2014/09/12 - 2014/09/12
1076位(同エリア2860件中)
クッキーさん
修学院離宮の拝観を10時に予約していました。
詩仙堂を出てすぐに一乗寺下り松のバス停に戻りましたが、バスの時間が不確かなのでタクシーに乗り、修学院離宮に急ぎました。なんとか20分前に着きました。
修学院離宮は京都の比叡山の山裾の傾斜地の自然を生かして造られた、壮大な規模の離宮です。
上、中、下の三つの離宮に分かれていて、それぞれを松並木の道がつなぐ造りになっています。
三つの離宮それぞれの庭園の美しさを堪能しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
門の前では宮内庁管轄の公務警察が門を見回っています。ネットで予約し、ダウンロードしていた入場許可書を見せて中へ。
門を入って右の参観受付所で入場許可書を出して、正式な入門手続きを行います。
受付で身分証明書を忘れたことに気がつきました。ここまで来てダメだと言われたらどうしよう、とハラハラドキドキ。手持ちのクレジットカードを出すしかなかったのですが、無事許可され一安心です。
参観者休所で10時まで待ちます。 -
これが離宮の俯瞰図です。
棚田のようなものが見えています。
約50万平方メートルというとてつもない広さの修学院離宮。 徳川幕府からの寄進によって、後水尾上皇が1656年から3年がかりで造営した山荘です。 -
まず下離宮から。
柿葺(こけらぶき)の屋根に、花菱紋の透かし彫りのある戸のかんたんな作りの御幸門(みゆきもん)です。
皇族が出入りするときに使う門で、昔は違う場所にあったそうです。
簡素なのに、どっしりと風格のある門に見えます。 -
御幸門をくぐり、奥にある中門を通ります。
周りを囲むのは「建仁寺垣」という垣根。 -
池のある庭園。
左端に見えるのは袖形灯籠といって、独特の形をした変わった灯籠です。火口の周りを囲んでおらず、形は左右対称形ではありませんが・・・写真ではしかとは確認できませんね。
苔むした苑路沿いに珍しい形の石灯籠が点在しているそうなのですが、じっくりと見て回るような時間はいただけません。 -
寿月観の周辺の庭園風景。
時折立ち止まってカメラを向けるだけです。 -
御幸門をくぐって庭園沿いに歩くと左手に趣ある数寄屋風建築の寿月観が姿を見せます。ここから眺める緑したたる前庭が素晴らしく、ゆったりした気持ちになりますが、列を離れることはできないので、けっこう急かされます。
下離宮の中心にあるのが後水尾上皇の行幸の御座所となった寿月観(じゅげつかん)。その西側に御輿寄があり、上皇はここで輿を降り寿月観へ。 -
ぐるりと回っていくと、庭に石が配置された寿月観の縁側に。
建物はこけら葺で入母屋造の建物で、3つの部屋があります。 -
寿月観の一の間。
十五畳で三畳の上段。三畳の上段は、位の高い人、つまり上皇が座る位置。
上段の棚には、空を飛ぶ鶴が三羽と、下段にはランの花が描かれています。 -
一の間にあるふすまに描いてある「虎渓三笑(こけいさんしょう)」の墨絵です。
虎渓三笑の意味は、何かに夢中になって他のことを忘れてしまうことという意味。絵は、話に夢中になって、怖い虎の出る場所を気がつかず通り過ぎてしまって、三人で笑っているところだそうです。
襖絵は「虎渓三笑(こけいさんしょう)」。なにかに夢中になっていて他のことを忘れるという意味。おしゃべりに夢中でトラのすむ穴を気付かず通り過ぎてしまった人々の絵 -
「寿月観」の扁額は後水尾上皇の宸筆。
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流水の見える庭園。
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10分ほどの見学では物足りませんが、下離宮を後に・・・。
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下離宮からの出口は、入口とは反対側の石段を上がったところに。
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御幸門の反対側にある東門をくぐると、参観者たちから思わず「うわあ〜」と感嘆の声が漏れました。
閉ざされた幽玄の世界にいたような感覚の下離宮を出た瞬間に、視界が突如としてひらけ、自然豊かでのびやかな光景が眼前に広がります。
この視界の変化には驚かされます。
これまで一列縦隊で階段や石橋、飛び石を歩いてきた一同は、てんでにこの光景をカメラに収めます。
この広場に立ったときにようやく、この離宮が東山連峰の山裾に位置していることがつかめ、なんとなく全体の広さをつかむことができました。
