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JR播州赤穂駅から徒歩約10分、台雲山・花岳寺(だいうんざん・かがくじ、兵庫県赤穂市加賀屋)は常陸国笠間から当地に移封した浅野長直(あさの・ながなお、1610~1672)が父開基、浅野家の菩提寺で曹洞宗の寺院となっています。<br /><br />赤穂城ホームページ「播州赤穂の城下町散歩」によれば次の如く説明がされています。<br /><br />「 花 岳 寺<br /><br />正保2年(1645)に浅野長直が父華嶽院と母台雲院の菩提寺として建立し、その法名から台雲山華嶽寺と称した。<br /><br />漕洞宗永平寺の末寺である。以後歴代赤穂藩主となる永井家、森家の菩提寺でもある。<br /><br />境内には浅野・森家墓碑、赤穂義士47人の墓碑、義士宝物館、義士木像堂、大高源吾の句碑等があり、赤穂藩や義士関連資料が数多く保存されている。<br /><br />山門はもと西惣門であったものを明治6年(1873)に花岳寺21代仙珪和尚が購入移築したものである。<br /><br />また、赤穂城の縄張を行った近藤正純の墓が妙慶寺から移されている。」<br />

播磨赤穂 豊臣政権の五奉行筆頭の長政を祖父とし笠間より転封の浅野長直が父長重の菩提を弔うため創建の浅野家三代の菩提寺『花岳寺』散歩

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2015/01/03 - 2015/01/03

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR播州赤穂駅から徒歩約10分、台雲山・花岳寺(だいうんざん・かがくじ、兵庫県赤穂市加賀屋)は常陸国笠間から当地に移封した浅野長直(あさの・ながなお、1610~1672)が父開基、浅野家の菩提寺で曹洞宗の寺院となっています。

赤穂城ホームページ「播州赤穂の城下町散歩」によれば次の如く説明がされています。

「 花 岳 寺

正保2年(1645)に浅野長直が父華嶽院と母台雲院の菩提寺として建立し、その法名から台雲山華嶽寺と称した。

漕洞宗永平寺の末寺である。以後歴代赤穂藩主となる永井家、森家の菩提寺でもある。

境内には浅野・森家墓碑、赤穂義士47人の墓碑、義士宝物館、義士木像堂、大高源吾の句碑等があり、赤穂藩や義士関連資料が数多く保存されている。

山門はもと西惣門であったものを明治6年(1873)に花岳寺21代仙珪和尚が購入移築したものである。

また、赤穂城の縄張を行った近藤正純の墓が妙慶寺から移されている。」

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル

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  • 花岳寺・山門

    花岳寺・山門

  • 花岳寺・寺標<br /><br />山門脇には「浅野公霊廟義士木像」と刻された石標が建っています。また当寺院は「赤穂義士ゆかりの地」の石碑が併せて配置されています。

    花岳寺・寺標

    山門脇には「浅野公霊廟義士木像」と刻された石標が建っています。また当寺院は「赤穂義士ゆかりの地」の石碑が併せて配置されています。

  • 花岳寺沿革・説明板

    花岳寺沿革・説明板

  • 花岳寺・山門説明板<br /><br />この山門はもともと赤穂城の西惣門で明治初期に民間払い下げの折り当時の住職が購入して移築したもので武家門の風格を備えています。

    花岳寺・山門説明板

    この山門はもともと赤穂城の西惣門で明治初期に民間払い下げの折り当時の住職が購入して移築したもので武家門の風格を備えています。

  • 花岳寺山門・扁額<br /><br />山門上部には「臺雲山」の山号が描かれています。<br />

    花岳寺山門・扁額

    山門上部には「臺雲山」の山号が描かれています。

  • 名残の松全景<br /><br />浅野家が断絶して大石内蔵助が赤穂を離れる時、大石家先祖の墓に参拝して境内の松の前で名残を惜しんだことが名前の由来となったようです。

    名残の松全景

    浅野家が断絶して大石内蔵助が赤穂を離れる時、大石家先祖の墓に参拝して境内の松の前で名残を惜しんだことが名前の由来となったようです。

  • 標石<br /><br />「二代目大石なごりの松」

    標石

    「二代目大石なごりの松」

  • 花岳寺・手水舎

    花岳寺・手水舎

  • 花岳寺・水琴窟

    花岳寺・水琴窟

  • 鳴らずの鐘<br /><br />赤穂四十七義士の切腹した報せが赤穂に伝えられた時、住民が昼夜に亘って鐘を撞き続けたため鳴らなくなったことから「鳴らずの鐘」と伝わっています。

    鳴らずの鐘

    赤穂四十七義士の切腹した報せが赤穂に伝えられた時、住民が昼夜に亘って鐘を撞き続けたため鳴らなくなったことから「鳴らずの鐘」と伝わっています。

  • 「鳴らずの鐘」説明板

    「鳴らずの鐘」説明板

  • 花岳寺・本堂<br /><br />正式には「台雲山 花岳寺」と称する漕洞宗の寺院でご本尊は釈迦如来、開基は赤穂藩祖浅野長直、開山は秀巌龍田大和尚となっています。

