2014/11/23 - 2014/11/23
204位(同エリア379件中)
滝山氏照さん
JR高崎線深谷駅から徒歩10分の三高院(さんこういん、埼玉県深谷市本住町)は本尊が阿弥陀如来像で正式には大翁山三高院浄安寺と号する浄土宗の寺院です。
当寺は小田原合戦にて小田原北条氏に属した地域領主深谷上杉氏没落後関東に入封した徳川家康により当地に封された松平康直(まつだいら・やすなお、1569~1593)開基の寺院で、康直は入封3年後に25歳の若さで没し当寺に葬られました。
由緒については山門付近掲載の説明板を引用すれば次の通りです。
「三高院 浄土宗大翁山浄安寺と号し開山は廣蓮社天誉立光、開基は深谷城主松平源七郎康直で本尊は阿弥陀如来である。
室町戦国時代の200年余り深谷を支配していた上杉氏も天正18年(1590)豊臣秀吉の関東攻略により亡びた。
関東に入った徳川家康は翌年十八松平の一つである長沢松平上野守康忠の子で家康の甥にあたり、岩槻城攻めの際功あった松平源七郎康直に深谷城1万石を与えた。
康直は若くして仏教を崇敬し本寺を建立在城2年にして文禄2年(1593)25歳で没した。
墓は宝篋印塔で塔身と基礎に輪郭をほどこし、四面に胎蔵界四仏の種子を配している。
『三高院文書』は家康と深谷城との関係がわかり市の文化財に指定されている。
昭和60年3月 深谷上杉顕彰会 」
文禄2年(1593)に病死した康直には娘のみで嗣子はおらずお家断絶であるところ、家康の配慮によって家康七男の松千代が跡を継ぎますが慶長4年(1599)早世したのでその兄の辰千代(後の松平忠輝)を迎えて名跡を継がせます。
然しながら元和2年(1616)忠輝は改易され長沢松平家の嫡流は断絶となりますが大河内家の正綱が名跡を継ぎ以降大河内・長沢松平家の子孫は豊橋・高崎・大多喜のそれぞれの藩主として明治維新を迎えます。
一方ひとり娘の蓮姫(れんひめ、1582~1652)は慶長5年(1600)家康の養女となって久留米藩主有馬豊氏(ありま・とようじ)に嫁ぎます。
尚、康直の父は徳川16神将の一人松平康忠(まつだいら・やすただ、1546~1618)で母は家康の異母妹の矢田姫という家康に最も近い松平家となっています。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル
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三高院・山門
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三高院・寺標
山門脇には松平康直開基・墓所を刻した石標が認められます。 -
三高院・社務所
鉄筋の社務所は工事中で近づけません。建物の下を潜ると当該寺院の墓地になります。 -
三高院・石仏
狭い境内の一隅に石仏が並んでいます。 -
三高院・石仏
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三高院由緒・説明板
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三高院・境内
本堂から山門に向けて振り返ります。 -
三高院・本堂
正式には大翁山浄安寺と号する浄土宗の寺院でご本尊は阿弥陀如来像です。 -
三高院本堂・扁額
本堂上部には「大翁宝林」と書かれた額が認められます。 -
三高院・法然上人立像
本堂前の境内に配された法然上人の立像があります。 -
三高院・法然上人立像(近景)
800年忌を記念して建立されたものです。 -
三高院・境内
法然上人立像より山門方向を捉えます。 -
三高院・宝篋印塔
本堂の左側に小振りの宝篋印塔がひっそりと佇んでいます。付近には紹介するものが見当たりませんので松平康直のかどうか不明です。(他日別資料により松平康直の墓石であること確認しました)
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