2015/05/31 - 2015/05/31
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Wind99さん
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今月始めのGW連休に奈良京都の古刹を多く見てきて、仏像等に刺激を受けた。では鎌倉はどうだろうと思い、またブラタモリ(#5鎌倉)の放映にも影響を受け、先週の逗子(材木座海岸の和賀江嶋/日本最古の築港跡)に続いて、鎌倉駅中心に散策してきた。
コース
鎌倉駅−小町通り−頼朝の墓(法華堂跡)−鶴岡八幡宮(鎌倉国宝館、神奈川県立近代美術館)−川喜多映画記念館−岩窟不動尊−寿福寺−源氏山公園−浄光明寺
鎌倉の仏像は、中国(宋)の影響を直接受け、平安時代とはまた少し違う特徴があるという事を知り、また、奈良で感動した薬師寺系の阿弥陀如来像や十二神将立像を鎌倉で見ることができ、大変良かった。
昨年からの鎌倉訪問は、今日で3度目となった。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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出発は、JR鎌倉駅。
人出は思ったより多くなく、適度のように思えた。鎌倉駅 駅
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駅前ロータリーから、小町通りに入っていく。鶴岡八幡宮へ行く参道だ。
ここの観光人力車も多く見かけた。鎌倉 小町通り 名所・史跡
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この参道は、食べ歩きで有名。
今回、世界最高賞受賞という、鎌倉ビールが目に付いた。
ビールは飲むことがほとんどなく、残念だが調べると、2011年 WBA ブラウンダークエール部門で受賞した。 -
八幡宮に近づくほどに人で混んできたので、若宮大路に出たが、「段葛」の改修工事中で、3mの壁に覆われ、目隠しになっていた。2016年3月まで工事となる。
鶴岡八幡宮の入口に建てられている三の鳥居。参道の段葛はここで終わる。ここを右折する。鶴岡八幡宮 寺・神社・教会
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はじめは頼朝の墓に詣でる。
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墓の階段下には、頼朝を祀った白髭神社があった。
白旗神社 (鶴岡八幡宮境内) 寺・神社・教会
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源頼朝会の旗、階段を上がっていく。
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鎌倉幕府を開いた武家の統領としては、墓石?は小さく、何も彫られていなかった。また享年53歳という若さにもびっくりした。
一説には落馬が原因というが、鎌倉幕府の公式記録である「吾妻鏡」には頼朝の死に関する直接の記述が無いというのが気になる。(そうなるとよくある暗殺?) -
墓の横は、法華堂跡地であったが、今は何もなかった。
この墓地の手前一帯は大倉と言われ、鎌倉入りした頼朝が御所を新造し、公文所、問注所も設置し、ここに幕府政務機能を集中させた場所。そのため大倉幕府とも呼ばれたという(初耳であった)
源氏3代の将軍のこの場所において政務を行ったというが、周囲は住宅地で跡形も無いのが残念であった。鎌倉駅からは丁度1.5kmの距離。 -
鶴岡八幡宮に戻り、鎌倉国宝館を見る。
旅友に、奈良京都の古刹を巡り、その話をすると、ここを教えて貰った。
中には薬師寺系統(1部鎌倉、平安時代)の薬師如来像とそれを取り巻く、十二神将立像があったのがうれしかった。像はどれも小ぶりに見えたが、鎌倉にもあることが分かり、またそれを見ることができ大変良かった。鎌倉国宝館 美術館・博物館
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さらに境内には白旗神社があった。
源頼朝公、実朝公がお祀りされており、黒塗りの御社殿が江戸時代の様に立派だった。 -
大石段を登ると本宮(上宮)。
右手前の屋根は、静御前が義経を慕い、心を込めて舞った舞殿(若宮廻廊跡)。鶴岡八幡宮 寺・神社・教会
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写真では分かりにくいが、本宮の門上に書かれた八幡宮の八の字は、二羽の鳩がそっぽを向いている。
鳩は八幡様の使いで、鶴岡八幡宮は別名「鳩宮」だそうだ。
鎌倉名物鳩サブレもこれを元に作られたそうだ。八幡宮によっては、二羽の鳩が向き合っているのもある。 -
境内から海側となる三の鳥居方面に進む。
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右に曲がり、県立近代美術館に行く。なぜか境内に建設されている。
