2014/10/25 - 2014/10/25
86位(同エリア162件中)
滝山氏照さん
真龍山・神宮寺(じんぐうじ、茨城県古河市横山町)はJR宇都宮線古河駅から徒歩8分に位置する真言宗豊山派の寺院で、鎌倉府の足利成氏(あしかが・しげうじ、1446~1497)が追われて古河に移る際、当寺院も成氏に従って移転したという親成氏の社で境内説明板によれば下記主旨となります。
「当寺院はもともとは鎌倉にあって、時は花園天皇御代である文安3年(1446)5月に良宥上人の開基で室町幕府の出先機関である鎌倉府公方足利成氏の帰依が深かったようです。
享徳4年(1455)、鎌倉公方を補佐する関東管領との対立が顕著となっているなか成氏が管領職の上杉憲忠(うえすぎ・のりただ)を自宅に招き隙をみて憲忠を誅殺する事態に発展、幕府は駿河守護大名である今川範忠(いまがわ・のりただ)に命じ鎌倉を攻撃し、上杉氏討伐のため鎌倉を留守にしていた成氏はやむなく下総国古河に移りこれを機に古河公方と称します。
この時成氏の守り本尊である「十一面観音菩薩像」を良宥上人が守護して、供に古河に移転し、古河城中の観音寺曲輪を賜り建立して新たに心城院と称する事になります。
後刻古河公方命によって「十一面菩薩」を雀神社の本地仏として、境内の観音堂に祀られます。その際心城院を別所祈願所とし、法施として寺領7石を賜ります。
江戸時代になって元和6年(1620)の頃当時の城主である奥平美作守忠昌(おくだいら・みまさかのかみ・ただまさ)が古河城増築工事のため、町割りを実施した際、現在地に移転、真龍山心城院神宮寺と改称されます。
慶安元年(1648)8月、三代将軍家光から改めて朱印7石を賜り、貞享5年(1588)1月、類火に遭い寺宝・縁起等を焼失します。
元禄4年(1691)再建され更に、大正7年(1918)大修繕を致し、以降土台を強固にしたり、屋根の瓦を新しく葺き替えて現在に至ります。」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル
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JR宇都宮線・古河駅舎
高架式ホームで現代的な駅となっています。JR宇都宮線の中では唯一茨城県に属する駅です。 -
古河市史蹟・案内図
早速駅前に立っている案内板にて訪問先を確認します。朝光がガラスに反射して醜い状態ですが今回は古河公方と古河藩が大雑把な目的で主として社寺仏閣を巡ります。 -
古河市・歴史年表
史蹟案内図の裏側に年表が一覧化されています。 -
初代藩主永井直勝記事
駅前突き当りを北上します。途中の路には歴史上の記事が描かれている塔が立っています。初めて眼にしたのは永井直勝の記事で当該藩を通過する日光街道の整備に尽力した人物として書かれています。 -
旧御成街道古河宿道標
江戸時代には将軍が日光東照宮参詣の為当該街道を利用、沿道の藩主たちは道路の整備に尽力をします。 -
日光街道古河宿道標・説明板
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神宮寺寺門
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真龍山
山号の「真龍山」が刻されています。 -
神宮寺
同様に寺号の「神宮寺」が刻されています。 -
神宮寺参道
狭い参道を前進します。右側には墓地となっています。 -
神宮寺由来石碑
石碑にして神宮寺由来が記載されています。 -
神宮寺由来
石碑と同一内容から石碑新設までは当看板で説明していたと思われます。 -
イチオシ
神宮寺本堂
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本堂上部
本堂上部には山号である「真龍山」が描かれた扁額が掲示されています。 -
「弘法大師千年百年御遠忌記念塔」石柱
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「木像十一面観音坐像」説明板
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名木としての黒松
この寺院でも古河市指定の「黒松」が植林されています。 -
名木古木指定説明
古河市で指定の名木古木は「黒松」が指定されているとのことです。 -
神宮寺・境内
本堂から山門方向を眺めます。 -
旧御成街道風景
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