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高台院(こうだいいん、埼玉県深谷市田谷)はJR高崎線深谷駅徒歩15分の市役所北隣にある漕洞宗の寺院で、かつて鎌倉公方を支える関東管領上杉氏庶流の後裔で当地域の地域領主でしたが関東に攻め入った小田原北条氏に属した深谷上杉憲賢夫妻の墓所となっています。<br /><br />山門入口脇の「高臺院」と題された説明板には次のように記載されています。<br /><br />「当院は漕洞宗で、上杉氏の家臣高橋永明の創建と伝えられ、永禄4年(1561)深谷城主上杉憲賢(のりかた)の菩提を弔うため、内室、高泰姫が再興開基し姫の法号をとって高台永明寺と称されています。<br /><br />姫は元亀4年(1573)亡くなり、憲賢と高泰姫の墓が本堂左奥に建てられています。<br /><br />また裏には深谷城主築城のとき城の鎮守(ちんじゅ)として城内にまつった永明稲荷社と土塁が残っています。<br /><br />文化財としては高麗から伝わった螺鈿高麗(らでんこうらい)、狐開帳絵馬(きつねかいちょう)、北亭為直(ためなを)筆の鎮西(ちんぜい)八郎為朝(ためとも)の図、銅鐘(寛政時代・深谷宿住人佐野茂右衛門作)、北亭為直の墓などが市指定となっています。」

武蔵深谷 関東管領上杉氏庶流で河越合戦敗北を機に小田原北条氏の軍門に下った深谷上杉憲賢室開基の『高台院』散歩

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2014/11/23 - 2014/11/23

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滝山氏照

滝山氏照さん

高台院(こうだいいん、埼玉県深谷市田谷)はJR高崎線深谷駅徒歩15分の市役所北隣にある漕洞宗の寺院で、かつて鎌倉公方を支える関東管領上杉氏庶流の後裔で当地域の地域領主でしたが関東に攻め入った小田原北条氏に属した深谷上杉憲賢夫妻の墓所となっています。

山門入口脇の「高臺院」と題された説明板には次のように記載されています。

「当院は漕洞宗で、上杉氏の家臣高橋永明の創建と伝えられ、永禄4年(1561)深谷城主上杉憲賢(のりかた)の菩提を弔うため、内室、高泰姫が再興開基し姫の法号をとって高台永明寺と称されています。

姫は元亀4年(1573)亡くなり、憲賢と高泰姫の墓が本堂左奥に建てられています。

また裏には深谷城主築城のとき城の鎮守(ちんじゅ)として城内にまつった永明稲荷社と土塁が残っています。

文化財としては高麗から伝わった螺鈿高麗(らでんこうらい)、狐開帳絵馬(きつねかいちょう)、北亭為直(ためなを)筆の鎮西(ちんぜい)八郎為朝(ためとも)の図、銅鐘(寛政時代・深谷宿住人佐野茂右衛門作)、北亭為直の墓などが市指定となっています。」

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル
  • 高台院・遠景<br /><br />寺域の外部から塀を隔てて本堂を一望します。

    高台院・遠景

    寺域の外部から塀を隔てて本堂を一望します。

  • 高台院・山門<br />

    イチオシ

    高台院・山門

  • 高台院・石柱<br /><br />山門脇に建てられた石柱には「深谷城主 上杉憲賢公・室 高泰姫 / 墓所」と刻され当該寺が上杉夫妻の墓所となっていることを知らせています。<br /><br />

    高台院・石柱

    山門脇に建てられた石柱には「深谷城主 上杉憲賢公・室 高泰姫 / 墓所」と刻され当該寺が上杉夫妻の墓所となっていることを知らせています。

  • 高台院・由緒説明板<br /><br />「高臺院」と記された題字は憲賢室である高泰姫の法名に因んでいます。

    高台院・由緒説明板

    「高臺院」と記された題字は憲賢室である高泰姫の法名に因んでいます。

  • 高台院・文化財<br /><br />「上杉憲賢室高泰姫の墓」及び「高台院銅鐘」がそれぞれ文化財指定となっています。

    高台院・文化財

    「上杉憲賢室高泰姫の墓」及び「高台院銅鐘」がそれぞれ文化財指定となっています。

  • 高台院・寺額<br /><br />山門上部には「深谷山」と記載された山額が掲載されています。<br /><br />

    高台院・寺額

    山門上部には「深谷山」と記載された山額が掲載されています。

  • 高層石塔<br /><br />石塔が堂々と高く聳え立っています。

    高層石塔

    石塔が堂々と高く聳え立っています。

  • 高台院・本堂全景<br /><br />正式には「深谷山・高台院・永明寺」という漕洞宗の寺院で、ご本尊は釈迦如来像となっています。「永明寺」という寺名の説明はありませんが、当該寺開基した憲賢家臣である高橋永明から称していると思われます。

    イチオシ

    高台院・本堂全景

    正式には「深谷山・高台院・永明寺」という漕洞宗の寺院で、ご本尊は釈迦如来像となっています。「永明寺」という寺名の説明はありませんが、当該寺開基した憲賢家臣である高橋永明から称していると思われます。

  • 高台院・本堂扁額<br /><br />本堂正面には上杉氏の家紋が描かれ、更に上部には細かく彫られた模様と「高臺院」と刻された院号が描かれています。<br /><br />

