2015/05/01 - 2015/05/01
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SUOMITAさん
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St.Goashausenを1105発.すぐに西岸にRheinfels城が見えてきた.そしてねずみ城 Burg Maus.Sterrenberg城 Liebenstein城などをみつつ,1150 定刻にBoppard.ライン川がU字に曲がるところ.対岸のFilsenの教会がとても印象的.明日また来る予定だ.そして最後の圧巻マルクスブルグ城.昔の状態がそのまま保存されたライン川では唯一の城.実は今回時間がなくて行けなかったのがとても惜しい.下から見ても素晴らしい城.ただ行けばほぼ一日がかりだったと思う.しかたないね.
3月に宮古島でうえのドイツ文化村でこの城のイミテーションをみたが規模といい,雰囲気といい本物は圧巻だ!1310 定刻通り Koblenzに到着! 3時間55分の長旅だが飽きなかった.ただ曇り時々雨で川面が寒く,寒さとの戦いだった.Koblenzについたら急に暖かく感じた.今日はこれから,Koblenzめぐり.少し天気上向きかな..
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 船
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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St.Goashausenを1105発.すぐに西岸にRheinfels城が見えてきた.
ラインフェルス城 城・宮殿
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1245年、カッツェネルンボーゲン伯ディーター5世によって、ライン川を航行する船からの徴税のための城として築かれた。1260年、カッツェネルンボーゲン家はディーター5世とその弟エーベルハルト1世の2系統に分かれ、城も2家で分割されることになった。両系統は、1402年にヨハン4世によって再統合されるまで続いた。この間、ラインフェルス城は両家の館として整備が進んだ。1479年に当時の当主フィリップ1世が死ぬと、男子はすべて早世していたためカッツェネルンボーゲン家は断絶し、フィリップの娘婿のヘッセン方伯ハインリヒ3世が遺領を継ぎ、ヘッセン方伯家が世襲した。1647年、ヘッセン=ダルムシュタット方伯家による城の継承に異を唱えていたヘッセン=カッセル方伯の軍がラインフェルス城を落とした。両家は翌年和解し、城とザンクト・ゴアールの町は、両家で分割することになった。1756年にはじまる七年戦争に際し、ラインフェルス城はフランス軍によって占領された。また、18世紀末のフランス革命戦争では、城は徹底的に破壊された。1843年、プロイセン国王ヴィルヘルム1世(後のドイツ皇帝)がラインフェルス城の廃墟を買い取った。1925年にはザンクト・ゴアール市の所有となった。1973年からはホテルとして営業している。http://www.geocities.jp/y_ujoh/kojousi.rheinfels.htm
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イチオシ
ねずみ城 Burg Maus
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1353年から57年の間に、トリーア大司教ベームント2世によって築城が開始された。南2kmほどのライン左岸に築かれたカッツェネルンボーゲン伯のラインフェルス城に対し、ライン右岸での徴税を確実にするためであった。1362年にクーノ2世がトリーア大司教に就任するころには、一応の完成をみたとされる。築城当初はペータースエック城と呼ばれ、後にドイエルンブルク城と称されるようになったといわれる。1360年に、ラインフェルス城の対岸にカッツェネルンボーゲン伯が新城(ノイカッツェネルンボーゲン城)を築くと、同じ右岸の城同士直接の対立関係に陥った。そのため、後にノイカッツェネルンボーゲン城が「ねこ城」と略して呼ばれるようになると、ドイエルンブルク城は対比で「ねずみ城」と呼ばれるようになった。そこには猫が鼠を駆逐するという皮肉がこめられていた。1898年、城はケルンの建築家ヴィルヘルム・ゲルトナーによって買い取られ、1900年から06年にかけて復興された。http://www.geocities.jp/y_ujoh/kojousi.maus.htm
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目の前の街はEhrenthal
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寒くなったので,売店Subwayでカプチーノを買ってくる.
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Bad Salzig 1135
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東岸 左(北側)がBurg Sterrenberg 右がBurg Liebenstein
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リーベンシュタイン城は、もともとはボーランデン伯のシュテレンベルク城の支郭であった。シュテレンベルク城主ボーランデン伯ヴェルナー4世の義理の甥であるアルブレヒト・フォン・レーヴェンシュタインは、妻の遺領をめぐって伯父と対立し、この支郭を取り立てて改築した。1294年、城はシェンク・フォン・シュトロームベルクとルートヴィヒ・フォン・シュテレンベルクに与えられた。このときから、城はリーベンシュタイン城と呼ばれるようになった。トリーア大司教がシュテレンベルク城のリーベンシュタイン側に新たな城壁を築いたため、両者の関係は悪化していった。1510年にはフィリップ・フォン・リーベンシュタインが単独で相続することになった。その後、次第に城は荒れていき、1592年には無人となった. 17世紀初めにリーベンシュタイン家は無嗣断絶となり、1637年に城と領地はマインツ大司教家宰ゲルハルト・フォン・ヴァルデンブルクに与えられた。1783年、ヴァルデンブルク家も嗣子なく断絶となり、ルートヴィヒ・
フォン・プロイシェンが跡を継いだ。現在もプロイシェン家が所有しており、城はホテルやレストランとして利用されている。
https://www.google.co.jp/maps/@50.1715121,7.6805969,1280m/data=!3m1!1e3 -
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10世紀後半から11世紀前半の間には、すでに城は築かれていたといわれる。正確な築城年代はいまだ明らかではないが、ライン渓谷で最も古い城の1つといわれている。1190年、ボーランデン伯ヴェルナー2世がこの城を築き直し、「シュテレンベルク城」と名づけた。13世紀末までボーランデン伯の徴税用の城として使用された。1290年、ボーランデン伯ヴェルナー4世と対立した義理の甥のアルブレヒト・フォン・レーヴェンシュタインは、シュテレンベルク城の支郭を改築してリーベンシュタイン城を築いた.15世紀に入ると、シュテレンベルク城の戦略的価値は徐々に薄れ、1568年には無人の城となり、その後は朽ちるに任せていった。領主が替わるごとに城の所有者も替わったが、城は廃墟のまま修復されることはなかった。1968年から78年にかけて修復工事が行われた。現在は、カフェやレストラン、ホテルとして営業している。http://www.geocities.jp/y_ujoh/kojousi.sterrenberg.htm
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Kamp-Bornhofenの集落
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後ろを振り向くとSterrenbergとLiebensteinの二つの城,Bornhohen修道院
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右はSt.NiKolaus教会,左の教会の名前はわからなかった
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569kmポスト ドイツの南端コンスタンツからの距離だ
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対岸の西岸.もうすぐBoppard
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ライン最大のカーブの手前にある町だ
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1150 定刻にBoppard 明日来る町だ.
