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西運寺(さいうんじ、埼玉県深谷市深谷町)はJR高崎線深谷駅徒歩10分の国道17号から市役所通に入った所に在する浄土宗の寺院です。<br /><br />山門脇の説明板によれば、家康の関東入部に伴い1万石を以て入封した深谷城主である長沢家松平康直(まつだいら・やすなお、1569~1593)が深く信仰した寺院で慶安3年(1650)幕府より寺領16石の御朱印を受領しています。<br /><br />当寺院には戦国時代当地を支配していた深谷上杉氏に仕え、数々の戦功を挙げ重臣となった杉田因幡(すぎた・いなば、生誕不詳~1616)の墓所があります。<br /><br />天正18年(1590)における秀吉の小田原城攻略の折り、北条氏方に属している城主上杉氏憲(うえすぎ・うじのり、生誕不詳~1637)は小田原城に詰めており、秀吉方の命を受けた前田利家・浅野長政軍の攻撃を目前にして籠城中の因幡は秋元長朝(あきもと・ながとも、1546~1628)と共に深谷城の明け渡し軍使として前田軍陣に赴き当該城下を戦火から救った人物として評価されています。<br /><br /><br /><br />2022年12月24日追記<br /><br />境内に建てられた掲示板には下記のように紹介されています。<br /><br />『 西運寺の縁起<br /><br />浄土宗、寂定山弘通院と称し、下総国の弘教寺の末寺である。開山は徳蓮社方誉で、弘治元年(1555)に没した。深谷城主松平康直も深く当寺を信仰した。慶安3年(1650)幕府より寺領16石の御朱印を受けた。 <br /><br />境内の23夜堂は「さんやさま」として23日の縁日には遠近の人々の参詣で賑わった。境内には杉田因幡の墓がある。因幡は幼少より深谷上杉家に仕え、戦功を立てて重臣となり、天正18年(1590)豊臣秀吉関東攻略の際、秀吉方の前田利家と浅田長政の許に城明け渡しの軍使として赴き深谷の街を戦禍から救った。<br /><br />朱印状、朱印箱と因幡の宝篋印塔が市の文化財に指定されている。<br /><br />     昭和60年3月    深谷上杉顕彰会 (第17号) 』

武蔵深谷 秀吉の小田原城合戦で北条氏に従い籠城していた深谷上杉氏の本拠深谷城を無血開城し城下を戦禍から救った重臣杉田因幡の墓所『西運寺』散歩

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2014/11/23 - 2014/11/23

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滝山氏照

滝山氏照さん

西運寺(さいうんじ、埼玉県深谷市深谷町)はJR高崎線深谷駅徒歩10分の国道17号から市役所通に入った所に在する浄土宗の寺院です。

山門脇の説明板によれば、家康の関東入部に伴い1万石を以て入封した深谷城主である長沢家松平康直(まつだいら・やすなお、1569~1593)が深く信仰した寺院で慶安3年(1650)幕府より寺領16石の御朱印を受領しています。

当寺院には戦国時代当地を支配していた深谷上杉氏に仕え、数々の戦功を挙げ重臣となった杉田因幡(すぎた・いなば、生誕不詳~1616)の墓所があります。

天正18年(1590)における秀吉の小田原城攻略の折り、北条氏方に属している城主上杉氏憲(うえすぎ・うじのり、生誕不詳~1637)は小田原城に詰めており、秀吉方の命を受けた前田利家・浅野長政軍の攻撃を目前にして籠城中の因幡は秋元長朝(あきもと・ながとも、1546~1628)と共に深谷城の明け渡し軍使として前田軍陣に赴き当該城下を戦火から救った人物として評価されています。



2022年12月24日追記

境内に建てられた掲示板には下記のように紹介されています。

『 西運寺の縁起

浄土宗、寂定山弘通院と称し、下総国の弘教寺の末寺である。開山は徳蓮社方誉で、弘治元年(1555)に没した。深谷城主松平康直も深く当寺を信仰した。慶安3年(1650)幕府より寺領16石の御朱印を受けた。 

境内の23夜堂は「さんやさま」として23日の縁日には遠近の人々の参詣で賑わった。境内には杉田因幡の墓がある。因幡は幼少より深谷上杉家に仕え、戦功を立てて重臣となり、天正18年(1590)豊臣秀吉関東攻略の際、秀吉方の前田利家と浅田長政の許に城明け渡しの軍使として赴き深谷の街を戦禍から救った。

朱印状、朱印箱と因幡の宝篋印塔が市の文化財に指定されている。

     昭和60年3月    深谷上杉顕彰会 (第17号) 』

旅行の満足度
3.0
交通手段
JRローカル

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  • 西運寺・山門<br /><br />市役所通りに入った左側に当該寺院が見えます。

    イチオシ

    西運寺・山門

    市役所通りに入った左側に当該寺院が見えます。

  • 西運寺・寺標<br /><br />石標に刻されているように正式には「寂定山・弘通院・西運寺」と称する浄土宗の寺院です。

    西運寺・寺標

    石標に刻されているように正式には「寂定山・弘通院・西運寺」と称する浄土宗の寺院です。

  • 西運寺・山門扁額<br /><br />山門上部に掲載されている寺額「西運寺」が掲示されています。

    西運寺・山門扁額

    山門上部に掲載されている寺額「西運寺」が掲示されています。

  • 西運寺・縁起<br /><br />山門脇には「西運寺」と題した説明板が建っています。

    西運寺・縁起

    山門脇には「西運寺」と題した説明板が建っています。

  • 西運寺・本堂<br /><br />当該寺院は正式には「寂定山・弘道院・西運寺」の浄土宗寺院で下総国の弘教寺の末寺の位置づけです。

    イチオシ

    西運寺・本堂

    当該寺院は正式には「寂定山・弘道院・西運寺」の浄土宗寺院で下総国の弘教寺の末寺の位置づけです。

  • 西運寺・本堂(近景)<br /><br />本堂正面上部には龍神を彫った飾が設置されています。

    西運寺・本堂(近景)

    本堂正面上部には龍神を彫った飾が設置されています。

  • 西運寺・本堂扁額<br /><br />「天下和順」と揮毫された扁額が掲載されています。

    西運寺・本堂扁額

    「天下和順」と揮毫された扁額が掲載されています。

  • 西運寺・境内<br /><br />本堂から山門方向を捉えます。

    西運寺・境内

    本堂から山門方向を捉えます。

  • 西運寺・宗祖法然上人旅立之像

    西運寺・宗祖法然上人旅立之像

  • 西運寺・鐘楼堂

    西運寺・鐘楼堂

  • 西運寺・葵の御紋<br /><br />葵の御紋が刻まれた仏具が配されていますが、旧小田原北条氏領に入府した徳川家康の一族で松平康直の入城を機に当寺も松平氏の庇護を受ける中で御紋使用が許されたと考えられます。

    西運寺・葵の御紋

    葵の御紋が刻まれた仏具が配されていますが、旧小田原北条氏領に入府した徳川家康の一族で松平康直の入城を機に当寺も松平氏の庇護を受ける中で御紋使用が許されたと考えられます。

  • 西運寺・経塚

    西運寺・経塚

  • 西運寺・「大黒天」石碑<br /><br /><br /><br />

    西運寺・「大黒天」石碑



  • 西運寺・庚申塚

    西運寺・庚申塚

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