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JR宇都宮線古河駅より徒歩約30分、西光山・満福寺(まんぷくじ、栃木県都賀郡野木町))は鎌倉公方の補佐役である関東管領及び室町幕府と対決姿勢を示した事で鎌倉府を追われ、これによって拠点を下総国古河に移した足利成氏(あしかが・しげうじ、1434~1497)の菩提寺です。<br /><br />幼少期は捕われの身であった永寿王丸(後の成氏)は嘉吉元年(1441)における嘉吉の乱によって将軍義教(よしのり)が暗殺されたのを機に関東管領上杉憲実(うえすぎ・のりざね、1410~1466)は新たに公方を擁することで各地の豪族を従わせるために鎌倉府再興に奔走します。<br /><br />許されて永寿王丸は宝徳元年(1449)に京都から鎌倉に移り、父持氏(もちうじ)の後を継いで鎌倉公方に就任、元服に当たっては将軍義成(よししげ)後の義政(よしまさ)の偏諱を与えられ「成氏」と名乗ります。<br /><br />この前年、成氏の実父である持氏(もちうじ)を死に追いやった山内上杉憲実の長男である憲忠(のりただ、1433~1455)が関東管領に就任、成氏は結城・里見・武田など旧臣らの旧領と地位復活をめざし、憲忠と憲忠の家宰である長尾景仲らと激しく対決します。<br /><br />景仲と同じ上杉氏一族の扇谷上杉持朝(うえすぎ・もちとも、1416~1467)の家宰である太田道真(おおた・どうしん、1411~1488)(道灌の実父)は成氏の鎌倉府を急襲すると成氏は江の島に退避、これに対し小山・千葉・小田・宇都宮などの北関東の豪族らの反撃で山内・扇谷の両上杉氏を打ち破ります。(江の島合戦)<br /><br />その後も双方の対立は続き、成氏は上杉方の所領を没収、上杉方も負けじと寺社領を横領するなどして対立が一層激化し、ついに享徳3年(1454)に成氏は憲忠を自宅に招いて殺害、これを機に尊氏が敷いた鎌倉府体制が崩壊し以降関東は大混乱に陥ります。(享徳の乱)<br /><br />憲忠の後任は憲実の二男である房顕(ふさあき)が山内上杉氏家督を引継ぎ、武蔵国の分倍河原にて成氏と戦うも敗れて常陸小栗に逃れます。<br /><br />成氏の横暴に業を煮やした幕府は康生元年(1455)成氏追討を決定、駿河守護の今川範忠(いまがわ・のりただ、1408~1461)に討伐を命じ範忠は鎌倉に攻め込み、成氏は鎌倉を追われ下総古河に移り、下総・常陸・下野の諸国を基盤とし関宿・栗橋・菖蒲・野田の諸城に家臣を配置して上杉方と対決姿勢をつづけます。(古河公方の成立)<br /><br />然しながら古河公方と上杉方は利根川を挟んでたびたび戦うも膠着状態が続くなか、長禄2年(1458)将軍義政(よしまさ、1436~1490)は成氏に対抗するため庶兄の足利政和(あしかが・まさとも、1435~1491)を新たな公方として東下させますが公方方の勢力により阻止され鎌倉に入ることができず、伊豆国堀越に留まり同地を御所とします。(堀越公方)<br /><br />文明8年(1476)、山内上杉氏内部において紛争発生、即ち歴代家宰職を任じていた長尾氏の中で景春(かげはる、1443~1514)が家宰に就けなかった恨みから主君である関東管領の上杉顕定(うえすぎ・あきさだ、1454~1510)に反旗を翻しその余波が関東各地に広がります。(長尾景春の乱)<br /><br />翌文明9年には武蔵国五十子(いかっこ)に参陣している山内及び扇谷両上杉氏は長尾景春に急襲を受け上野国に敗走を余儀なくされ、今後の上杉家の立場に危機感を抱いた顕定はそれまでの敵であった古河公方である足利成氏と和睦をします。<br /><br />そのうえで文明14年(1483)、古河公方と幕府の和睦が成立し、成氏の反幕府的行動は鎮まりますが、鎌倉に入れない堀越の政和の二人の公方が並存するという状態が続くことになります。<br /><br /><br /><br />2023年10月15日追記<br /><br /><br />足利成氏墓所の傍らには下記のごとく記載された説明板があります。<br /><br />『 町指定文化財 <br />        古 河 公 方 足 利 成 氏 の 墓<br /><br />          指定年月日  昭和56年3月18日<br />          所 在 地  野木町大字野渡706<br /><br /><br />この地は室町期の武将として知られる古河公方足利成氏の墳墓といわれる。<br /><br />足利成氏(1434年~1497年)は、足利尊氏の子で関東管領を務めた基氏の子孫である。<br /><br />宝徳元年(1449年)鎌倉公方となったが、康生元年(1455)上杉房顕と戦い、下総古河(現在の茨城県古河市)に敗走し古河公方となる。<br /><br />     昭和56年3月 <br />                野木町教育委員会 』

