2015/04/17 - 2015/10/10
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サンフランさん
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小堀遠州はたくさんの名園を残していますが、いったいどのような庭園を造っていたのか? 桜が散った京都の町を歩いた。
桂離宮は小堀遠州の作とされていたが、最近では作者不明とされている。竜安寺の石庭が小堀遠州の作とする説も出てきた。いったいどのような庭園作家であったのか? なぞを解いてみたい気になる。
まずは青連院の庭を拝見した。桂離宮にも似たところがある。パンフレットには相阿弥、小堀遠州の作庭とあるが、どうやら確証はないらしい。
南禅寺本坊、金地院本坊はどうやら間違いなく小堀遠州の作。金地院は与四郎という庭師が施工している。与四郎にはのちに賢庭の名が与えられた。
比叡山から下り、里に降りたところの坂本にある滋賀院門跡。ここに小堀遠州の庭がある。思いがけなく見つけた庭園はあまり小堀遠州作としては知られていない?
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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京都地下鉄東西線の東山駅から神宮道へやってきました。
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この大楠木が目印の青蓮院です。
この大くすのきが目印の青蓮院です。この大くすのきが目印の青蓮院です。この大くすのきが目印の青蓮院です。青蓮院門跡 寺・神社・教会
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境内図です。青蓮院は皇室に関係の深い寺であるので、宮廷文化を残した江戸時代の遠州作とされる庭園に好みが共通した点は認められる」青蓮院のパンフレット
庭園は相阿弥の作とされているが、後に小堀遠州が手を入れているようだ。白幡洋三郎氏は著書のなかで「確証はない」としている。(白幡洋三郎 庭を読み解く) -
こちらが青蓮院の入り口です。
青蓮院門跡 寺・神社・教会
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こちらのご門は格式が高いみたいです。
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方丈の参観入り口
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こちらが方丈の庭です。
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島の向こう岸に見えにくいが滝が造られている。
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池は庭の左側の細い川を模した部分から小御所のほうへ伸びています。
その手前に半円形にそりの美しい石橋がかけられている。「この花崗岩の切石2枚の橋を誇龍橋と呼び、池を龍心池と名づけられている」(青蓮院のパンフレット)
小御所東に位置する池の庭は相阿弥の作庭となっている。寺伝の伝承とはことなり「1642年 作庭のことが玉淵、量阿弥などに申し付けられる。」と古文書にある。(白幡洋三郎 庭を読み解く) -
庭園内が回遊可能です。
庭園入り口にあるこの灯篭!桂離宮にあるのと同じ様な足元を照らす灯篭です。 -
池の中にも背の低い岬灯篭が置かれています。
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方丈の前にある島? 右下の小さいにじり口が庭園への入り口です。
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池に流れ込むせせらぎに沿って回遊路が造られています。
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回遊路は霧島の庭に
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この辺が小堀遠州の作庭というのであろうか? 「華頂殿の東から東北にかけての平庭は小堀遠州が作庭」とある。
(白幡洋三郎 庭を読み解く) -
このへんのつつじはまだ開花には早いようです。
このへんまで遠州の平庭があったのであろうか?
「明治初年の京都博覧会の際に設けられた茶室のために、いまは平たん地に東側斜面に若干残る石組みが昔の面影をわずかにとどめている。相阿弥、小堀遠州ともこの庭に関して作者とされる確たる資料もなく、いつごろから伝承が起こったのかもはっきりしない」(中根金作、京都名庭百選) -
好文亭は明治以降に建てられた茶室だそうです。平成5年に焼失、その後に復元されています。
「好文亭の露地は大森有斐の作庭」(白幡洋三郎 庭を読み解く)
このあと自然に築山へ上がります。 -
築山の頂上より方丈を眺めます。
こうしたこの庭の形態を観察すると、「平安時代から庭園の形態の主流を成していた築山泉水の形式を踏襲している」(青蓮院のパンフレット)
ところが青蓮院は明治期に焼けた際に「園地は植治の小川治兵衛が修復を行った。」(重森三玲 日本庭園史体系)
「江戸時代の御本坊総図には出島は描かれていないので植治が築いたものであろう」(飛田範夫 青蓮院の庭園と建築変遷) -
小御所の正面に曲がります。
右近の橘と左近の桜、桜はもう終わりの時期ですね -
小御所を回りこむように回遊路が造られています。
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お車寄せもあり門跡寺院の形態を見せている。
但し 「青連院は1893年に焼失。1995年ある程度焼け残った寝殿、白書院ともに再建。明治42年兵庫県の寺院の建物を小御所として移築」(京都坊日誌 上京37)
ということもあるらしい。
いづれにしても名園であることには間違いない。 -
4月18日
南禅寺にやってきました。南禅寺 寺・神社・教会
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伽藍の配置図です。
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南禅寺三門
南禅寺 寺・神社・教会
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三門の向こうは新緑です。
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法堂
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こちらが方丈庭園の入り口です。
南禅寺 寺・神社・教会
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チケットより
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東山36峰
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書の前で、....
