 概 要

久保田城は、慶長七年(1602)に出羽国へ国替えとなった佐竹氏二十万五千八百石の居城であり、複数の郭を備えた平山城です。

築城は慶長八年(1603)五月に開始され、翌年の八月には初代藩主佐竹義宣が久保田城に入り、旧領主秋田氏の居城であった湊城は破棄されました。

しかし、義宣が湊城から居を移した後も城普請は続けられ、完成したのは寛永八年(1631)頃といわれています。

久保田城の特徴は、石垣がほとんどなく堀と土塁を巡らした城であると、天守閣をはじめから造らなかったことが挙げられます。

天守閣を造らなかったのは、国替えによる財政事情や幕府への軍事奉仕、徳川幕府への遠慮などが原因であると考えられます。

現在、久保田城跡は千秋公園として整備され、市民の憩いの場として、また、桜の名所としても親しまれています。」

旅行の満足度
4.5
交通手段
JRローカル

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  • 大手門跡<br /><br />JR秋田駅から徒歩約5分で久保田城大手門跡に到着します。

    大手門跡

    JR秋田駅から徒歩約5分で久保田城大手門跡に到着します。

  • 大手門跡

    大手門跡

  • 千秋公園周辺地図<br /><br />南北の通り(大手門通り)と東西の通りが交差する地点から中土橋方向に向かいます。

    千秋公園周辺地図

    南北の通り(大手門通り)と東西の通りが交差する地点から中土橋方向に向かいます。

  • 千秋公園案内図<br /><br />藩祖佐竹義宣の久保田城跡を公園化したもので、千秋の由来は秋田の秋と長久の意の千を冠して命名されたものだそうです。

    千秋公園案内図

    藩祖佐竹義宣の久保田城跡を公園化したもので、千秋の由来は秋田の秋と長久の意の千を冠して命名されたものだそうです。

  • 大手門堀

    大手門堀

  • 蓮の花

    蓮の花

  • 中土橋通り<br /><br />中土橋から久保田城跡へ入ってゆきます。<br /><br />

    中土橋通り

    中土橋から久保田城跡へ入ってゆきます。

  • 大手門の堀<br /><br />中土橋から大手門の堀を見渡します。

    大手門の堀

    中土橋から大手門の堀を見渡します。

  • 穴門の堀

    穴門の堀

  • 久保田城跡石碑<br /><br />築城地の選定に際しては、義宣と父義重と意見が分かれ、義重は米の生産量豊富な横手を薦めるも、義宣は雄物川の河口が近く知行地の中央部に位置する窪田(後の久保田)の地に決定した経緯があります。

    イチオシ

    久保田城跡石碑

    築城地の選定に際しては、義宣と父義重と意見が分かれ、義重は米の生産量豊富な横手を薦めるも、義宣は雄物川の河口が近く知行地の中央部に位置する窪田(後の久保田)の地に決定した経緯があります。

  • 唐金橋跡

    唐金橋跡

  • 松下門跡

    松下門跡

  • 二の丸跡

    二の丸跡

  • 久保田城跡説明板

    久保田城跡説明板

  • 佐竹資料館<br /><br />玄関上部にはいわゆる「月丸五本骨扇」という佐竹氏の家紋が見えます。

    佐竹資料館

    玄関上部にはいわゆる「月丸五本骨扇」という佐竹氏の家紋が見えます。

  • 秋田藩主佐竹氏の歴史<br /><br />資料館内部には佐竹氏に関する資料が展示されています。(館内の撮影はOKだったのでいくつか撮りました)

    秋田藩主佐竹氏の歴史

    資料館内部には佐竹氏に関する資料が展示されています。(館内の撮影はOKだったのでいくつか撮りました)