下野野木 足利家一門が故に室町幕府や関東管領と対峙し鎌倉から関東中央の要衝地古河に御所を移し公方政治を貫く足利成氏開基の菩提寺『満福寺』散歩

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2014/10/25 - 2014/10/25

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR宇都宮線古河駅より徒歩約30分、西光山・満福寺(まんぷくじ、栃木県都賀郡野木町))は鎌倉公方の補佐役である関東管領及び室町幕府と対決姿勢を示した事で鎌倉府を追われ、これによって拠点を下総国古河に移した足利成氏(あしかが・しげうじ、1434~1497)の菩提寺です。

幼少期は捕われの身であった永寿王丸(後の成氏)は嘉吉元年(1441)における嘉吉の乱によって将軍義教(よしのり)が暗殺されたのを機に関東管領上杉憲実(うえすぎ・のりざね、1410~1466)は新たに公方を擁することで各地の豪族を従わせるために鎌倉府再興に奔走します。

許されて永寿王丸は宝徳元年(1449)に京都から鎌倉に移り、父持氏(もちうじ)の後を継いで鎌倉公方に就任、元服に当たっては将軍義成(よししげ)後の義政(よしまさ)の偏諱を与えられ「成氏」と名乗ります。

この前年、成氏の実父である持氏(もちうじ)を死に追いやった山内上杉憲実の長男である憲忠(のりただ、1433~1455)が関東管領に就任、成氏は結城・里見・武田など旧臣らの旧領と地位復活をめざし、憲忠と憲忠の家宰である長尾景仲らと激しく対決します。

景仲と同じ上杉氏一族の扇谷上杉持朝(うえすぎ・もちとも、1416~1467)の家宰である太田道真(おおた・どうしん、1411~1488)(道灌の実父)は成氏の鎌倉府を急襲すると成氏は江の島に退避、これに対し小山・千葉・小田・宇都宮などの北関東の豪族らの反撃で山内・扇谷の両上杉氏を打ち破ります。(江の島合戦)

その後も双方の対立は続き、成氏は上杉方の所領を没収、上杉方も負けじと寺社領を横領するなどして対立が一層激化し、ついに享徳3年(1454)に成氏は憲忠を自宅に招いて殺害、これを機に尊氏が敷いた鎌倉府体制が崩壊し以降関東は大混乱に陥ります。(享徳の乱)

憲忠の後任は憲実の二男である房顕(ふさあき)が山内上杉氏家督を引継ぎ、武蔵国の分倍河原にて成氏と戦うも敗れて常陸小栗に逃れます。

成氏の横暴に業を煮やした幕府は康生元年(1455)成氏追討を決定、駿河守護の今川範忠(いまがわ・のりただ、1408~1461)に討伐を命じ範忠は鎌倉に攻め込み、成氏は鎌倉を追われ下総古河に移り、下総・常陸・下野の諸国を基盤とし関宿・栗橋・菖蒲・野田の諸城に家臣を配置して上杉方と対決姿勢をつづけます。(古河公方の成立)

然しながら古河公方と上杉方は利根川を挟んでたびたび戦うも膠着状態が続くなか、長禄2年(1458)将軍義政(よしまさ、1436~1490)は成氏に対抗するため庶兄の足利政和(あしかが・まさとも、1435~1491)を新たな公方として東下させますが公方方の勢力により阻止され鎌倉に入ることができず、伊豆国堀越に留まり同地を御所とします。(堀越公方)

文明8年(1476)、山内上杉氏内部において紛争発生、即ち歴代家宰職を任じていた長尾氏の中で景春(かげはる、1443~1514)が家宰に就けなかった恨みから主君である関東管領の上杉顕定(うえすぎ・あきさだ、1454~1510)に反旗を翻しその余波が関東各地に広がります。(長尾景春の乱)

翌文明9年には武蔵国五十子(いかっこ)に参陣している山内及び扇谷両上杉氏は長尾景春に急襲を受け上野国に敗走を余儀なくされ、今後の上杉家の立場に危機感を抱いた顕定はそれまでの敵であった古河公方である足利成氏と和睦をします。

