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1310 KDライン観光船でKoblenz到着.まずDeutsches Eck周辺を散策.モーゼル川とライン川の合流点だ.ヴィルヘルム皇帝のでかい騎馬像がある.ドイツ騎士団の館や聖カストア教会などがある.黒いチューリップなど花が咲き乱れ,春を知らせる.小鳥の鳴き声も日本の数倍聞こえる.1400 ラインロープウエイでEhrenbreitstein城塞に. 世界遺産内に特別に建設したのでは2011-13年の期限付き運行だったはずだが,今もなし崩しで営業している.中は確かに砦の様.無数の銃眼が下を眺める.展望台からはDeutschesEckをはじめ,ライン川流域を一望できた.城塞入場券とのコンビチケットで11.8ユーロ.それほど高くないし,ライン川をまたいで高台からKoblenzを眺めるのも素敵だ.<br />1436 城塞内の州立博物館へ入る

2015.4ライン・アルザス旅行6-Koblenz,Deutsches Eck,聖カストア教会,Ehrenbreitstein城塞へ

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2015/05/01 - 2015/05/01

25位(同エリア95件中)

SUOMITA

SUOMITAさん

1310 KDライン観光船でKoblenz到着.まずDeutsches Eck周辺を散策.モーゼル川とライン川の合流点だ.ヴィルヘルム皇帝のでかい騎馬像がある.ドイツ騎士団の館や聖カストア教会などがある.黒いチューリップなど花が咲き乱れ,春を知らせる.小鳥の鳴き声も日本の数倍聞こえる.1400 ラインロープウエイでEhrenbreitstein城塞に. 世界遺産内に特別に建設したのでは2011-13年の期限付き運行だったはずだが,今もなし崩しで営業している.中は確かに砦の様.無数の銃眼が下を眺める.展望台からはDeutschesEckをはじめ,ライン川流域を一望できた.城塞入場券とのコンビチケットで11.8ユーロ.それほど高くないし,ライン川をまたいで高台からKoblenzを眺めるのも素敵だ.
1436 城塞内の州立博物館へ入る

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • 1310到着,KDラインの桟橋から降りたところ

    1310到着,KDラインの桟橋から降りたところ

  • 川沿いは公園になっていて,濃い紫色のチューリップがきれい.船の上とは別天地.暖かい!天気が上向きのせいか暑いくらいだ!船は寒かった!

    イチオシ

    川沿いは公園になっていて,濃い紫色のチューリップがきれい.船の上とは別天地.暖かい!天気が上向きのせいか暑いくらいだ!船は寒かった!

  • これ黒いチューリップかな...

    これ黒いチューリップかな...

  • Ludwig Museum im Deutschherrenhaus ドイツ騎士団の館を改造した主にフランス現代美術の博物館

    Ludwig Museum im Deutschherrenhaus ドイツ騎士団の館を改造した主にフランス現代美術の博物館

  • César: Le Pouce 1993

    César: Le Pouce 1993

  • これも作品だ!壁のむこう側は教会の敷地

    これも作品だ!壁のむこう側は教会の敷地

  • 聖カストア教会

    聖カストア教会

  • イチオシ

  • イチオシ

  • イチオシ

  • もう一度ライン川沿いに

    もう一度ライン川沿いに

  • ロープウエイ 世界遺産内に特別に建設したのでは2011-13年の期限付き運行だったはずだが,今もなし崩しで営業している.

    ロープウエイ 世界遺産内に特別に建設したのでは2011-13年の期限付き運行だったはずだが,今もなし崩しで営業している.