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今まで有料の施設にはあまり来なかったが、先の奈良京都巡りで何かが変わってきたようだ。
神奈川県立近代美術館別館 美術館・博物館
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美術館の中庭だけは撮影OKだった。
イサム・ノグチの「コケシ」 1951年 -
美術館は、境内の源平池に隣接している。
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八幡宮を出た西南の角に、鉄の井(くろがねのい)があった。鎌倉十井の一つ。
1699年にこの井戸から五尺あまりの鉄造の観音様の頭が掘り起こされたため、鉄の井という名前になった。その後その観音様の頭は、・・・現在は日本橋人形町にある大観音寺の本尊となっているという。
そちらもいずれ行ってみたいと思う。 -
鎌倉市川喜多映画記念館。
昭和初期、ヨーロッパ映画を日本に紹介した映画事業家だそうで、海外からの映画監督や映画スターを迎える場として使用されたこの建物が記念館となったそうだ。
その方の知識がなかったため、入らず。鎌倉市川喜多映画記念館 名所・史跡
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敷地内に遊歩道が解放されており、庭を見ることができる。
旧川喜多家別邸(旧和辻邸)がわずかに見えた。 -
これが鎌倉市川喜多映画記念館。遊歩道から概観を見ることができた。
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鎌倉市川喜多映画記念館の少し先に、不動茶屋と、和風らーめんの幟。
丁度一昨日(2015/5/28・TOKYO MX1で)放映された「石神秀幸の決断!ラーメン開拓紀行・鎌倉編」を見ていて、鎌倉ではこの不動茶屋が開拓されていた。
散策ルートの途中でもあり、時間もランチに良く、興味を持って入ることにした。 -
小さな祠の岩窟不動尊。
奥の岸壁にはいわいる「やぐら」があったが、網で入れないように塞がれていた。
この不動尊の参拝者目当ての茶屋であったが、今ではラーメンがメインだという。すぐ手前脇に不動茶屋があった。窟堂 (岩窟不動尊) 寺・神社・教会
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番組の石神さんと同じ和風ラーメンを食べる。
特徴は梅干し。ラーメンに合う梅干を選んでいるそうで、スープに溶かして食べるとのこと。その梅干の酸味がラーメンに合ってより美味しく感じた。不動茶屋 グルメ・レストラン
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源氏山を目指す。JR横須賀線の踏切を渡ると、寿福寺だ。
鎌倉五山第3位の寺院である。寿福寺 寺・神社・教会
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山門からの参道が続く。
開基(創立者)は北条政子であり、墓もあるという。 -
意外な事に、この寺は公開されていなかった。
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源氏山公園に向かう小道の途中。
鎌倉石がいかに加工し易いかがわかるトンネル。
鎌倉石は、凝灰質砂岩で磨耗しやすく、火に強いというが、今は採掘されていない。 -
道は狭く、登り道になった。この狭さと、石の窪みは珍しいと思う。
雨が降れば滝になり、通ることはできそうにない。 -
山道の途中に、あの大田道灌の墓があった。
昨年、神奈川県伊勢原市に行き、大田道灌の首塚、胴塚を見てきた(4Tにはアップしていない)が、どうやらここで生まれ、鎌倉五山で学問を修めたようだ。
道灌は、室町時代後期の武将で、江戸城を築城したことで有名である。 -
源氏山公園の中心、頼朝像に来た。
かつて源義家が後三年の役に際して、山頂に白旗を掲げて戦勝を祈願したと言い伝えられる源氏山。
頼朝は今もこの広場のある高台から、鎌倉を見守っている。源氏山公園 公園・植物園
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源氏山の北側から下山し、JR横須賀線を越えると、海蔵寺岩船地蔵堂があった。
この地蔵堂は、頼朝・政子の娘・大姫の守本尊と伝えられている。 -
浄光明寺に来た。ブラタモリで放送された割にはひっそりしていた。
放送から2週間ほど経っているためだと思われた。
「阿弥陀堂拝観の方は、階段を上って下さい」と書いてあった。浄光明寺 寺・神社・教会
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階段を上がると、先週、逗子でみた「やぐら」と言われる鎌倉石の横穴に、五輪の塔等があった。
ここは元々、北条氏の屋敷があった場所。 -
本堂前に樹齢750年の槙(マキ)。市の天然記念物。
数年前の台風で、枝が折れて見た目が半分程度になったそうだ。 -
浄光明寺の本尊・阿弥陀三尊像は、すごいぞ!