そのうえで文明14年(1483)、古河公方と幕府の和睦が成立し、成氏の反幕府的行動は鎮まりますが、鎌倉に入れない堀越の政和の二人の公方が並存するという状態が続くことになります。



2023年10月15日追記


足利成氏墓所の傍らには下記のごとく記載された説明板があります。

『 町指定文化財 
        古 河 公 方 足 利 成 氏 の 墓

          指定年月日  昭和56年3月18日
          所 在 地  野木町大字野渡706


この地は室町期の武将として知られる古河公方足利成氏の墳墓といわれる。

足利成氏(1434年~1497年)は、足利尊氏の子で関東管領を務めた基氏の子孫である。

宝徳元年(1449年)鎌倉公方となったが、康生元年(1455)上杉房顕と戦い、下総古河(現在の茨城県古河市)に敗走し古河公方となる。

     昭和56年3月 
                野木町教育委員会 』

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 満福寺・正門

    満福寺・正門

  • 満福寺・石標

    満福寺・石標

  • 満福寺・山門

    満福寺・山門

  • 満福寺・境内<br /><br />境内の一部が駐車場になっています。

    満福寺・境内

    境内の一部が駐車場になっています。

  • 満福寺山門・扁額<br /><br />山門上部には「西光山」と書かれた山額が掲載されています。<br /><br />

    満福寺山門・扁額

    山門上部には「西光山」と書かれた山額が掲載されています。

  • 山門梵鐘<br /><br />山門上部には寺額のと共に小型の梵鐘が釣り下がって珍しい風景です。

    山門梵鐘

    山門上部には寺額のと共に小型の梵鐘が釣り下がって珍しい風景です。

  • 満福寺・参道

    満福寺・参道

  • 満福寺・本堂<br /><br />改築されてまだまもない本堂のようです。

    イチオシ

    満福寺・本堂

    改築されてまだまもない本堂のようです。

  • 満福寺本堂・寺額<br /><br />「満福寺」と刻された扁額が掲載されています。

    満福寺本堂・寺額

    「満福寺」と刻された扁額が掲載されています。

  • 満福寺・境内<br /><br />本堂から山門方向を捉えます。緑の芝生が広々とした敷地いっぱいに詰まっています。

    満福寺・境内

    本堂から山門方向を捉えます。緑の芝生が広々とした敷地いっぱいに詰まっています。

  • 社務所<br /><br />本堂に連結する社務所も本堂に劣らず立派な建物となっています。

    社務所

    本堂に連結する社務所も本堂に劣らず立派な建物となっています。

  • 板碑<br /><br />山門を入ってすぐ左側には板碑が配置されています。

    板碑

    山門を入ってすぐ左側には板碑が配置されています。

  • 板碑<br /><br />当板碑は死者の追善供養の為に作られたものです。

    板碑

    当板碑は死者の追善供養の為に作られたものです。

  • 板碑(近景)<br /><br />鎌倉時代の正元元年(1259)に作製された下野では最古の板碑との事です。

    板碑(近景)

    鎌倉時代の正元元年(1259)に作製された下野では最古の板碑との事です。

  • 満福寺・板碑説明板

    満福寺・板碑説明板

  • 足利成氏(しげうじ)墓所

    足利成氏(しげうじ)墓所

  • 足利成氏・墓所

    足利成氏・墓所

  • 足利成氏・墓石

    足利成氏・墓石

  • 足利成氏・墓石<br /><br />

    足利成氏・墓石

  • 足利成氏墓・説明板

    足利成氏墓・説明板

  • 猪苗代兼載墓<br /><br />猪苗代兼載(いなわしろ・けんさい、1452~1510)は室町時代中期の連歌師で8代将軍義政の連歌の師匠でもありました。

    猪苗代兼載墓

    猪苗代兼載(いなわしろ・けんさい、1452~1510)は室町時代中期の連歌師で8代将軍義政の連歌の師匠でもありました。

  • 猪苗代兼載(近景)<br /><br />晩年足利成氏の招きにより古河に游来し当地で病没となります。

    猪苗代兼載(近景)

    晩年足利成氏の招きにより古河に游来し当地で病没となります。

  • 兼載の説明板

    兼載の説明板

  • 満福寺・境内

    満福寺・境内

  • 満福寺・境内<br /><br />春になると桜の大樹に咲く花は見事でしょう。

    満福寺・境内

    春になると桜の大樹に咲く花は見事でしょう。

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