2014/10/25 - 2014/10/25
86位(同エリア162件中)
滝山氏照さん
麟翁山・正麟寺(しょうりんじ)は古文書など寺院焼失のため詳細は不明ですが、小笠原秀政(おがさわら・ひでまさ、1569~1615)が古河藩主の時代の天正18年(1590)から慶長6年(1601)の創建と考えられ、寺名は秀政の祖父である信濃守護であった小笠原長時(おがさわら・ながとき、1514~1583)の法号「長時院殿麒正麟大居士」によります。
この寺院には江戸時代の蘭学者として著名な鷹見泉石(たかみ・せんせき、1785~1858)の墓があります。
境内に配された鷹見泉石の石碑には下記の通り紹介されています。
「十郎左衛門忠常(じゅうろうざえもんただつね)といい、泉石は引退後の名である。 天明5年(1785)6月29日、土井氏(どいし)代々の家臣、鷹見忠徳(ただのり)の長男として、当寺、四軒町(しけんちょう)といったこの地に生まれた。
11歳より藩主土井利厚(としあつ)・利位(としつら)に仕え、ついには江戸家老にすすみ敏腕をふるった。
とりわけ藩主利位の『大塩の乱』鎮定・京都所司代(きょうとしょしだい)から老中への昇進と幕政参画(さんかく)など、その陰にはつねに泉石の補佐が与(あず)かって大きかった。
つとに蘭学(らんがく)を志し、利位の『雪華図説(せっかずせつ』」の刊行をたすけ、晩年、自らも日本初の『新訳和蘭(おらんだ)国全図』を出版した。かたわら、学者・文化人と広く交わり、オランダ商館長よりヤン・ヘンドリック・ダップルの蘭名(らんめい)を贈られた。開明的外国通といえる。
渡辺崋山(わたなべかざん)筆(ひつ)、国宝『鷹見泉石』が、よくその姿を伝えている。
安生5年(1858)7月16日、古河長谷(はせ)の屋敷に73歳で没した。
市内横山町の正麟寺(しょうりんじ)に眠る。」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル
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正麟寺・寺門
寺名は古河に入封した小笠原秀政の祖父にあたる小笠原長時の法号「長時院殿麒翁正麟大居士」によります。 -
正麟寺・石門
正面左側石柱には寺号である「正麟寺」が刻されています。 -
正麟寺・石門
正面右側石柱には山号である「麒翁山」が刻されています。 -
鷹見泉石墓所の石標
石標には「贈従四位鷹見泉石先生墓所」と刻されています。 -
正麟寺・参道
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正麟寺・本堂
小笠原氏の開基で信濃松本から古河に転入した小笠原秀政が祖父長時の為に建立します。 -
正麟寺本堂・玄関
当寺の本堂玄関は中央ではなくどういうわけか左端に造られています。 -
正麟寺・境内
本堂から山門方向を眺めます。 -
イチオシ
鷹見泉石墓石
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鷹見泉石説明板
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歴代住職墓所
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六地蔵
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鷹見泉石生誕地碑
正麟寺を離れ古河総合公園に向かう途中で古河一小手前に泉石生誕地を紹介する石碑が見えます。 -
イチオシ
泉石生誕石碑(近景)
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鷹見泉石説明
石碑には「鷹見泉石」と題する説明書きが貼り付けられています。 -
鷹見泉石記念館
古河総合公園に向かう途中に当該記念館がありますが、時間の都合で入館を控えました。 -
鷹見泉石記念館外観
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