2014/09/12 - 2014/09/12
1259位(同エリア4639件中)
クッキーさん
3時半からの桂離宮拝観をネット予約していました。予約ができたことですっかり安心して、何の予習もしておらず、ずいぶん見逃していたところがあったようです。
これから拝観を予定している方々の参考になればと、旅行記アップで参考にしたウェブサイトを記載しました。
「桂離宮の庭で印象的な特徴の一つは、"軸線"です。
庭園内にはいたるところに大小さまざまな軸線がとられていますが、どの軸線も奥までは見通せず、行って回り込んでみて初めて全体像が見える、という体験の連続です。
何かあるぞ・・・と思わせて期待を高めて歩かせる、日本庭園独特の手法です。
わざとずらすことで視線を斜め方向に向けさせたり、奥まで見通させない、斜めに見せることで美しく見せるなど、日本庭園では非常によく使われる手法です。
軸線を通すにしても、どこまでも単一に続いたり、完全な左右対称は必ず避けるのが西欧庭園との大きな違いです。
回遊式庭園の中に短い軸線が相当数詰め込まれています。」
http://furukawa-d.jugem.jp/?eid=54
「水面に映った月影:閣は月を浮かぶるに依りて」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~dayfornight/minamo/03kaku/03kaku.html
「桂離宮:七つのキリシタン灯篭を求めて
延段の 真・行・草
御輿寄 「真」の延段: 切石のみを組み合わせた延段
外腰掛 「行」の延段: 切石と自然石を交えた延段
笑意軒 「草」の延段: 自然石ばかりを固めた延段
四つの茶亭の 春・夏・秋・冬
「春」 : 笑意軒
前面のツツジが美しく 対岸には梅の馬場
「夏」 : 賞花亭 水蛍灯籠
消夏のための小亭であり 付近には水蛍灯籠
「秋」 : 月波楼 鎌型手水鉢
観月のための茶亭であり (刈り入れの)鎌型手水鉢
「冬」 : 松琴亭 二重枡形手水鉢
暖房のための石炉があり外腰掛には(収穫を量る)二重枡形手水鉢」
http://www.nagominoniwa.net/katsura/katsura11.html
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
京都駅からバスで。
バス停で降り、桂川に沿って生垣沿いに歩きます。
3時前に着いてしまったので、付近をウロウロ。 -
御成門(表門)の前を通って左に曲がると 一般参観者の出入り口である通用門(黒御門)まで 美しい曲線を描く穂垣が続きます。
頂部を斜めに削いだ竹の柱を等間隔に立て、間を穂竹でつないだものだそうです。
ここですでに、背筋がピンと伸びるような風格、気品が感じられます。 -
早く着きすぎたので、参観通用門の前でしばらく待ちます。
門の前を流れる水路。離宮の中に流れていくのか、流れ出ていくのか。
水路の脇には苔むした木が一本。中が空洞になっているのにまだ力強く生きています。
参観通用門を入り、待合室に入り証明書を見せて入園確認を行います。それからガイドの方が迎えに来るまで待合室でしばらく待機。 待合室では、桂離宮を紹介するビデオを見ることができます。
参観者の人数は20人前後。 -
待合室を出て、庭に向かって歩き出すと、通路の正面奥に背の低い松が植えられています。 この松は「住吉の松」といって、外からやってきた訪問者から、庭の内部を隠す目隠しとして植えられたそうです。
そこを左折してアーチ状の土橋を渡って御幸道を進みます。
両側を生垣で限った直線的な見通し線上に対して、土橋が少し斜めにひねって架けられています。
奥行きが一層深く見えるように工夫されているそうです。 -
右手には池の一部が見えています。
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生垣があるので全体が見通せません。
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御幸道を歩いて、
御幸道の右手、紅葉山へ向かう敷石道は 紅葉の馬場と呼ばれていて、御幸道と共に小石敷きにされています。
