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内拝殿に沿って時計周りに進むと北神門が見えてくる。<br /><br />北神門を潜ると北参道が伸び、鳥居がみえる。<br /><br />一人で参道から外れ、畝傍山登山口の案内に従って進むと”若桜遊苑”。<br /><br />確かに紅葉に交って、季節外れの桜が咲いている。<br /><br />登山道の入り口に鳥居が建ち、いかにも登山道と云った情景だが、妹夫婦が待っているので引き返す。<br /><br />逆光の北神門に戻り、齊館の壁沿いに南神門へ。<br /><br />ここから外拝殿の上から覆い被さる様に見下ろす紅葉仕掛けた畝傍山が望める。<br /><br />南神門を出て参道を横切り深田湖へ。<br /><br />深田湖の南桟橋辺りからも、対岸の深田湖を取り囲むように見下ろす畝傍山が美しい。<br /><br />帰りは表参道の南側に沿って、社務所、と祈祷殿の間を進み、文華殿の庭の紅葉を眺め、宝物館を過ぎ、夕暮れ迫る一の鳥居前に戻り着いた。<br /><br />大和路の神社たちの気持ち良い周遊をしながらも、心に淀む感覚が残っていた。<br /><br />私の今回の旅の10日前、天皇陛下御夫妻は奈良で開催された第34回全国豊かな海づくり大会ご臨席の折、大神神社を参拝され、古事記展を鑑賞されたとニュースで知った。<br /><br />どの新聞も大神神社を”皇室のご先祖ともゆかりがあるとされる。”とある。<br /><br />しかしこの旅で知った限りでは、大神神社は初代天皇のお妃の御実家。<br /><br />直ぐ近くにある初代天皇ご自身の橿原神社のご参拝が無いのはなぜなのだろうと。<br /><br />両陛下がご鑑賞なされた”古事記展”のホームページを改めて眺めたが、”古事記展”自体にも、各界の識者のコメントの中にもその答えを曳き出せるヒントは見つからなかった。<br /><br />しかし諦めかけた頃ふと目にしたのが”新釈古事記伝第一集「袋背負いの心」阿部国治著 日本講演会”の紹介ビデオ。<br /><br /> 早速ネットで購入。<br /><br />話の主人公は勿論大国主命で、この話の「ふくろしょいのこころ」の趣旨を象徴する、橘曙覧(たちばなのあけみ)と云う歌人の歌が紹介されている。<br /><br />  八十神に ひとりおくれて負いたまもふ <br /><br />     袋にこもる   千のさきはひ<br /><br />子供の頃から良く知っているはずの物語なのだが、正に目から鱗であった。<br /><br /><br />橿原神社は天皇家の父方の神社だが、明治の国威発揚の意図を持って現在の神社が建てられた。<br /><br />それに対し大神神社は大国主命の「袋背負いの心」の御魂が御祭神。<br /><br />天皇陛下ご夫妻は各地の大きな災害地には何度も足を運ばれ、靖国神社には参拝なされないが、過去に暴漢に襲われそうにもなられた、沖縄の戦没者の霊に、今年の6月も参拝にお出かけになられている。<br /><br />天皇陛下ご夫妻が天皇位をお引継ぎなった以降のご行動の根幹はここにおありなのではないかと・・。<br /><br />少しだけ”日本人の心の故郷”に出会え、触れることが出来たような気がする。<br /><br />2015年の夏の終わり、琵琶湖一周の旅をした。<br />その折比叡山延暦寺を訪れ、そこで比叡山延暦寺開祖で、天台宗の始祖、<br />最澄が、延暦7年,(788年:最澄中国留学の12年前)三輪山より大物主神の分霊を勧請し、比叡山のご祭神にしてしている事実を知り、意を強くした。<br />最澄は、「個々が思いやりの心をもって一隅を照らす人になる」と説いた。<br /><br />関心おありの方は下記をご覧ください<br /><br />2015晩夏家族旅行プラス4;雨に煙る比叡山延暦寺<br />https://4travel.jp/travelogue/11074365<br /><br /><br /><br /><br />