    イチオシ

    花岳寺・本堂

    正式には「台雲山 花岳寺」と称する漕洞宗の寺院でご本尊は釈迦如来、開基は赤穂藩祖浅野長直、開山は秀巌龍田大和尚となっています。

  • 忠臣蔵関係年表等<br /><br />本堂入口には「忠臣蔵関係年表」、「赤穂浪士四十七士(忠臣蔵)」更に「天井絵の説明」の掲示が見えます。

    忠臣蔵関係年表等

    本堂入口には「忠臣蔵関係年表」、「赤穂浪士四十七士(忠臣蔵)」更に「天井絵の説明」の掲示が見えます。

  • 忠義塚<br /><br />墓地入口の手前には忠義塚が見られます。

    忠義塚

    墓地入口の手前には忠義塚が見られます。

  • 墓地入口門<br /><br />入口門右側には「浅野家 森家 大石家ほか」墓所案内板があります。

    墓地入口門

    入口門右側には「浅野家 森家 大石家ほか」墓所案内板があります。

  • 大石家先祖の墓所(赤穂義士会)<br /><br />具体的には大石内蔵助祖父母、父親、娘の墓石が配されています。

    大石家先祖の墓所(赤穂義士会)

    具体的には大石内蔵助祖父母、父親、娘の墓石が配されています。

  • 「義士家族の墓」(赤穂義士会)説明

    「義士家族の墓」(赤穂義士会)説明

  • 赤穂二代藩主浅野長友廟<br /><br />傍らの説明板によれば、赤穂に移った長直が父の長重(ながしげ、1588~1632)の霊を供養するため当寺院を開いたとあります。尚当寺院の寺号は長重の戒名「花岳院殿鋳山道牛大居士」から命名されています。 

    イチオシ

    赤穂二代藩主浅野長友廟

    傍らの説明板によれば、赤穂に移った長直が父の長重(ながしげ、1588~1632)の霊を供養するため当寺院を開いたとあります。尚当寺院の寺号は長重の戒名「花岳院殿鋳山道牛大居士」から命名されています。 

  • 赤穂二代藩主浅野長友墓石

    赤穂二代藩主浅野長友墓石

  • 赤穂藩祖浅野長直廟

    赤穂藩祖浅野長直廟

  • 赤穂藩祖浅野長直墓石

    赤穂藩祖浅野長直墓石

  • 笠間藩主浅野長重廟<br /><br />長重(ながしげ)は長直の父親で前任地の常陸国笠間藩主で寛永9年(1632)に死去し真壁(茨城県)伝正寺に長政と共に葬られています。

    笠間藩主浅野長重廟

    長重(ながしげ)は長直の父親で前任地の常陸国笠間藩主で寛永9年(1632)に死去し真壁(茨城県)伝正寺に長政と共に葬られています。

  • 笠間藩主浅野長重墓石<br /><br />長重の父は浅野長政(あさの・ながまさ、1547〜1611)で、母の姉である「ねね」が豊臣秀吉に嫁いでいる背景で秀吉存命中は破格の待遇を受け五奉行筆頭職を任じています。<br />秀吉没後は父子共々徳川家康方に属し関ヶ原戦いでは浅野一族の戦功著しく、長重は下野真岡で2万石の知行を受け、慶長7年(1611)には家康養女を室に迎えます。<br />更に慶長16年(1611)に長政死去により長重は家督相続し、元和8年(1622)5万3千5百石を以て従前の真壁を含む笠間藩主となります。

    笠間藩主浅野長重墓石

    長重の父は浅野長政(あさの・ながまさ、1547〜1611)で、母の姉である「ねね」が豊臣秀吉に嫁いでいる背景で秀吉存命中は破格の待遇を受け五奉行筆頭職を任じています。
    秀吉没後は父子共々徳川家康方に属し関ヶ原戦いでは浅野一族の戦功著しく、長重は下野真岡で2万石の知行を受け、慶長7年(1611)には家康養女を室に迎えます。
    更に慶長16年(1611)に長政死去により長重は家督相続し、元和8年(1622)5万3千5百石を以て従前の真壁を含む笠間藩主となります。

  • 浅野家家臣墓石

    浅野家家臣墓石

  • 森家墓所(浅野家断絶後藩主)入口<br /><br />

    森家墓所(浅野家断絶後藩主)入口

  • 森家墓所内部

    森家墓所内部

  • 森家墓所内部

    森家墓所内部

  • 森家墓所内部

    森家墓所内部

  • 森家墓所内部

    森家墓所内部

  • 義士墓所内部正面<br /><br />正面中央部左から大石主税、藩主浅野長矩、大石内蔵助の順で墓石が並び、その周辺には45人の義士の墓があります。

    義士墓所内部正面

    正面中央部左から大石主税、藩主浅野長矩、大石内蔵助の順で墓石が並び、その周辺には45人の義士の墓があります。

  • 義士墓所<br /><br />内部中央には藩主浅野長矩、右には大石内蔵助そして左には大石主税の墓石が並んでいます。

    義士墓所

    内部中央には藩主浅野長矩、右には大石内蔵助そして左には大石主税の墓石が並んでいます。

  • 義士墓所<br /><br />改めて大石内蔵助の墓所を捉えます。

    義士墓所

    改めて大石内蔵助の墓所を捉えます。

  • 花岳寺・境内

    花岳寺・境内

  • 花岳寺・境内

    花岳寺・境内

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