以前は対岸の松琴亭前まで長い橋が架けられていたそうです。
竹の仕切りの左手は 蘇鉄山の前面にある外腰掛へ向かう飛石伝いの道になっています。
竹の仕切りはアイストップという手法だそうです。 -
御幸門に着きました。
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門は、かやぶきの屋根に、自然のままの皮つき丸太の柱で支えられています。
離宮は、茶室を中心とした日本の伝統ある景色を楽しむ庭ですので、質素な造りの門です。 -
突き当たりが表門になります。
これは皇族専用の桂離宮への入り口。 -
縦方向の一枚も。
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モミジのしだれ具合が圧巻です。
足元の苔は、以前に比べて生育が悪いそうです。
周辺に住宅地が密集してきたせいだと聞きました。 -
柱と桁にはアベマキの丸太が皮のまま使われていて、扉は割竹が並べられた軽い感じに仕上げられています。
アベマキは樹皮のコルク層が厚く、ワインの栓に使われたことも有るとのこと。
誰もいなくなったところで御幸門を。
その意味するところは・・・列のビリになっているということ。
最後尾について下さる警備の方は、とても穏やかな女性で、あまり急かされるという感じではありませんでした。
修学院離宮と比べて小ぶりなせいで、必死に廻らなければ、という気ぜわしさが少ないのかも。 -
小石が丹念に敷き詰められている御幸道を振り返って。
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御幸道を中ほどまで戻り、紅葉の馬場から大振りの飛石伝いに外腰掛へと向かいます。
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ランダムに並べられた敷石。
辿ってきた飛び石がこちらだったはず。 -
外腰掛と蘇鉄山の間には、幅約90センチ 長さ17メートル近い長い延段が南北に伸びています。
切石と自然石を交えた作りは「行(ぎょう)の延段」と呼ばれています。
御輿寄前の「真(しん)の延段」、笑意軒の前面にある自然石のみで作られた「草(そう)の延段」と合わせて「延段の真・行・草」と言われ 見所の一つに数えられているもの。
延段の北端にある、桝を二つ重ねたような二重桝形手水鉢は、収穫を量る晩秋を象徴するものと解釈され、見所の一つ。
予習不足ですが、何か判じ物感がいっぱい。 -
延段の奥には石灯籠が埋め込まれています。
これもアイストップの手法でしょうか。
団体で行動しているので、なるべく参観者が映りこまないようにと、順路通りにはカメラを向けていないので、どの道を辿ったのか記憶が薄れています。 -
他の参観者の人たちはもう移動済み。
蘇鉄山の前面にある外腰掛は 松琴亭茶室の待合として作られたもので 茅葺寄棟造り、前と横は吹き放し、向かって左には砂雪隠があります。
柱も梁も束も皮付の自然木を用い、竹垂木を見せた化粧屋根裏と言われる形式だそうです。 -
他の建物とは違って、外腰掛には座っても構いません。
腰を下ろすと 薩摩島津家より献上されたと伝えられる蘇鉄の群植が目の前にあり、日本庭園という雰囲気ではありません。
軒先が映り込み、額縁に入った風景のようになりました。 -
飛石伝いに蘇鉄山を下りて、池沿いの園路を松琴亭(しょうきんてい)へ向かう途中。
平らな石が敷き詰められて池に突き出しているのは洲浜。
先端には岬の石の上に小さな毬形の石灯籠が置かれています。
それを岬の灯台に、池を大海に見立てて「天の橋立」を引き立てるような造りになっています。 -
池に注ぐ流れには石橋が架かっていて、それを渡ると園路は下り、浜辺の景色に変わります。
その石橋辺りから。 -
外腰掛から、茶室の松琴亭までは桂離宮の全景を見ながら歩いていきます。
松琴亭が見えてきました。
中央あたりに見える切石の反り橋が天の橋立の蛍橋でしょうか。 -
荒々しい石組み。
奥の飛び石は、辿ってきた外腰掛からの道のようです。
後ろを振り返り、また前方の景色に目をやり・・・で撮った写真の数々。