  • ライン川とモーゼル川の合流点 Deutches Eckへ

    ライン川とモーゼル川の合流点 Deutches Eckへ

    ドイチェス エック 自然・景勝地

  • 合流点ぎりぎりから,ライン川下流を撮影

    合流点ぎりぎりから,ライン川下流を撮影

  • モーゼル川上流

    モーゼル川上流

  • 後ろを振り返ると騎馬像

    後ろを振り返ると騎馬像

  • ヴィルヘルム皇帝の騎馬像

    ヴィルヘルム皇帝の騎馬像

  • 階段を上がって中に入ってみる

    階段を上がって中に入ってみる

  • 騎馬像の下からの景色

    騎馬像の下からの景色

  • モーゼル川を見る

    モーゼル川を見る

  • 合流点

    イチオシ

    合流点

  • ライン川

    ライン川

  • 今度はロープウエィに乗るためにもう一度ライン川沿いの道を戻る

    今度はロープウエィに乗るためにもう一度ライン川沿いの道を戻る

  • ロープウエィ乗り場

    ロープウエィ乗り場

  • イチオシ

  • Ehrenbreitstein城塞とのコンビチケット11.8ユーロ

    Ehrenbreitstein城塞とのコンビチケット11.8ユーロ

  • 1400ラインロープウエイに乗る

    1400ラインロープウエイに乗る

  • ライン川を渡る,上流側

    ライン川を渡る,上流側

  • 下流側

    下流側

  • イチオシ

  • Koblenz-Ehrenbreitstein駅 ライン川のむこう側,城塞側の駅だ

    Koblenz-Ehrenbreitstein駅 ライン川のむこう側,城塞側の駅だ

  • 城塞は相当の岩の上に立つ

    城塞は相当の岩の上に立つ

  • 7分間で到着

    7分間で到着

  • 目の前はFortress Parkになっている

    目の前はFortress Parkになっている

  • ロープウエィの駅を振り返って撮影

    ロープウエィの駅を振り返って撮影

  • EhrenbreitsteinのInfo 下でCombiチケットを買ったのでここではトイレだけ借りる

    EhrenbreitsteinのInfo 下でCombiチケットを買ったのでここではトイレだけ借りる

    エーレンブライトシュタイン城塞 史跡・遺跡

    ラインロープウエイとの共通券11.8ユーロ 景色が素敵だ by SUOMITAさん
  • 入場口

    入場口

  • 門を越える

    門を越える

  • このあたりは写真博物館

    このあたりは写真博物館

  • このむこうが考古学博物館

    このむこうが考古学博物館

  •  エーレンブライトシュタインの歴史は古く、発掘調査により山の南端付近から紀元前10世紀ごろの防衛施設の柱穴などが見つかっている。正式に記録に現れるのは、ラーンガウ地方の領主エーレンベルト(またはエーレンブレヒト)によって西暦1000年ごろに築かれたとされるエーレンブライトシュタイン城からである。この城は、1020年にトリーア大司教の所有に帰した。トリーア大司教のライン右岸の橋頭堡として、エーレンブライトシュタイン城は度々増改築を繰り返し、そのうちに城(Burg)から要塞(Festung)へと容貌を変えていった。1524年、リヒャルトは重さ10tほどもある巨砲「グライフ」を鋳造させ、エーレンブライトシュタイン要塞の堡塁に据え付けさせた。この「グライフ」は、当時のヨーロッパで最大の大砲であった。<br />18世紀末、フランス革命戦争が勃発すると、エーレンブライトシュタイン要塞は1795年から4度にわたって,フランス革命軍によって包囲された。4度目の包囲は約1年に及ぶ兵糧攻めとなり、1799年、要塞はついに陥落した。1801年のリュネヴィルの和約により、フランスはライン右岸を放棄しなければならなくなった。右岸にあるエーレンブライトシュタイン要塞を撤退する際、フランス軍は要塞を爆破し使用不能にした。<br />1815年のウィーン会議の結果、コブレンツを含むラインラントはプロイセン王国領となった。プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は「コブレンツ市とエーレンブライトシュタイン要塞の改築強化に関する指令を発し、ライン川を挟んだ対岸のコブレンツ市街も包摂した「コブレンツ要塞計画を進めた。この計画の下、エーレンブライトシュタイン要塞は1817年から28年にかけて大規模な改修が施された。コブレンツ市街まで含めた大要塞の完成は、なお6年をかけた1834年のことであった。第二次世界大戦では、コブレンツの町が壊滅的な打撃を受けたにもかかわらず、要塞はほとんど無傷であった。<br />http://www.geocities.jp/y_ujoh/kojousi.ehrenbreitstein.htm