日本の神を覗く旅路・第1部記紀の神々続・晩秋の大和路09初代天皇の神武天皇即位地・橿原神宮その2畝傍山が見下ろす景観

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2014/11/27 - 2014/11/27

341位(同エリア567件中)

WT信

WT信さん

内拝殿に沿って時計周りに進むと北神門が見えてくる。

北神門を潜ると北参道が伸び、鳥居がみえる。

一人で参道から外れ、畝傍山登山口の案内に従って進むと”若桜遊苑”。

確かに紅葉に交って、季節外れの桜が咲いている。

登山道の入り口に鳥居が建ち、いかにも登山道と云った情景だが、妹夫婦が待っているので引き返す。

逆光の北神門に戻り、齊館の壁沿いに南神門へ。

ここから外拝殿の上から覆い被さる様に見下ろす紅葉仕掛けた畝傍山が望める。

南神門を出て参道を横切り深田湖へ。

深田湖の南桟橋辺りからも、対岸の深田湖を取り囲むように見下ろす畝傍山が美しい。

帰りは表参道の南側に沿って、社務所、と祈祷殿の間を進み、文華殿の庭の紅葉を眺め、宝物館を過ぎ、夕暮れ迫る一の鳥居前に戻り着いた。

大和路の神社たちの気持ち良い周遊をしながらも、心に淀む感覚が残っていた。

私の今回の旅の10日前、天皇陛下御夫妻は奈良で開催された第34回全国豊かな海づくり大会ご臨席の折、大神神社を参拝され、古事記展を鑑賞されたとニュースで知った。

どの新聞も大神神社を”皇室のご先祖ともゆかりがあるとされる。”とある。

しかしこの旅で知った限りでは、大神神社は初代天皇のお妃の御実家。

直ぐ近くにある初代天皇ご自身の橿原神社のご参拝が無いのはなぜなのだろうと。

両陛下がご鑑賞なされた”古事記展”のホームページを改めて眺めたが、”古事記展”自体にも、各界の識者のコメントの中にもその答えを曳き出せるヒントは見つからなかった。

しかし諦めかけた頃ふと目にしたのが”新釈古事記伝第一集「袋背負いの心」阿部国治著 日本講演会”の紹介ビデオ。

早速ネットで購入。

話の主人公は勿論大国主命で、この話の「ふくろしょいのこころ」の趣旨を象徴する、橘曙覧(たちばなのあけみ)と云う歌人の歌が紹介されている。

  八十神に ひとりおくれて負いたまもふ 

   袋にこもる 千のさきはひ

子供の頃から良く知っているはずの物語なのだが、正に目から鱗であった。


橿原神社は天皇家の父方の神社だが、明治の国威発揚の意図を持って現在の神社が建てられた。

それに対し大神神社は大国主命の「袋背負いの心」の御魂が御祭神。

天皇陛下ご夫妻は各地の大きな災害地には何度も足を運ばれ、靖国神社には参拝なされないが、過去に暴漢に襲われそうにもなられた、沖縄の戦没者の霊に、今年の6月も参拝にお出かけになられている。

天皇陛下ご夫妻が天皇位をお引継ぎなった以降のご行動の根幹はここにおありなのではないかと・・。

少しだけ”日本人の心の故郷”に出会え、触れることが出来たような気がする。

2015年の夏の終わり、琵琶湖一周の旅をした。
その折比叡山延暦寺を訪れ、そこで比叡山延暦寺開祖で、天台宗の始祖、
最澄が、延暦7年,(788年:最澄中国留学の12年前)三輪山より大物主神の分霊を勧請し、比叡山のご祭神にしてしている事実を知り、意を強くした。
最澄は、「個々が思いやりの心をもって一隅を照らす人になる」と説いた。

関心おありの方は下記をご覧ください

2015晩夏家族旅行プラス4;雨に煙る比叡山延暦寺
https://4travel.jp/travelogue/11074365




同行者
家族旅行
交通手段
新幹線 JR特急 私鉄 自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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