写真の整理がこんなに大変だったのは初めてかも。 -
桂離宮の総面積は、約6万9千平方メートル。その中央に、複雑な汀線を持つ広大な池があり、
周囲に、風雅な書院や茶亭が配され、
池に浮かぶ大小の中島には、土橋や板橋、石橋など趣の異なる橋が架かり
随所に据えられた燈籠、手水鉢などが点景となって、歩を進めるごとに景色が変化する、回遊式庭園のお手本のような光景。
苑路の一部を直線にしたり、反りのない石橋や、方形の舟溜まりを設けるなど、直線的な意匠をたくみに取り入れているのが、それまでの日本庭園とは違った新しさなんだそうです
池は舟遊びにも使われたもので、所々、岸に舟着き場が設置されています。 -
松琴亭外観。
池を隔てて古書院が建っています。
池に面した母屋の前には芝庭が広がります。 -
桂離宮のほぼ全景が眼前に広がります。
全ての木々の手入れが行き届いています。維持費もさぞかし大変だろうな、などと無粋なことを考えてしまいます。
ここから見えているのが、天の橋立かな。 -
州浜の尖端に石灯籠。
池の一部なのに、海のような拡がりを感じられます。
歩を進めるごとに、振り返る度に、違った光景が目に入ってきます。 -
石橋の奥は深山の趣き。
奥に見えているのは松琴亭の外山にある卍亭でしょうか。
卍亭は松琴亭茶会に中立の待合の腰掛として使われました。 -
松琴亭へは石橋でつながっています。白川橋ともいわれ、一枚の切り石でできた橋です。
ここから落ちる人もいるので、決して立ち止まらないように、と注意されていたにもかかわらず、つい思わずカメラを構えて、厳重注意を受けてしまいました。
この一枚は、たぶんその時に撮った禁断のもの。 -
松琴亭は最も格の高いかやぶき入母作りの茶室です。
左側が茶室にじり口。
にじり口の内側は三畳台目(茶室用の畳)の本格的な茶室で、遠州好みの八つ窓の囲いになっている。 松琴亭の外観は、東、北、西の三方からそれぞれ異なる風情が楽しめる。
(宮内庁パンフレットより) -
松琴亭に上がることはできず、周りから眺めるだけ。
ふすまが全て開放されていて、茶室を覗くことができます。
青と白の市松模様の襖はモダンな意匠。 -
東北西の三方が池に面し、通風を良くする為に土廂が深く取られ、夏の強い日差しを避けるように工夫されています。
深い廂は冬、暖かな陽だまりとなり、室内には暖をとる石炉があります。 -
一の間の正面北側の土廂の中央には竃と炉と小さい二段の三角棚がついた水屋があり、竃土構(くどがまえ)越しに北側庭園や天の橋立などを眺められます。
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茶室は8つの紙障子の窓があることから八窓席(はっそうせき)と呼ばれるそうです。
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松琴亭からの眺めは素晴らしく、ここでは5分余り滞在。
松琴亭、西側から。
奥に見えているのは古書院、右手は月波楼。 -
左が月波楼。
池に沿って生垣の植栽があり、池の全景がどこからも見通せないような造りになっているのが、よくわかります。
手前に見えているのは船着。 -
北側から。
天の橋立の二つの橋がよく見えます。 -
松琴亭を過ぎると飛石道は岸に沿って緩やかな上りになり、池の水面は低くなり深い谷に向かっているかのような景色。
遠くに見える土橋の下流は「蛍谷」と呼ばれ、橋が少しアーチ型に作られているのは下を舟が通れるようにする工夫。 -
途中に見える笑意軒(しょういけん)。
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土橋を渡ります。
丸太の上に板をのせ、その板を両脇の土で固定して造られたもの。 -
笑意軒。
田舎風で茅葺きの庇をつけた間口の長い建物です。 -
小高い丘の上に立っている峠茶屋風の建物が賞花亭(しょうかてい)です。
こちらの茶室もかやぶきの屋根になっています。さきほどの松琴亭と比べると、質素な造りです。かやぶき屋根に皮付きの柱が用いられています。