目の前にそびえている山々の、こちらから見えている半分のまでが、修学院離宮の持ち物だそうです。 -
下離宮の東門を振り返って。
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下離宮から中離宮、上離宮へと続く松並木の左右には棚田が広がり、のどかな田園風景をつくっています。
比叡山はじめ背景の山々をそのまま借景としたスケールの大きな離宮です。
離宮内に水田を見るとは思ってもみませんでしたが、ベルサイユ宮殿のプチトランでの田園風景をつい思い出しました。
田畑の管理は景観保護のため農家に委託されているそうです。
中央よりやや左手奥にほんの少しだけ見えているのが比叡山です。
棚田の緑のグラデーション、松並木の緑、また、周囲の山々の緑。トーンの異なるさまざまな緑を眺めながら中離宮へ向かいます。 -
それぞれの離宮を繋ぐ松並木は、馬車が通れるほどの幅に広げられたことから、御馬車道と呼ばれています。
中離宮へと続く松並木です。 -
5分余り歩き、中離宮の入口へ。
正面ではなく、脇の通用口から中へ。 -
石段を上がり、
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左折してさらに石段を上がり、
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こちらの門は見るだけで、
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左の通用門から入ります。
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10:21
楽只軒(らくしけん)に至る庭園。
池に架かる石橋を歩いて、 -
楽只軒は瓦葺き平屋造り。
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木立で隠すかのような趣の中離宮の客殿。
客殿は、楽只軒と階段でつながっています。 -
楽只軒の前庭の風景です。
小さな池には、重い石橋が架かっており、味わいがある庭の造りになっています。 -
楽只軒は部屋が6つある古い建物で、今から300年以上前に建てられた光子内親王の御所です。
人の波が引いた時に、前庭から。 -
客殿前の庭園に架かる石橋。
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楽只軒の東南の高みに工夫のある階段でつながれた客殿。
京都御所の女人御所から内親王のために移築されたもの。
入母屋造り木賊葺きのひさしの深い屋根を持つ建物です。 -
左は、西縁北側にある杉戸に描かれている山鉾の絵です。南面に放下鉾と岩戸山、北面に船鉾が描かれているそうですが・・・
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客殿での必見は霞棚です。
互い違いに組み合わされた大小の棚が、霞のようにみえることから名付けられました。
桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚と共に、天下の三棚のひとつだそうです。
霞棚の下の扉は、友禅染播磨の図と呼ばれる図案で、羽子板など女性らしい優しい絵・・・とは後で知ったことであり、人垣の中で、しかも遠目で、限られた時間の中ではじっくりと鑑賞の仕様もありません。 -
客殿の杉戸には作者不詳の鯉が描かれています。
網の部分だけは円山応挙だそうです。
案内係の方の説明によれば、元の絵には網は描かれていなかったのですが、この鯉と鮒が戸板を抜け出しして、池で泳ぐため、抜け出さないように網を描いたとのこと。
なんという遊び心。
おまけに、網には小さな破れ目まであって、芸が細かいですね。 -
石橋の上の結界。
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庭園の石組みと豊かな植栽が目に鮮やか。
ここに紅葉が加われば最高ですね。 -
木々の間の楽只軒。
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庭の端に石段が延びていて、奥には小さな門が見えています。
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楽只軒から林丘寺への道の石組みと思われます。
ガイドツアーでなければ好きなように歩けるんですけどね。
見るだけです。 -
楽只軒室内。
いったいなんという写真写り !!
