2006/05 - 2006/05
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ドクターキムルさん
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秋田城は古代城柵をいい、江戸時代、秋田20万石の大名佐竹氏の居城は久保田城と言う。現在の千秋公園である。したがって、久保田藩とは言うが秋田藩と名乗ったのは明治4年になってからである。佐竹の殿様は官位が欲しくて賂(まいない)を渡していたそうだ。どの位の官位を得たのか城址内の博物館の学芸員に質問したら、最も大金を使って得た官位の最高位は従五位下と言うことである。佐竹氏は源氏であるのに最高位が従五位下とは正直驚いた。従五位下とは天皇に拝謁できる天上人の最低位である。Webで確認すると、初代は従四位下から従四位上に昇進したようだが、久保田藩2代から12代までは従四位下に叙官されている。賂を渡して(従四位下)左少将に昇進したのは10代藩主義厚で、賂料は2877両であることが分かった。それにしても自信たっぷりに答えてくれた学芸員の話もあてにはならなかった。2、3分もあれば簡単に調べられる環境に居ながら、調べもしないで自信たっぷりに嘘を話してしまうのは、もしかして秋田県民の悪いところか。ちなみに、久保田城跡(千秋公園)にある銅像のお殿様は12代佐竹義堯(よしたか)公である。江戸時代には従四位下であったが、明治17年になると従二位に叙任され、正二位が追贈(明治41年)されている。
関が原の戦いで常陸一国54万石の大身大名から秋田20万石の大名に左遷され、江戸に気遣って石垣すら築かずに二層隅しか無かったみすぼらしい久保田城にも平成ともなれば鉄筋コンクリートの四層隅(三層隅?)櫓が立つ。歴代藩主は喜んでいるやら悔しがっているやら。それでいて城跡内の神社が全焼してしまう。だから鉄筋コンクリート製でなきゃ。
明治4年に秋田藩に改名したことで今日の秋田県の名が付いた。古代は飽田(あきだ)とも表記されている。現代でも表記は秋田であるが読みは変わらない。王政復古の復古であろう。よそ者が清音で発音しているだけである。
余談になるが、千秋公園には沢山の鳩がいるが、餌を投げ与えても見向きもしない。鳩に餌は与えないで下さい。
(表紙写真は久保田城址の隅櫓。四層隅櫓か?)
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