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橿原神宮の一の鳥居から続く広い参道は玉砂利が敷きつめられ、樫の木と常夜灯の並木が連なる。<br /><br />参道は宮川にかかる神橋を渡ると二の鳥居が待ち構える。<br /><br />二の鳥居を過ぎた右手には齊館・勅使館へ向かう道に分かれる。<br /><br />振り返ると二の鳥居の奥に一の鳥居が覗き、二の鳥居の上から二上山が顔を出す。<br /><br />一般参拝客は直進。<br /><br />やや高くなった南神門前広場に出、左手の南手水舎で身を清め、潜った雄大な南神門の先はいわゆ神域。<br /><br />左手の参集所、神楽殿に沿うように進み、外拝殿へ。<br /><br />広々とした玉砂利の広場に建つ壮大な外拝殿を潜ると、正面に内拝殿が建ち、拝殿の両脇から回廊が伸びる。<br /><br />よく見ると内拝殿の屋根越しに幣殿の千木。<br /><br />格子戸の様な回廊の隙間から内拝殿前に広がる外院斎庭の、奥の内拝殿の斜めの屋根越しに、僅かに望める他の御堂よりやや古びた様子の屋根が本殿で、元京都御所の賢所を移設したものと云う。<br /><br />橿原神宮は云うまでもなく初代天皇・神武天皇と皇后・比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすよりひめ)がご祭神。<br /><br />神武天皇は2674年前、九州日向から東征を開始し、16年目(諸説あるらしい)で漸く橿原の地に宮を築き、即位したと云う。<br /><br />天照大神は天孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上に派遣する。<br /><br />瓊瓊杵尊は地上で木花開耶姫(このはなさくやひめ)を娶る。<br /><br />二人の間に生まれた兄弟の次男・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、叔母の豊玉媛(とよたまひめ)と婚姻を結び四人の子を産むが、その末っ子(四番目)が神倭伊波禮毘古命(日本書記では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと))。<br /><br />この日本磐余彦尊こそが後に神武天皇と称せられる神であり、故に天照大神の嫡系とされる。<br /><br />にも拘らず日本磐余彦尊は、出雲系の流れを引く地元の大物主大神の姫・比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすよりひめ)と婚姻する。<br /><br />古代日本を支配した神話の世界での2柱の流れは、大和政権発足と同時に姻戚関係となり、天皇家の初代先祖を築くことになる。<br /><br />橿原神宮は2600年後の明治になって、日本磐余彦尊が築いた皇居跡に、国威発揚の流れに乗って建設が開始れ、明治天皇から元京都御所の賢所(かしこどころ)と神嘉殿が下げ渡される。<br /><br />手前の白い玉砂利と、雲一つない空をバックに、逆光でシルエット風にくっきりと広がる内拝殿。<br /><br />きりりと、清々しい雰囲気さえ漂う。<br /><br /><br />橿原神宮・公式ホームページ<br />http://www.kashiharajingu.or.jp/

日本の神を覗く旅路・第1部記紀の神々続・晩秋の大和路08初代天皇の神武天皇即位地・橿原神宮その1清々しい雰囲気漂う境内

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2014/11/27 - 2014/11/27

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WT信

WT信さん

橿原神宮の一の鳥居から続く広い参道は玉砂利が敷きつめられ、樫の木と常夜灯の並木が連なる。

参道は宮川にかかる神橋を渡ると二の鳥居が待ち構える。

二の鳥居を過ぎた右手には齊館・勅使館へ向かう道に分かれる。

振り返ると二の鳥居の奥に一の鳥居が覗き、二の鳥居の上から二上山が顔を出す。

一般参拝客は直進。

やや高くなった南神門前広場に出、左手の南手水舎で身を清め、潜った雄大な南神門の先はいわゆ神域。

左手の参集所、神楽殿に沿うように進み、外拝殿へ。

広々とした玉砂利の広場に建つ壮大な外拝殿を潜ると、正面に内拝殿が建ち、拝殿の両脇から回廊が伸びる。

よく見ると内拝殿の屋根越しに幣殿の千木。

格子戸の様な回廊の隙間から内拝殿前に広がる外院斎庭の、奥の内拝殿の斜めの屋根越しに、僅かに望める他の御堂よりやや古びた様子の屋根が本殿で、元京都御所の賢所を移設したものと云う。

橿原神宮は云うまでもなく初代天皇・神武天皇と皇后・比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすよりひめ)がご祭神。

神武天皇は2674年前、九州日向から東征を開始し、16年目(諸説あるらしい)で漸く橿原の地に宮を築き、即位したと云う。

天照大神は天孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上に派遣する。

瓊瓊杵尊は地上で木花開耶姫(このはなさくやひめ)を娶る。

二人の間に生まれた兄弟の次男・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、叔母の豊玉媛(とよたまひめ)と婚姻を結び四人の子を産むが、その末っ子(四番目)が神倭伊波禮毘古命(日本書記では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと))。

この日本磐余彦尊こそが後に神武天皇と称せられる神であり、故に天照大神の嫡系とされる。

にも拘らず日本磐余彦尊は、出雲系の流れを引く地元の大物主大神の姫・比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすよりひめ)と婚姻する。

古代日本を支配した神話の世界での2柱の流れは、大和政権発足と同時に姻戚関係となり、天皇家の初代先祖を築くことになる。

橿原神宮は2600年後の明治になって、日本磐余彦尊が築いた皇居跡に、国威発揚の流れに乗って建設が開始れ、明治天皇から元京都御所の賢所(かしこどころ)と神嘉殿が下げ渡される。

手前の白い玉砂利と、雲一つない空をバックに、逆光でシルエット風にくっきりと広がる内拝殿。

きりりと、清々しい雰囲気さえ漂う。


橿原神宮・公式ホームページ
http://www.kashiharajingu.or.jp/

同行者
家族旅行
交通手段
新幹線 JR特急 自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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