これから室内は撮影禁止でした。 -
早速の方丈の庭、虎の子渡し
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慶長年間に造られた小堀遠州の作とされる。左に木と石組みが見られる枯山水の庭である。。
「奥に向かって広がる空間構成は小堀遠州の庭に共通。景石を等差数列のように順に小さくして背後の土塀も徐々に低下させて遠近感を増幅」(野村勘治、小堀遠州 気品と静寂が豊く綺麗さびの庭) -
右側の小石の砂洲は龍安寺の石庭を髣髴とされる。土塀が油土塀なら似た風景となりそうです。
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「虎の子渡し」とは『広辞苑』によると「虎が三子を生むと、一子は彪で他子を食うので、水を渡るときまず彪の一子を渡し、次に別の子を渡して、また彪を渡し返し、さらに残りの一子を渡し、最後に再び彪を渡したという説話にもとづく」 なんやら子供の頃に遊んだクイズに似ている。
石は6石ある。 虎が子を背負っているような石の塊はなさそうで、きわめて判りにくい。対岸に渡る前の岸での光景を表したものか? 石の周りの苔地は島に見える。「虎の子渡し」で知られるのは龍安寺の石庭。こちらは、虎が子を背負っているような石組みがある。小堀遠州は龍安寺石庭の作庭者としても考えられているが、根拠は希薄である。むしろ、先にあった龍安寺「虎の子渡し」と対比するために設計された石組みではないだろうか? -
なかなか一枚の画面には収めにくい。
手前の小石がその横の石から少し離れているのは親虎が子虎を伴って泳ぐようにも見える。 -
やはり小堀遠州は石をメインにすえている。
奥の大石は富士山石か? -
方丈の建物の中には狩野派の襖絵が書かれている。撮影禁止
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左甚五郎作
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同じく
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西側に広がる知心庭
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蓬莱神仙庭
これも枯山水で、南禅寺は枯山水の宝庫? -
六道庭
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まだまだあります。これらは小堀遠州の作ではないのでしょうか?
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お茶席と龍吟庭
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南禅寺垣
南禅寺 寺・神社・教会
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さすがに禅宗のトップの寺院
感動して後にします。 -
これはよくテレビドラマに出てくる?
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再び三門より
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金地院へ
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金地院の伽藍案内図
金地院 寺・神社・教会
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こちらがご門です。
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参観料を払うともう一つご門が!
明智門 -
すぐお庭です。このへんは、弁天池
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回遊路にそって歩きます。一旦、池が見えなくなります。このあたり桂離宮にも通じるものがある。
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ルートは東照宮へ
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東照宮前の庭ーその1
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その2
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東照宮、「足利義持が創立した塔頭であり、...家康の死後、東照宮を戦慄した。」(金地院パンフレット)
建物はだいぶ傷んでいるようだ。 -
東照宮を抜けると順路は方丈の庭にでる。
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方丈の襖絵は、ここも狩野派の筆になるものだそうですが、室内は撮影禁止
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この敷石は参観者には通行禁止
よく見ると敷石を45度づつづらしている! -
これも小堀遠州の庭
鶴亀の庭 -
右側の石組みが鶴島、左が亀島
奥に蓬莱の石組みがあり、その左側には織部灯籠があるが、目につきずらい。別名キリシタン灯篭とも呼ばれる古田織部が考案した石灯篭!小堀遠州は古田織部を師と仰いでいたらしい。
礼拝石を挟んでシンメトリックな構成になっている。 -
摩訶不思議な石組み
中間にあるのが群仙島で、石が点在している。背景の大刈込は深山幽谷をあらわす。」(金地院パンフレット) -
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「金地院の増改築で大規模に行われたのは1627年、方丈をはじめ庫裏、東照宮、数奇屋庭園に及ぶ大工事であった。その年、金地院崇伝から小堀遠州に宛て金地院の建築・庭園の計画を依頼している。石組みについては三宝院の作庭に従事した賢庭が担当している。金地院の建築・庭園の設計を依頼された遠州は伏見奉行という行政官として多忙な日々の中をいかに金地院の工事に当たったかが1632年、古文書に書かれている。完成して労をねぎらう書状が出されている。」(中根金作、京都の庭と風土)
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「実際に庭園の施工を行ったのは与四郎という庭師で、与四郎には後陽成天皇から褒美として賢庭の名が与えられた。金地院崇伝は日記に「遠州の好み一段とよろしく」と記し満足していたことがわかる。」(宮元健次 京都の名庭を歩く)
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小堀遠州が石好きであったことは十二分に理解できる。巨大な礼拝石がある。
「鶴亀山は神仙山で、庭を越して南面高台には家康を祀る東照宮が建っている。常に礼拝する形となる。」(中根金作、京都の庭と風土) -
小堀遠州は襖絵まで書いていた。実物は室内撮影禁止のためか? 入り口に写真
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南禅寺をでてしばしの歩き
岡崎あたりにはまだ八重桜が満開 -
神宮道にある菓子店は名店かな?