でも奥の部屋がよくわかるので一応アップ。 -
客殿と楽只軒の繋がり。
網干の欄干(あぼしのらんかん)と呼ばれる低い手すりが、西と北の廊下に巡らされています。漁業に使う網を、岸辺に干してある様子を表しているそうです。 -
楽只軒の朱色の壁。
竹で作られた雨樋。
ここでもわずか10分ほどの見学で、かなり消化不良気味。 -
10:30
石段を下り、上離宮へ向かう松並木の坂道を歩くこと約10分。 -
上離宮への入口、こけら葺きの御成門(おなりもん)です。
門は見るだけで、ここでも脇の通用門から入ります。 -
急カーブのせまい急な石段です。両脇には高い生垣がきれいに刈り込まれ、丈の高い木々に眺望を遮られながら上ります。
この先にある眺望に期待を膨らませながら、参観者は一列になって一心不乱。
視界がきかないのと、足もとを確認しなければならないのとで、皆、下ばかり見ています。
そして石段を上がりきると目の前には・・・。 -
不意に明るくなり、山の涼しい風に当たって目を上げると、頂上の隣雲亭に到着していました。
そして、眼下に広がる素晴らしいパノラマ。
隣雲亭の縁側にはもう腰かけて休息している人々も。
皆、しばし呆然と、目の前の風景に見とれています。
空にかかる雲がすぐそこに見えて、隣雲亭とはよく名付けたものだと感心しきり。 -
上離宮の中心に位置する浴龍池とよく手入れされた庭園、その向こうには洛北の山々がはるかにつづいて、壮大な光景が広がり、神秘的にさえ思えます。
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上離宮は、見下ろす景色の素晴らしさを楽しむために造られました。下離宮との標高差は約20メートル。
比叡山からの谷川の流れををせき止めて造った、浴龍池と呼ばれる人工池を中心に造営され、この池の水面との標高差約10メートル、海抜では約150メートルの高台に隣雲亭が立っています。 -
京都の街も一望。
標高的には京都タワーと同じくらいだそうです。 -
隣雲亭。
隣雲亭は、上離宮でも一番高い丘の上にあるので、上離宮の景色を一望できます。六畳と三畳の二間に、板の床でできた四畳の空間が表にあり、裏には、八畳、六畳、六畳の控えの間があります。装飾がほとんどない質素な作り。
軒先のたたきには、漆喰に赤い鞍馬石と黒い鴨川石が1つ、2つ、3つとリズミカルに埋め込まれていて、「一二三石(ひふみいし)」と呼ばれています。とても簡単な装飾ですが、猫か犬の足跡のような可愛らしい文様で、遊び心が感じられます。
隣雲亭が質素なためか、映えて見えました。 -
隣雲亭の見学はそこそこに、視線は眼下の眺望に釘づけ。
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この豊かな色彩に紅葉の朱色が加わった光景は、パンフレットで見ました。
浴龍池とは、島の形を泳ぐ龍に見立てたところから。 -
木立の間に見える隣雲亭。
この裏手にある小道に足を踏み入れた途端に、ガイドの方からお叱りを受けました。
進入禁止なのかと思っていたら、この後、その小道をたどって浴龍池の湖畔に下りていったのですから、単に、勝手に歩いてはいけないということなんですね。
宮内庁の管轄ですから、窮屈なのも仕方がないのか・・・ -
10:53
隣雲亭の丘を下り始めると、どこからか水の流れる音がしてきます。
木立の奥に滝が見えています。青葉を通してそよぐ滝からの涼風がさわやか。
大滝(雄滝・おたき)、高さ約6メートルといいますが、そんなにあるのかなあ。
王朝人が憧れた那智の滝を見立てたといわれ、近くには「滝見灯籠」という風雅な石灯籠が立っているそうですが見逃したようです。 -
滝の流れに沿って、心地よい木陰の山道を歩いて下ります。
「後水尾天皇は、徳川政権のもとで即位した最初の天皇ですが、その即位は幕府による朝廷支配の第一歩でした。
さらに「天皇家の外戚」として天皇家の威光を借りることを狙った家康の意向により、孫娘の和子を後水尾天皇に嫁がせようとし、和子が8歳の時、11歳年上の後水尾天皇のもとへ入内することが決まりました。
しかし「大坂の陣」が勃発。次には家康が亡くなり、和子の嫁入りはどんどん延期されていきました。