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イチオシ
ボッパルト 滝・河川・湖
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571kmポスト
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対岸にFilsenの教会
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イチオシ
明日歩く場所だ.しかしこの教会なぜか上五島の中ノ浦教会を彷彿とさせた.中ノ浦教会は真っ白なのに...
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旧カーブを曲がる
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このカーブ,Boppard側を撮影
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行き先のKoblenz側 ほとんどU字になっている.明日リフトで山の上から見る.
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続いてOsterpaiの週t楽
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山の上の城はSchloss Liebeneck.Shulossは城館,Burgは城砦ていうイメージ
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イチオシ
Schloss Liebeneck 1590年
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576kmポスト付近から中洲
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中洲のむこう側の方がすこし水位は低い.両端が交通しているのにどうしてかよくわからない
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ここでまた一つになる
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おお最大の城 Marksburg城が見えてきた!
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この間宮古島うえのドイツ文化村でイミテーションを見たばかり.やはり本物は大きさも格も違う.しかたないよね.
マルクスブルク城 城・宮殿
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イチオシ
史料に最初に現れるのは1231年であるが、築城はもっと早かったものとみられている。その推定築城年代は、11世紀初頭から12世紀初頭まで諸説ありはっきりしない。当初はエップシュタイン家の所有であったが、1283年にカッツェネルンボーゲン伯エーベルハルト1世の城となった。エーベルハルト1世の子孫は城を居住用に改築し、14世紀末ごろのディーター8世の代に完成した。15世紀前半ごろ、城内に聖マルクス礼拝堂が設立された。16世紀ごろから、この礼拝堂の名をとって、城がマルクスブルクと呼ばれるようになった。1479年にカッツェネルンボーゲン家は無嗣断絶となり、遺領はヘッセン方伯家に引き継がれた。マルクスブルク城に関しては、山上の不便を厭うてかその後あまり使用されず、1571年にブラウバッハの町の南端にフィリップスブルク宮殿が築かれると、館の機能はそちらへ移ってしまった。このため、マルクスブルク城は17世紀の三十年戦争の戦禍を免れることができたといわれている。1866年、ライン渓谷一帯は普墺戦争に勝利したプロイセンの領土となった。しかし、プロイセン時代に城が修復されることはなく、次第に城は朽ちていった。1900年、ドイツ城郭協会の設立者ボードー・エプハルトが城を入手し修築した。1945年、第二次世界大戦の最終局面で、アメリカ軍のライン渡河の際の砲撃で城は著しく損傷した。現在は、博物館として一般に公開されている。
http://www.geocities.jp/y_ujoh/kojousi.marksburg.htm -
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イチオシ
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これが宮古島うえのドイツ文化村のイミテーションのマルクスブルグ城 良く作ったね.少し小型だし,あまり品がないけれど,良くここまでの箱モノを作ったと思う.サンゴ礁の中にあるのが余りに合わないが..
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素晴らしい城.下のBraubachの街から見上げる
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Braubach 定刻1220
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出発
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降りてからは見学で時間がないと思い,すでに空いてきた船の売店 Sub Wayでサンドイッチとダイエットコークで昼食
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イチオシ
Lahnstein
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1240 Lahnstein
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Burg Lahneck 1226年
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Schloss Stolzenfels 西岸にある 少し通り過ぎてから撮影.
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1242年
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テレビ塔,Koblenzからも良く見える Kuhkopf Fernmeldeturm 255m 1972年 一般公開はない
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最後の寄港地 Niederlahnstein
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西岸のローカル線 MRB
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Koblenz手前の橋 実にここまでWiesbadenから80?以上橋がなかった.
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こちらはVIAの線路.KoblenzからRudesheimなど東岸を結ぶ
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Pfaffendorf
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もうすぐだ.
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Ehrenbreitstein城塞 後で行ってみよう
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1310 定刻通り Koblenzに到着! 3時間55分の長旅だが飽きなかった.ただ曇り時々雨で川面が寒く,寒さとの戦いだった.Koblenzについたら急に暖かく感じた
市庁舎(コブレンツ) 建造物
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