亭前に球状のつくばいが置かれ、近くにある灯籠は、木立の奥に明かりがほのめくように工夫されており、源氏物語にちなんで水蛍(みずほたる)灯籠というそうですが、これも見逃したものの一つ。 -
中の様子です。壁には、シミができていて、長年の風雪に耐えてきた様子がうかがえます。
落ち着いた?侘びた佇まいです。
この風通しの良さは、いかにも夏向きですね。
賞花亭の南壁には水屋棚があり、その上の竹の連子窓を通して、背後の谷がより奥深く見えるそうです。 -
この丘が離宮の中で一番高い所にあるというのも納得。
これまでよりも、見下ろした感のある池の風景です。
ふと気がついたことがあります。
庭園のどこから見ても、外部の建物などが一切視界に入りません。
そのせいでしょうか、閉じられた庭園がさらに風雅に思えます。 -
賞花亭の丘からの下り坂はかなり急な坂道。
平坦な地のはずなのに、こんなアップダウンは意外でした。
下りてきたところにある土橋の向こうは古書院に続いているようです。 -
左が園林堂(おんりんどう)。
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渡ってきた園林堂前の土橋。
園林堂は、今までの茶室とは一風変わった建物です。
本瓦ぶき宝形造り屋根の持仏堂の建物は遺骨を納める所であり、今は収められているものはなく、建物だけが残っている状態だそうです。 -
橋を渡り、離宮の奥に進んでいくと、3番目の茶室、笑意軒(しょういけん)に到着。
遠景は先程からたびたび見えていました。 -
この丸い下地窓は、全てわざと違う大きさで作られていて、格子の材質にも、木や竹を使って微妙に変化をつける演出。
天井は一つのつながりを持っており、室内を広く見せる工夫がこらしてあるそう。
茶色の土壁が目に優しい。 -
前に敷かれた延段は「草の飛び石」。
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笑意軒の北側から。
橋の景もまた、桂離宮の美に欠かせないもの。
右奥が園林堂、中央の敷石は書院群への道。
前面の池は舟溜まりになっており、それを挟んだ向こう岸に三角灯籠、雪見灯篭。 -
笑意軒前の船着き場の最奥にある三光灯籠。
桂離宮内の灯籠はいずれもこのように丈が低いのは、照明は最小限、足下を照らすだけ抑え、その光が上空の月の観照を妨げないように配慮したとも言われます。
観月のために造営された桂離宮には、この目的のための細心の注意が随所に見られます。 -
書院群に向かう途中、笑意軒を振り返ります。
遠くからでないと、全景が把握できません。 -
南側から石畳を進むと、木々の間に端正な書院群が見えてきました。
緑の芝生に浮かび上がる高床式の書院は、
枯れた屋根と柱の色、まだ赤茶味の残った柱と板の色、障子と漆喰の白。
右端の建物が、創建当初からある古書院で、中書院、新御殿と雁行形に連なって立ち並んでいます。
かって、これらの書院群の敷地には、桂別業にあった藤原道長の館、「桂殿」が建っていたそうです。
「古書院には、池に面して月見台が設けられ、中書院は、一の間、ニの間、三の間からなり、楽器の間は楽器などを格納していたところである。
新御殿は智忠親王が後水尾上皇をお迎えするために増築された建物である。
一の間の南に櫛型窓の付書院をそなえ、その脇に棚板、地袋、袋棚を巧みに組み合わせた桂棚と呼ばれる違い棚がある。この棚は修学院離宮の霞棚、三宝院の醍醐棚とともに天下の三棚と称されている。なお、昭和51年4月から平成3年3月にかけて各書院及び茶室の解体大修理が行われた。」
(桂離宮パンフレットより) -
書院造に茶室の要素を加えた数奇屋造。
古書院は納涼と月見、中書院は楽器演奏などの遊興が行われたところ。新御殿は日常生活に適した建物となっています。
新御殿の一の間に設けられた桂棚は、紫壇、伽羅などの外来の銘木をぜいたくに用いたものだそうです。 -
古書院の月見台です。
広縁から池に突き出すように、竹簀子で作られています。
月見はいうまでもなく、苑内の主要な景観が一望でき、納涼の設備としても申し分なさそうです。 -
客人の視線の高さはと違いますが、月見台の前から一枚。
他の場所から見る庭園に比べて、ずいぶんと池が広く見えます。
