深谷・寄居旅行記(ブログ) 一覧に戻る
JR高崎線深谷駅南口から高崎方向に線路に沿って徒歩で15分程で石流山・清心寺(せいしんじ、埼玉県深谷市萱場)という浄土宗寺院が在ります。<br /><br />ここに源平一ノ谷合戦で平家武将平忠度(たいらの・ただのり、1144~1184)を討取った岡部六弥太忠澄(おかべ・ろくやた・ただずみ、生誕不詳~1197)が戦後忠度の霊を弔ったという供養塔があります。<br /><br /><br /><br />山門を潜りすぐ左には忠澄が弔うため造った白壁で囲まれた廟があり、その入口横には「清心寺」と題した由緒が下記の内容で記されています。<br /><br />「 清 心 寺<br /><br />この地は荒川扇状地の末端で湧き水が豊富で古代より人が住み、6~7世紀古墳が多く築かれました。<br /><br />12世紀源平一ノ谷戦で、岡部六弥太忠澄が平氏きっての智勇にすぐれた平薩摩守忠度を討ちその菩提を弔うため、忠澄の領地の中で一番景色のよいこの地に五輪塔を建てました。<br /><br />忠度ゆかりの菊の前が墓前でさした桜が紅白の二花相重なる夫婦咲きとなり忠度桜として有名です。<br /><br />戦国期深谷上杉氏の宿老皿沼城岡谷清英(おかや・きよひで)は天文18年(1549)萬誉玄仙和尚を招いて清心寺を開きました。<br /><br />江戸期幕府から寺領8石の朱印状が下付されました。<br /><br />境内に忠度供養塔、腕塚、千姫供養、秋蚕の碑、岡谷繁実の墓がある。」<br /><br />        昭和57年3月    深谷上杉顕彰会<br /><br />

武蔵深谷 源平一ノ谷戦いで討死した平家平忠度の霊を弔うため岡部忠澄が供養塔を建て戦国期に上杉氏宿老が開基徳川期に寺領寄進された『清心寺』散歩

11いいね!

2014/11/23 - 2014/11/23

198位(同エリア365件中)

2

20

滝山氏照

滝山氏照さん

JR高崎線深谷駅南口から高崎方向に線路に沿って徒歩で15分程で石流山・清心寺(せいしんじ、埼玉県深谷市萱場)という浄土宗寺院が在ります。

ここに源平一ノ谷合戦で平家武将平忠度(たいらの・ただのり、1144~1184)を討取った岡部六弥太忠澄(おかべ・ろくやた・ただずみ、生誕不詳~1197)が戦後忠度の霊を弔ったという供養塔があります。



山門を潜りすぐ左には忠澄が弔うため造った白壁で囲まれた廟があり、その入口横には「清心寺」と題した由緒が下記の内容で記されています。

「 清 心 寺

この地は荒川扇状地の末端で湧き水が豊富で古代より人が住み、6~7世紀古墳が多く築かれました。

12世紀源平一ノ谷戦で、岡部六弥太忠澄が平氏きっての智勇にすぐれた平薩摩守忠度を討ちその菩提を弔うため、忠澄の領地の中で一番景色のよいこの地に五輪塔を建てました。

忠度ゆかりの菊の前が墓前でさした桜が紅白の二花相重なる夫婦咲きとなり忠度桜として有名です。

戦国期深谷上杉氏の宿老皿沼城岡谷清英(おかや・きよひで)は天文18年(1549)萬誉玄仙和尚を招いて清心寺を開きました。

江戸期幕府から寺領8石の朱印状が下付されました。

境内に忠度供養塔、腕塚、千姫供養、秋蚕の碑、岡谷繁実の墓がある。」

 昭和57年3月    深谷上杉顕彰会

旅行の満足度
3.0
交通手段
JRローカル 徒歩

PR

  • JR深谷駅舎全景<br /><br />東京駅に似たユニークな駅舎で、煉瓦調の建物が実に重厚なレトロ調です。

    JR深谷駅舎全景

    東京駅に似たユニークな駅舎で、煉瓦調の建物が実に重厚なレトロ調です。

  • JR深谷駅舎玄関

    JR深谷駅舎玄関

  • 清心寺・石門<br /><br />

    清心寺・石門

  • 清心寺・寺標<br /><br />門の右には「浄土宗 石流山 八幡院 清心院」と刻された石標があります。

    清心寺・寺標

    門の右には「浄土宗 石流山 八幡院 清心院」と刻された石標があります。

  • 石標<br /><br />門の左には「史蹟 平忠度之墓」の石標が確認されます。<br /><br />

    石標

    門の左には「史蹟 平忠度之墓」の石標が確認されます。

  • 清心寺・山門

    清心寺・山門

  • 清心寺・山門(境内側)

