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龍谷寺(りゅうこくじ、東京都台東区谷中)の境内には「たんぼとけ」と称され、咳や喘息にご利益があるとの伝承と共に佐奈田義忠(さなだ・よしただ、1155~1180)を供養する祠堂があります。<br />                                 <br />ご承知の通り、治承4年(1180)8月8日伊豆に配流の源頼朝がごく僅かな周辺の家人と共に平氏に反旗を翻し、伊豆目代の山木兼隆(やまき・かねたか、生誕不詳~1180)居館を襲い勝利するも大庭景親(おおば・かげちか、生誕不詳~1180)率いる平氏方と石橋山合戦で大敗し安房国へ敗走する事態となります。<br /><br />佐奈田義忠は相模岡崎の西方真田(現在の神奈川県平塚市)を支配する武士で、父は三浦半島に勢力を有する三浦義明(みうら・よしあき、1092~1180)の弟岡崎義実(おかざき・よしざね、1112~1200)で、そして頼朝の側近である土肥実平(どい・さねひら、生誕不詳~1191)と関係深く、父と共に頼朝の挙兵に加わっています。<br /><br />同年8月23日平家方と合戦では、頼朝より先陣を命ぜられた義忠は敵方大将の大庭景親の討取りをめざすなか、景親の弟俣野景久(またの・かげひさ、生誕不詳~1183)と行き会い馬上組討ちから地面に落ち転げて泥まみれの格闘となり、ついに景久を組み伏せ首をかこうとしますが刀が血糊で鞘から抜けず、逆に景久の郎党によって首を掻き切られ討死します。(享年20歳)<br />                 <br />討死の経緯として義忠が組み合っていた時痰がからんでいたため自分の従者の助けを呼べなかったとの言い伝えもあり、このことから喉の痛みや喘息などの呼吸器系の霊験があるとされています。<br />

武蔵谷中 石橋山合戦で討死した頼朝家人若き佐奈田義忠を咳・喘息の守神として祀られている祠堂がある『龍谷寺』散歩

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2015/05/30 - 2015/05/30

399位(同エリア607件中)

2

6

滝山氏照

滝山氏照さん

龍谷寺(りゅうこくじ、東京都台東区谷中)の境内には「たんぼとけ」と称され、咳や喘息にご利益があるとの伝承と共に佐奈田義忠(さなだ・よしただ、1155~1180)を供養する祠堂があります。
                                 
ご承知の通り、治承4年(1180)8月8日伊豆に配流の源頼朝がごく僅かな周辺の家人と共に平氏に反旗を翻し、伊豆目代の山木兼隆(やまき・かねたか、生誕不詳~1180)居館を襲い勝利するも大庭景親(おおば・かげちか、生誕不詳~1180)率いる平氏方と石橋山合戦で大敗し安房国へ敗走する事態となります。

佐奈田義忠は相模岡崎の西方真田(現在の神奈川県平塚市)を支配する武士で、父は三浦半島に勢力を有する三浦義明(みうら・よしあき、1092~1180)の弟岡崎義実(おかざき・よしざね、1112~1200)で、そして頼朝の側近である土肥実平(どい・さねひら、生誕不詳~1191)と関係深く、父と共に頼朝の挙兵に加わっています。

同年8月23日平家方と合戦では、頼朝より先陣を命ぜられた義忠は敵方大将の大庭景親の討取りをめざすなか、景親の弟俣野景久(またの・かげひさ、生誕不詳~1183)と行き会い馬上組討ちから地面に落ち転げて泥まみれの格闘となり、ついに景久を組み伏せ首をかこうとしますが刀が血糊で鞘から抜けず、逆に景久の郎党によって首を掻き切られ討死します。(享年20歳)
                 
討死の経緯として義忠が組み合っていた時痰がからんでいたため自分の従者の助けを呼べなかったとの言い伝えもあり、このことから喉の痛みや喘息などの呼吸器系の霊験があるとされています。

旅行の満足度
3.5
交通手段
私鉄
  • 龍谷寺・寺門<br /><br />寺門右側には「龍谷寺」と刻された銘板が埋め込まれています。

    龍谷寺・寺門

    寺門右側には「龍谷寺」と刻された銘板が埋め込まれています。

  • 龍谷寺・本堂<br /><br />狭い境内の正面には本堂が控えています。

    龍谷寺・本堂

    狭い境内の正面には本堂が控えています。

  • 龍谷寺・「たんぼとけ」祠堂<br /><br />境内の右側には「痰・咳の守護」として佐奈田義忠を祀った祠堂が見えます。

    龍谷寺・「たんぼとけ」祠堂

    境内の右側には「痰・咳の守護」として佐奈田義忠を祀った祠堂が見えます。

  • 「たんぼとけ」祠堂(近景)<br /><br />

    イチオシ

    「たんぼとけ」祠堂(近景)

  • 佐奈田余一義忠墓石<br /><br />墓石には「治承四年八月二十三日夜/源家侍所別当佐奈田余一義忠/相州石橋山合戦討死」と刻されています。治承4年8月といえば源頼朝が挙兵した時期で、頼朝と行動を共にした一人に佐奈田義忠がおり、大庭景親率いる平氏討伐軍と石橋山で戦った際討死した勇者として記されています。<br />

    佐奈田余一義忠墓石

    墓石には「治承四年八月二十三日夜/源家侍所別当佐奈田余一義忠/相州石橋山合戦討死」と刻されています。治承4年8月といえば源頼朝が挙兵した時期で、頼朝と行動を共にした一人に佐奈田義忠がおり、大庭景親率いる平氏討伐軍と石橋山で戦った際討死した勇者として記されています。

  • 「たんぼとけ」説明<br /><br />説明板には「たんせき守護の佐奈田義忠大善神」との記述が見えます。義忠は「痰がのどに詰まったことにより討たれた」との伝説から、ぜんそく・たん・せきの神として崇められています。

    「たんぼとけ」説明

    説明板には「たんせき守護の佐奈田義忠大善神」との記述が見えます。義忠は「痰がのどに詰まったことにより討たれた」との伝説から、ぜんそく・たん・せきの神として崇められています。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 蔦之丞さん 2015/06/08 14:41:43
    投票ありがとうございます!
       滝山氏照様
     初めまして
    『沖縄旅行ー4(帰宅編)』に
    投票頂きましてありがとうございます!

    合戦には、いずれも悲しい・残酷な話もありますが
    武蔵谷中 石橋山合戦も歴史を刻む話しですね〜!

    また、ゆっくりと旅行記を拝見させて頂きます

    私のは、拙い旅の記録ですが、よろしくお願いいたします

               蔦之丞

    滝山氏照

    滝山氏照さん からの返信 2015/06/09 10:01:42
    JETSTAR
    鳶之丞さん、こんにちは


    この度は小生の旅行記及び書込みについてありがとうございます。


    那覇空港でのトラブルは大事に至らずよかったですね。

    小生も遠方への城郭訪問になりますと、JETSTARを利用することがあります。

    昨年は成田→松山(愛媛県)・高松(香川県)→成田、今年は関空→成田で利用しています。(但し成田までの時間がかかりますが・・・・)

    タイミングが合えば今後も利用したいと思いますし、他のLCCも検討したいと考えます。


    滝山氏照

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