そして入内が決定してから4年が経ち、ようやく落ち着いて準備に入ろうとした矢先、後水尾天皇は他の女性との間に皇位継承者となりうる男の子をもうけていたことが判明。和子の父で将軍の秀忠は激怒。天皇が信頼する側近たちを様々な言いがかりをつけて処罰し、女性や子供たちも天皇から引き離されたと考えられています。」 -
浴龍池が見えてきました。
「1620年、13歳となっていた和子は後水尾天皇のもとに嫁ぎましたが、華やかに執り行われた嫁入りの儀式の裏で武家と公家双方の不信感は増す一方。和子と後水尾天皇の間には深い溝が横たわり、夫婦の行く末には暗雲がたれこめていました。
しかし宮中の人々は和子の素直で前向きな姿勢に少しずつ心を開いていきました。後水尾天皇もそんな和子に惹かれていくようになりました。
入内から6年が経った1626年、幕府による大イベントが開かれました。それは徳川の城である二条城に後水尾天皇を招き天皇家と徳川家の親密な関係を世間に知らしめようというものでした。
しかし幕府は天皇家との親密な関係をアピールする裏で、禁中並公家諸法度では天皇の主な仕事は学問であると規定して、政治への関与を禁じ、さらには勅許紫衣法度では寺院における天皇の権力を奪ったのです。」 -
滝は浴龍池に注いでいます。
「天皇に課された唯一の使命は徳川の血を引く男子をもうけることでした。
そして入内してから7年、和子にようやく念願の男の子が誕生しましたが、2年後に病のため亡くなってしまいます。気力を失った後水尾天皇に対し幕府は権威剥奪の手を緩めることはありませんでした。
やがて追い詰められた天皇は、幕府に何の相談もせず天皇の位を下りると宣言。次の天皇には和子との娘・女一宮を指名したのです。
後水尾天皇譲位の知らせに秀忠は激怒。そして天皇を島流しにするとまで言い出しましたが、和子の執り成しのおかげで譲位が認められたのです。」 -
隣雲亭の丘を降りて、浴龍池を左手に見ながら歩きます。
前方に見えてきたのは、 -
中島をつなぐ千歳橋(ちとせばし)。
中国風の意匠で、屋根に鳳凰を飾った宝形造の橋です。
ここは順路に含まれていないので、渡ることはできません。
頑丈な石造りの橋です。修学院離宮が造園されたときよりも、後の時代に追加で作られた橋だそうです。 -
木々の間から見えるのは、中島に渡るための楓橋。
長さ二間あまりの欄干の上にある板橋で、名前のとおり楓の木々に囲まれ、秋には美しく染まった楓の紅葉に彩られるのでしょう。
中島に渡って再び上り坂を上がったところに立つ建物は、 -
窮邃亭(きゅうすいてい)という茶室です。
修学院離宮では創建当時の姿を保つ唯一の建物だそうです。
こけら葺きの四角形の建物で、一八畳の大広間一間となっています。一隅に直角に折れて畳一枚高くした上段が設けられ、上段西側いっぱいに低く一枚板を渡して御肘寄に。 -
窮邃亭を振り返ります。
本当に真四角で、それと知らなければ農機具小屋か何かのように見えてしまいます。 -
窮邃亭辺りから見た千歳橋。
石段だけが見えています。 -
楓橋と反対側にある橋、土橋は、名前の通り土の橋です。
基礎は木、それを銅板で保護し、さらに土を固めるという手の込んだ作り方をした橋です。
右端に、かすかに見えている三保ケ島と紅葉谷。 -
屋根の付いた建物は、上皇の船遊びのための船を収納する御船宿(おふなやどり)です。
今留まっているのは、質素な船ですが、かつては屋形船だったといいます。
その船に乗って、優雅に島々を廻りながら、管弦や詩歌の会などが行われました。
この池を造るための堤防は高さ13メートル、延長200メートルに及び、4段の石垣で補強されているそうですが、武骨な石垣が見えないよう、3段の生垣と大刈込で覆っています。
大刈込とは、異なる種類の樹木を混ぜ植えたものを刈込んで、全体の形を整えたものだそうです。このせいで、下離宮からは上離宮の景観が全く見えないんですね。
左手が、大刈込みの上に位置する浜辺の西浜。
楓橋辺りの、深山を思わせる景観とは対照的に、明るくのびやかな風景です。 -
池に映る緑も涼しげです。
「政治の世界から離れた後水尾院と和子ですが、譲位したとはいえ幕府の監視が緩むことはなく少しの外出さえ自由にならない生活が続きました。そうした中、2人は新たに文化の世界で生きる道を見出します。
和歌、管弦、茶の湯、立花などにその才能を発揮した後水尾院が最も力を注いだのは立花。花瓶の中で自然のありさまを表現するもので、現在の生け花にも伝承されています。」 -
西浜から御船宿と土橋の景観を振り返って。