  • 資料館内部<br /><br />秋田藩祖となった佐竹重義宣(さたけ・よしのぶ、1570~1633)の肖像画が展示されています。

    資料館内部

    秋田藩祖となった佐竹重義宣(さたけ・よしのぶ、1570~1633)の肖像画が展示されています。

  • 資料館内部<br /><br />久保田城下の都市計画も紹介されています。

    資料館内部

    久保田城下の都市計画も紹介されています。

  • 佐竹氏家紋<br /><br />「月丸五本骨扇」という家紋を入れた幟が展示されています。<br /><br />

    佐竹氏家紋

    「月丸五本骨扇」という家紋を入れた幟が展示されています。

  • 二の丸跡<br /><br />ここから長坂を登って本丸に入ってゆきます。

    二の丸跡

    ここから長坂を登って本丸に入ってゆきます。

  • 久保田城御隅櫓跡説明板<br /><br />夏休み期間は高校生以下は無料、開館時間は9時~19時となっています。

    久保田城御隅櫓跡説明板

    夏休み期間は高校生以下は無料、開館時間は9時~19時となっています。

  • 二の丸跡<br /><br />標柱の左側に二の丸が広がり、奥方向は長坂と言われる石段が続きます。<br /><br />

    二の丸跡

    標柱の左側に二の丸が広がり、奥方向は長坂と言われる石段が続きます。

  • 二の丸跡全景

    二の丸跡全景

  • 千秋公園説明板

    千秋公園説明板

  • 長坂

    長坂

  • 長坂門跡<br /><br />二ノ門とも呼ばれ、二の丸から本丸へ連絡する長坂に設置されたことから長坂門と言われています。

    長坂門跡

    二ノ門とも呼ばれ、二の丸から本丸へ連絡する長坂に設置されたことから長坂門と言われています。

  • 長坂門礎石

    長坂門礎石

  • 長坂門周辺土塁<br /><br />

    長坂門周辺土塁

  • 御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)<br /><br />長坂門の管理を行う足軽組頭の詰所があります。<br /><br />

    御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)

    長坂門の管理を行う足軽組頭の詰所があります。

  • 御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)<br /><br />長坂門の開閉の管理と城下の警備、火災の消火等を担当していた物頭(足軽の組頭)の詰所として建てられ、久保田城内に残っている唯一の現存建物となっています。

    御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)

    長坂門の開閉の管理と城下の警備、火災の消火等を担当していた物頭(足軽の組頭)の詰所として建てられ、久保田城内に残っている唯一の現存建物となっています。

  • 御物頭御番所説明板

    御物頭御番所説明板

  • 表門<br /><br />いわゆる久保田城の玄関であり一ノ門とも呼ばれていました。構造は木造二階建ての瓦葺櫓門で質実剛健な雰囲気が感じられます。

    表門

    いわゆる久保田城の玄関であり一ノ門とも呼ばれていました。構造は木造二階建ての瓦葺櫓門で質実剛健な雰囲気が感じられます。

  • 表門の扉

    表門の扉

  • 久保田城表門説明板<br />

    久保田城表門説明板

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 八幡秋田神社<br /><br />本丸の西側には藩祖佐竹義宣を祀る八幡秋田神社があります。