     エーレンブライトシュタインの歴史は古く、発掘調査により山の南端付近から紀元前10世紀ごろの防衛施設の柱穴などが見つかっている。正式に記録に現れるのは、ラーンガウ地方の領主エーレンベルト(またはエーレンブレヒト)によって西暦1000年ごろに築かれたとされるエーレンブライトシュタイン城からである。この城は、1020年にトリーア大司教の所有に帰した。トリーア大司教のライン右岸の橋頭堡として、エーレンブライトシュタイン城は度々増改築を繰り返し、そのうちに城(Burg)から要塞(Festung)へと容貌を変えていった。1524年、リヒャルトは重さ10tほどもある巨砲「グライフ」を鋳造させ、エーレンブライトシュタイン要塞の堡塁に据え付けさせた。この「グライフ」は、当時のヨーロッパで最大の大砲であった。
    18世紀末、フランス革命戦争が勃発すると、エーレンブライトシュタイン要塞は1795年から4度にわたって,フランス革命軍によって包囲された。4度目の包囲は約1年に及ぶ兵糧攻めとなり、1799年、要塞はついに陥落した。1801年のリュネヴィルの和約により、フランスはライン右岸を放棄しなければならなくなった。右岸にあるエーレンブライトシュタイン要塞を撤退する際、フランス軍は要塞を爆破し使用不能にした。
    1815年のウィーン会議の結果、コブレンツを含むラインラントはプロイセン王国領となった。プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は「コブレンツ市とエーレンブライトシュタイン要塞の改築強化に関する指令を発し、ライン川を挟んだ対岸のコブレンツ市街も包摂した「コブレンツ要塞計画を進めた。この計画の下、エーレンブライトシュタイン要塞は1817年から28年にかけて大規模な改修が施された。コブレンツ市街まで含めた大要塞の完成は、なお6年をかけた1834年のことであった。第二次世界大戦では、コブレンツの町が壊滅的な打撃を受けたにもかかわらず、要塞はほとんど無傷であった。
    http://www.geocities.jp/y_ujoh/kojousi.ehrenbreitstein.htm

  • ドイツ軍の死者への追悼碑だ

    ドイツ軍の死者への追悼碑だ

  • 居室の一部が公開

    居室の一部が公開

  • 最後の門を出ると

    最後の門を出ると

  • 州立博物館と展望台に出た

    州立博物館と展望台に出た

  • 1427

    1427

  • ライン川上流

    ライン川上流

  • さっきKDライン川観光船で見たテレビ塔

    さっきKDライン川観光船で見たテレビ塔

  • 下流側

    下流側

  • Deutsches Eck 騎馬像と,ドイツ騎士団館,聖カストア教会,ロープウエィ站との相互関係がよくわかる

    Deutsches Eck 騎馬像と,ドイツ騎士団館,聖カストア教会,ロープウエィ站との相互関係がよくわかる

  • それにしてもでかい騎馬像だ

    イチオシ

    それにしてもでかい騎馬像だ

  • 原子力発電所??このへんにはなかったよねえ,ただの発電所かなあ

    原子力発電所??このへんにはなかったよねえ,ただの発電所かなあ

  • モーゼル川のほう,1999年に初めてTrierまで列車で行ったことを思い出す.1436州立博物館に入ってみよう

    モーゼル川のほう,1999年に初めてTrierまで列車で行ったことを思い出す.1436州立博物館に入ってみよう

  • 案内パンフ

    案内パンフ

  • インフォから展望台までの地図

    インフォから展望台までの地図

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