今日は運良く晴れたので、本尊を見ることが出来たという。
説明を聞くと、鎌倉の仏像は、平安時代からの流れと少し違い、例の築港した和賀江島の港での中国(宋)との貿易が栄え、仏像等は直接大陸の影響を受けたという。
「土文(どもん)」という粘土で作った文様を仏像の表面に貼り付ける、鎌倉彫刻独特の技法で、衣服の模様が表現されている。「土文」は粘土で作られていることから湿度の変化に弱く、本尊は阿弥陀堂から、保管専用のこの収蔵庫に移されていて、木、土、日、祝日のみで晴天時にのみ拝観可能となる。土文が施されているのはきれいに残っているのは、ここだけだという。
また青銅の冠を被り(冠は江戸時代にかぶせられたという)、そして手の平も珍しく、ダブルオッケーの形になっている。さらに左右の勢至菩薩と観世音菩薩では、首の傾きがあり、鎌倉時代の特徴だという。
昨年、奈良の仏像展にこの寺から、2つの仏像を出展したところ、その仏像写真集の表紙を飾ったと言い、写真集を見せて頂いた。
説明してくれた方は、ブラタモリが放映され、連日100人も来て大変だったが、やっと落ち着いてきたという。 -
仏殿(阿弥陀堂)。
かつて阿弥陀三尊像を安置していたことから阿弥陀堂と呼ばれる。 -
阿弥陀堂の中には、三世仏を造像したという。
説明書きが分かりにくかったが、阿弥陀三尊像を収納庫に移した際に、代わりに過去、現在、未来の3仏像を作り、仏殿に置いた。と読めた。
そのため撮影禁止ではない。 -
さらに境内は、山の上に広がる。
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この曲がり角は、実は鎌倉石の切り出し跡だ。鎌倉石は凝灰質砂岩で削りやすい。
写真の中央やや左に見える、横長の立方体(サイズ300*150*900mm)は、切り出しの残りの1つで、当時の切り出しサイズだと言い、市内にそれらの規格石を見ると言う(ブラタモリより) -
さらに一段上に上がると、山を切り開いた広場に出た。ここはその昔地蔵堂言われた建物があった。
15年前に、近所からこの辺りの鎌倉時代の絵図が発見され、唯一鎌倉時代の絵図であり大発見となったという。その絵図にこの地蔵堂が書かれていた。
今は正面に大きなやぐらが見えるだけだ。
また、この左側へ行くとトンネルがあり、鎌倉時代は、そこが通路で、今登ってきた階段は江戸時代にできたと言う。今そのトンネルは柵で通れなくなっていた。 -
大きなやぐらには、その昔、由比ヶ浜の漁師の網にかかって引き揚げられたという伝説の地蔵「網引地蔵」が祀られていた。
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「石造地蔵菩薩坐像」の背後には1325年(正中2年)の銘が刻まれていた。(ブラタモリより)
やぐらの内壁は、手彫りのノミの痕だらけだ。 -
やぐらの中は広く、さらに横に、もう1室が設けられていた。
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地蔵堂跡の高台からは相模湾がわずかに見えたが、写真では空と海との見分けができない。
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境内のさらに高い場所(3段高い所)には、冷泉為相の墓(史跡)があった。
詳しくないので帰って調べてみた。
歌道の名門冷泉家の始祖。藤原定家の孫。鎌倉時代中期から後期にかけての公卿、歌人とのこと。冷泉為相の墓 名所・史跡
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寺を出て、鎌倉駅に向かう。横須賀線脇に扇谷上杉管領屋敷跡の石碑。
扇谷(おうぎがやつ)は地名であり、鶴岡八幡宮の西隣に接し、鎌倉幕府の要人たちが多く住み、寺社や旧跡が多い。この辺りは現在の鎌倉で最も地価が高い地域と言う。
室町時代に関東地方に割拠した上杉氏の諸家のひとつがこの地に住み、扇谷上杉と呼ばれ、戦国時代にかけて大名として栄えた。
小町通りではつい、鎌倉まめやで豊富な試食を楽しんでしまう。鎌倉駅に戻り、散策を終えた。
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