「晩年を迎えるころ、2人は幕府の監視の目が光る御所を飛び出し自由な空気を味わえる夫婦の楽園を築くことを夢みて修学院離宮の設計にとりかかりました。設計やデザインは全て後水尾院が手がけ、和子は徳川の姫という立場を使って幕府に財政支援を懇願。そして1659年に修学院離宮は完成したのです。
公家の伝統と美の力と、武家の財力との合作ということになったのです。
修学院離宮には内と外を隔てる柵や塀がなく一般の民衆も立ち入ることが許されていました。ごく普通の人々の日常とともにあることが2人が夢見た夫婦の楽園だったのです。
1678年、波乱の人生を送りながらも静かな晩年をすごした和子は72歳で亡くなりました。そして和子の死から2年後、後水尾院も亡くなりました。」
NHK総合テレビ「歴史秘話ヒストリア」より要約 -
万松塢の向こうに見えているのは、先程まで居た隣雲亭。
思っていたほどの高低差は無いようです。
この池を造るための堤防は高さ13メートル、延長200メートルに及び、4段の石垣で補強されているそうですが、武骨な石垣が見えないよう、3段の生垣と大刈込で覆っています。
大刈込とは、異なる種類の樹木を混ぜ植えたものを刈込んで、全体の形を整えたものだそうです。 -
11:07
上離宮を堪能して通用門まで戻ってきました。
名門に生まれたがための政略結婚の中で、数々の苦しみに見舞われながらも、最後まで夫を支え、寄り添って生きた東福門院和子の人生。
基本的に政略結婚しかなかった時代・身分の人たちの中では、幸せだったと言える部類ではないかしら。 -
松並木との間には、こんな無粋とも言えるゲートがあります。
参観者が全員出たことを確認して、閉じられました。
宮内庁職員の案内によると、明治に入り離宮が宮内省の所管となるまでは全周にわたる垣根は存在せず、洛北の自然と一体となった、いたってのんびりとした開放的な山荘であったということです。
はるばる洛北のはずれまで足を延ばしてくれた賓客を、厨房を備えた宿泊設備も整えられた下御茶屋で心ゆくまでもてなし、そして寿月観から東山の頭上にかかる名月を鑑賞。 -
そして翌日にでもハイキングのような感覚で、上御茶屋へと畦道を上り、隣雲亭で眼下に洛中の街並み、遠くの山々の山頂を眺めて自然の大パノラマを満喫し、雄滝の落水の音に清涼感を覚え、窮邃亭で乾いた喉を潤し、
さらに浴龍地で船遊びに興じ、疲れては万松塢の御腰掛けで一時の休息をとり、夕刻になると西浜の小径から夕日にきらめく下御茶屋を見下ろし、その向こうに広がる洛中の街並みや西山連峰の景観を目にし、自然との一体感を全身で感じ取って、下御茶屋へと下っていった賓客・・・とまではいきませんでしたが、その片鱗を味わったように思います。
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この旅行記へのコメント (2)
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- こあひるさん 2015/02/25 16:37:50
- 歴史秘話ヒストリアで・・・
- クッキーさん、こんにちは。
私も歴史秘話ヒストリア見ました〜。
修学院離宮をいう存在もそのときに初めて知りました。
もし京都に行ったら見に行ってみたいな〜なんて思ってましたが、宮内庁管轄で要予約・・・そしてガイドツアーのみで勝手に歩けない・・・とは・・・(;゚Д゚)。
広大な敷地すべてが、美しく手入れされていますねぇ・・・。
往時には、境目がなく誰でも入ってこれちゃったようですが、今はがちがちなのが残念・・・。
ガイドツアーとはいえ、たくさんのお写真を見せていただいて、様子もよくわかり楽しませていただきました。
こあひる
- クッキーさん からの返信 2015/03/20 19:32:45
- RE: 歴史秘話ヒストリアで・・・
- こあひるさん、こんばんは。
実は、歴史秘話ヒストリアの要約をネットで見つけただけなんですよ、私にはチャンネル権がないものですから。
修学院離宮の見学は、ネットから簡単に予約が取れますから、機会があれば是非訪れてみてください。無料ですしね。
ガイドツアーのみで勝手に歩けない・・ことだけが残念ですが。
クッキー
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