桂離宮の主要テーマは観月であり、離宮全体が、古くからの貴族の別荘地にして月の名所、桂の地で、いかに月を美しく鑑賞するかを最大の目的として作られています。
この「月見台」は、天高く輝く月と、正面の池の中に映り込む月影、上下二つの月の鑑賞を目的として設えられているのです。
「近年、宮元健次がコンピューターをつかって解析したところ、桂離宮の書院群の方位軸、東南29度は、この離宮の創建の年(1615年)に、京都盆地で中秋の名月が姿を現わす角度に一致すると言う。してみると、中秋の名月の晩、満月はこの台の正面に上り、庭園にある池にその姿を落したこととおもわれる。」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~dayfornight/minamo/03kaku/03kaku.html -
古書院の屋根の下に付いているのはピカピカの擬宝珠。それもそのはず、金箔が貼られているそうです。
月が出ている時は、月光を反射して遠くからでも認めることができるので、夜陰の中で、複雑な構成をもった桂離宮の庭園を散策中、絶えず書院の場所を示すので、方向を見失わないですむのだとか。
全ては「月」のために・・・ -
月波楼(げっはろう)は、古書院に近い、池の高みに立つ茶亭で、広い土間が開放的な建物です。
月を眺めるのに良い位置にあるところから月波楼という風流な名前の建物となっています。楼と名付けられていますが、平屋建です。
月波桜からみた、池越しの松琴亭。風情のある佇まいがよりいっそう引き立っています。 -
左の開放部からは、池が隠れて見えておらず、違った光景のようです。
内部の天井。化粧屋根裏の竹の垂木が舟の底のような形に組んである船底のような形に組まれている様子がなんとか見て取れます。
内部は極めて簡素な造りですが、細部の意匠にこだわっているそうです。 -
御輿寄・坪庭露地庭
書院の玄関であり、前庭は杉苔で覆われています。中門から延段が御輿寄に向けて延びていますが、切石のみを組み合わせた延段なので、「真」の延段と呼ばれるものです。
石段を4段上がったところに置かれた一枚石の大きな沓脱は、六人の沓を並べられることから「六つ沓脱」といわれています。
わずかに上に凸に作られていて雨水が貯まらないような細かな細工がされているそうです。
切石の延段と飛び石が、苔の緑の中で、リズミカルに浮かび上がっています。
桂離宮を堪能するには、十分な予習が必須だと痛感した次第です。 -
「桂離宮の歴史をひもとけば、17世紀初めに八条宮智仁親王により、宮家の別荘として創建されたとあります。
親王は、関白・豊臣秀吉の猶子(養子)となり、次の関白の地位を約束され山荘を贈られます。秀吉に実子・秀頼が誕生したことにより、関係は解消され、その際、秀吉から3000石を受け、八条宮家を創設。
また、兄の後陽成天皇の譲位の申し出も、秀吉の猶子であったことを理由に、徳川家康に反対されます。
そして皇位は、親王の甥にあたる後水尾天皇が継承することになります。
2度にわたり、天下人に翻弄された智仁親王ですが、文化芸術に優れ、造園の才能もあったことから、この頃から、自らの領地であった京都の下桂村(京都市西京区)に別荘を築き始めます。親王が、情熱を傾けて造営したのが、桂離宮なのです。
1620年頃から第一次の建設が始められ、桂川から水を引いて細流や大池をつくり、簡素の中にも格調を保った桂山荘を完成させています。」 -
「桂山荘は親王没後、一時荒廃しますが、若くして聡明をうたわれた二代目・智忠親王は、1642年、加賀藩主前田利常の娘富姫と結婚。 この富姫の母は徳川秀忠の娘珠子であり、時の将軍家光と後水尾上皇皇妃和子にとって姪にあたっていました。
この結婚によって、朝廷と幕府、そして加賀百万石という力強い後ろ盾を得た親王の周辺には多くの人々が集まることとなりました。
彼らを招き、もてなす必要があり、親王は離宮の復興に取り組みました。新たに中書院、新御殿、月波楼、松琴亭などの茶室を増築、池や庭園にも手を加え、現在見る姿に整えられたのです。」
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