    八幡秋田神社

    本丸の西側には藩祖佐竹義宣を祀る八幡秋田神社があります。

  • 本丸跡標柱<br /><br />本丸には藩主が政務を勤める政務所及び藩主の住居である御殿がありました。<br /><br />

    本丸跡標柱

    本丸には藩主が政務を勤める政務所及び藩主の住居である御殿がありました。

  • 久保田城本丸跡説明板

    久保田城本丸跡説明板

  • 御隅櫓案内<br /><br />本丸西北隅の高台に復元された御隅櫓があり、これが見張と武器貯蔵庫として利用されていました。

    御隅櫓案内

    本丸西北隅の高台に復元された御隅櫓があり、これが見張と武器貯蔵庫として利用されていました。

  • 理(うずみ)門跡<br /><br />本丸に配された出入口門の一つで他には表門・裏門・帯曲輪門がありました。

    理(うずみ)門跡

    本丸に配された出入口門の一つで他には表門・裏門・帯曲輪門がありました。

  • 多聞長屋跡<br /><br />政務所や御殿の周辺には土塁の上に造られた多聞長屋や板塀で囲み、要所には隅櫓を配していました。

    多聞長屋跡

    政務所や御殿の周辺には土塁の上に造られた多聞長屋や板塀で囲み、要所には隅櫓を配していました。

  • 多聞長屋跡<br /><br />土塁の上に造られた旧多聞長屋は今では御隅櫓に繋がる路となって入ます。

    多聞長屋跡

    土塁の上に造られた旧多聞長屋は今では御隅櫓に繋がる路となって入ます。

  • 御隅櫓(おすみやぐら)跡<br /><br />城内に8ケ所在った隅櫓の一つで本丸の北西隅の一番高い台地に位置しており、物見や武器の貯蔵庫として利用されていました。<br />市制施行百周年記念事業として当時のに二階造りを基本にし市街が一望に見えるよう展望室を設けて復元されたものです。<br />

    イチオシ

    御隅櫓(おすみやぐら)跡

    城内に8ケ所在った隅櫓の一つで本丸の北西隅の一番高い台地に位置しており、物見や武器の貯蔵庫として利用されていました。
    市制施行百周年記念事業として当時のに二階造りを基本にし市街が一望に見えるよう展望室を設けて復元されたものです。

  • 御隅櫓説明板

    御隅櫓説明板

  • 市街展望<br /><br />御隅櫓の展望室から市街を一望します。

    市街展望

    御隅櫓の展望室から市街を一望します。

  • 市街展望

    市街展望

  • 本丸跡<br /><br />御隅櫓地上から本丸跡を見下ろします。

    本丸跡

    御隅櫓地上から本丸跡を見下ろします。

  • 佐竹義堯立像<br /><br />本丸中央部に最後の十二代藩主である佐竹義堯(さたけ・よしたか、1825~1884)の像が建っています。義堯は陸奥相馬中村藩主である相馬益胤の三男として生まれで分家である久保田新田藩主を経て本家久保田藩主である佐竹義睦の病死に伴い家督を相続し十二代目となります。

    佐竹義堯立像

    本丸中央部に最後の十二代藩主である佐竹義堯(さたけ・よしたか、1825~1884)の像が建っています。義堯は陸奥相馬中村藩主である相馬益胤の三男として生まれで分家である久保田新田藩主を経て本家久保田藩主である佐竹義睦の病死に伴い家督を相続し十二代目となります。

  • 佐竹義堯立像(近景)<br /><br />大正4年(1915)義堯を敬愛する旧家臣たちが銅像を建てるも戦争により供出されますが、市制百周年の記念事業として1989年に改めて義堯の銅像が蘇ります。

    佐竹義堯立像(近景)

    大正4年(1915)義堯を敬愛する旧家臣たちが銅像を建てるも戦争により供出されますが、市制百周年の記念事業として1989年に改めて義堯の銅像が蘇ります。

  • 佐竹義堯銅像説明板

    佐竹義堯銅像説明板

  • 八幡秋田神社鳥居<br /><br />本丸跡に配された八幡秋田神社は藩祖佐竹義宣を祀る秋田神社が佐竹氏の氏神である八幡神社を明治45年に合祀して八幡秋田神社と改称された経緯があります。

    八幡秋田神社鳥居

    本丸跡に配された八幡秋田神社は藩祖佐竹義宣を祀る秋田神社が佐竹氏の氏神である八幡神社を明治45年に合祀して八幡秋田神社と改称された経緯があります。

  • 八幡秋田神社標柱

    八幡秋田神社標柱

  • 八幡秋田神社説明板<br /><br />説明に拠れば平成17年に放火により全焼、平成20年に再建されたばかりだそうです。

    八幡秋田神社説明板

    説明に拠れば平成17年に放火により全焼、平成20年に再建されたばかりだそうです。

  • 拝殿全景

    拝殿全景

  • 拝殿内部

    拝殿内部

  • 境内風景

    境内風景

  • 黒門跡方向<br /><br />帰路は二の丸から黒門跡を経由して大手門通りに出ます。

    黒門跡方向

    帰路は二の丸から黒門跡を経由して大手門通りに出ます。

  • 黒門跡標柱

    黒門跡標柱

  • 唐金橋跡<br /><br />大手門通りに通じる出入口となっています。

    唐金橋跡

    大手門通りに通じる出入口となっています。

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