    高台院・本堂扁額

    本堂正面には上杉氏の家紋が描かれ、更に上部には細かく彫られた模様と「高臺院」と刻された院号が描かれています。

  • 鬼瓦

    鬼瓦

  • 高台院・境内<br /><br />本堂から山門方向に眼を移しますと長い参道と高層石塔が視野に入ります。

    高台院・境内

    本堂から山門方向に眼を移しますと長い参道と高層石塔が視野に入ります。

  • 高台院・墓地入口

    高台院・墓地入口

  • 高台院・鐘楼堂<br /><br />寛政時代に製作されたという銅鐘が新しい台座の上に設置されています。この銅鐘は先の戦争で拠出を免れ現在でもそのまま時を報せています。

    高台院・鐘楼堂

    寛政時代に製作されたという銅鐘が新しい台座の上に設置されています。この銅鐘は先の戦争で拠出を免れ現在でもそのまま時を報せています。

  • 上杉憲賢夫妻墓所方向<br /><br />本堂と墓地の間を進んで突き当りを左折するとすぐ石塔が認められます。<br />

    上杉憲賢夫妻墓所方向

    本堂と墓地の間を進んで突き当りを左折するとすぐ石塔が認められます。

  • 上杉憲賢夫妻石塔(全景)<br /><br />正面中央部に室の高泰姫(高台院)、その右には夫である深谷上杉氏三代憲賢の宝篋印塔が寄り添うような姿で建っています。

    上杉憲賢夫妻石塔(全景)

    正面中央部に室の高泰姫(高台院)、その右には夫である深谷上杉氏三代憲賢の宝篋印塔が寄り添うような姿で建っています。

  • 上杉憲賢夫妻石塔(近景)<br /><br />石塔の前には献花された様子が窺えます。<br /><br />

    イチオシ

    上杉憲賢夫妻石塔(近景)

    石塔の前には献花された様子が窺えます。

  • 上杉夫婦墓誌<br /><br />高台院宝篋印塔の左には墓誌が控えています。

    上杉夫婦墓誌

    高台院宝篋印塔の左には墓誌が控えています。

  • 上杉憲賢夫妻墓所・案内板<br /><br />墓地から道路に向けて設置された案内板が墓地内部からも見えます。

    上杉憲賢夫妻墓所・案内板

    墓地から道路に向けて設置された案内板が墓地内部からも見えます。

  • 境内石垣<br /><br />墓地の道路に接する所には石垣が積まれていますが、往時に造られた土塁が崩れないようにその後になって施されたものと思われます。

    境内石垣

    墓地の道路に接する所には石垣が積まれていますが、往時に造られた土塁が崩れないようにその後になって施されたものと思われます。

  • 土塁

    土塁

  • 土塁<br /><br />土塁の崩落を防ぐための石垣は江戸時代に近隣の篤志家により寄進されています。<br /><br /><br /><br /><br />

    土塁

    土塁の崩落を防ぐための石垣は江戸時代に近隣の篤志家により寄進されています。




  • 石垣寄進銘板<br /><br />「深谷宿の大崎彦右衛門茂利」による石垣寄進と刻された銘板が設置されています。

    石垣寄進銘板

    「深谷宿の大崎彦右衛門茂利」による石垣寄進と刻された銘板が設置されています。

  • 永明稲荷神社<br /><br />康生年間(1455~1456)、深谷城主である深谷上杉氏により城郭の戌亥方角の守護として祀られたとの伝えがあります。<br /><br />

    永明稲荷神社

    康生年間(1455~1456)、深谷城主である深谷上杉氏により城郭の戌亥方角の守護として祀られたとの伝えがあります。

  • 永明稲荷神社<br /><br />社殿正面には「稲荷社」と描かれた扁額が色あせた形で掲載されています。

    永明稲荷神社

    社殿正面には「稲荷社」と描かれた扁額が色あせた形で掲載されています。

  • 社殿脇の貼紙<br /><br />社殿の左下に何やら紙片が何気なく貼られています。

    社殿脇の貼紙

    社殿の左下に何やら紙片が何気なく貼られています。

  • 富岡製糸場大絵馬<br /><br />この大絵図は明治31年(1880)、韮塚直次郎(にらつか・なおじろう)が富岡に製糸場を造営するにあたり同郷の場長から瓦・煉瓦の製造について請負い、官営富岡製糸場の完成後に無事成就したことを謝恩するために当神社を含め数か所に奉納した絵馬の一つと言われています。<br /><br /><br />

    富岡製糸場大絵馬

    この大絵図は明治31年(1880)、韮塚直次郎(にらつか・なおじろう)が富岡に製糸場を造営するにあたり同郷の場長から瓦・煉瓦の製造について請負い、官営富岡製糸場の完成後に無事成就したことを謝恩するために当神社を含め数か所に奉納した絵馬の一つと言われています。


  • 富岡製糸場大絵馬<br /><br />神社社殿の左側の壁には他の資料と共に中央部には奉納された大絵馬の模様が貼り付けされています。

    富岡製糸場大絵馬

    神社社殿の左側の壁には他の資料と共に中央部には奉納された大絵馬の模様が貼り付けされています。

  • 神社境内風景<br /><br />狭いながらも社殿から鳥居に向けて様子を一望します。

    神社境内風景

    狭いながらも社殿から鳥居に向けて様子を一望します。

  • 永明稲荷神社鳥居<br /><br />内部で高台院と稲荷神社が一体となっているので鳥居を正面にしても左右の風景は高台院のままです。<br /><br />

    永明稲荷神社鳥居

    内部で高台院と稲荷神社が一体となっているので鳥居を正面にしても左右の風景は高台院のままです。

  • 永明稲荷神社鳥居<br /><br />本来ならこの鳥居を越えて神社に向かうべきでしょうが内部で高台院境内と一体となっていたので逆になってしまいました。

    永明稲荷神社鳥居

    本来ならこの鳥居を越えて神社に向かうべきでしょうが内部で高台院境内と一体となっていたので逆になってしまいました。

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