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JR中央総武線飯田橋駅より徒歩約15分、牛込城(うしごめじょう、東京都新宿区袋町)は神楽坂を上りきると南側の見晴らしの良い丘陵地に在した城郭で、天正18年(1590)秀吉のいわゆる「小田原征伐」で北条氏の没落に従って当該城郭も廃されたようで、現在は樹王山・光照寺と称する浄土宗の寺院です。<br /><br />牛込氏の祖は南北朝時代における上野国国人(地域領主)であった大胡重俊(おお後・しげとし、生没不詳)で、戦国時代前期に馬の放牧に熟知している事から江戸城を支配していた扇谷上杉氏の命を受けて当地に移転、同氏が河越夜戦で敗戦・没落後は小田原北条氏の家臣となり、牛込氏と改姓したと伝えられています。<br /><br />当寺院は初めから当地に在ったわけではなく、慶長8年(1603)徳川家康の叔父にあたる松平治良の開基により神田誓願寺町に増上寺の末寺として創建され、正保2年(1645)にそれまで廃城となっていた牛込城跡に移転しています。<br /><br /><br />本堂の前には「牛込城跡」と題された説明が掲示されています。<br /><br /><br />「 牛 込 城 跡<br /><br />光照寺一帯は、戦国時代にこの地域の領主であった牛込氏の居城であったところである。<br /><br />城や城門、城館など城内の構造については記録がなく、詳細は不明であるが、住居を主体とした館であったと推定される。<br /><br />牛込氏は、赤城山の麓上野国(群馬県)勢多郡大胡の領主大胡氏を祖とする。天文年間(1532~55)に当主大胡重行が南関東に移り、北条氏の家臣となった。天文24年(1555)重行の子の勝行は、姓を牛込氏と改め、赤坂・桜田・日比谷付近も含め領有したが、天正18年(1590)北条氏滅亡後は徳川家康に従い、牛込城は取壊された。<br /><br />現在の光照寺は正保2年(1645)に神田から移転してきたものである。<br /><br />なお、光照寺境内には新宿区登録文化財「諸国人供養碑」、「便々館湖鯉鮒の墓」などがある。<br /><br />           平成7年8月 東京都新宿区教育委員会 」

武蔵神楽坂 赤城山麓の国衆大胡氏が馬の放牧技術を持って江戸に移転した後小田原北条氏に属し知行地名から改姓した『牛込城』訪問

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2015/05/30 - 2015/05/30

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12

滝山氏照

滝山氏照さん

JR中央総武線飯田橋駅より徒歩約15分、牛込城(うしごめじょう、東京都新宿区袋町)は神楽坂を上りきると南側の見晴らしの良い丘陵地に在した城郭で、天正18年(1590)秀吉のいわゆる「小田原征伐」で北条氏の没落に従って当該城郭も廃されたようで、現在は樹王山・光照寺と称する浄土宗の寺院です。

牛込氏の祖は南北朝時代における上野国国人(地域領主)であった大胡重俊(おお後・しげとし、生没不詳)で、戦国時代前期に馬の放牧に熟知している事から江戸城を支配していた扇谷上杉氏の命を受けて当地に移転、同氏が河越夜戦で敗戦・没落後は小田原北条氏の家臣となり、牛込氏と改姓したと伝えられています。

当寺院は初めから当地に在ったわけではなく、慶長8年(1603)徳川家康の叔父にあたる松平治良の開基により神田誓願寺町に増上寺の末寺として創建され、正保2年(1645)にそれまで廃城となっていた牛込城跡に移転しています。


本堂の前には「牛込城跡」と題された説明が掲示されています。


「 牛 込 城 跡

光照寺一帯は、戦国時代にこの地域の領主であった牛込氏の居城であったところである。

城や城門、城館など城内の構造については記録がなく、詳細は不明であるが、住居を主体とした館であったと推定される。

牛込氏は、赤城山の麓上野国(群馬県)勢多郡大胡の領主大胡氏を祖とする。天文年間(1532~55)に当主大胡重行が南関東に移り、北条氏の家臣となった。天文24年(1555)重行の子の勝行は、姓を牛込氏と改め、赤坂・桜田・日比谷付近も含め領有したが、天正18年(1590)北条氏滅亡後は徳川家康に従い、牛込城は取壊された。

現在の光照寺は正保2年(1645)に神田から移転してきたものである。

なお、光照寺境内には新宿区登録文化財「諸国人供養碑」、「便々館湖鯉鮒の墓」などがある。

           平成7年8月 東京都新宿区教育委員会 」

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル
  • 石門<br /><br />今では左右の住宅に挟まれた玄関口の奥に石門が在ります。

    石門

    今では左右の住宅に挟まれた玄関口の奥に石門が在ります。

    光照寺 寺・神社・教会

  • 寺標<br /><br />石柱手前の植込みには「光照寺」と刻された寺標が立っています。

    寺標

    石柱手前の植込みには「光照寺」と刻された寺標が立っています。

  • 本堂全景<br /><br />光照寺の名称は開基の僧である「心蓮社清誉上人昌故光照」の名に由来します。周囲は見晴らしの良い高台ですが、それでも高層ビルに囲まれており当時の城跡(居館跡というべきか)の面影はありません。

    本堂全景

    光照寺の名称は開基の僧である「心蓮社清誉上人昌故光照」の名に由来します。周囲は見晴らしの良い高台ですが、それでも高層ビルに囲まれており当時の城跡(居館跡というべきか)の面影はありません。

  • 新築の鐘楼堂<br /><br />説明によれば鐘楼堂は明治元年(1868)神仏分離令に伴って廃仏毀釈により取り壊され、昭和12年(1937)にその復興をみますが昭和20年(1945)空襲により本堂と共に焼失、一方は戦時中供出された梵鐘は戦災を免れ、戦後寺に返還され境内に保存されていましたが、鐘楼堂の新築に伴い復元しています。

    新築の鐘楼堂

    説明によれば鐘楼堂は明治元年(1868)神仏分離令に伴って廃仏毀釈により取り壊され、昭和12年(1937)にその復興をみますが昭和20年(1945)空襲により本堂と共に焼失、一方は戦時中供出された梵鐘は戦災を免れ、戦後寺に返還され境内に保存されていましたが、鐘楼堂の新築に伴い復元しています。

  • 「鐘楼堂」説明板

    「鐘楼堂」説明板

  • 社務所

    社務所

  • 本堂(近景)

    本堂(近景)

  • 境内<br /><br />境内はすべてアスファルトで覆われ駐車場と化しています。

    境内

    境内はすべてアスファルトで覆われ駐車場と化しています。

  • 「牛込城跡」説明板

    「牛込城跡」説明板

  • 「木造地藏菩薩坐像」・「木像十一面観音坐像」説明

    「木造地藏菩薩坐像」・「木像十一面観音坐像」説明

  • 「阿弥陀三尊来迎図」・「法然上人画像」説明板

    「阿弥陀三尊来迎図」・「法然上人画像」説明板

  • 墓地

    墓地

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