2015/05/30 - 2015/05/30
371位(同エリア609件中)
滝山氏照さん
都立谷中霊園(東京都台東区谷中)には幕末の改革派として活躍した伊予国宇和島藩主伊達宗城(だて・むねなり、1818~1892)の廟があります。
そもそも宇和島伊達氏は陸奥国の雄伊達政宗(だて・まさむね)の庶長子である秀宗(ひでむね、1591~1658)が大坂夏に陣で戦功をあげた結果将軍家康より10万石を以て初代宇和島藩主に封ぜられ以降伊達氏が藩主を勤めます。
八代藩主となった宗城は先代の殖産事業を継続させると共に西欧化を推進、その改革派である高野長英や大村益次郎(村田蔵六)などを招聘長英には蘭学の翻訳を益次郎には軍艦の製造研究をそれぞれ行わせ、混沌とした幕政にも改革の必要性を訴え福井藩主松平春嶽、土佐藩主山内容堂、島津藩主島津斉彬とも幕政改革について会議を開き意見交換し幕政の変革を訴えます。
しかしながら改革推進の老中阿部正弘没後、安政5年(1858)大老に就任した井伊直弼(いい・なおすけ)と次期将軍継嗣の問題で対立深め、直弼が推す紀伊藩主徳川慶福を14代将軍家茂とし、反対派をことごとく排除します。(安政の大獄)
一橋慶喜を推していた為宗城ら四賢侯は一斉に隠居謹慎を命ぜられ、宗城は養父の宗紀の実子宗徳(むねのり)を後嗣とし家督を譲りますが、隠居後も藩政に影響力を温存し、謹慎が解かれた後再度国政に関与する事になり、公武合体派として動きます。
明治維新に際しては枢機に参画し、明治元年(1868)には参議に任ぜられ、翌年民部卿兼大蔵卿、翌々年には大蔵卿専任として財政を担当、明治4年(1871)には欽差全権大臣として清国と日清修好条約規に調印するなど活躍、明治25年(1892)75歳で病没します。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- 私鉄
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