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三条から京阪電車で伏見桃山へやってきました。
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前方に見えるのが伏見稲荷の鳥居? 違います。御香宮です。
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表門
伏見城大手門を移築したものとさR手います。伏見城 名所・史跡
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門の中に鳥居があります。この鳥居は再建の鳥居で、
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旧鳥居の石が脇に置かれています。
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伏見城の残石です。
伏見城 名所・史跡
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緑に囲まれたたたずまいです。
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こちらが本殿
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さすがに伏見!御香水とは伏見の7名水。
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能舞台もありです。
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このお庭が小堀遠州の庭
といっても伏見奉行所にあった石をこちらに移して作庭されたものです。 -
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ここもやはり鶴亀の庭
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巨大な手水鉢は500年前のもの!
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お庭から再び境内を
絵馬堂 -
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それでは御香宮はこれまで
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これは余談でしょう?
伏見が黒田節の発祥地! -
10月10日
比叡山から下り、里に降りたところの坂本にある滋賀院門跡。ここに小堀遠州の庭がある。 -
門跡は天皇陛下がおられたところのはず。建物は明治に火災にあい、移築再建されたものだとのこと。
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滋賀院の石垣を背景に作られた築山池泉鑑賞式庭園である。
「穴太衆積み」石垣は石工集団の穴太衆が築城に腕を振るった時代がイメージできる。表面より奥で大きな石をかみ合わせている。それにより堅固で安定するだけではなく、雨水の流入を防ぎ、侵入者が足を掛けにくくなります。」(京都新聞2013年12月7日) -
池は寝殿の左右に大きく広がり、池は中央の橋石によって2つに分けられている。分けられた左の池には、亀島がある。
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亀島
遠州の庭は基本的に鶴亀のはずで、鶴はどこかと言うと、滝のあたりの正面の立った石群だそうだ。 -
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「正面を蓬莱山となし、池中央の切石橋によって細長い池庭を引き締めている。」滋賀院パンフレット
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この石橋は桂離宮松琴亭前の反りのない石橋にそっくり! まさしく遠州好み?
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「立ててすえた石には角ばった面があり、右側と左側の面ではそれぞれ表情が違う。それでも左と右から望む庭の表情はなんとなく同じように見える。左右非対称でありながら、左右に同じ雰囲気を漂わせる安心感がある。」(京都新聞2013年12月7日)
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興味深いのは左手前の池に飛び出した大きな切石である。これは礼拝用に設けられたものとして、ここに立ち築山方向を拝んだのであろうか?
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この庭、遠州作とは! 紅葉などで季節的には趣はあるかもしれないが、....
いずれにしても石は語っている。 -
築山の近くの灯篭は、遠州好みとは思えない異常の大きなものである。説明によると、作庭後後日に建てられたものであるとのこと。背景にある紅葉の木も後から植えられたものらしい。
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亀島
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時の将軍家光の命により小堀遠州、晩年の作庭と見られる。門跡として立てられたときに、小堀遠州に当てられた敷地は寝殿前の石垣との間の狭い空間であったようだ。立てられている石は、狭いスペースに遠州の石の置き方の特徴をうかがわせる。
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