    清心寺・山門(境内側)

  • 平忠度廟全景<br /><br />忠度の霊を慰めるため岡部忠澄は所領の岡部原に五輪塔を建立、その後五輪塔は慶安2年(1649)に清心寺に移築されてと言われています。

    平忠度廟全景

    忠度の霊を慰めるため岡部忠澄は所領の岡部原に五輪塔を建立、その後五輪塔は慶安2年(1649)に清心寺に移築されてと言われています。

  • 石標<br /><br />廟の入口には「平忠度公墓」と刻された石標があります。

    石標

    廟の入口には「平忠度公墓」と刻された石標があります。

  • 廟扉<br /><br />城壁に囲まれた忠度廟がやや広めに確保されています。

    廟扉

    城壁に囲まれた忠度廟がやや広めに確保されています。

  • 五輪塔<br /><br />素朴で重量感が感じられる五輪塔と板碑とが並んでいます。

    五輪塔

    素朴で重量感が感じられる五輪塔と板碑とが並んでいます。

  • 清心寺由緒板

    清心寺由緒板

  • 清心寺・鐘楼堂

    清心寺・鐘楼堂

  • 忠度桜<br /><br />鐘楼堂の手前に「忠度桜」と記された桜の苗木が認められます。説明では菊の御前(平忠度室)が当該寺院まで赴き桜の苗を植えると紅白二色の花が重なって咲いたそうで後年「夫婦咲きの桜」とも言われたそうです。

    忠度桜

    鐘楼堂の手前に「忠度桜」と記された桜の苗木が認められます。説明では菊の御前(平忠度室)が当該寺院まで赴き桜の苗を植えると紅白二色の花が重なって咲いたそうで後年「夫婦咲きの桜」とも言われたそうです。

  • 清心寺・本堂<br /><br />正式には石流山八幡院と号する浄土宗の寺院で、ご本尊は阿弥陀如来像です。

    清心寺・本堂

    正式には石流山八幡院と号する浄土宗の寺院で、ご本尊は阿弥陀如来像です。

  • 清心寺本堂・寺額<br /><br />山号である「石流山」と描かれた寺額が掲げられています。

    清心寺本堂・寺額

    山号である「石流山」と描かれた寺額が掲げられています。

  • 清心寺・境内

    清心寺・境内

  • 清心寺・境内

    清心寺・境内

  • 清心寺・境内

    清心寺・境内

この旅行記のタグ

11いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

  • ごろごろ56さん 2015/02/10 07:47:12
    鎌倉時代当時は・・・
     滝山氏照様
     いつも旅行記、拝見しております。

     今回の旅行記を拝見して、ふと鎌倉時代当時の“坂東武者”の日常を考えてしまいました。
     まだまだ人影もまばらだった関東平野で、岡部忠澄氏。普段は農作業に従事されていたのだと思うのですが、いざ!平家追討、で西国まで出陣したのでしょうが、さながら“宇宙旅行”のような体験だったのではないでしょうか・・・。(想像するよりは、人の往来はあったのでしょうが)

    滝山氏照

    滝山氏照さん からの返信 2015/02/11 10:58:22
    一所懸命の人々
    ごろごろ56さん、おはようございます。


    平忠度の記事についてお便りくださりありがとうございます。


    確かに一族を率いて未知の西国まで(しかも自弁で)戦いに行くことは日常では考えられないことで種々不安があったことでしょう。

    しかし自分や家族を含めた一族の生活基盤である土地を護ることは、自らの生存を問われることに直結していたので「一所懸命」の意味をよく示していると思います。

    岡部忠澄は現在の埼玉県深谷市あたりに本拠を定めた猪俣党(いのまたとう、武蔵七党の一つ)と呼ばれる小規模武士集団の庶流ですが、頼朝から本領安堵された御家人ですから、郷里のことを想いながら義経指揮のもと文字通り命を懸けて平氏討伐に転戦したことでしょう。


    滝山氏照





滝山氏照さんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

滝山氏照さんの関連旅行記

滝山氏照さんの旅行記一覧

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP